よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2016年3月27日日曜日

ミャンマー2016 八日目(ヤンゴン)

2月15日。

マンダレーからヤンゴンへ向かう夜行列車の中。リクライニングできるアッパークラスの席とはいえ、体を完全に伸ばすことはかなわず、列車の揺れも大きい。予期していたとおりよく眠れなかった。少しうつらうつらして目を覚まし、またうつらうつらすることの繰り返し。やがて外は白ずんでくる。朝の7時ごろだろうか。眠ることはあきらめ、車窓から写真や動画を撮ることにした。朝もやの中に現れ、流れ去っていく田畑、家、そして人。

ヤンゴンに向かう列車の車窓から

ヤンゴン中央駅に着いたのは9時半ごろ。2時間近くの遅れだが、これはかえって都合がよい。あまり朝早くホテルに着いてもチェックインできるかどうかわからない。宿は中央駅から歩いて10分ほどのBeauty Land Hotelに決めていた。ヤンゴン初日の8日に街を歩いていて見つけたホテルだ。トイレ・シャワー、エアコン、テレビ、朝食、Wifi付きの個室で1泊27ドルとのことだった。マンダレーにいたときに予約のメールを入れておいたが、返事はなかった(携帯電話とSkypeで電話もしたが、なぜか別のところにつながってしまった)。だから部屋を確保できているかどうかはわからない。ともかく行ってみよう。

橋上からヤンゴン中央駅を望む

予約のメールを宿が受け取っていたのかどうかははっきりしなかったが、いずれにしろ部屋は空いていた。ミャンマーを出る17日まで、2泊することにした。部屋が若干広いことを除けばマンダレーの宿と大差ないが、マンダレーの宿より12ドル高い。やはりヤンゴンは宿泊費がかさむようだ。

列車の中であまり寝ていないこともあり、ベッドに横になって2時間ほど休む。おっくうな体をどっこいしょと起こして宿を出たときにはすでに12時を過ぎていた。まず歩いて10分ほどのボーヂョーアウンサン・マーケットへ向かう。ヤンゴン最大といわれているマーケットだ。だがマーケットは閉まっていた。あとで宿のスタッフに聞くと、月曜日の今日は定休日ということだった。マーケット近くの食堂にふらっと入る。多くの人で賑わっているから、きっとおいしいだろう。カレー料理の食堂だが、何を注文していいかわからないので、テーブルの向かい側の人が食べている魚のカレーを指さす。魚のカレーのほかに、野菜と唐辛子、スープ、漬け物(?)が付く。まずくはなかったが、量的にも質的にもちょっと物足らなかった。

魚のカレーとライス

腹もふくれたところで、そのまま歩いてスーレー・パヤー(パゴダ)に向かう。スーレー・パヤーはヤンゴンの中心ともいうべき場所で、市庁舎や最高裁判所などの壮麗な建物に隣接している。パヤーの前は公園になっており、独立記念碑が建っている。公園で休んでいる親子4人連れに話しかけ、写真を撮らせてもらった。ミャンマー南部から観光に来ている家族だった(地名を教えてもらったがよく理解できなかった)。たまたまかもしれないが、ミャンマーでは英語がかなり通じた。ミッソンで遭遇した男性もこのときの家族(夫のほう)も片言ではないちゃんとした英語をしゃべった。長らく閉ざされていた国というイメージがあるうえ、ガイドブックやネット情報からも「ミャンマーでは英語が通じない」と刷り込まれていたので、これはちょっとした驚きだった。

ミャンマー人家族の子供

さらにインディアン・タウンからチャイナ・タウンへと足をのばす。ヤンゴンに到着した当日にも散策したエリアだ。チャイナ・タウンは春節(旧正月)のなごりで賑やかだった。車道にまでたくさんのテーブルを並べ、大勢の人が食事をしていた。ドラなどの鳴り物の音も聞こえる。

ヤンゴンのチャイナ・タウン

ヤンゴンを歩いていてまず気がつくのは、モーターバイクがまったく見られないことだ。ミッチーナーやマンダレーであれほど多かったモーターバイクがヤンゴンでは1台も走っていない。宿のスタッフに尋ねると、ヤンゴンの市街ではモーターバイクが禁止されているという。「外国人は例外で、ヤンゴンでもモーターバイクに乗ることができる」とも言っていたが、真偽のほどはわからない。

中国寺院など立ち寄って時間をつぶしているうち、日が暮れてきた。ヤンゴン初日に旅行社から、カラウェイ・パレスというレストランで伝統音楽の生演奏があると聞いていた。だがビュッフェ形式で35000チャット(3500円)もする。高すぎるし、値の張るレストランにはひとりで入りにくい。残念ながら今回はあきらめよう。

宿の部屋にはマンダレーを出るときに列車内で買ったお菓子が残っている。これに何かつぎ足せば十分に腹はふくれるだろう。宿の近くのRuby Martというスーパーに出向き、切り売りのお菓子とミルクを購入して夕食代わりとした。お菓子はどれもおいしかったが、どうも今回の旅では「食」がおざなりになった。節約ばかりが能ではない。次回からはもう少し計画的にちゃんとしたものを食べよう。

2016年3月24日木曜日

ミャンマー2016 七日目(マンダレー)

2月14日。

今日は午後5時発の夜行列車でヤンゴンへ向かう日だ。午後3時ごろまではマンダレーの市内でゆっくりできる。

朝食後、9時過ぎに宿を出た。まずはマンダレーの市場に行く。市場には昨日も行ったが、日本人男性の案内に従ってざっと通過しただけだった。もっとゆっくり、ときには立ち止まり、横道にも入っていきたい。写真や動画も撮りたい。

マンダレーの市場

マンダレーの市場の喧噪と人混みはミッチーナーの市場と同じだが、規模はミッチーナーよりずっと大きい。托鉢の仏教僧たちが商人たちから幾ばくかの金銭や物品をもらっている。単独で歩いている僧もいれば4、5人のグループの僧もいる。尼僧もいれば子供の僧もいる。同じ仏教国でもタイやラオスの市場ではこうした光景は見られなかった。

市場を托鉢する子供僧

横道に入り、路地から路地へと探索する。若い女性たちが大量の玉葱を大きなざるに入れて揺さぶり、皮をふるい落としている。余分な皮をそぎ落とされた玉葱は赤い網の袋に詰められていく。
玉葱(ニンニクだったかもしれない)の皮をむいている二人連れの中学生くらいの少女もいる。写真撮影をお願いすると、どこでも気持ちよく応じてくれる。

玉葱の荷をつくる

皮むき作業の少女

昼食は宿の近くの中華食堂でとる。この食堂に入るには3度目だ。焼き飯を注文(1800チャット)。せっかくのマンダレーで同じ食堂で3回も食事するのは芸のない話だ。ミャンマーにどのような料理があり、どこに行けば食べられるかをちゃんと調べておかなかったため、安易な選択になってしまった。

Royal Guesthouseのチェックアウトは12時。宿に戻ってチェックアウトし、荷物を預けてから再度街歩きに出る。宿のすぐ近くに広い敷地の旧王宮があるが、入場料が10ドルするということなので、外から眺めるだけにした。ヒンズー寺院、中華風のお寺、キリスト教の教会のほか、ネパールのゴルカ(Gorkha)の集会所(宗教施設?)まである。中に入ってネパール人の女性と少し話した。さらにあてもなくぶらぶら歩く。歩き疲れたら、カフェに入ってビールだ。

そのうち3時近くになった。少し早いが、駅に向かうことにした。宿から駅までは歩いて15分か20分くらい。時間もたっぷりあるし、荷物も軽いので、歩けないことはないが、ここは宿の前で待機しているサイカーを利用することにした。サイカーとは横に座席を付けた自転車のことだ。駅までの値段を聞くと、2000チャット(200円)という。高いが、値切らずに利用することにした。こんな場面で100円を浮かせることもないだろう。私と荷物を載せて力いっぱいペダルをこぐ中年の男の姿を見ていたら、200円も高くはないと思った。

サイカーで行く

駅に着くと、外国人の私の姿を見て、列車まで案内してくれる男がいる。アッパークラスの車両の私の席まで案内してくれた。旅行中にこうした求めもしない親切に遭遇すると、どうしても警戒し、身構えてしまう。あとで料金やチップを請求される可能性があるからだ。実際、そのようなケースは他の国で何回も経験している。だが、このときの男はお金を請求するようなそぶりも見せなかった。このときだけではない。前日、列車の切符を購入する際にも、私を正しい窓口まで連れて行ってくれた男がいた。「どこの窓口で購入するのか」などと尋ねたわけではなく、外国人と見ての親切だった。ミッチーナーでマンダレー行きの飛行機を待っているときも、わざわざ私の座っている席まできて、搭乗が開始になったことを知らせてくれた男がいた。「ミャンマーでは親切の対価を求められることはない」と言い切ることはできないが、少なくとも私の体験した親切はすべて無償だった。

駅に早く着いたので、列車の中で1時間以上待つはめになった。いろいろな人がいろいろなものを売りに車内に入ってくる。小学校高学年くらいの少女がミネラルウォーターを売りに来た。ビルマ語で私に売り込んでくる。もちろん何を言っているかわからないので、私は少女の言ったことをオウム返しに繰り返す。それがおかしかったのだろう。少女はケラケラは笑う。笑ってさらに何か言う。私をそれをまたまねして繰り返す。少女はまた笑う。お互いにこのやりとりをしばし楽しんだ。ああ、ミャンマーに来てよかったと思った瞬間だ。3日目にミッチーナーのレストランのライブ音楽にいたく失望し、「こんなことなら来なければよかった」と落ち込んだものだが、そんなネガティブな思いは吹っ飛んだ。5分足らずの少女とのやりとり。このことだけでもミャンマーに来る価値があった。

ミネラルウォーターを売りに来た少女

いざというときのために夜食代わりのお菓子を買い込んでいたが、その心配は無用、白いワイシャツを着た若い男が夜食の注文をとりにきた。焼きそばと焼き飯のいずれかで、3000チャット(300円)とのこと。市中の食堂の倍近い値段だが、ちゃんとしたものを食べたかったので焼きそば注文しておいた。

列車はほぼ定刻の5時ちょっと過ぎに出発した。外はまだ明るいので、車窓から写真や動画を撮る。注文しておいた焼きそばは7時に私の席まで運ばれた。

列車内の焼きそば

4年前の12月にインド旅行で寝台車を利用したときには冬の服装をしていても寒くて眠れなかったものだ。2月のミャンマーの夜行列車はそれほど寒くなく、セーターを1枚着込めば問題なかった。座席はゆったりしたアッパークラスで、リクライニングできる。ただ、揺れは大きかった。ゴットンゴットンという規則正しいリズムではなく、左右にふらふらぶれるような揺れだ。覚悟していたことではあるが、あまりよく眠れなかった。

アッパークラス

2016年3月21日月曜日

ミャンマー2016 六日目(マンダレー)

2月13日。

Royal Guesthouseの朝食はトースト、卵料理、バナナ、コーヒー(または紅茶)、ジュースと標準的なもの。ホテル代(1泊15ドル)を考えれば、不満はない。

Royal Guesthouseの朝食

朝食を終え部屋に帰ろうとすると、60歳くらいの日本人男性の宿泊客を見かけた。彼は毎年のごとくミャンマーを訪れ、今回もこの宿にすでに1週間くらい滞在しているという。ホテルのスタッフとは片言のビルマ語でしゃべっていた。仕事で来ているわけではない。何らかの理由でミャンマーに惚れ込んでいるのだろう。

彼の案内でマンダレーの市場の中にある茶屋に紅茶を飲みに出かけることになった。ホテルから市場までは歩いて10分くらいと近い。背の低い小さなテーブルが2つばかりの茶屋だ。茶屋というより屋台と呼んだほうがぴったりするかもしれない。コンデンスミルクと砂糖がたっぷり入ったミャンマー式の紅茶。おいしい。日本人男性は茶屋の女主人とも顔なじみらしく、ビルマ語で話していた。紅茶の代金は300チャット(30円)だが、女主人は私からお金を受け取らなかった。日本人男性は最初から支払うしぐさも見せていなかった。どうなっているのかよくわからないが、「Thank you」と礼を言って茶屋をあとにした。

市場の茶屋

日本人男性(名前も聞いていなかった)は宿へ戻り、私はマンダレー駅へ向かうことにした。明日の夜行列車でヤンゴンに戻ることに決めていたからだ。今日のうちに切符を購入しておきたい。市場から駅までは歩いて20分弱。駅は高台にあるが、そのふもとの風景はスラムと言う言葉を連想させる。掘っ立て小屋、ゴミ、裸で走り回る子供たち。全裸の子供もいる。ただ、住居も人も密集はしておらず、規模も小さいので、スラムという定義からはずれるだろう。バングラデシュやインドでは線路に沿ってスラムが広がる光景を目にした。ヨーロッパでも大都会の大きな駅の付近の治安は概してよくない。駅や鉄道が往々にして貧しさや犯罪と結びつくのはどうしてだろうか。

駅の下の光景

半裸の子供たち

テーブルを囲んで何か飲んでいる男たちがいる。私にも座に加わるように勧めてくる。この誘いはていねいにお断りし、写真だけを撮らしてもらった。男たちのひとりの唇は真っ赤だった。台湾でビンロウ(檳榔)と呼ばれているキンマだろう。体には特に害はないらしい。渋い味がくせになるのか。

テーブルのそばにいた少女

マンダレーからヤンゴンへの列車は1日に3本ある。朝6時発で夜の9時にヤンゴンに着く列車、午後3時発翌朝5時着の列車、それに午後5時発翌朝7時45分着の列車だ。夜行なら明日もたっぷりマンダレーを観光できるうえ、1日の宿泊費が浮く。だが、沿線の景色も楽しみたい。だとすれば午後3時発がベストだ。だが、明日の午後3時発は売り切れていた。そこでセカンドベストとして午後5時発の切符を買った。午後5時発も寝台車は売り切れだったので、アッパークラスなる座席にした。アッパークラスとはリクライニングできるゆったりとした座席らしい。料金は9700チャット(970円)。飛行機に比べれば格安だ。飛行機には外国人価格が適用されているのに対し、列車は現地人と同じ価格で購入できるからだろう。

宿に戻り、昨夜焼きそばを食べた近くの食堂で昼食をとる。1500チャット(150円)のシャン・ヌードル。シャン族のヌードルということだろう。まずは満足できる味だった。

宿の真向かいに10人くらいの理髪師が働いている大きな散髪屋がある。2000チャットということなので頭を刈ってもらった。思っていたよりもだいぶ短い髪になったが、これも悪くはない。

午後の観光はマンダレー・ヒルの見物にあてた。名前のとおり丘の上にある仏教寺院で、数多くのさまざまな仏像がある。宿からマンダレー・ヒルまではかなりあるが、宿の近くから乗り合いのピックアップトラックが出ていた。ヒルに着き、しばらくふもとをぶらぶらした。頂上まで車で上がろうか歩いて上がろうか迷いながら、長い階段を上がる入口まで来ると、日本人の若い男性2人組を見かけた。彼らもRoyal Guesthouseに宿泊しているという。頂上まで一緒に登ることにした。卒業旅行でミャンマーを訪れている学生とのことだ。両人とも今時の若衆だが、ひとつ感心したことがある。ほんの片言ながらビルマ語を使おうとしてることだ。ミャンマーをすでに1週間以上旅しており、その中で覚えたという。「ありがとう」や「こんにちは」のビルマ語さえ知らない私とは大きな違いだ。

大きな仏像や小さな仏像、土産物屋、食べ物屋などを見ながら小一時間かけて頂上まで登った。途中、若くてきれいな女性がいたので写真を撮らせてもらう。頂上からはマンダレーの街が一望できる。

マンダレー・ヒルで見かけた女性

マンダレー・ヒルの仏像

マンダレー・ヒルから宿まで、帰りも乗り合いのピックアップトラックを利用した(1000チャット)。長い階段を登り、また降りてきたのでさすがに疲れている。宿で長めの休息をとった。

夜、宿の受付に「近くにおいしいレストランはないか」と尋ねると、23rd Streetにあるという。宿は25th Streetだから、2ブロック離れた場所だ。23rd Streetまで行くと、路上にテーブルをいくつも並べて大勢の人が食事をしている。てっきりこれが受付の言っていたレストランだろうと思い近づくと、店員らしき人たちが「座れ、座れ」といったしぐさをする。ちょっと変だと思いながらもテーブルについた。注文もしないのに、麺の入ったスープを持ってくる。ここでようやく気がついた。これはレストランではなく、道行く人たちにスープをふるまっているだ。働いているのは店員ではなく、ボランティアだろう。そのうちのひとりが説明してくれたところによると、今日はアウン・サン将軍の誕生日でその祝いをしているとのことだった(あとでネットで調べると、実際2月13日は将軍の誕生日だった)。言うまでもないが、アウン・サン将軍はアウンサンスーチーの父親だ。何も知らずに迷い込んできてスープにありついた外国人の私の写真をスマートフォンで撮る男性もいた。

アウン・サン将軍の誕生祝賀スープ

ちょっと脇道にそれるが、ミャンマーでのスマートフォンの普及率はかなり高いようだった。スマートフォンを一度も見かけなかったブルキナファソとは対照的だ。「I have no money」とのたまい、実際一銭も持っていなかったミッチーナーのトゥクトゥク運転手さえスマートフォンを所持していた。ほとんどは中国製の安い製品だろうが、それにしてもミャンマーの経済の勢いを垣間見させる風景だ。

スープをさらに注ぎ足してくれたので、レストランに行くまでもなく、空白は満たされた。宿に帰ってゆっくり休もう。

2016年3月18日金曜日

ミャンマー2016 五日目(ミッチーナーからマンダレーへ)

2月12日。

今日は空路でマンダレーへ向かう日だ。Air Mandalayのフライトは13時50分。YMCAからミッチーナーの空港までは遠くなく、20分もあれば到着する。ヤンゴンのように渋滞を心配する必要もない。昼の12時近くに宿を出れば十分だろう。

今日は金曜日だが、2月12日はミャンマーではUnion Day(連邦記念日)で祝日となっている。Snowland Toursの女性から聞いたところでは、朝の6時から式典やパレードがあり、民族衣装をカメラに収めるいいチャンスということだった。

で、朝7時に宿を出て街に出た。式典がどこであるかは聞いていなかった。大きなイベントだから街に出ればすぐにわかると思っていたからだ。だが、この日のミッチーナーの朝はいつもと変わらない。祝賀やパレードの影も形もない。かなり歩いたが何も見あたらず、代わりに仏教寺院などを見物しながら10時過ぎに宿であるYMCAに帰った。

ミッチーナーの寺院

すると、受付の女性が私の戻りを待っていた。ある女性が私を探してやってきて、メモを残しておいたというのだ。マンダレー行きのAir Mandalayのフライトがキャンセルになったというメモだった。Snowland Toursの女性が来たのだろう。3時過ぎの別の航空会社の便があるらしい。メモに残してあった電話番号に電話したら、予想どおりSnowland Toursの女性だった。

さっそく歩いて10分あまりのSnowland Toursに赴く。今日は祝日であり、Snowland Toursは閉まっていたが、しばらく待つと件の女性がモーターバイクでやって来た。Yadanarpon Airlinesという聞き慣れない航空会社のマンダレー行きの便が3時5分にあるとのことだ。最安値のAir Mandalayの便は76ドルだったが、こちらは115ドル。少々高いが、他に選択肢はない。ミッチーナーにもう1泊してもやることはないし、鉄道は時間がかかりすぎる。バスはない(あるかもしれないが、外国人には利用できない)。39ドルの差額を払ってこの航空券を購入した。

2日前Snowland ToursでAir Mandalayの航空券を購入したとき、私の宿泊先がYMCAであることを知らせておいた。これが幸いだった。Snowland Toursの女性がYMCAまで来てメモを残してくれていなければ、空港に着いてはじめてフライトがキャンセルされたことを知るはめになっただろう。この場合午後3時の便のチケットを入手するだけの時間的余裕があったかどうか疑わしい。つまりはミッチーナーにもう1泊するしかなかったわけだ。ヤンゴンからミッチーナーに来るときの4時間の遅延とこの日のキャンセル。ヤンゴンの旅行会社で「Air Mandalayは安いがお勧めできない」と言われたのにも理由があった。

航空券を入手し、市場の屋台で昼食をとる。ぶっかけ飯で600チャット(60円)。出発まではまだ時間があるので、YMCAに戻ってチェックアウトし、荷物を預けて、ミッチーナーの街の最後の散策に出た。

屋台で昼食

ミッチーナーの子供たち

12時を過ぎる頃、雨が降り始めた。それほど強い雨ではないが、歩き続けるのは困難なので、食堂に入ってビールとつまみを頼むなどして時間を過ごした。

最後にYMCAを出るとき受付の女性と少し話した。顔を合わせるたびに満面の笑みで迎えてくれた感じのよい女性だ。この女性もジンポー族とのこと。カチン解放軍とミャンマー政府の戦いはまだ一部の山間地域で続いているとのことだった。これは昨日ビルマ人から聞いた情報と同じだ。「ビルマ人は嫌いか」と尋ねると、「ビルマ人自体はどうということはないが、政府と軍は嫌いだ」という答えが返ってきた。

3日間滞在したミッチーナー。印象的だったのは民族的、宗教的、文化的な多様性だ。カチン州はキリスト教徒が多いらしいが、教会だけではなく仏教のパゴダもあればモスクもある。カチン族を構成する6つの少数民族に加え、ビルマ人はもちろん、かなりの中国人やインド人も住んでいるようだった。ターバンを巻いたシーク教徒もちらほら見られた。道などを尋ねるときにはシーク教徒に聞くと英語が通じる確率が高くなる。

ミッソンへ行くときに立ち寄ったバイク屋やトゥクトゥクの運転手は「我々はイスラムだ」と称していた。ベンガル人かと思ったが、そうではなくパキスタンだという。「パキスタン」が意味するところはよくわからない。最近パキスタンから移住してきたという感じではない。モスレムだがベンガル人ではないという趣旨でパキスタンと称しているのか。トゥクトゥクの運転手に「お前はイスラムだというが、ウイスキーを飲んでいたではないか」と言ったが、答えはなかった。英語がわからなかったのか、わからないふりをしたのか。

Yadanarponの3時5分発の便も遅れ、ミッチーナーを飛び立ったのは夕方5時を過ぎていた。1時間少しの飛行でマンダレーに到着。マンダレーの宿はRoyal Guesthouseに決め、ミッチーナーの空港で待っているときに携帯電話で予約しておいた。

マンダレーの空港に着くと、「タクシー、タクシー」と呼びかける声がする。複数の乗客でシェアするタクシーの呼びかけだった。これはありがたい。マンダレーは空港から市街までが遠く、通常のタクシーなら10000チャットを超える。シェアのタクシーなら4000チャット均一だ。

Royal Guesthouseに着いたのは夕方の7時過ぎ。エアコン、トイレ・シャワー・朝食付きの個室で15ドル。Wifiも利用できる。ミッチーナーのYMCAと同じ料金だが、朝食とWifiが付いているだけプラスアルファの価値がある。スタッフも応対も気持ちよかった。とりあえず2泊することにした。

夕食は宿の近くの中華食堂で済ませた。焼きそばで1800チャット(180円)。ミャンマーでは焼きそばと焼き飯は中華食堂でなくても定番のメニューとなっていることが多い。選択に困ったときには、どちらかを頼めばまず間違いない。

マンダレー最初の食事は焼きそば

昨日は半日で済むはずのミッソン観光に1日かかった。今日は今日で、午後4時ごろにはマンダレーに着いているはずのところ、フライトのキャンセルや航空券の再購入、遅延などのおかげでマンダレーの宿に到着したのは夜も更けた8時近くだった。だがこれは必ずしも不快な経験ではなかった。キャンセルさわぎのあたふたの中で、Snowland Toursの女性は「だからこの国は」と言いながら、別便を手配をしてくれた。休日にもかかわらず。以前のブログにもに書いたように、こうしたちょっとした問題や不具合への対処、その過程での人とのふれあいもミャンマー体験なのだ。

マンダレー空港から市街に向かうシェア・タクシーは8人ほどの乗客をそれぞれの目的地に運んだ。私の行き先であるRoyal Guesthouse.に着く前、ある中年女性の目的地の指示が明確でなく、タクシーは右往左往した。このため10分くらいの時間のロスが発生した。日本式の「効率」に慣れている私などはちょっとイラッとしたものだが、運転手は当の女性に対しても最後まで親切だった。それほど重大ではない遅れや不具合を許容するこうしたのんびりした心構えこそ、私が学ばなければならないことかもしれない。

2016年3月13日日曜日

ミャンマー2016 四日目(ミッチーナー)

2月11日。

ミッチーナーの北約43kmにミッソン(Myitsone)という景勝地がある。2つの川が合流してエーヤワディー川となる地点らしい。今日はここを訪れることにした。昨日Snowland Toursの女性から聞いたところでは、バイクタクシーなら往復で15000チャット(1500円)、トゥクトゥク(三輪タクシー)なら30000(3000円)ということだった。揺れの激しい悪路だからトゥクトゥクよりもバイクタクシーのほうがいいとのことだったが、悪路ならなおさらトゥクトゥクのほうが安全上好ましく思えた。

モーターバイクは怖い。車ならかすっただでけで済むような事故でもモーターバイクでは致命傷になる。交通インフラのしっかりしていない発展途上国では特にそうだ。少々高くついてもトゥクトゥクで行きたい。

宿の隣のレストランで朝食を済ませ、トゥクトゥクを探した。トゥクトゥクにしろバイクタクシーにしろ、外国人と見れば「Where go?」と声を掛けてくるので、見つけるのは難しくない。あとは値段の交渉だけだ。ミッソンまで往復20000チャットで行くというトゥクトゥクをつかまえた。朝10時ごろにミッソンに向けて出発。

トゥクトゥクは途中で3人のミャンマー人女性(と赤ん坊1人)を乗せる。20000チャットいう安い値段で行くのだからこれも仕方ないだろう。途中、2匹の象が街道を歩いているのを目撃。仕事に使っている象のようだ。

街道を歩く象

ミッチーナーの街を出て30分くらいは走っただろうか。トゥクトゥクは突然停車する。パンクしたのだ。ここで3人のミャンマー人女性はトゥクトゥクから降りる。運転手は代金を払い戻しているようだった。私はここで降ろされても困る。パンクを修理してくれるところを探して道を引き返す運転手に付いていくしかない。坂道を2人で車を押しながら10分以上は歩いただろうか。バイク屋らしきショップが見つかり、パンクを修理する。運転手は私に修理代の5000チャットを支払えという。当然拒否するが、運転手に手持ちのお金がなく、私に借りるしかないようだ。あとで私が運転手に支払う額を20000チャットではなく15000チャットとするということで了解した。なにぶんにも英語が通じないので、この了解に達するまでにかなりの時間がかかった。

パンクが直ったころにはすでに12時近かった。道沿いの屋台で昼食をとることになった。運転手はお金がないせいか何も食べず、私は麺を食べた。500チャット(50円)。屋台を手伝っていた子供たちがかわいい。

屋台を手伝っていた少女

さてミッソンに向けて再出発だが、しばらく行くとまた引き返す。こんどはエンジンの調子が悪くなったようだ。パンクを修理したところは別のバイク屋に立ち寄る。ここで運転手は私を残したままバイク屋の男のモーターバイクのうしろに乗ってミッチーナーの方向に引き返した。トゥクトゥクはあきらめ、ミッチーナーからモーターバイクを持ってきて、それで私をミッソンへ運ぶつもりらしい。運転手が戻ってくるのを30分以上は待っただろう。バイク屋はお茶やトウモロコシ、甘物を出してくれる。英語はまったく通じないものの、赤ちゃんを相手したり、日本の千円札を見せたりして時間を過ごすうち、運転手がモーターバイクで戻ってきた。トゥクトゥクは修理のためにバイク屋に置いておき、私をうしろに乗せてモーターバイクでミッソンへ向かう。

バイク屋で赤ちゃんを相手

これは話が違う。モーターバイクは怖いからトゥクトゥクにしたはずだ。だが、いまさらキャンセルするわけにもいかず、モーターバイクのうしろに乗る。やがて未舗装の道に入る。緊張しながら揺れに耐えていた。途中、小さな食料品店に立ち寄り、一休みする。一休みするのはいいが、運転手はなんとウイスキーを購入して飲み出した。水割りにしながら300mlほどの瓶を空にしてしまった。しかも「I have no money」と言うので、このときのウィスキーとつまみの代金1100チャットも私が払うはめに。「You」と「Go」しか知らないと思っていた運転手が「I have no money」というセンテンスを発したことにもびっくり。

そうではなくも危険なモーターバイク。ウイスキーを飲んでいて大丈夫なのか。食事もとらずに昼間からウイスキーを飲むこの運転手、アルコール依存症じゃないのか。不安の中、なんとかミッソナに着いた。

ミッソナは2つの川が合流する地点で、確かに景色はいい。黄金のパゴダも建っており、食べ物や土産物の店が並んでいる。近くにはキリスト教の教会もある。男は私と腕を組んで案内する。男同士で手を握ったり、腕を組むのはミャンマーだけではなく、エチオピアやエリトリアでも見かけた。韓国の光州でも一度見たことがある。

ミッソン

香港から来たらしい小グループを除き、周りはほとんどミャンマー人だった。色の白い中国人とおぼしき男性に「中国人か」と中国語で尋ねると、「ビルマ人でヤンゴンから来た」と英語の答えが返ってきた。かなり流暢な英語だ。少し話し、握手して別れた。ミッソンに来るのは二回目。一回目はひとりで、今回は家族と一緒に来たとのこと。この地にダムを建設する計画があるが、今のところ大統領命令でストップしていること、カチン州の民族紛争はまだ完全には解決していないことなどを知る。

ミッチーナーへの帰路、トゥクトゥクを預けているバイク屋に立ち寄る。トゥクトゥクの修理は完了していた。代金は9000チャット。運転手はno moneyだから、これも私が支払う。ここでモーターバイクからトゥクトゥクに乗り換え、ミッチーナーに向かった。モーターバイクで事故に遭うことはなんとか避けられたので一安心。YMCAに宿泊していることを告げていなかったにもかかわらず、運転手はトゥクトゥクをYMCAの前につけた。外国人はみんなYMCAに宿泊すると思い込んでいるのだろう。時間はすでに夕方の5時を過ぎていた。

ミッチーナーでトゥクトゥクに乗る

さて、私はこの運転手のためにパンク修理代5000チャット、エンジン修理代9000チャット、ウイスキーとつまみ代1100チャット、合計15100チャットを支出している。最初に約束した往復の運賃は20000チャットだから、残金は4900チャットになる。ただ、20000チャットはトゥクトゥクでの運賃だ。モーターバイクなら15000チャットが相場だろう。だとすれば、運転手は私に100チャット負っていることになる。しかし、朝の10時から夕方の5時過ぎまで働いて、取り分がゼロではさすがにかわいそうだ。20000チャットという約束をそのままにし、残金の4900チャットにチップの100チャット、合計5000チャットを支払った。

ミッチーナーからミッソンまでの小旅行は通常なら半日もあれば十分だが、1日近くかかるという結果になった。だが、このてんやわんやは私にとってはおもしろい体験だった。こうした混乱、こうした徒労と無駄こそミャンマー体験の不可避の部分であるように思う。バイク屋や屋台でのミャンマー人のふれあいも興味深かった。運転中の飲酒はともかく、トゥクトゥクの運転手も悪い人間ではなかった。

トゥクトゥクの運転手

夕食は朝食と同じくYMCAの隣のレストランでとった。The Orientという英語名で営業しているこのレストランのスペシャリティーは日本料理と韓国料理だ。親子丼、刺身、ビビンパ、プルコギ、キンパなどのメニューが並ぶ。ミッチーナーを訪れる日本人や韓国人は限られているだろうに(滞在中には日本人や韓国人を誰ひとり見かけなかった)、どうしてこんなメニューになるのだろうか。ただ、英語のメニューが用意されていることから、YMCAに滞在中の外国人(欧米人を含む)には人気があるようだった。この日私が注文したのはメンチカツ定食。味噌汁はインスタントのような感じがしたが、メンチカツの味まずまずだった。缶のミャンマービールと併せて5000チャット(500円)の支払い。トゥクトゥクの運転手が今日稼いだのと同じ金額だ。通常のミャンマーの食堂の2倍近く。

メンチカツ定食



2016年3月10日木曜日

ミャンマー2016 三日目(ミッチーナー)

2月10日。

ミッチーナーに3泊して、明後日、つまり2月12日に次の目的地のマンダレーに移動することにした。まずはマンダレーまでの航空券を確保しておく必要がある。ミッチーナーからマンダレーまでは鉄道も通っているが、24時間ほどかかるらしい。時間に余裕のある旅ならこれも一興だろうが、私のように10日も満たない旅では選択から外れる。

Lonely Planetの情報ではミッチーナーにはSnowland Toursという旅行会社がある。ここなら航空券を購入できそうだ。ミッチーナー駅の近く、YMCAから歩いて10分たらずのところにあるらしい。9時過ぎにYMCAを出て、Snowland Toursを探すが見つからない。見つからないのも無理はない。英語の看板が一切出ておらず、表戸は開いているものの、中には誰もおらず、ただいくつかの机が並んでいるだけだったからだ。

何人かに尋ねてやっと探り当てたSnowland Tours。奥から出てきたのは50がらみの女性だ。温和そうな表情と語り口。即座に好感を持った。女性によれば、2か月ほど前に英語のできるスタッフが去ったため、旅行業務は停止しているとのこと。表に看板が出ていないのもそのためだろう。だが、航空券を入手することは友人を経由して可能という。女性の英語は流暢ではないが、コミュニケーションに支障をきたすほどではない。

ミッチーナーからマンダレーへの航空券には数種類あり、最も安いのはAir Mandalayの76ドルだった。ヤンゴン初日に「あまりお勧めできない」と言われながらも安さに抵抗できずに購入し、4時間待たされるはめになったあのAir Mandalayの便だ。だが、他の航空会社はどれも100ドル以上。40ドルの差は大きく、今回もAir Mandalayを利用することにした。

80ドル渡してお釣りをチャットでもらい、1時間ほど後に再度Snowland Toursを訪れると、Eチケットが用意されていた。ここで少し女性と会話。女性はカチン州の最大民族であるジンポー族に属しているとのこと。「ジンポー族は日本人と似ていると言われている」とうれしそうに語る。スリに注意するようにとも言う。非行に走る若者が増えているらしい。「仕事がないからか」と聞くと、クスリのせいだとの答え。女性がnarcoticという単語を知っていたのにちょっと感心(「上から目線」で失礼)。

昼食は市場の屋台でとった。ぶっかけ麺。モヒンガーという米粉からつくった麺だろうか。代金は700チャット(70円)だった。代金を支払うと、屋台の女主人は「謝謝」と礼を言っていた。私を中国人と思っていたかどうかは定かではない。女主人にとって唯一の既知の外国語が「謝謝」だったのかもしれない。

屋台で食べた昼食

午後はミッチーナーの探索にあてた。まずカチン州民族博物館を訪れる。街の中心からはかなり距離があるが、時間はたっぷりあるので歩く。入場料2000チャット。特に印象に残るような展示物はなかった。これは博物館のせいではなく、私のせいだろう。展示物に興味をそそられるだけの知識が私になかったということにすぎない。

ミッチーナーをゆったりと流れている大河(エーヤワディー川)に沿ってぶらぶら歩きながら街に戻る。川のほとりで洗濯している何人かの女性。ブルキナファソや北朝鮮でも見かけた光景だ。

河畔で洗濯する女性たち

かなり長い時間歩いた。一休みしたい。ちょうど川沿いに大きなレストラン兼ビアホールがある。ビールとポテトフライを注文し、川を眺めながらぼーとする。ゆっくり流れる川と時間。ポテトチップにつけるシーズニングがおいしかった。正確な値段は失念したが、そう高くはなかった。

ビールで一休み

私にとってその土地土地の民族音楽をライブで聞くのは旅の楽しみのひとつだ。Snowland Toursの女性からBamboo Fieldというレストランで毎晩ライブ演奏があると聞いていた。YMCAに戻り、受付の女性にBamboo Fieldの場所を尋ねる。歩いて10分もかからないところにあるらしい。

7時過ぎにBamboo Fieldに行く。舞台上にはキーボードが1台だけ。いやな予感。民族音楽ではなさそうだ。案の定、7時半から始まった舞台ではミニスカートの女性がキーボードの演奏に合わせてミャンマーの歌謡曲らしきものを歌う。歌謡曲でもいいものはいいのだが、これはたらたらと甘ったるい調べで、心に触れるような要素がまったくない。私以外には中国人の観光客らしき7、8人のグループがいるだけだったが、彼らも音楽には興味を示していないようだった。鳥の唐揚げとビールを頼んだが、唐揚げは軟骨を揚げたもので、肉がほとんどない。男性歌手、別の女性歌手と3人聞いてから席を立った。7700(770円)と結構な値段だ。しかも店員に渡した8枚の1000札のうち2枚はテープで継ぎ接ぎがしてあるという理由で受け取りを拒否された(受け取りを拒否されたのはこの店だけで、件の札もあとで問題なく使用できた)。期待外れの音楽にまずい料理。あげくのはてに札の受け取り拒否。思い返せばこのときが今回の旅行のlowest ebbだった。

2016年3月8日火曜日

ミャンマー2016 二日目(ヤンゴンからミッチーナーへ)

2月9日。

朝7時、宿のスタッフが起こしに来てくれる。モーニングコールならぬmorning visitだ。7時半にタクシーを呼んであるから、朝食をとるには7時には起きていなければならない。私は6時前には目が覚めており、シャワーも済ませていたので、このmorning visitは必要なかったが、頼んでもいないのに起こしに来てくれた心遣いはうれしかった。

朝食はトースト、コーヒー、フルーツ(バナナとキンカン)と簡単だが、十分だった。朝食中、シンガポール在住のインドネシア人青年と少し話した。彼は早朝にこの宿に着いてベッドがクリアされるのを待っているところだった。6日間のミャンマー観光を終え、パガンからバスでヤンゴンに戻ってきたという。パガンは観光化されすぎているのではないかと聞くと、「それでも人気のないパゴダがいくつもあり、ひっそりとひとりで眺める日の出がよかった」という答えだった。

7時半にはタクシーはすでに下で待っていた。行き先のヤンゴン国内空港は国際空港に隣接している。朝早いということもあってか、心配していた渋滞はそれほどひどくなく、1時間ちょっとで空港に着いた。料金は9000チャット。空港から市内へ出たときより1000チャット安かった。

1時間以上待ってからチェックインが始まり、出発ロビーに入ったのはいいが、Air Mandalayのミッチーナー行きのフライトは遅れに遅れる。1時間遅れ、2時間遅れ、さらにまた1時間遅れ、4時間ほど待つはめになった。ロビーには食堂があったので、待ち時間を利用して昼食をとった。だが、食事を終えて待合室に戻りしばらくすると、ミッチーナー行きを待っている乗客に焼き飯の弁当とスープが配られた。それほど量の多い弁当ではないので、2回続けての食事だったがすべて平らげた。

出発ロビーの食堂でとった昼食

3時になってようやく飛び立ったAir Mandalay便は1時間40分ほどでミッチーナーに到着した。小さなミッチーナー空港から外へ出ようとすると、パスポートの提示を求められる。パスポート番号や名前を手書きで控えているもよう。チェックされるのは外国人だけで、ミャンマー人はフリーパスだ。いわば簡易イミグレーション。民族紛争がまだ完全には終息していないカチン州ならではのことだ。

ミッチーナー到着

宿泊先はYMCAと決めていた。タクシーで20分ほどかけて到着。YMCAはミッチーナーを訪れる外国人のいわばメインとなる宿泊所なので、予約なしで泊まれるかどうか心配していたが、15ドルで個室を確保できた。3泊することにし、45ドルを支払う。シャワー・トイレ、エアコンは付いているが、朝食はなしで、Wifiも飛んでいない。テレビもなかった。

YMCA

YMCAでは日本語を教えていると聞いていた。受付に尋ねると、毎日夕方の5時から6時まで日本語教室が開かれているとのこと。ちょうど5時になったばかりなので、見学させてもらうことにした。およそ20人の生徒を中年の女性が教えていた。5時から5時半までは初級、5時半から6時までは中級らしい。初級クラスの生徒の年齢層は15~18歳といったところ。女性が多いが、男性もちらほら交ざっている。「~で~へ行きます」という構文を練習しているところだった。「なんで学校へ行きますか」という問いに「自転車で学校へ行きます」と答えるパターンを繰り返していた。この質問が少し気になった。「なんで」と聞かれると、交通手段ではなく目的を尋ねられているように受け取るのではないだろうか。交通手段を尋ねる場合には、「なにで」と「に」をはっきり言う必要があるように思う。この疑問は私の胸の中に収めておくことにした。

YMCAの近くでは毎日夜の市が開かれているというので覗いてみる。アフリカに比べ東南アジアは写真や動画の撮影が容易だ。びくびくしながら撮る必要がない。撮られている人たちはカメラやビデオをあまり気にしない。アフリカとは異なり、カメラやビデオが特別な意味を持たないのだ。しかし、カメラを構えていると子供たちが集まってくるようなこともない。だから子供たちの写真を撮る機会はアフリカほど頻繁ではない。夜の市は想像したとおりの賑わいであり、存分に写真と動画を撮ってから宿に帰った。

ミッチーナーの夜の市

昼食を二重にとったうえ、機上でも軽食が出たこともあり、お腹はすいていない。夕食なしで就寝することにした。

2016年3月6日日曜日

ミャンマー2016 一日目(ヤンゴン)

2月8日。

ヤンゴン行きのマレーシア航空機は午前10時過ぎにクアラルンプールを発ち、2時間半でヤンゴンに着いた。マレーシアとミャンマーでは1時間半の時差があり、ミャンマーの現地時間は11時半近くだった。

ヤンゴン空港着陸

まずミャンマーの通貨(Kyat=チャット)を入手する必要がある。空港にはいくかつの銀行の窓口が並んでいる。そのうちの1つで円をチャットに交換しようとしたが、円は扱っていないという。隣の窓口では扱っているというので、2万円を交換する。これは大きな失敗だった。通常ならレートは1円=10チャットといったところ。2万円なら20000チャット近くが返ってくるはずだ。しかし手にしたのは15000チャットだった。欺されたわけではない。ミャンマーの銀行での円の交換率は極端に悪いのだ。あとで判明したことだが、米国ドルなら通常のレートで交換できる。米国ドルの手持ちもたっぷりあったから、円の交換率を示されたときに、円ではなくドルで交換することを選択をすべきだった。着いたばかりでそこまで頭が働かず、レートの異様さにいぶかしながらも、そのままチャットを受け取ってしまった。下調べが十分でなかったことも大きい。円の交換が難しいことやレートがよくないことを理解していなかったのだ。結果的に4000円から5000円の損失。

空港から市の中心部までのタクシーは10000チャット(1000円)だった。これも高めだが、通常のタクシーではなく、空港タクシーはこの値段だという説明を受けた。

まだ正午にもなっていない早い時間ということもあり、予約してある宿に行く前に、ネットで見つけた旅行会社までタクシーで向かうことにした。カチン州の首都であるミッチーナーまでの航空券を購入するためだ。明日の航空券が入手できればヤンゴンに1泊するだけすむ。明日の航空券が入手できなければ、ヤンゴン滞在を延長しなければならない。ミッチーナーまでの近日中の便がないようなら、あるいは航空券が高すぎるようなら、別の行き先を探す必要がある。

タクシーで着いたのはMyanmar PLG Travel & Toursという旅行会社。入口に日本語のポスターがあり、中に入ると、日本語で応対してくれる。英語でサーチしていて見つけた旅行会社なのでこのときまでは気づかなかったが、どうやら日本人をターゲットとしている会社らしい。「地球の歩き方」にも広告を出しているという。会話はすべて日本語でスムーズに進行した。

ミッチーナーまでの明日の便は2つ存在した。安いほうは98ドル(手数料を含めて110ドル)のAir Mandalayの便。高いほうは別の航空会社の便で、200ドル近くなる。安いほうはあまりお勧めできないとのことだったが、2倍近い価格の違いは大きい。明日の午前11時発ミッチーナー行きのAir Mandalayの便を予約し、Eチケットを発行してもらった。

予約してあるある宿はTraveller's Houseであり、チャイナタウンの21thストリートにある。同じくチャイナタウンの18thストリートにあるMyanmar PLG Travel & Toursから歩いてける距離だ。10分ほど歩いてたどり着き、チェックインする。ドーミトリーということだが、2段に並んだベッドがそれぞれ壁で仕切られており、ドーミトリーというよりカプセルホテルに近い。朝食付きで15000チャット(1500円)。噂通り、ヤンゴンの宿泊は高くつく。幸い下段のベッドを確保できた。

Traveller's Houseの入口

Traveller's Houseの中

昨夜眠れなかったこともあり、2時間くらいはベッドに横になって休んだだろうか。午後も遅くなってから街の探索にでる。機内食をたっぷりとったこともあり、昼食は抜きだ。チャイナタウンからインディアンタウンを抜け、ヤンゴン中央駅まで歩いた。ぶらぶら見物しながらなので1時間近くはかかっただろう。はじめて歩くヤンゴンの街。東南アジアの他の大都会と似た雰囲気だが、ロンジー(腰巻き)とタナカ(女性や子供の顔面に塗る白っぽい粉)がミャンマーらしい。どちらも予想していたことなので、物珍しさはない。ロンジーはバングラデシュですでにお馴染みだった(バングラデシュでは「ルンギ」と呼ばれている)。バングラデシュでロンジー(ルンギ)を着用するのは一般には男性だけだが、ミャンマーの国境に近いチタゴン丘陵地帯では女性も着用していた。

ヤンゴンを歩く

宿の近くに引き返したときには街はすでに夕暮れに包まれていた。チャイナタウンの19thストリートは「バーベキューストリート」とも呼ばれ、飲み屋が軒を連ねている。1人でも入りやすい店、つまりあまり混んでいない店を選び、酢豚とビールを注文する。酢豚が3000チャット、瓶のミャンマービールが2000チャット、合計で5000チャット(500円)だった。酢豚は予想とは異なり、肉団子に野菜を混ぜたような感じで、あまりおいしくなかった。客がほとんど入っていないのも納得。ミャンマーではじめて口にする料理としてはがっかりだった。

酢豚とミャンマービール

宿に戻り、明日の空港までのタクシーを頼んでおく。フライトは11時だが、悪名高いヤンゴンの渋滞を考慮して、7時半にタクシーに来てもらうことにした。早すぎるだろうが、遅れるよりはましだ。

この夜もあまりよく眠れなかった。