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2018年11月30日金曜日

パキスタン2018 四日目(ペシャワル)

11月7日。

今日は1日ペシャワルで過ごすことになる。朝食抜きでまず向かった先はバザールとは反対方向にあるペシャワルの鉄道駅。

明日ペシャワルを出るかどうか、出るとしてもどこへ向かうかはまだ決めていなかったが、ラワルピンディも候補地の1つだった。ラワルピンディまではバスで2時間ほどで簡単に行けるが、できればパキスタンの鉄道も体験してみたい。とりあえずラワルピンディまでの列車の時刻表と運賃を確かめておこう。

ホテルから鉄道駅までは歩いて15分ほど。駅は閑散としていた。窓口で尋ねるまでもなく、プラットホームにいた乗客が必要な情報を教えてくれた。ペシャワルからラワルピンディまでは1日に数本。午前中は朝の7時と8時だけ。これを逃すと午後になる。値段も聞いたが、忘れてしまった。そう高くはないはずだ。

ペシャワル鉄道駅

10年前の「地球の歩き方」によると、駅からほど近いところにPTDC(Pakistan Tourism Development Corporation )がある。ここなら観光情報を得られるだろう。だが、それらしき場所に行っても見つからない。MAPS.MEにもPTDCは表示されない。おそらくこの10年間に廃止されたか、別の場所に移動してしまったのだろう。

駅からさらに進んでいくと「キャントンメント」(Cantonment)と呼ばれるエリアがある。これは英国統治の中心となったいわば新市街であるが、入口にはチェックポイントがあり、なぜか外国人は入れなかった。

駅の方向に引き返す。横道にずれると、ここでも軍(あるいは警察)がチェックポイントを設けている。チェックポイントの先にはアフガニスタン領事館があるらしい。アフガニスタン領事館(あるいはイスラマバードのアフガニスタン大使館)へ赴くことはパキスタンへの旅行を決めたときから頭にあった。

というのも、ある日本人がブログに「2016年にイスラマバードのアフガン大使館でビザを取得した」と報告しているのを目にしていたからだ。ブログにはビザの写真もなければ、ビザを使ってアフガンを旅行したという後続の記事もなかった。先に「アフガニスタン 最近のビザ事情」という記事を書き、「特別なコネでもない限り観光目的でのアフガニスタン訪問はほぼ完全に閉ざされている」と断言した私としては、パキスタンでのアフガン・ビザ入手の可能性はぜひとも確かめておきたかった。

チェックポイントはパスポートを提示するだけで通過できた。領事館の前には20人ほどの人だかりがしていた。領事館の職員が用件を尋ねてきたので、「今ビザを申請するわけではないが、日本人がビザを入手できるかどうかを知りたい」と伝える。職員の回答は「日本人の場合は、イスラマバードの日本大使館からのNOC(Non-Objection Certificate)が必要になる」だった。要するに日本大使館からの手紙がなければビザは出せないということであり、私がブログに記したとおりだった。中国人の場合はこうした面倒な手続きは必要ないらしい。

これで用件は片付いたが、なぜかパスポートの提示を求められ、建物の中へ導かれる。さらにスマホとタブレットを預けたうえ、領事の部屋に案内された。領事との面会を計らってくれたのだ。

領事にも同様のことを伝え、同様の回答を得た。事情はイスラマバードやイランでも同じとのこと。「日本との関係は良好なのだが」と領事。お茶を一杯いただいたうえ、領事館を辞した。

ペシャワルのアフガン領事

旧市街(バザール)まで戻り、食堂に入って昼食。注文したのはチキンライスで、140ルピー(120円ほど)。朝食を食べていなかったこともあり、おいしかった。

食堂の近くにあったお菓子屋に入る。パキスタンのお菓子がたくさん並んでいる中、ついつい買いすぎてしまった。いったん宿に戻って休んでから、また外に出る。

パキスタンのお菓子

目的もなしに街をぶらつく。散髪屋が目にとまった。旅先で散髪するのはこのところの習性となっている。カットで200ルピー(180円ほど)たが、いい仕上げになった。

至るところで注目の的になり、写真を撮ったり撮られたりするのは前日と同じ。路上の茶屋は茶をおごってくれる。緑茶だが、砂糖が入っていた。

茶屋

ラッシーはちゃんとこちらからお金を出して飲んだ。たしか60ルピー。ラッシーとは牛乳を発酵したヨーグルトのような飲み物で、インドやパキスタンでポピュラーだ。インド旅行の際には口にしていなかったので、はじめてのラッシー体験となる。砂糖を入れるかどうかと聞かれたので、入れてもらった。カルピスに似た味という感想。

ラッシー屋

そうこうするうちに陽が暮れてくる。今日PTDCを訪れようとしたのは、アフガニスタンへの通り道であるハイバル峠(Khyber Pass)へ行く可能性を探るためだった。ハイバル峠に行けるようなら、ペシャワルの滞在をもう1日延ばしてもいい。Rose Hotelの受付に尋ねてみた。

「止めたほうがいい」という回答だった。軍のチェックがあり、逮捕されしまうだろうというのだ。逮捕はともかく、追い返される可能性は高い。忠告通りあきらめたほうが無難だろう。これで明日ペシャワルを発つことが決まったとしても、どこへ向かえばいいのか。

パキスタンにはまだ1週間滞在できる。この時点でラワルピンディに行くのは早すぎる。ラワルピンディに行けば、あとはラホールに戻る選択肢しかない。

いろいろな可能性を探った結果、スワート(Swat)渓谷の中心都市であるミンゴーラ(Mingola)を目指すことにした。ペシャワルからバスで4、5時間だからちょうどいい。

夕食は昼に購入したお菓子で済ませた。おいしかったので、つい食べ過ぎてしまったが、明日の朝食代わりに3分の1くらいを残しておいた。

2018年11月24日土曜日

パキスタン2018 三日目(ペシャワルへ)

11月6日。

昨日までは、ラホールからまずラワルピンディに行き、ラワルピンディに1泊してからペシャワルに向かう行程を考えていた。しかし、ラワルピンディに1泊する必要はなさそうだ。ラホールからラワルピンディまではバスで4時間、ラワルピンディからペシャワルまでは2時間。ラホールからラワルピンディまで6時間かけて一挙に行ったほうが効率的だろう。ラワルピンディには帰路に立ち寄ればよい。昨日教えてもらったバス・ステーションからはペシャワル行きのノンストップ・バスも出ているはずだ。

ペシャワル行きを決め、8時に朝食をとってから、ホテルにBilal Daewoo(正式な名称はBilal Travels)バス・ステーションまでのタクシーの手配を依頼した。

Bilal DaewooのDaewooは韓国の自動車メーカー大宇を指す。大宇は1999年に経営破綻しており、ここでのDaewooも大宇のバスを使っているというだけの意味だろう。

バス・ステーションまでは420ルピー(370円ほど)だった。窓口でペシャワルまでのチケットを購入。1250ルピー(1100円ほど)。ゼネラル・バススタンドから出ているミニバスなら、おそらくこの半額以下だろう。

時刻はちょうど9時。9時発のペシャワル行きにタイミングよく間に合った。

大型バスは5分の4くらいが埋まっていた。運賃が高いだけのことはある。ゆったりした座席にはモニターが付いており、映画や音楽を鑑賞できる。うれしいのはWifiを利用できることだ。結構速く、ストレスなくネットに接続できる。女性の車掌が同乗しており、ミネラルウォーターとコーラ、お菓子を配ってくれる。

Bilal Travelのペシャワル行きバス

車内

近くの座席にいた2人の若者との会話が始まる。2人はペシャワルに住んでおり、20歳と21歳。20歳のほうはすでに働いており、21歳のほうはペシャワルの大学で物理学を学んでいる。彼らとは楽しく話したが(英語をしゃべるのは学生だけであり、彼が通訳となった)、内容はたわいもなく、ほとんど忘れてしまった。確か2人ともパシュトゥーン人だと言っていたはずだ。

バスで一緒だった2人(サービスエリアで)

サービスエリアでの休憩(ここで昼食用の総菜パンを購入)をはさみ、バスは2時半ごろにペシャワルのBilal Travelsバス・ステーションに到着した。バスを降りたところには、タクシーやトゥクトゥクが何台も待機している。タクシーの運転手が声をかけてきた。ペシャワルの旧市街までは300ルピーだという。バスの中で一緒だった2人に「(300ルピーは)適切な値段か」と尋ねたところ、彼らがかけあってくれて250ルピー(220円ほど)になった。

目指したのは旧市街にあるRose Hotel。ネットでペシャワル情報を探っていたときに出てきたホテルだ。パキスタン、特にラワルピンディやペシャワルでは、外国人はどのホテルにも泊まれるわけではない。軍からの許可を得ていない安宿では断られる場合もある。Rose Hotelについても、泊まれたという情報もあれば、断られたという情報もあった。

とういうわけで若干の危惧はあったが、問題なく宿泊できた。1泊900ルピー(800円ほど)。ここに2泊することにした。

受付の男性によれば、ある日本人の女性旅行者はペシャワルが気に入り、Rose Hotelに1週間滞在したとか。その女性からは今でも連絡があるらしい。

Rose Hotel

部屋で少し休んでから街に出た。ペシャワルはアフガニスタンとの国境まで50Kmほど。住民もパシュトゥーン人が多数派で、これも人口の50%がパシュトゥーン人のアフガニスタンと共通する。街には多くのアフガニスタン人がいるはずだが、誰がパキスタン人で、誰がアフガニスタン人かはわからない。

ペシャワルのバザールをざっと歩いてみた。ラホールほどではないが、ペシャワルも人があふれ、自動車のクラクションが絶えない。混雑と喧噪の中を歩くのは少々疲れる。

ペシャワルを歩く

ラホールには見られなかった顕著な特徴がひとつ。眼まで隠したブルカを着用している女性が多いことだ。50%までとはいかなくとも、それに近いくらいの女性がブルカで顔を隠している。カブールと似た風景だ。ただ、ペシャワルのブルカはほとんどすべて茶色と白色だ。アフガニスタンのブルカは100%青色だった。

ブルカ姿の女性

外国人としての私の注目度はおどろくほどだった。握手を求める人、写真を求める人。私の写真、私とのツーショットの写真に加え、「俺の写真を撮ってくれ」との要求も少なくなかった。

この注目度の高さはバングラデシュやソマリランドに比肩しうる。私がバングラデシュを訪れたのは2008年で、ソマリランドは2011年。スマートフォンはまだ登場していないか、していても普及はしていなかった。したがって、注目度が即写真撮影につながるケースもそれほど多くなかった。

それに比べ、2018年のペシャワルでは住民の多くがスマートフォンを所有している。したがって交流の手段も写真やFacebookを介したものとなる。Facebookを脱けてしまったことをちょっと後悔した。

かかってくる言葉は、「ハロー」、「ハウアーユー」、「サラムアレイクム」を除けば、「チャイナ」と「ニイハオ」が多い。「こんにちは」や「ジャパン」は私の覚えている限り一度もなかった。

パキスタンと中国の関係の深さを思えば、これは不思議ではない。中国人をターゲットとしたテロもときおり発生しているパキスタンではあるが、一般の人たちの中国に対する感情はそう悪くはないようだ。

路上でレバーを炒めている男から声がかかる。写真を撮れとのこと。ついでにここで夕食をとることにした。周りの客も椅子を出したりして私の世話をしてくれる。レバー炒めとナンで100ルピー(90円ほど)。レバーだけを炒めた料理は私にはちょっと癖が強すぎた。

この男のもとで

この夕食をとる

6時をすぎると暗くなり始めた。なにぶんにもパキスタン・タリバンの影響が強いエリアだ。少し早いが宿へ帰ろう。

2018年11月23日金曜日

パキスタン2018 二日目(ラホール)

11月5日。

8時ごろにホテルで朝食をとる。朝食はビュッフェ式で、パラタ(パキスタン風の揚げパン)、煮豆、オムレツ、トースト、紅茶。私以外の客はすべてパキスタン人のようだ。

Tourist Inn Hotelの朝食

ホテルの近くにはラホール博物館がある。まずここから訪れよう。15分ほど歩き、博物館に着き、入口を探すが見つからない。博物館の中にいた誰かが「毎月第1月曜日は掃除のために休館となっている」と教えてくれた。今日は11月の第1月曜日だ。毎週金曜日が休館になることは知っていたが、ここまでは確かめていなかった。

ともかく明日のラワルピンディ行きのバスを予約しておこうと、「地球の歩き方」のラホール旧市街地図に「バス乗り場」と記されている場所まで歩く。

途中で見かけたデコレーション・バス

これは失敗だった。そのバス乗り場まで歩くのに40分近くかかった。しかもたどり着いたのはラホール市内バスの乗り場であり、遠距離バスの乗り場とは遠く離れていた。ひとえに私の調査不足のためだ。

いろいろ尋ね回るが要領を得ない中、若い男性が助けの手をさしのべてくれた。ここが市内バスの乗り場であることを教えてくれたうえ、通りに出て、トゥクトゥク(リキシャ)を拾い、長距離バスの乗り場まで行くように運転手に指示してくれる。それだけではない。なんと代金まで払ってくれたのだ。これには感激した。100円にも満たない代金とはいえ、予想外の好意だ。

トゥクトゥクには私のほかにもうひとりの男性が同乗していた。男性は空港のセキュリティ部門で働いており、日本人からトレーニングを受けたという。

この男性にも助けてもらった。男性は私と一緒にトゥクトゥクを降り、ラワルピンディ行きのバスを探してくれる。その結果判明したことは、ここはゼネラル・バススタンドであり、遠距離用のミニバスの乗り場であること。ノンストップの大型バスの乗り場はここからさらに1時間ほど離れた郊外にあるらしい。大型バスを運営しているのはNiazi AddaとBilal Daewooだという。ノンストップの大型バスのほうが運賃は高いが、その分快適で速い。わざわざ今日予約しておく必要もないだろう。明日直接にBilal Daewooまで行くことにした。

ゼネラル・バススタンドの近くには、ラホール観光の目玉であるラホール・フォート(ラホール城)がある。ちょうどいい機会だ。中へ入ろうとするが、入口が見つからない。城壁の周りをぐるりと回っていると、向こうから3人の中年の欧米人がやってくる。私に「入口はどこか」と聞くので、「私も今探しているところだ」と答える。女性2人に男性1人のこの3人組はミュンヘンから来たドイツ人だった。女性の1人は「息子がラホールの大学で教えている」と言っていた。

近くにいたパキスタン人によると、今日はモスレムの何かの関係でがラホール・フォートは閉まっているとのこと。博物館に続いてフォートも空振りに終わってしまった。明日はラホールを発つが、帰国前にも2泊ほどする予定だから、また機会はあるだろう。

フォートの南に広がる迷路のような下町をあてもなく歩く。喧噪と混雑にもまれ、少し辟易した。公園やカフェなど、体を休めるところがないのが辛い。おまけに、もちまえの方向感覚のなさから、自分が今どこにいるのかわからなくなった。オフラインでも使えるMAPS.MEをタブレットやスマホにインストールするのを忘れていたからなおさらだ。

ラホールを歩く

迷いに迷ったあげく、結局トゥクトゥクに乗ってホテルまで帰ることになった。このときも地元の若者が値段を交渉してトゥクトゥクに乗せてくれた。ホテルまで100ルピー(90円ほど)。

ホテルに戻り、両替所の場所を尋ね、歩いて向かう。20分ほどかかった。空港で両替した200ドルだけでは心もとないので、さらに200ドルをルピーに換えた。

時刻はすでに夕方の5時になっていた。今日一日歩き回ってばかりいて、まだ昼食をとっていない。両替所からホテルへの帰路にKFC(ケンタッキーフライドチキン)があったので、昼食と夕食を兼ねてチキンフライ・セットとペプシコーラを注文した。410ルピー(370円ほど)。日本のKFCに比べれば少し安いが、100~150ルピーも出せば腹を満たすことのできるパキスタンではかなりの贅沢だ。

ホテルの部屋で紅茶(無料)を飲みながら、ラホールの初日を振りかえる。博物館もフォートも閉まっていた。バスの予約もできなかった。歩きに歩いたが、すべて徒労だった。いや、そうでもない。現地の人がここまでに友好的で、ここまでに親切であること。この経験は大きい。

明日はラホールを離れる。次の行き先はラワルピンディと決めていたが、一気にペシャワルまで行ったほうがいいかもしれない。MAPS.MEをインストールし、パキスタンの地図をダウンロードして、明日以降に備えた。

2018年11月19日月曜日

パキスタン2018 一日目(ラホール到着)

インド、バングラデシュ、ネパールはすでに訪れた。インド亜大陸でまだ行っていないのはブータンとパキスタンだ。ブータンも気になるが、パキスタンはもっと気になる。パキスタン行きが頭に浮かんだことも何度かあるが、ネックとなったのがビザ。詳細は忘れたが、ややこしい手続きが必要だった。

このビザ手続きがずっと簡単になったようだ。駐日パキスタン大使館のWebページで調べると、申請書、写真2枚、航空券予約書、ホテル予約書(Booking.comなどの予約確認書)を提出するだけでいい。ホテル予約も初日の1泊分だけで可。郵送でも申請可能で、ビザ料金はたったの100円。

これで念願のパキスタン旅行が決まった。11月4日から15日までの日程で、関空からラホールまでの往復航空券をタイ国際航空から購入。さらにラホールでのホテル2泊分を予約し、9月末にビザを申請した(申請書に「顔の特徴」の欄があったのにびっくり)。ビザを貼付したパスポートは1週間足らずで返却されてきた。

パキスタン行きを躊躇させていたもう1つの原因はガイドブックの不在だった。「地球の歩き方」は07-08年版以降途絶えており、Lonely Planetも2003年版しかなかった。旅の情報はネットで集められるとはいえ、ガイドブックがないと全体像が捕まえにくい。10年以上前の版で、しかもプレミアム価格が付いて1冊3000円近くするとはいえ、やむなく「地球の歩き方 パキスタン」を購入した。

ラホール発着だけを決めており、ルートの詳細は現地まかせで未定だった。ただ、漠然とラホール→ラワルピンディ→ペシャワル→ラホールを考えていた。北部のフンザは11月初旬では寒すぎるだろうし、カラチやクエッタはラホールから遠すぎる。

11月4日。

午前11時関空発のタイ国際航空便でバンコクへ向けて飛び立つ。3時間の待ち合わせでラホール行きに乗り継ぐはずだったが、バンコク着が予定よりかなり早かったため、4時間近く待つはめに。まあ乗り継ぎに間に合わないよりはるかにいい。

ラホール行きの飛行機に乗り込むとき、日本のパスポートを持っている30代くらいのカップルに遭遇した。仕事関係らしき中国人は数人目に付いていたが、日本人は珍しい。どちらかともなく声をかけあった。

男性は日本のパスポートを持っているが、風貌はなんとなくパキスタン人に近い。女性は日本人だが、パキスタン風の黒くて長い服装を着用している。聞けば、男性はパキスタン人と日本人のハーフで、名古屋で中古車や機械類をパキスタンに輸出する仕事に携わっているという。

機内ではパキスタンへの入国カードが配られたが、周りがパキスタン人ばかりの席に座っていた私には配られなかった。

ラホール空港に到着したのはほぼ定刻の23時前。カップルと一緒に並んで入国審査を待つ。入国カードは男性が入手してくた。パキスタンでの居住地は男性が自分たちと同じ住所を記入してくれた。このほうが面倒が少ないというのだ。

入国審査は3人一緒に受けた。男性が審査官と笑いながら何か話している。審査官は私の入国カードに目をやることもなく、パスポートに入国スタンプを押す。確かになんの面倒もなかった。

空港の入国ロビーにはラホール近郊の町から男性の弟と叔父らしき人物が迎えに来ていた。男性はパキスタン人に近い風貌だが、眼鏡をかけた弟のほうは純日本人と言えなくもない。

夜の11時近くに到着ということで、両替をどうするか、予約してあるホテルまでの足をどう確保するかが心配だった。このどちらも男性一行のおかげで簡単に解決できた。お金は空港近くのWestern Unionでとりあえず200米国ドルをパキスタン・ルピーに交換した。

ホテルまでの足のほうは、空港のタクシー・オフィス(みたいなところ)で1000ルピー(900円ほど)のタクシーを手配してくれた。到着早々、最後の帰国直前まで、これ以降いろいろな場面で現地の人たちの世話になる。

予約したホテルはラホールの旧市街にあるTourist Inn Hotelだ。朝食付きで1泊3800ルピー(3400円ほど)。ホテルに着いて、チェックインを済ませたのは夜中の12時半ごろだった。このホテルに2泊して、その後どこか(おそらくラワルピンディ)に移動することになる。

Tourist Inn Hotel(翌朝撮影)

その室内