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2016年5月31日火曜日

台湾2016 一日目(高雄)

台湾へ行こうとふと思い立った。

これまで台湾には1回しか行っていない。2004年12月に台北を訪れ3泊しただけだ。いつか再訪したと思っていたが、ついつい機会を逃して10年以上経った。しかし今、LCCのおかげフライトはずっと安くなっている。ちょっとした国内旅行より安くつく。ほんの出来心で明日にでも飛び立てる。6月、7月になれば暑くなり、台風も心配しなければならない。5月のうちに行っておこう。

すでに訪れている台北は避け、台湾第2の都市である高雄を起点に原住民が住む田舎を巡りたかった。ネットで情報を探ると、高雄からほど遠くないところにルカイ族(魯凱族)の住む霧台(Wutai)という村(郷)があることがわかった。以前は入山許可書の取得がやっかいで、アクセスが難しかったが、ここ1、2年は簡単に行けるらしい。ここにターゲットを絞ろう。

5月22日に出発し27日に帰国する関空から高雄までのPeach往復航空券を21000円で購入した。5泊6日の旅だ。初日の22日の宿だけbooking.comで予約しておいた。「あひる家」という日本人がオーナーのドーミトリーで660元(約2300円)。ドーミトリーとしてはちょっと高めだ。

5月22日、Peach機は定刻通り11時5分に関空を飛び立ち、13時15分に高雄に着いた。高雄空港から市内まではMRT(Mass Rapid Transit)の電車で簡単に出ることができる。今日の宿となる「あひる家」の最寄りの駅である美麗島までは約20分で、料金は30元(105円)。「あひる家」の看板が小さかったため見つけるのに苦労したが、なんとかたどり着いた。宿の受付に霧台までの行き方を尋ねる。事前に確かめておいたとおり、まず高雄から屏東までバスか鉄道で行き、そこで三地門経由の霧台行きのバスに乗るしか方法はないらしい。高雄から霧台までのバスは出ていない。

明日の屏東行きの列車を確かめるために、台湾鉄道の高雄駅に歩いて向かう。駅は宿から近く、せいぜい10分くらい歩けば着く。駅のInformationで時刻表を見せてもたった。屏東行きの列車は何本もある。しかも高雄から屏東まで30分ちょっとだ。とりあえず屏東まではいつでも楽に行ける。

一安心したところで、駅付近の安食堂で遅めの昼食とする。チキンカツに加えて3種類の総菜を選んで60元(210円)。味はまずます。お茶とスープはセルフサービス式で無料。お茶は少し甘かった。ドーミトリーが2000円以上もしたので、台湾の物価は日本と同じくらいではないとふんでいたが、交通費も食費も日本よりかなり安そうだ。

高雄でとったはじめての食事

高雄は日本より暑く、しかも蒸す。はじめての街をあてもなくぶらぶらしていると曇っていた空から雨が降り出した。宿に帰って一休みしよう。宿の夕方からの受付は日本人の男性だった。霧台行きについてさらにいくつか尋ねてみる。屏東のバスターミナルは鉄道駅のすぐそばということだった。事前情報どおり、入山許可はごく簡単になっており、氏名や住所を記入するだけでよいらしい。この日三地門で震度5の地震があったが、特に被害は報告されていないとのことだった。

高雄といえば(というか台湾といえば)夜市が有名だ。この宿のすぐそばに六合国際観光夜市がある。雨はまだ止んでいないが、受付の男性によれば「雨でも半数くらいの屋台はがんばって出店している」とのことだった。なにはともあれ覗いてみよう。

雨脚はそれほど強くないが、傘なしではちょっときつい。雨の中でもそれなりに活気があり、客も少なくない。夕食代わりにたこ焼きを6個購入し、宿に帰って、台湾の缶ビールと一緒にいただく。

雨の中の夜市


明日は特に急ぐこともないが、早めに出発したほうが無難だろう。アラームを8時にセットして就寝した。

2016年5月19日木曜日

Hanya Yanagihara: A Little Life

2016年5月15日読了。
著者:Hanya Yanagihara
評価:★★★☆☆
Kindle版
刊行:2015年

著者はハワイ生まれの日系の米国人女性。ニューヨークを舞台とするこの小説に日本は出てこない。主人公たちはしばしばsushi restrauntで食事をするが、これは現在のニューヨークの日常の一風景であり、日本が意識されているわけではない。721ページの長い小説であるうえ、児童虐待や自傷行為といった暗いテーマにもかかわらず、2015年に米国でベストセラーとなった。

カレッジ時代に友人となった4人の若者のその後の人生が描かれている。4人が均等に描かれているわけではなく、実質的な主人公は孤児院に育ったJude。彼の子供時代の体験とそのトラウマが徐々に明らかになる形で物語りが進む。

読みやすい英語で書かれている。英語は私にとっては外国語だからノンストップで読めるというわけではないが、途中で挫折する心配なしに最後まで読めた。Judeが金持ちの息子の家庭教師をするエピソードがある。物語の本筋には関係のないエピソードだが、この部分を読むだけでYanagiharaのなみなみならぬ技量がわかる。

評価が星三つと厳しいのは、逆境の中でJudeが習得した並外れた知識や技能にリアリティが感じられなかったのに加え、彼を取り巻く人物の多くがtoo good to be trueであることへの違和感があったからだ。4人の友人がそろってそれぞれの分野で成功していることについても同様だ。the most depressing book I've ever readという書評も見かけたが、私にはほんとうの地獄はもっと別のところにあるように思える。

主人公と自分を一体化することはかなわなかったが、すぐに忘れ去るような作品ではない。久しぶりに小説らしい小説、どっしりと重いものを読んだ気がする。

2016年5月16日月曜日

中国貴州省2016 七日目(帰国)

4月24日。

朝5時40分にホテルを出て、貴陽空港に向かう。バスの中でホテルが用意してくれた弁当を食べる。トースト2枚にリンゴ1個、ミルクといった簡素な、あまりにも簡素な弁当だ。

行きは上海経由だったが、帰りは北京経由。成田組は2時間ちょっとの待ち時間だが、我々関西組は7時間近く待たなければならない。午後2時に空港内のPizza Hutで簡単な昼食をとる。これは西遊旅行社の支払いで、全員同じメニュー。タブレットに入っている電子ブックを読みながら、ひたすら時間をつぶす。中国国際航空機ほぼ定刻どおりに北京を発ち、夜の8時半に関空に着いた。

さて、今回は私には珍しくグループツアーだった。修学旅行と北朝鮮旅行を除けば、生涯に2度目のグループツアーだ。団体旅行と個人旅行の比較、それぞれの長所と短所についてはすでに語りつくされており、屋上に屋を架する感がするが、今回の体験に即して思ったことを少し書いておこう。まず今回パッケージツアーを利用したことの利点から。

  • 約1週間の間に棚田、トン族の2つの村、ミャオ族の3つの村を訪れ、姉妹飯節を見ることができた。ローカルな交通機関を使ってひとりで貴州省を旅するとすれば、1週間で行けるところは限られている。せいぜい姉妹飯節を見物して、凱里近辺の1つか2つの村を訪れるのが精一杯だろう。中国人観光客がどっと押し寄せている中、凱里もしくは施洞に宿を見つけるのも難しいかもしれない。
姉妹飯節

  •  中国料理は円卓を囲んでこそ様になる。ひとりで円卓を囲むわけにはいかない。今回いろいろな料理を楽しむことができたのもグループツアーだったからこそだ。

  • 宿の手配も交通手段の確保も人任せで、自分でしなくてよいことの快適さは言うまでもない。毎日モーニングコールがあるから、寝過ごす心配はなく、飛行機や列車に遅れる不安もない。何かトラブルが発生しても、添乗員が対処してくれるという安心感。ひとり旅につきものの、はじめて知らない土地に足を踏み入れるときの危惧や憂鬱はまったくない。
しかし、パッケージツアーの長所は裏返せばその短所でもある。グループ旅行のマイナス面を挙げておこう。

  • 行程も手配もすべて人任せだから、どこをどの順序でどのようにして訪れたかの記憶があいまいになる。このブログを書くにあたって、旅を記憶の中で再構成してみようとしたが、旅行社から貰った行程表や資料なしでは難しかった。ごく最近の旅であるにもかかわらず。訪れた土地や遭遇した人の印象もそのぶんだけ鮮烈さを失う。

  • 当たり前のことだが、パッケージツアーでは自分で裁量できる余地がずっと狭くなる。この土地が気に入ったからもう1泊して行こう、逆に1日早めに切り上げようなどの気まぐれな予定変更は問題外だ。個人旅行ならなんでも自分ひとりで決めることができる。

  • パッケージツアーでは現地の人々とのふれあいが限られる。宿のチェックインから食堂での注文に至るまで自分でやらざるを得ない個人旅行との大きな違いだ。宿や街で知り合った人とのインプロンプトな会話もグループツアーではほとんど考えられない。バングラデシュの川で鍋を洗っていた少女との会話や成都やウルムチの宿で交わした中国の若者との会話は私の旅の貴重な思い出となっているが、こうしたことはグループツアーでは難しいだろう。

  • 最後にコスト。これは旅のスタイルにかかっているので、個人旅行のほうがパッケージツアーより高くなることもあるが、私の場合には個人旅行のほうが確実に安くなる。貴州省を中心とした1週間の旅行なら、個人旅行の費用はパッケージツアーの代金の3分の1くらいですむ。もちろん訪れる場所は限られ、食事や宿の質はずっと低くなるが。

まだまだあるが、このへんでやめておこう。今回のツアーを終えて確信したのは、私には個人旅行のほうが向いているということ。ツアーに参加したのを後悔しているのではなく、グループツアーが楽しくなかったわけでもない。しかしやはり自分の足で街を歩きたい。多少の苦労はあっても、すべてを自分で決め、自分で探したい。ブータンや北朝鮮、トルクメニスタンなど、団体でもひとりでもガイドを付けざるをえない場合を除き、今後はできる限り個人旅行に固執していこう。

今回のツアーのスライドショーを作成した。背景の音楽は残念ながら適当なものがなく、何年か前に雲南省で購入したDVDからとった。

トン族とミャオ族の村(スライドショー)

2016年5月13日金曜日

中国貴州省2016 六日目(安順へ)

4月23日。

昨夜降っていた雨は今朝になると止んでいた。今日は安順に向かう。凱里から安順までの道のりは遠い。7時半にホテルを出たバスは11時過ぎに安順の手前の天龍村(天龍屯堡)に着いた。これは明の時代の屯田兵がつくった村であり、住人は今でも明代の言葉や服装、生活慣習を守っているという。彼らは老漢族と呼ばれている。老漢族は漢族に分類されており、少数民族ではない。村に入るには入場料が必要であり、つまりは一種のテーマパークだ。中国人の観光客も少なくないようだ。若い女性ガイドが我々グループに付き添って村を案内してくれる。

天龍屯堡の入口

テーマパーク化しているといはいえ、ここは住民の暮らしの場でもあり、石造りの家と道、そこに行き交う昔の衣装の人々はそれなりに風情がある。観光客相手の地劇と呼ばれる仮面舞踏劇も毎日演じられている。10分足らずの短い劇だが、私にはよくわからず、おもしろみもいまひとつだった。人気があったのは生姜の砂糖漬けなどのお菓子の土産物だ。1箱6元(約100円)と安かったため、文字通り飛ぶように売れていた。私も1つ購入した。安いからもっと多く買いたいのだが、荷物に入らない(いつものとおり、機内持ち込みの荷物だけで来ていた)。

天龍屯堡1

天龍屯堡2

天龍村で昼食をとってから、再びバスに乗って安順に近い黄果樹の大瀑布に向かう。「大瀑布」という名前が示すように、これはアジア最大といわれる滝だ。入口から滝まで徒歩で行くこともできるが、有料のエスカレーターも用意されている。我々のグループは全員エスカレーターを利用した。
ここも中国人観光客が多い。ミャオ族の衣装を借りて記念写真を撮っている人も少なくなかった。本来なら滝にもっと近づき、その裏側まで回るところだが、時間に押されていたこともあり、裏側の見物は省略しようということでグループの意見は一致した。グループの多くにとって、昨日の姉妹飯節でツアーは実質的に終了しており、今日はおまけでしかなった。ここで時間をつぶしていると、今日の宿泊地である貴陽に着くのが夜の9時、10時になってしまう。早々に切り上げたほうが無難だろう。

黄果樹大瀑布

ミャオ族の衣装で写真を撮る中国人観光客

滝の付近の標識や案内板は中国語、英語、日本語、韓国語で表示してあった。日本語の表示は何とも変で、意味不明なものが少なくなかった。ひとつ例を示しておこう。男子トイレにあった表示だ。「慌ただしく来て、押し流して行きます」とある。言おうとしていることはわからないではないが。堂々と表示する前に、誰かにチェックしてもらう労をなぜとらなかったのだろうか。

トイレの注意書き

黄果樹大瀑布の見物を一部省略したこともあり、貴陽には8時ごろに到着した。ホテルの近くのレストランでツアー最後の食事をとる。西遊旅行社と現地ツアーを組織してくれた貴陽の旅行社からビールと酒の提供もあり、和気藹々のうちに旅を終えることができた。、明日は帰国日。早朝5時40分にホテルを出ることになっている。

最後の夕食

2016年5月11日水曜日

中国貴州省2016 五日目(施洞の姉妹飯節)

4月22日。

このツアーの目玉である施洞の姉妹飯節の日。姉妹飯節は3日間続くが、2日目にあたる今日がもっとも賑わうとのことだった。

姉妹飯節(祭り)についての説明が必要だろうか。無知な私が解説しようとしても、結局はネット情報からの孫引きになってしまうだろうから、ごく簡単な説明にとどめる。今回の西遊旅行のツアーのタイトルに「恋愛祭り 姉妹飯節見学」とあるように、姉妹飯節は「恋愛」の祭りであり、中国では「情人節」にも模されている。着飾った若い娘たちが集まり、近隣からやってきた若者がそれぞれ意中の相手に求愛をする。娘たちは特定の色とスタイルのご飯を若者に渡して返事の代わりとする(ご飯のスタイルによって受諾か拒否が示される)。もっとも姉妹飯節が今もそうした求愛の場としてい機能しているかどうかは疑問だ。私の見た限り、娘たちを見定めようとしている素朴な若い男性の姿は皆無だった。この祭りも観光客用のイベントへと「進化」しているのだろう。いい悪いは別として、素朴な郷土行事が現代に生き残ろうとすれば不可避の流れた。

姉妹飯節が始まるのは午後からなので、午前中はホテルのすぐそばにある黔東南州民族博物館の見学にあてられた。外は雨が降っている。土砂降りではないが、ホテルから博物館まで5分ほど歩くのにも傘が必要になる。空は重く曇り、雨が止む兆しはない。

黔東南州民族博物館。「黔(けん)」とは貴州省の古名であり、つまりは貴州省東南部の少数民族の博物館だ。衣類、装飾品、道具などが展示されており、写真撮影可。2年前に凱里を訪れたときにこの博物館の前を通ったが、中に入ることはなかった。

博物館を出たときにも雨は降り続いていた。雨の中ではせっかくの姉妹飯もだいなしになる。娘たちが着飾って外へ出ることもなくなるだろう。姉妹飯が行われる施洞へ向かうために専用バスに乗り込むときにはほぼ絶望的な気分だった。運がなかったと思ってあきらめるしかない。

しかしバスに乗ってしばらくすると、雨は弱くなり、やがて止んだ。このツアーでは初日から一貫してこんな感じだった。ずっと曇り空で、あまりいいとはいえない天候。しかし雨が降るのはもっぱらバスに乗っている間や夜間で、いざ観光となるとタイミングよく雨が上がる。「天に三日の晴れなし」といわれる貴州省のことだから、こと天候に関してはあまり多くのことは望めない。決定的な場面で雨が降らなかったことでよしとしよう。

施洞に着き、観光客の接待所となっている民家で昼食をとる。この地方のミャオ族の家庭料理だろうか。餅米がおいしい。

施洞の民家で昼食

昼食後、しばらく自由時間となり、周りを散策する。自由時間も終わりに近づくころ、姉妹飯節の会場となる広場(当初は河原で行われるはずだったが、川の水かさが増していたため広場に変更になった)に向かう行列が始まった。各集落の名前を記したプラカードを先頭に、着飾った若い女性たち、青のミャオ族の衣装のそれほど若くない女性たち、子供たちが数列に並んで歩く。行列はなかなか終わらない。思ったより多くの人が参加しているようだ。

会場に向かって 

我々グループも専用バスで会場に向かうが、道路が渋滞して先へ進めないため、途中でパスを降りて徒歩で向かった。

広場にはすでに多くの人が集まっている。太鼓を中心に若い女性たちが輪になって踊る。数多くの観光客(私もそのひとりだが)に囲まれてスペースがあまりないことに加え、もともと動きの乏しい踊りなので、踊るというより、手をぶらぶらさせて行進していると言ったほうがぴったりとする。写真を撮る機会はたっぷりある。むしろ写真撮影がメインのようなイベントだ。着飾った子供たちも被写体として人気があった。

姉妹飯節

4時過ぎに小雨が降り出した。踊り(というか行進)はこれで自然解散となった。おそらく予定より少し早めの解散だろう。ともあれ、施洞に着いた12時過ぎから今まで雨が降らなかったのは幸いだった。100点満点とはいかなくても70~80点のでき。ぎりぎりセーフだ。

姉妹飯節1

姉妹飯節2

姉妹飯節3

姉妹飯節4

子供1(民族衣装だが漢族観光客の子)

子供2(ミャオ族の子)

凱里に引き返し、ホテル近くのミャオ族料理のレストランで夕食。今日はツアー同行者のひとりの誕生日にあたっていたためデコレーションケーキも出た。ツアーは明日まだ1日残っているが、今日で終わったとしても不満は出てこないだろう。夕方から降り出した雨はまだ続いている。

2016年5月8日日曜日

中国貴州省2016 四日目(凱里へ)

4月21日。

朝食後8時に専用バスでホテルを出発。30分余りで貴州省榕江県の三宝侗寨(三宝トン族村)に着く。鼓楼で有名なトン族の村だ。村に入るには入場料がいるようだが、ツアーなので個々に払う必要はない。トン族の民族衣装の身につけたお婆さんたちが何かを調理する準備をしている。神様の祭壇もある。おそらくアミニズムの神様だろう。小さいながら土産物を売る店もあった。

三宝トン族村の鼓楼

トン族のお婆さんたち

バスは凱里に向かう。途中、食堂で昼食をとり、雷山県の大塘村に立ち寄る。これは短裙ミャオ族の村だ。「短裙」とは「ショートスカート」を意味する。短裙ミャオ族もいれば当然長裙ミャオ族もいるが、水田での作業を考えれば短裙は理にかなっている。

村の入口には民族衣装の女性たちが並んでおり、牛の角に入れた酒で我々を迎えてくれる。先頭に若いきれいどころを配置し、列のうしろになるほど年齢も高くなる。まことにわかりやすい構図だ。

歓迎の酒

入口の門には「新橋苗寨」という額がかかっている。「大塘」というのは近隣のいくつかの「寨」(村、集落)の総称であり、今から我々が訪れるのは「新橋」という集落なのだろう。「苗」はミャオ族を指す。門をくぐってゆるやかな坂を登り広場に至る。広場の構えや雰囲気は2年前に訪れた郎徳村に似ており、飲料や雑貨を売る小さな店が隅に陣取っている。

広場で女性たちのパフォーマンスが始まる。赤と銀を基調とした派手な衣装に短裙。足には脚絆を着用している(あとでツアーのメンバーの誰かが脚絆を譲ってくれるように交渉したが、とんでもない高値だったらしい)。数人の男性が吹く芦笙の音に合わせて、ペンギンのような動作で我々の前に整列し、盃で酒を供してくれる。これが終わると、地味な衣装の中高年の女性たちが登場し、芦笙の演奏を囲んで輪になって踊る。単調な動作なので、踊るというより、ぶらぶら歩いているといったほうが的確かもしれない。この老女たちの緩慢な、やる気がなさそうで、投げやりなパフォーマンスを私はことのほか気に入った。総じて今日のパフォーマンスのほうが昨日の芭沙村のパフォーマンスよりよかった。彩り鮮やかな衣装が目を楽しませてくれたことに加え、動作が単調なだけにauthencityがあるように思えた。芭沙村のパフォーマンスは今風にアレンジされすぎている。

若手の踊り

ベテランの踊り

若手がさらに2つの踊りを披露したあと、一軒のお宅を拝見してから、高床式の穀倉を見学した。穀倉は水上に建てられている。穀物をネズミから守るとともに、防火水の役割も果たしているのだろう。

水上穀倉

大塘村をあとにし、続いて水電村で芦笙作りの現場を見学する。ツアー同行者の一部は芦笙作りよりも、作業場の大きなテレビで放映されている連続ドラマのほうに興味を引かれていたようだ。

夕食は凱里のホテルの近くのレストランでとった。メインはミャオ族名物の酸湯魚。文字通り酸っぱく煮込んだ魚料理だ。この料理の名前は2年前に来たときから知っていたが、ひとりで注文するのははばかられる。さまざまなディッシュを試せるのもグループツアーの利点のひとつだ。ひとりの旅行では安食堂に入って単品料理をしょぼしょぼと食べるしかない。まあこれはこれで自分で選択できるという楽しみがあるのだが。

酸湯魚

ホテルは黔東南州民族博物館のすぐ近くだった。凱里は2年前に来て3泊し、かなり歩き回った。懐かしさもあり、チェックイン後に中心街まで散策したかったが、いかんせん雨が降っている。中心街まで歩けば30分くらいかかるはずだ。30分も雨の中を歩く気力はなく、タクシーで往復すればお金がかかる。ホテルの部屋でゆっくり休むことにしよう。

このツアーのハイライトの姉妹飯節は明日だが、雨が心配だ。

2016年5月6日金曜日

中国貴州省2016 三日目(三江から従江、榕江へ)

4月20日。

ホテルで朝食を済ませ、バスで三江トン族の村に行く。当初の予定では昨夕に訪れることになっていた場所だ。トン族に特有の風雨橋や鼓楼、水車を見ながら集落から集落へと移動する。老婆が手芸の土産物を売っている。老婆の背中は大きく曲がっている。昔の日本の農村にもこのように腰や背中が曲がった老人が少なくなかった。若い頃に無理な姿勢で過酷な農作業をしていたせいだろうか。

風雨橋

土産物を売る老婆

空は曇っているが、なんとか持ちそうだ。ある集落(馬安村)に着くとトン族の衣装の女性たちが我々を歌で迎えてくれる。我々ツアーの2グループもそれぞれ日本の歌で返す(ここに来る途中にバスの中で練習した歌だ)。広場には数多くのテーブルが用意され、家庭料理がずらりと並べられている。こうしたもてなしを「百家宴」と呼ぶらしい。テーブルからテーブルへと移動しながら、いろいろな料理を試す。ちょっと正体不明な料理もあるが、どれもおいしい。女性たちが酒を持って客の間を回る。私は何杯もの酒を飲まされた。トン族の地酒だろうが、私の舌と喉では判別がつかない。

酒を持って回る女性たち

やがて舞台上で女性たちのパフォーマンスが始まる。歌と芦笙の演奏。どちらもかなりの水準だ。演奏が終わると、広場で我々を交えて大きな輪になり、踊りが始まった。途中、中腰で踊る場面もあった。中高年の我々にはちょっとした試練だ。

芦笙の演奏

昼過ぎ、三江トン族の村をあとにして、いよいよ貴州省に入る。貴州省で最初の訪問先は従江県の芭沙村だ。この村の住人は一応ミャオ族に分類されているが、革家人という独自の少数民族で、衣装や習俗も一般のミャオ族とは異なる。弁髪をしていること、狩猟用の鉄砲の所持を許されていることに特徴がある。この村の名前は2年前から知っていた。日常生活の中でも民族衣装がふんだんに見られるということで一度は訪れたいと思っていたが、凱里からも桂林からも遠く、単独で来るのはそう容易でない。

芦笙の演奏と空に向けた鉄砲の発射で迎えられた我々は、少し村を散策したあと、中国人の観光客と一緒に広場で村の男女のパフォーマンスを鑑賞する。鎌で頭髪を剃るパフォーマンスも披露された。弁髪は幼い男の子たちの中にも見られた。パフォーマンスはそれほど感心しなかったが、村の様子は風情があった。いつかひとりで来て、ゆっくりと散策したいものだ。

芭沙村の男性

女性

子供たち

夕方6時ごろに芭沙村を離れ、今日の宿泊先である榕江のホテルに向かう。ホテルに着いたのは8時ごろだった。食事のあと榕江ナンバーワンというふれこみのホテルの部屋に入る。立派な内装だが、バスタブはなく、シャワーだった。

トン族の村や芭沙村で歓迎のパフォーマンスを見られたのはグループツアーならではのことだ。ひとりでぽつっと来ても、誰も歌ってはくれないし、踊ってもくれない。百家宴などは問題外だ。だが、パフォーマンスは所詮は観光客用、ひとりで来たときに見る村の様子こそが本来の少数民族の姿だと言うこともできる。グループツアーも個人旅行もそれぞれ長もあれば短もある。

2016年5月4日水曜日

中国貴州省2016 二日目(龍勝棚田)

4月19日。

7時にホテルでビュッフェ式の朝食をとる。桂林は観光地だけあって広い朝食会場はほぼ満席だった。大多数は中国人の観光客だが、韓国の団体も少なくない。欧米の客もちらほら。日本人は西遊旅行の2グループだけのようだ。ビュッフェ式の食事は私のような貧乏性の人間には適さない。どうしても欲張ってしまい、食べ過ぎになる。中国料理は私の好みだからなおさらだ。揚げパンがおいしかった。

朝食会場

8時に専用バスで出発。バスには日本語をしゃべる中国人女性ガイドも同乗している。せっかくの桂林だが、少数民族の探訪が目的の我々は墨絵のような山々を巡る川下りなどはなし。桂林をあとにして龍勝棚田を目指す。

バスが着いたふもとから棚田を眺望できる山頂までは小一時間かかり、中高年の身には結構つらい。徒歩での登頂が困難な人には駕籠を利用するという選択肢もある。2人の男がかつぐ駕籠で、登りと下りの往復で180元とか300元とか(どちらだったか確かでない)、かなりの値段だった。我々のグループでは3、4人が利用していた。山の中腹から、そして山頂から眺める棚田はなかなかのものだが、すでに雲南省元陽の棚田を見た目には驚嘆するほどの光景ではなかった。

山に登る駕籠

母子と棚田

中腹から眺めた棚田

山頂から眺めた棚田

ちょっと遅めの昼食は中腹にあるレストランでとった。この地方の名物らしい竹筒飯も出た。竹の筒に餅米を入れて蒸した料理だ。竹筒飯は中国のどこかほかの地方でも見かけた気がするが、どこかは思い出せない。口にしたのははじめてだった。

もともとの予定ではこのあと広西チワン族自治区の三江に向かい、トン族の村を訪れて、そこで夕食をとってから宿に落ち着くことになっていた。しかし、2、3日前の豪雨で土砂崩れが発生し、三江にたどり着くには大きく回り道をする必要が出ていた。このため、本来なら2時間もかからない龍勝棚田から三江までの道のりが7時間ほどかかるとのことだった。そこでトン族の村(馬安村)の訪問は明日に回し、そのままホテルに直行することになった。長いバスドライブの末にホテルに着いたのは夜の10時前。チェックインを待たずにそのまま食堂に赴き、かなり遅い夕食をとった。

土砂崩れというアクシデントのおかげで、この日も大半の時間を移動に費やすことになった。不平や不満はまったく聞かれなかった。西遊旅行で中国の奥地まで来ようという面々だから、これくらいのことは想定内なのだろう。実際、こうしたこうしたトラブル(というほどではないが)も中国旅行の醍醐味だし、不満を言ったところでどうなるものでもない。

2016年5月3日火曜日

中国貴州省2016 一日目(関空から桂林へ)

今から2年前の2014年4月、ミャオ族の村を訪れるために貴州省を旅した。北京経由で貴州省の州都貴陽に飛び、貴陽から凱里に列車で移動、凱里を起点として郎徳村と西江村にそれぞれ1泊し、タクシーを半日チャーターして石橋村と青曼村を訪れた。山あいにひっそりとたたずむ村。その中で営まれるミャオ族の人々の日常の生活。田舎育ちの私の郷愁をそそる風景が興味深かった。日本から来たことを告げると、「朋友だ」と応じてくれた郎徳村の人たち。だが、単独の個人旅行の悲しさ、ミャオ族の今の生活を見ることはできても、その「ハレ」の時間を体験することはできなかった。伝統の晴れ着を見ることもなければ、歌や踊りを楽しむこともできない。西江村(西江千戸苗寨)だけは例外で、多くの観光客を相手に毎日午前と午後の2回歌や踊りを披露している。しかしこれはショーであり、演じている人たちは村人ではなくプロだ(少なくともセミプロだ)。歌や踊りも現代風にアレンジされている。

貴州省郎徳村(2013年)

貴州省西江千戸苗寨のショー(2013年)

ミャオ族の「ハレ」を見るには、祭りの時期に訪れるのがもっとも手っ取り早い。これは個人旅行でも可能だ。ただ、観光客が大勢押し寄せる祭りの日に宿を確保できるかどうか若干の危惧がある。

もうひとつ、団体旅行に参加すれば、村が歌や踊り、酒で歓迎してくれる。もちろんこれは観光客用で、本来のミャオ族の「ハレ」の間ではない。だが、少なくとも演じているのは村人で、プロではない。

こうしたことを考慮し、今回は西遊旅行が主催する「ミャオ族・トン族の里めぐりと春の恋愛祭り 姉妹飯節見学」という団体旅行に参加することにした。北朝鮮旅行を別にすれば、団体旅行に参加するのは実に久しぶりだ。

これは最大15名限定のツアーだが、希望者が多かったため、追加募集して、2組のグループをつくり、それぞれ添乗員が率いることになった。私が属したグループは総勢12人。関空組と成田組がそれぞれ6人づつ。男女比もちょうど半分づつとうまくバランスがとれていた。カップルが2組で、残り8人は一人参加だった。予期したとおり、参加者全員が中高年者。

4月18日朝9時5分関空発の中国国際航空便でまず上海へ飛ぶ。上海で長時間待ち、成田組と合流して、17時20発の桂林行きの便に乗った。予定どおり夜の8時ごろに広西チワン自治区の桂林に着く。桂林プラザホテルに投宿。部屋にはバスタブがある。北朝鮮の平壌でのホテルを除けば、バスタブのタブのあるホテルに泊まるのは私にとっては初体験に等しい。夕食は出なかったが、機内食で腹は十分に満たされていた。

今日は移動で1日が終わった。観光は明日から始まる。ツアーの2組のグループは、行程やホテルこそおなじだが、バスや食事は別々でそれぞれ独立した行動をとることになる。