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2021年6月22日火曜日

Elias Canetti: Die Fackel im Ohr


著者:Elias Canetti

刊行:1980年

評価:★★★★☆

2021年6月9日読了

1981年にノーベル文学賞を受賞したElias Canetti(エリアス・カネッティ)による自伝3部作中の第2部。タイトルのDie Fackel im Ohrは英訳ではThe Torch in My Ear、邦訳では「耳の中の炬火」となっている。

第1部のDie Gerette Zunge(救われた舌)を読んだのはいつだっただろうか。20年くらい前になるかもしれない。おもしろかったいう印象は残っているが、内容はほとんど忘れている。第2部の本書は当然第1部に続くものであり、第1部が前提となる。したがって、Die Gerette Zungeを読んでいないと(あるいは私のように忘れてしまっていると)不可解な部分も若干出てくる。といっても、本書のコアの部分は第1部の知識がなくても十分に理解でき、楽しめるだろう。

Elias Canettiはスペイン系ユダヤ人としてブルガリアのルセに生まれた。母語はラディーノ語(古いスペイン語)だが、幼いころイギリスに移住し、フランスやオーストリア、スイスにも滞在経験があることから、英語とフランス語、ドイツ語にも通じていた。小説をはじめとする作品はすべてドイツ語で書かれている。ユダヤ人ではあるが、その意識はあまり強くない。あえてアイデンティティを求めるなら、「ヨーロッパ人」というのが一番ぴったりとするだろう。この点、同じくユダヤ人ではあるが、ヨーロッパを強く意識していたシュテファン・ツヴァイクと共通する。

本書がカバーするのは1921年から1931年までで、著者の16歳から26歳にかけての10年間だ。場所はフランクフルトとウィーン、それに旅行で訪れたベルリン。なかでも大学時代を過ごしたウィーンが中心となる。大学では化学を専攻するが、これは「実学」を望む母親に妥協した選択であり、著者の関心は「社会」(とりわけMasse=大衆、民衆)と「文学」にある。

母親との確執は本書の柱のひとつだ。父親は早くして亡くなっており、病弱な母と息子3人(著者と2人の弟)で第一次大戦後のフランクフルトとウィーンを生きる。母子家庭ではあるが、父親の遺産もあり、生活にゆとりがないわけではない(ここらへんのことはDie Gerette Zungeに記述されていたのであろうが、私の記憶からは飛んでいる)。母親は相当の教養人で、エリアスに大きな影響を与えていた。エリアスにドイツ語を徹底的に叩き込んだのも母親だ。しかし、第一次大戦後のインフレの中、ドイツやオーストリアでの生活はそう容易ではない。母はお金を気にするようになり、子供たちも節約を求められる。精神生活よりその日の暮らしが重要になってくるのだ。

著者はこれに強く反発する。ときには母親に怒りをぶつけ、ときには母親を欺しながら、母親からの独立を実現していくのがこの時代の著者だ。時代環境、家庭環境を考えれば、お金にせちがらくなった母親を責めるのは酷なことだ。もっとも母親を客観視し、距離とシンパシーをもって見ることができないのも若さの証かもしれない。

両次大戦間のウィーンは私にとってもっとも興味のある時代のひとつだ。1910年から1930年頃までのウィーンは私にとってはマーラーの音楽であり、ウィトゲンシュタインやウィーン学団(カルナップなど)の哲学であり、私の20代の精神世界そのものだった。

著者は哲学にも興味を示しているが、ウィーン学団は素通りされている。代わって著者を支配したのはカール・クラウスだ。本書のタイトル「Die Fackel im Ohr」もクラウスが創刊した雑誌「Die Fackel」(炬火)からきている。カール・クラウスの影響力がどれほど大きかったかは、この時代について書かれた多くの本に証言されている。文筆でもさることながら、特にウィーン人を魅了したのは彼の講演だったらしい。

カール・クラウスは今日ではあまり読まれていない。私もまったく読んだことがなく、彼についての評価は控えるしかない。

本書は処女作「Die Blendung」(眩暈)の構想が徐々に固まり、カネッティが小説家としてスタートする前夜で終わっている。Die BlendungはDie Gerette Zungeよりももっと前に読んだが、内容はほとんど覚えていない。

本書はそうすらすらと読める本ではない。ところどころでひっかかり、二度、三度を読み返すことが必要になる(読み返してもわからないケースも少なくない)。もちろん私のドイツ語能力の問題だが、それだけではなく、内容自体がむずかしいこともある。それでも、若き著者が出会う有名無名のさまざまな人々、第一次大戦後のドイツとオーストラリアの混乱などが生き生きと描かれてる本書は、多少の難しさに直面しても、最後まで興味深く読み進めることができた。