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2023年6月6日火曜日

イラン2023 ドーハとクアラルンプールを経由して帰国

 5月7日。

空港行きのタクシーは午前8時にやってきた。代金は450トマン(900円ほど)。このタクシーもマニュアル車だ。イラン滞在中、おそらく20台くらいの乗用車に乗ったが、すべてマニュアル車だった。オートマ車は1台も見かけなかった。経済制裁の結果かなとも思ったが、イランには自動車産業があり(年間80万台以上の製造数)、もちろんオートマ車も製造している。どうしてマニュアル車しか見なかったのか。謎が残る。

イラン・リアルが少し残っているので、空港の免税店でお菓子を買った。免税店の女店員は、私が日本人だとわかると、「私の叔父は日本で働いたことがある。日本人の女性と結婚していっしょにテヘランに住んでいる」と言っていた。

12時ごろにテヘランを飛び立ったカタール航空便は1時間半のフライトの後ドーハ空港に着陸した。クアラルンプール行きの便は翌日の午前1時50分。12時間余りの待ち時間になる。もっと短い待ち時間を選択することもできたのだが、たった1時間半の待ち時間では短すぎる。

カタール航空は長い待ち時間の乗客に対して市内のホテルでの休憩を無料で提供している。ホテルまでの往復も無料だ。2017年のチェチェン旅行の際にこのサービスを利用したことがある。

空港内のトランジット・カウンターで問い合わせてみる。残念ながら無料ホテルの恩恵に与ることはできなかった。短い待ち時間の乗り継ぎがあるにもかかわらず、わざわざ長い待ち時間を選択したのがその理由。

長椅子を並べたQuiet Roomで少し休んだあと、空港内をぶらつく。City Tourと銘打ったデスクが目に入った。3時間のドーハ見学ツアーだ。2時間ごとに出発するらしく、次回の出発時間は6時だ。値段も29ドルと、そう高くはない。6時出発なら9時過ぎには空港に帰ってくる。参加しない手はない。

20人ほどのをトランジット客を乗せたバスは陽の暮れかかったドーハの街に入る。私がドーハに入るのは3度目だが、いずれも乗り継ぎ時の数時間の滞在だ。ツアー参加者の国籍や行き先はさまざま。インドを旅行して帰国の途にあるスウェーデン人、米国のIT企業で働くインド人の青年、スペインに向かう韓国系米国人の女性、そしてかなりの数の中国人観光客など。北京帰りのアゼルバイジャンの男性2人もいた。

ドーハの夜景を見るのは初めてだ。ドバイ同様、光に輝くモダンな高層ビル群が目の前に展開される。ラクダが休んでいる場所も通過した。ガイドの説明もあったが、よく聞き取れなかった。

ラクダ


最後はこのツアーのハイライトであるスーク(市場)に立ち寄る。ここで30分ほどの自由時間。8時過ぎのスークはカタールの地元民や外国人観光客で賑わっていた。

ドーハのスーク


ちょうど9時に空港に戻る。いい時間つぶしになった。といっても搭乗時間の午前1時50分まではまだかなり時間がある。

クアラルンプールに着いたのは現地時間で午後3時近く。ここでも待ち時間が8時間ほどある。空港内のSama Sama Express Hotelで体をやすめることにした。6時間で87ドル。マレーシアにいったん入国してターミナル2まで移動すれば、6時間40ドルほどのホテルがあるが、もう精も根も尽き果てている。40ドル余り余分に支払って楽をとった。

関空出発のカタール航空便を選んだのは失敗だった。ドーハまではマレーシア航空との共同運行便(実質的にはマレーシア航空便)で、クアラルンプールとドーハを経由しなければならない。これに対し、成田からドーハまでのカタール航空便は正真正銘のカタール航空便で、直接にドーハまで飛ぶ。新幹線を使ってでも成田から出発したほうが、ずっと楽だっただろう。

関空には翌日の早朝に着いた。20日近くのイランへの旅はこうして終わった。

イランでは、ぼられたれたり、詐欺まがいの行為に遭遇したり、ぶっきらぼうに対応されたりしたことももちろんあった。だが、年老いた一介の外国人旅行者である私に対して示された好意、ときにはおせっかいなまでの親切、笑顔の数々は、そうしたネガティブな体験を圧倒して印象に残っている。ルーマニア、ミャンマー、パキスタンなどと並んで、イランもmy favorite countriesのひとつになった。

2023年6月5日月曜日

イラン2023 テヘラン探訪(Tajrish Bazaar)

 5月6日。

イラン最後の日。ホテルの前でSnappタクシーを呼ぶ。テヘラン北部にあるTajrish Bazaarへ行くためだ。

ホテルの前ではスムーズにSnappタクシーとドッキングできる。30分以上かけてTajrish Bazaarに着く。 料金は71トマン(約1.5ドル)。

バザールとその付近はかなりの賑わいだった。動画や写真を撮りながらバザールを一巡し、土産用のお菓子を購入する。

Tajrish Bazaar(1)


Tajrish Bazaar(2)

バザールの外へ出る。モスクの前では無料の食事を配っていた。小さなプラスチックの包みも配っている。好奇心から私もひとつもらったが、塩だった(不要なので返した)。

モスクの入口


商店が並んだ通りの動画を撮っていたときのことだ。地下鉄の入口が見えたので、これも動画に収めようとしていたら、入口にたむろしていた3、4人の警察官から動画の撮影を遮られた。動画の撮影にストップをかけただけで、撮影の中身はチェックされず、削除も求められなかった。動画の撮影一般がダメだったのか、それとも地下鉄の撮影がダメだったのか。おそらく後者だろう。

 地下鉄の存在を知ったからには、帰りはもちろん地下鉄だ。電車の中で、隣に座った中年の男性が話しかけてくる。英語ではないので、理解不可能だ。なんとか彼がアゼルバイジャンの出身であることだけはわかった。アゼルバイジャンならロシア語が通じるだろうと思い、ロシア語で話しかけたが、要領の得る答は返ってこなかった。

昨日もショッピング・モールの外で2人の若者から声をかけられたが、彼らもアーザリー人だった。このあと、帰国途上のドーハ空港でも2人のアゼルバイジャン人に遭遇することになる。イランにかなりの数がいるはずのクルド人とは出会っていないが、なぜかアーザリー人との出会いが多い旅だった。

地下鉄はエマーム・ホメイニイ駅まで行ったが、途中のSaadi駅のほうがホテルに近いことに気づき、再度地下鉄に乗って引き返す。

夕食は例の通りファーストフード店のホットドッグで済ませた。

明日は午前11時50分発のカタール便でドーハとクアラルンプールを経由して帰国の途につく。

空港までのタクシーをホテルに依頼しておく。Snappを利用したほうがずっと安いだろうが、最後の最後でへまをしたくないので、安全策をとった。

イラン・リアルがかなり残りそうなので、ホテルでドルに両替してもらった。両替で手にしたのは35ドル。

2023年6月4日日曜日

イラン2023 テヘラン探訪(Milad TowerとKourosh Mall)

 5月5日

10時半ごろにホテルの前でSnappで車を呼ぶ。ホテルの前ならちゃんと見つけてくれるはずだ。行き先はMilad Tower。2008年にオープンしたこのタワーはイランでもっとも高い建造物だ(435m)。

Snappタクシーはすぐにやってきた。なんと運転手は中年の女性だ。女性がハンドルを握っている場面は何回か目撃していたので、驚くには当たらない。だが配車サービスにまで女性が進出しているのは予想外だった。

助手席に乗り込み、女性運転手と並んで座る。彼女はマレーシアなどに旅行したこともあり、少し英語がしゃべれた。私が日本人だと告げると、彼女はclean、hard working、earthquakeに言及した。いずれも日本認識として間違いではない。

Milad Towerまでの料金は53万リアルだったが、チップを含めて100万リアル(約2ドル)を渡しておいた。

Milad Towerの展望台に登るには15ドルかかる。これは外国人価格であり、料金は英語で表記してあった。

展望台からはテヘランの街を一望できる。遠くの山々は雪で覆われている。38年前の11月に見た光景と同じだ。

Milad Tower


展望台からの眺望


Milad TowerからSnappタクシーでKourosh Mallへ向かう(チップ込みで50万リアル=50トマン)。Kourosh Mallはテヘランの富裕層に人気のショッピング・モールだ。

Kourosh Mall

Kourosh Mallの中

他の国の大型ショッピング・モールとあまり変わらないが、外国ブランドのショップがほとんどないのが特徴だ。ただ外国ブランドをまねた店はある。

Subwayのテヘラン版(?)

このモールのフードコートでかなり遅めの昼食をとった。注文したのはビーフ(羊)のホットドッグだが、肉をパンにはさむのではなく、プレートに載せる形にした。コーラと併せて175トマン(4ドル近く)。街の食堂よりちょっと高い。例よってボリューム満点だったが、ほぼ完食した。

ほぼ満席のフードコート


遅め(午後3時過ぎ)の昼食


地下のスーパーで夕食代わりのお菓子と飲料を購入してモールを出た。

モールの入口でSnappを呼ぶが運転手とドッキングできない。モールから少し離れた場所で試みるがやはりうまくいかない。問題は相手からかかってくるペルシャ語の電話に対応できないことにある。

やむをえず、流しのタクシーを拾ってホテルまで帰る。料金は120トマン。おそらくSnappタクシーの倍近い値段だ。

2023年6月3日土曜日

イラン2023 テヘラン探訪(ホテルを替わる)

 5月4日。

Asia Hotelはアーザリー人の親子で経営している。「アーザリー人」とは主としてイラン北部に住む民族で、ペルシャ語ではなくトルコ語系のアーザリー語を話す。帰国までの残り3日をずっとこのホテルに滞在してもよかったのだが、ひとつ問題があった。このホテルではWifiには接続できるのが、インターネットにはつながらないのだ。そこでホテルを替えることにした。後で考えると、このときネットにつながらなったのは、Asia Hotelの問題ではなく、あの時点でテヘラン全域がそうであったのかもしれない。

選んだのはMarkazi Hotel。Asia Hotelから歩いて20分ほどの距離にある。Asia Hotelよりちょっと格上の二つ星ホテルで、1泊25ドル。手持ちのイラン・リアルは有り余るほどなので、リアルで支払った。

Markazi Hotel

Markazi Hotelにチェックインし、少し休んでから、バザールまで歩き、さらにそこらタクシーでAzadi Towerまで行った。タクシー代は200トマン(約4ドル)。ぼられたと言ってもいい値段だ。配車アプリのSnappを使えばこうした事態は避けられるのが、バザールのような場所ではSnappタクシーと落ち合うのはむずかしい。

Azadi Towerは1971年に建造されたタワーで、その大きさからテヘランのランドマークのひとつとなっている。

Azadi Tower


Azadi Towerの見学を早々に切り上げ、エマーム・ホメイニイ駅に向かおうとするが、タクシーがあまり通っていない。Snappで呼び出すが、どうもうまく行かない。スマホを見ながらうろうろしていると、3人連れの若者(女性2人に男性1人)が「どこへ行きたいのか」と尋ねてくる。英語はできないらしく、スマホの翻訳場面を見せながらだ。

再度Snappで車を呼び出す。しばらくすると、スマホの画面に車が到着したと表示される。しかしそれらしい車は見つからない。運転手から電話がかかってくるが、ペルシャ語だからコミュニケーションがとれない。

するとこの様子を見ていた若い男性2人が電話を替わってくれた。運転手と彼らの何回かのやりとりの末、やっと車と遭遇することができた。若者2人は地方からの観光客だった。

Azadi Towerそのものはとりたて感想を述べるほどのものでもなかったが、イランの若者たちの親切心は強く印象に残った。

エマーム・ホメイニイ駅からホテルまで20分ほどの道のりを歩いて帰った。

テヘランの中心から近いということで選んだMarkazi Hotelだが、周りは照明器具を販売するショップばかりで、食堂やスーパーらしきものがまったくない。10分以上歩いてようやくファーストフード店を見つけ、夕食のホットドッグを買った。

2023年6月2日金曜日

イラン2023 テヘランへ戻る

 5月3日

テヘランへ戻る日。バスのチケットは前日にホテルに頼んであった。バスターミナルまでのタクシーとテヘランまでのバスのチケットと併せて220トマン(4ドル余り)とのことだった。カーシャーンからテヘランまでバスで3時間以上かかる。いまだにイランの通貨と物価に慣れていないこともあり、タクシーと3時間のバスで500円程度とはさすがに安すぎるのではないかと思ったが、よくよく考えてみれば妥当な値段だった(テヘランまでタクシーで行くには20ドルが相場らしい)。

いったんバスターミナルまで行き、それからまた移動して路上でバスを待つという変則的な形であったが、ともかく9時半発のバスに乗車できた。

テヘランのバスターミナルについたのは午後1時過ぎ。ここでやっかいなことが発生した。SIMカードが容量のリミットに達し、使えなくなってしまったのだ。確か128GBのSIMカードだったはずだ。イランに20日間滞在するには十分な容量なはずだ。ひょっとすると購入時に聞き間違えたのかもしれない。

バスターミナル内でSIMカードを販売しているところを探すが見つからない。

SIMカードがなければ配車アプリは使えず、グーグル・マップも無力だ(実はオフラインで使用できるMaps.meアプリをインストールしており、イランの地図もダウンロードしていたのだが、このときはまったく頭に浮かばなかった)。

やむなく普通のタクシーで宿探しすることにした。大きなバスターミナルにもかかわらず、タクシーもなかなか見つからない。路肩で休んでいるタクシーをやっと見つけたが、高齢の運転手はごく基本的な英単語すら理解しない。30年前に日本で働いたとのことだったが、知っている日本語は「ニホン」と「オウジ(東京都の王子のことか)」だけだった。

Heritage Hostelへ行きたかったのだが、運転手の知らないホステルであり、グーグル・マップで場所を示すこともできない。仕方なく、ガイドブックに住所が載っているAsia Hotelへ向かうことにした。このホテルは先にテヘランに滞在したときに下見しており、値段も確認済みだった(1泊15ドル)。

Asia Hotelに到着し、とりあえず1日だけ泊まることにした。

Asia Hotel(Webより借用)

ホテルのオーナーに尋ねると、SIMカードは地下鉄のエマーム・ホメイニイ駅で入手できるとのことだった。駅まで10分ほどの距離を歩き、Irancellのオフィスで残量ゼロの手持ちのSIMカードをリチャージしてもらう。値段は忘れたが、容量は確か15GBだった。イランには残り4日の滞在だから、これで十分だろう。

ホテルへの帰り道、車が次から次へとやってくる道路を渡るのに躊躇していたら、高齢の男性が無言で私の腕をとり、向かい側まで導いてくれた。忘れがたい好意。

ホテルに戻る。エスファハーンで食事を共にした日本人女性から電話があり、今日の晩に再度いっしょに食事することになった。

女性の宿泊先はHeritage Hostelで、Asia Hotelからは歩いて10分余り。6時ごろにHeritage Hostelに向かう。もしHeritage Hostelにホテルに個室の空きがあれば、明日以降の宿にするつもりだった。テヘランのHeritage Hostelはエスファハーンの同名のホステルと同じ系列で、イラン随一のバックパッカー向けのように思えた。

残念ながら、個室は1日しか空いていなかった。値段は24ユーロとのことだった。

エスファハーン同様、Heritage Hostelの中庭には大勢の外国人旅行者がたむろしていた。といっても大半は中国人旅行者だ。自転車で長期旅行している中年のドイツ人旅行者もいたが、西欧人や日本人は総じて少数派だ。

私と日本人の女性、それに中国人女性ひとりを加え、夜のテヘランでレストランを探す。ちょっと大きめのごく普通のレストランに入る。チキン、魚、ビーフ(羊?)のケバブと小サラダを注文、3人でシェアすることにした。

ケバブで夕食

食事を終えて、レストランを出たのが9時過ぎ。Asia Hotelまでの帰り道、迷いはしなかったが、漆黒の中、人通りの少ない道路を渡るときには恐怖を感じた。かなりのスピードで向かってくる車の群れををかいかぐるのは、命をかけた冒険だ。シーラーズの夜道で転んだことともあわせ、イランの危険は夜の道にあることを思い知らされた。