Joseph Fouchéは日本ではそれほど馴染みのある名前ではないが、フランスではそれなりに名の知れた歴史的人物で、バルザックの小説などにも登場する。僧職の身でフランス革命に身を投じ、無神論の過激派としてリヨンの虐殺などに荷担しながらも、テルミドールの反動でロベスピエールを裏切って生き残り、その後の統領政府とナポレオン帝政のもとで警察大臣を務めた。かつてルイ16世の処刑に賛成票を投じたにもかかわらず、ナポレオン失脚後の王政復古に力を貸し、ルイ18世のもとでも警察大臣になる(ただしこれは短期間に終わる)。
カトリックから無神論へ転向し、無神論からカトリックへ再転向、革命期には貴族制度を全否定しながら、のちには自ら爵位を受けるに至る。私有財産を攻撃したのは過去のこと、後年には莫大な富を蓄える。右から左、左から右へと揺れ動く激動の時代を乗り切った歴史上希有の人物といえよう。原理原則は無く、節操もない。カメレオン的変身がこうした処世を可能にした。ZweigはFouché流の裏切りと陰謀、変節と虚言こそが政治家の本質であると見ている。この伝記の副題が"Bildnis eines politischen Menschen"(ある政治的人間の肖像)となっている所以である。
Zweigの自伝である"Die Welt von Gestern"(昨日の世界)を読んだのは10年以上前になる。Fouchéの伝記は私にとっては2冊目のZweig作品である。私のタブレットPCには200円ほどでダウンロードしたZweigの全作品が保存されている。次はマリー・アントワネットの伝記だ。もちろんいつの日にかには彼の小説にも手をのばしたい。
2時間半後の午後1時過ぎ、飛行後はグロズヌイ空港に着陸した。たどり着けるかどうか最後まで半信半疑だったチェチェン。このビザで大丈夫か、許可が必要ではないのか、最悪の場合はロシアないしチェチェンの当局に拘束されることになるのではとの不安。昨日の夜、Dmitryのメールを受け取ったときにはほとんど絶望的になった。そのチェチェンの地に今立つ。思わず"I made it!"と小さく叫んだ。
途中で"English Castle"と呼ばれる廃墟(時間の経過で廃墟になったのか、戦争のせいで廃墟になったのかは不明)を見てからグロズヌイに戻り、Dmitryが予約しておいたGrozny City Hotelにチェックインした。グロズヌイでナンバーワン、つまりチェチェンでナンバーワンの五つ星ホテルだ。もっとも値段はそう高くなく、booking.comで調べると1泊90ドルほど。1万円程度だから、贅沢とはいっても、手が出ないような値段ではない。
Are you sure, that you are coming to Grozny airport tomorrow.
I checked the flights and it seems that you are coming to the airport of
Vladikavkaz by S7 and your departure is also by S7 fro Vladikavkaz.
Also I tried to call you, but your Japanese phone number does not work. Do
you have local phone number?
「ちゃんとグロズヌイ行きの飛行機を予約したのか? Vladikavkaz(北オセチアの首都)行きを予約したのではないか」というのだ。びっくりした。いくらうっかり者の私でもGloznyとVladikavkazを間違えて予約するはずがない。手持ちのUTairのEチケットにははっきりと10時40分発モスクワ発グロズヌイ行きと記されている。だが、念のためにUTairのWebサイトをチェックすると、10月3日のモスクワ発グロズヌイ行きについては"No flight on this day"と表示されている。ロシア語でも同様の表示だ。「10月2日のフライトはない」としか解釈できない。焦った。ここまで来てグロズヌイに行けなければ、モスクワで1週間を過ごして帰国するしかなくなる。UTairに電話で問い合わせたいところだが、Webサイトには電話番号が記載されていない。あわててSkypeを通じてDmitryに電話し、私の予約番号を伝えたうえで、チェックしてくれるように頼む。しばらくしてDmitryから次のようなメールが来た。
I have just checked. Everything is OK with your flight.
We have got wrong information, because all tickets are sold (that is why this flight does not exist for boking systems).
Dmitryの勘違いだったようだ。つまり"No flight on this day"とは「この日のフライトの予約はいっぱい」という意味らしい。誤解を招く表現だ。ホッとしながらも、不安は完全には払拭されないまま翌日を待つことになる。