自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
2022年11月29日火曜日
アルメニア・ジョージア2022 十一日目(エレバン近郊バスツアー)
2022年11月27日日曜日
アルメニア・エレバン2022 十日目(エレバンを歩く)
10月29日
Booking.comのレビューによるとEuropa Hotelの朝食はあまり評判がよくない。だがパン、チーズ、ハム、ソーセージ、桃や葡萄の果物、キュウリやトマトの野菜、ヨーグルトと基本的なものは揃っている。確かにコックがその場で卵を料理してくれるわけではないが、イチジクなどの果物から作った5種類のジャムは逸品だった。
Europa Hotelの朝食
2022年11月25日金曜日
アルメニア・ジョージア2022 九日目(エレバンへ戻る)
10月28日
今日はエレバンへ戻る日。エレバン行きのバスやマルシェルートカ(マイクロバス)は中央駅前あるいはオルタチャラ・バスステーション(セントラル・バスステーション)から出るらしい。情報は錯綜していて、どちらが本命なのかわからない。ホテルの受付に尋ねると、オルタチャラではないかとのことだが、はっきりはしない。とりあえず宿から相対的に近い中央駅に行き、エレバン行きがなさそうなら、オルタチャラ・バスステーションに移動することにした。
中央駅前に着いたのが9時前。ネットで中央駅からは9時、11時、1時にエレバン行きのバスが出発するとの情報を得ていたからだ。確かにエレバン行きのマルシェルートカは停まっていた。しかし乗客はおらず、運転手は「11時発だ」と言う。9時から11時までの2時間をどう過ごすか。地下鉄で「自由広場」なる場所に行ってみたが、政府機関の建物がいくつかあるだけで、特に見るものはなかった。
11時前に中央駅前に戻るが、相変わらす乗客は誰もいない。しばらくすると、同じくエレバンを目指すバックパッカーがやってきた。20~30歳代のアイルランド人の青年で、ロシアを旅行したあとジョージアを経由してアルメニアに向かうという。旅慣れた感じの彼によると、「エレバンに行くにはここ(中央駅前)が一番確実」とのことだった。
彼は叔父2人がともにロシア人女性と結婚していることもあり、この物騒ぎな情勢の中、かなり長い間ロシアを旅行し、陸路でジョージアまでやって来た。ウクライナ戦争に関する彼の見解は西側から来た人間としてはユニークで、異端とも言えた。彼は言う。「ウクライナの戦争の本質は内戦(civil war)だ。ウクライナ人難民の最大の受け入れ国となっているのはポーランドやハンガリーではなく、ロシアだ。ロシアに逃れてきたウクライナ人は300万人に達する。プーチンよるウクライナ侵攻は問題だが、ロシア系ウクライナ人への差別や迫害こそがウクライナ問題の本質だ。」「ロシアの最大野党は共産党だ。」「ロシアへの経済制裁はほとんど実効性を持っていない。制裁の結果、ロシアからの天然ガスの輸入がストップし、苦しんでいるのはむしろ西側諸国だ。」
プーチンの主張と重なる部分が多いこうした見方をアイルランドから来た青年から聞くのは意外だった。しかし、ロシア系ウクライナ人が数多くロシアに避難しているのが事実だとしても、そのほとんどはプーチンによる戦争の結果ではないだろうか。
11時を過ぎても我々2人以外の乗客は現れない。1時まで待ってもおそらく同じだろう。オルタチャラ・バスステーションを試すしかないだろう。Yandexでオルタチャラまで行こう。
オルタチャラ・バスステーションでも状況は同じだった。エレバン行きのマルシェルートカには乗客は誰もいなかった。したがってマルシェルートカがいつ出発するか、そもそも今日出発できるかどうかもわからない。タクシー(白タク)が何台か駐車していて、エレバンまで200ドルで行くと言う。高すぎるのでこれは却下。
結局、アイルランド青年の提案で、国境までYandexで行き、アルメニアに入国してからバスないしタクシーでエレバンを目指すことにした。
国境に到着し、ジョージアを出国、アルメニアに入国した。我々以外の旅行者は誰もおらず、エレバン行きのバスも見当たらない。タクシー(白タク)が何台か待ち構えている。アイルランド人青年は日が暮れてからエレバンに到着するのを嫌い、ここらあたりで1泊すると言う。エレバンのホテルを予約済みの私は、そうのんびりとはできない。
アルメニア再入国
タクシーはエレバンまで100ドルとふっかけてきた。80ドルまで値切ったが、他に交通手段のない私としてはそこまでが限界だった(Yandexを試しても「この地域では利用不可」と表示されるだけだった)。
途中で運転手が交替するという場面もあったが、タクシーは予約したEurope Hotelまでちゃんと私を送り届けてくれた。
ホテルに着いたのは夜の7時。日はとうに暮れていた。8時過ぎにトビリシのホテルを出て、エレバンのホテルにたどり着くまで約11時間。今日一日をたっぷり移動に費やしたわけだ。
Europe Hotelは朝食付きで3泊約28000円。今回の旅で最も高価な宿だ。
Europe Hotel
受付の女性は日本人の私に好意的だった。彼女の友人が神戸に留学していること、留学後も神戸に残って働いていることなどを話してくれた。「日本の鹿の動画を見た」と言う。東大寺や宮島の鹿のことだろう。鹿と神社の関係について説明しようと頭をひねっている合間に他の宿泊客が手続きに来て、話はそのまま途切れてしまった。
Europe Hotelは共和国広場の近く、エレバンの中心地にある。先の滞在で何回もお世話になったセルフサービスのレストランに出向き、夕食とした。
夜の共和国広場
2022年11月17日木曜日
アルメニア・ジョージア2022 八日目(旧市街ウォーキングツアー)
10月27日
ホテルで朝食をとり、この日の「旧市街ウォーキングツアー」の集合場所である地下鉄Avlabari駅まで徒歩で向かう。ツアー開始は10時だが、9時40分に集合してくれとのことだった。
ジョージア人の女性ガイドの旗のもとに駅前に集まったのは、私以外にはインド人男性とベトナム人女性のカップル、合計3人だけ。まず駅の近くにあるツアー主催会社に赴き、簡単に自己紹介する。インド人男性とベトナム人女性はドバイで働いている。インド人男性は日本の商社伊藤忠のドバイ支社で24年間働いていたという。現在はドバイで自分のビジネスを立ち上げているらしい。ベトナム人女性はドバイ在住5年。連れ合いのインド人男性によれば、(彼女は)英語は聞いて理解できるが、話すのは苦手とのことだった。
まず案内されたのは、Avlabari駅近くのMetekhi Chrch(メテヒ教会)だった。ガイドによれば、この教会はグルジア正教会ではなくグレゴリアン教会に属しているとのことだった。しかし、帰国してから調べてみても、「グレゴリアン教会」なるものの正体はわからなかった。逆に、「メテヒはグルジア正教」との記述も見つかった。
ロシア帝政時代にはメテヒ教会は監獄として使われていた。若き日のスターリンもここに投獄されていたとか。
Peace Bridge(平和橋)を渡り、石畳の旧市街に入る。平和橋は2010年、つまり私の前回のジョージア訪問の翌年に建造された。イタリア人の設計になるモダンな橋だ。
ガイドともに旧市街を歩く。私が昨日立ち寄ったシオニ大聖堂にも入った。
ちょっと滑稽なブロンズ像が石畳の真ん中にちょこんと座っている。13年前に写真に収めておいた像だ。昨日からこの像を探していたのだが、君はここにいたのか。
酒杯を手にする像
地下にあるパン屋に入り、手作りのパンを1つ提供される。これもツアーの代金に含まれているらしい。私は中にクリームをつめた揚げパンを選んだ。クリームがたっぷり入っており、なかなかのおいしさだ。
再びクラ川の右岸に移る。ロープウェイに乗り、対岸の山頂にある巨大な「ジョージアの母」の像に行くためだ。
「ジョージアの母」はよく覚えている。まだロープウェイのなかった13年前、麓から徒歩で山頂まで登った。像のもとには私以外にはジョージア人の若いカップルが一組いるだけだった。
13年前とは大違い、ロープウェイを降りてまず目につくのは、道の両側に立ち並ぶ土産物屋などの店舗。10軒はあっただろう。それに見合うだけ観光客の数も多い。あちこちでロシア語が聞こえる。ロープウェイ効果だ。
山頂から一望したトビリシ
山頂から旧市街へは歩いて戻った。旧市街から植物園を抜けて、滝を見る。この滝を見るのははじめて。存在すら知らなかった。最後にモスクに立ち寄り、2時過ぎにウォーキングツアーは終了...いやまだ終了ではない。ワインの試飲が残っている。Avlabari駅近くのツアー主催会社のオフィスに戻り、紙コップ一杯の赤ワインを飲みながら、会社スタッフの女性と話した。
時勢柄ロシアのウクライナ侵攻とジョージアの立ち位置が話題になった。ロシアとジョージアの関係は複雑だ。2008年には南オセチアを巡って戦争になり、ゴリなどの街が爆撃された(私は爆撃から半年後にゴリを訪れてた)。それ以前からロシア寄りのアブハジアの分離・独立の問題などがくすぶっていた。
旅行会社の女性によれば、巨大な隣国にジョージアが立ち向かうのは経済的にも軍事的にも不可能であり、ウクライナ侵攻についても中立を余儀なくさているとのことだった。「インドも中立的立場だ」とインド人男性がポツリと付け加える。
オフィスを出て、同行の2人と握手して別れた。「あなたと同行できたのはラッキーだった」とインド人男性。ラッキーだったのはこちらも同様だ。
疲れた体を休めるために宿に帰る。テラスでロシア人男性がパソコンを広げて作業をしている。この男性はいつもテラスの同じ席に陣取り、一日中パソコンで作業したり、大きな声でスマホで話していた。おそらくリモートワークをやっているのだろう。
興味があって声をかけてみた。30歳代とおぼしきこの男性(確かビクトルという名前だった)、推測どおり、ロシアから逃れてきたとのこと。妻子はロシアに残している。彼は言う。「動員令が出てもこれといった反対運動が起きない。動員されれば5割くらいの確率で戦死するのに、反対の声が大きくならないのは信じられない。これで決断がついた。ロシアから出るしかないと。へたにとどまって反対の声をあげると前線に送り込まれかねない。」「ジョージアはロシア人がビザフリーで入国できる数少ない国のひとつだ。しかもビザなしで356日居住できる。」
帰国してから調べてみると、ビザなしで1年間在住できるのは日本人も同じらしい。このところジョージアに住み着いて働いている日本人の動画がいくつかYouTubeにアップされているが、こういうビザ事情があったのだ。
「あなたは英語もできるし、仕事もリモートから可能だ。しかし、ロシアの田舎に住み、外国語はできない、へたをするとパスポートすらもっていない、こうした若者にとってとどまる以外に選択肢があるだろうか」と私の感想を述べておいた。実際、ビザが不必要としても、1泊5000円以上の宿に長期間滞在するのは、ごく一部の富裕層を除けば難しいのではないだろうか。
体を休め、日も暮れかかるころ旧市街に出る。余談だが、トビリシにはリードを付けていない犬が頻繁に目に付いた。野良犬かどうかはわからない。それらの多くがぐったりと寝そべっている。夜の旧市街でもそうした犬に何匹か遭遇した。
夜の街に寝そべる犬
この日の夕食もシャウルマにした。昨夜とは別のスタンドで、中サイズが14ラリ(700円ほど)だった。
2022年11月15日火曜日
アルメニア・ジョージア2022 七日目(宿を替える)
10月26日
9時過ぎに朝食の場である1階に降りると、昨日出会ったロシア脱出2人組はすでに食べ終わるところだった。これから車でバトゥミに向かうという。バトゥミは黒海に面したジョージア第2位の都市であり(といっても人口は20万人にすぎない)、ホリデー・リゾートでもある。バトゥミからトルコを目指すのかと聞くと、「決めていない」との返事。
朝食の場には別の新しいロシア人男性も現れた。40歳代くらいで、てっきりロシア脱出組だと見たが、観光客だった。「英語はしゃべれない」と英語で言うので、会話はごく限られたものになった。私が理解した限りでは、エカテンブルクの出身。ロシアの状況は「いいのか悪いのか(ハラショー イリ プローハ)」と尋ねると、「よくもなく悪くもない」と言ったあと、何かの単語を付け加えたが、私には理解できなかった。「通常どおりだ」とでも言ったのだろうか。
11時ごろにGuesthouse Differenceをチェックアウトする。このゲストハウスを選んだのは、Booking.comのレビューが9.5と抜群によかったからだが、トビリシ中心部と離れすぎており、選択ミスだった。
悪い宿ではない。スタッフの2人の男性は非常にフレンドリーだし、朝食も期待以上だった。旧市街との距離はあらかじめわかっていたことだから、文句を言う筋合いでない。だが、Wifiの信号が極端に弱かったことには不満が残る。YouTubeの動画は途切れ途切れになり、鑑賞できたものではなかった。
新しい宿のMarium RにはYandexタクシーで行った。バックパックを背負って3Km近くを歩く気にはなれない。
Marium Rに着いたのはチェックインの時間前だったが、部屋に入ることができた。やはり自分の部屋の中にシャワーとトイレが付いてのはありがたい。
Marium Rの室内
昼食は観光客向けのレストランでシュクメルリを選んだ。シュクメルリとは、鶏肉をニンニクやサワークリームとともに煮込んだグルジアの伝統料理だ。通常は鶏一匹を煮込むが、私が注文したのはハーフサイズ。これとグラス一杯の白ワインで50ラリ近く(2500円)。観光客向けのレストランとはいえ、やはり高い。シュクメルリはニンニクが効いていておいしかったが、ハーフサイズではちと小さい。
昼食後は13年前に見た光景を探しながら旧市街を散策。当時の記憶と一致したのはシオニ大聖堂くらいだった。
夜の旧市街
スタンドで買ったシャウルマを宿に持ち帰り、夕食とする。シャウルマは中東発祥の一種のケバブだが、テイクアウトのファストフードとしてロシア語圏でも広く普及している。中サイズで13ラリ(650円ほど)。観光客向けの店ではないと思うが、ほぼ日本並みの値段だ。シャウルマがおいしいことはルーマニアでも経験している。こうしたB級グルメのほうが伝統料理よりおいしいのではないかというのが私の偽らざる感想だ。スペインで食べたハンバーガーがパエリアなどをはるかに凌駕する味だったように。
シャウルマ
宿に帰ってから、スマホにダウンロードしてあったMySOSアプリに必要な情報を入力し、日本帰国時にファストトラックを利用するべく準備した。パスポートとワクチン接種証明書の写真はあらかじめスキャンしてスマホに取り込んであったので、容易にアップロードできた。それぞれスマホで写真を撮ってアップロードするとなるとちょっと苦労していたかもしれない。いずれにしてもWifiが不安定なGuesthouse Differenceではやりたくなかった作業だ。
この作業の結果、MySOSのステータスは「審査中」になった。「審査中」が「登録済み」になり、画面がブルーに切り替わるまでにはかなり長い時間がかかった(10時間以上は経過しただろうか)。
明日のためにネットで「トビリシ旧市街ウォーキングツアー」を申し込んでおいた。4時間のツアーで代金は13米国ドル。
2022年11月13日日曜日
アルメニア・ジョージア2022 五、六日目(トビリシを歩く)
五日目(10月24日)
Guesthouse Differenceの朝食はちょっと遅めで、9時から10時と決まっている。9時過ぎに1階に降りていくと、テーブルには2人分の食事が用意されていた。私を含めて宿泊者は2人らしい。一泊3000円ほどの宿にしては量も質も満足できる朝食だった。
Guesthouse Differenceの朝食
このゲストハウスはトビリシ中心部(旧市街)から2.4Km離れており、歩けば3、40分かかる。トビリシに馴染むためにも、中心部まで歩くことにした。
11時に宿を出て、迷いに迷い(このときは確かネット接続なしで使える地図アプリのMAPS.MEを頼りにしていたにもかかわらず)、地下鉄のAvlabari駅にたどり着いた時には午後1時近くになっていた。
Avlabari駅から地下鉄でStation Square(Central Railway Station)駅まで行く。今回の旅では三井住友銀行のVISAカードとソニー銀行のVISAデビットカードを持参していたが、トビリシの地下鉄はこれらどちらのカードでも、改札機にタッチさえすれば乗車できる。チャージ分の残額が返金されない交通カードより便利だ。
中央鉄道駅近くについては13年前の記憶が少し残っている。2009年のトビリシ滞在中に宿としていたのが、中央駅の近くにある民家だったからだ。日本人のバックパッカーをターゲットした古びた民家だった。中央駅から歩いて10分もかからないその家をもう一度見たかった。たぶんここだろうという場所を見つけたが、中には入らなかった。当時5、60代の主人とその妻(重い糖尿病に苦しんでいた)、80歳を超えた主人の母親が営んでいた民泊。13年後の現在ではもう誰も泊めていないだろうし、生きているかどうかすらわからない。素泊まりにもかかわらず朝食を出してくれたり、いろいろ世話になった宿だが、ここは思い出だけにとどめておいたほうがいいだろう。
駅前には小さな出店がたくさん並んでおり、マーケットもあった。13年前にもマーケットはあったのだろうか。まったく記憶にない。
中央駅近くのマーケット
2022年11月9日水曜日
アルメニア・ジョージア2022 四日目(トビリシへ移動)
10月23日
今日はジョージアの首都トビリシへ移動する日。ジョージアは2009年、13年前に訪れた国だ。13年前の旅では、トビリシを拠点に、ムツヘタ、カズベキ、ゴリを巡った。今回の旅の主目的ははじめて訪れるアルメニア。ジョージアは付録でしかない。ロシアのウクライナ侵攻とそれに続く動員令の発令以降、ロシア人の大量流入が伝えられているジョージア。その首都トビリシの様子を垣間見るだけでいい。トビリシにのみ、3泊4日の予定で宿を予約しておいた。
エレバンからトビリシ行きのバスはセントラル・バスステーション(キリキア・バスステーション)から出る。朝食を済ませ(早かったので同席者はなし)、Yandexでバスステーションに向かう。初日にYandexで一悶着あったから少し心配ではあったが、今回はスムーズだった。20分くらい乗って400ドラム。150円ほどだ。もちろん料金は乗車前にスマホに表示されており、運転手と話す必要はない。
トビリシ行きミニバスは9時、11時、1時に出発との情報を得ていたので、9時前に到着したのだが、実際にバスが出発したのは10時半だった。料金は8000ドラム(約3000円)。
30分の昼食休憩をはさみ、およそ4時間でバスは国境に着いた。アルメニア出国もジョージア入国もごく簡単で、パスポートにスタンプを押すだけ。コロナ関連のチェックはまったくない。
アルメニアからジョージアへバスで
サービスエリアで昼食(350円ほど)
さらに2時間ほど走り、午後4時半にトビリシに到着した。着いたのはいいが、途方に暮れてしまった。ある程度大きいバスステーションに着くだろうと思っていたが、予測に反して、マルシェルートカ(マイクロバス)が数台並んでいるだけの何の変哲もない場所に降ろされたのだ。
今自分がいる場所がわからない。予約してあるゲストハウスはトビリシから2~3Km離れている。SIMカードを売っているショップも見当たらない。ネットにつながらないからYandexも使えない。スマホのない時代なら、躊躇なくタクシーを拾って宿まで行くところだが、見知らぬ街(13年ぶりだから実質的にはじめて訪れる街だ)でタクシーを利用することには抵抗があった。
窮余の一策で、近くにあるホテルに飛び込んで助けを求めた。ホテルなら英語が通じるだろう。
おおげさだが、「地獄で出会った仏様」とはこのホテルの女主人だ。自分のホテルの客でもない一旅人に救いの手をさしのべてくれた。私が予約してあるゲストハウスまで電話してくれ、格安のタクシーを呼んでくれる。タクシーが到着すると手をとって車まで連れて行ってくれる。タクシーを待つ間にコーヒーまで出してくれた。
幸い、エレバンで160ドルをジョージア通貨のラリに両替していたので、手持ちの現金は十分だった。タクシーがゲストハウスに着くと、スタッフが門の外で待っていてくれた。
今日から3泊するのはGuesthouse Difference。朝食付きで3泊10000円と格安だが、トビリシの中心部からは離れており、バス・トイレは共用だ。
近くの店までも歩いて10分ほどかかる。暮れかけた道を10分歩き、夕食代わりのコーラとお菓子を購入し、ようやく一息ついた。
2022年11月7日月曜日
アルメニア・ジョージア2022 エレバン二日、三日目
二日目(10月21日)
Villa Delendaの朝食は8時から。8時過ぎに朝食会場の地下へ降りる。びっくりする。なんともレトロ。クラッシックと形容してもいい。ホテルというより、アルメニアの旧家の地下室に降り立った感じ。壁には大きな肖像ががいくつかかかっており、本棚やピアノまである。
Villa Delendaの朝食会場
8部屋しかない小さなホテルだが、食卓には6人分の皿が並べられている。残念ながら、この日は同宿者と顔を合わせることはなかった。
朝食後、宿の近くの散髪屋で髪を切る。旅行のたびに現地の散髪屋を利用するのは、このところ私の習性となっている。料金は3000ドラム、約1200円だ。円安の影響もあり、日本の1000円カットとほぼ同じ値段。海外でのヘアカットとしてはこれまでの最高値だ。ちなみに、これ以前の最高値は台湾の600円、最安値はエジプトはカイロの180円。
曇り空のもと、エレバン随一の観光スポットである「カスケード」に徒歩で向かう。カスケードとは、アルメニアのソ連併合50周年を記念して1970年に建てられただ規模な滝(カスケード)状の構造物だ。
カスケード
中年のカップルに写真を頼まれる。イランから来た観光客とのこと。カスケードを登ればはエレバンの街を眺望できる。
昼も遅くなり、小雨が降り出した。エレバンの中心である共和国広場まで戻り、歴史博物館を見学する。ネアンデルタール人の頭蓋骨などが展示されている一方、現代の歴史についてはほとんど触れられておらず、ちょっと失望した。
夕食は昨日と同じセルフ式のレストランでとった。寿司もあったので、マグロ、サーモン、アボカドのロールを食べてみた。味は期待していなかったが、予想通りのまずさだった。寿司以外の他の料理はおいしかった。
二日目もセルフサービスのレストランで(寿司3個付き)
三日目(10月22日)
今日の朝食会場には先客がいた。30歳代のロシア人女性。モスクワからやってきた観光客で、アメリカ人の女性歌手のコンサートのためにエレバンを訪れたが、肝心のコンサートがキャンセルされてしまったという。モスクワの印象などについて話しているところへ、英語の達者な別の若いロシア人女性が登場。サンクトペテルブルク出身で、こちらも観光客。中国でモデルとして働いていたらしい。モスクワの女性もサンクトペテルブルクの女性もスターリンがジョージアのゴリ出身だということを知らなかった。
このあと、スウェーデンの女性やモスクワ出身で現在はドイツのブレーメンに住んでいる男性なども加わり、活気のある朝食の場となった。
午前中は共和国広場から歩いて30分ほどのGUMマーケットを訪れた。GUMマーケットへ向かう途中、中国系の「メイソウ」やフランス系の「カルフール」などの店があったので覗いてみた。
GUMマーケットはそれなりに大きい屋内マーケットだった。予想していたローカルマーケットとはちょっと雰囲気が異なる。かといって、観光客向けのマーケットという感じもしない(そもそもエレバンにはそれほど多くの観光客がいない)。ちょっと不思議なマーケットだ。
明日はジョージアのトビリシに向かう。
2022年11月5日土曜日
アルメニア・ジョージア2022 アルメニア到着(10月20日)
2929年2月にフィリピンから帰国してから2年8ヶ月、10月半ばに日本への入国制限が大幅に緩和され、PCR検査の陰性証明は不要に、3回のワクチン接種証明を提出するだけで入国・再入国が可能になった。
パンデミックのせいで制限されてきた海外への渡航がようやく現実味を帯びてきた。日本や米国を除き、海外の大多数の国ではすでにパンデミック関連の規制はほぼ全廃されており、陰性証明はもちろん、ワクチン接種証明も必要ない。
さて久しぶりの海外旅行、行き先をどこにするか。パンデミック発生以前に計画していたのは北コーカサスへの旅行だった。北オセチア、イングーシ、チェチェン、ダゲスタンをマルシェルートカ(マイクロバス)で巡る旅だ。前回のチェチェン旅行とは異なり、今回はガイドを付けずに単独で。
が、2022年2月にロシアがウクライナへ侵攻し、この計画は水泡に帰した。戦争状態(プーチン流に言えば特別作戦)とはいえ、ロシアのビザ取得は不可能ではない。ロシア国内の旅行も従来とそう変わりはないだろう。しかし、ロシアへ飛ぶ飛行機は大幅に減っており、航空運賃も高騰している。そのうえ、この状況下、ロシア国内でへたに動き回ればスパイ扱いされる可能性もゼロではないだろう。
北コーカサスがだめなら、南コーカサスだ。南コーカサス3国(アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア)のうち、ジョージアは2009年に訪れた。残るはアゼルバイジャンとアルメニア。この2カ国を同時に訪れればいいのだが、アゼルバイジャンとアルメニアは準戦時状態で両国間の国境は完全に封鎖されている。
そこでアルメニアに的を絞った。10月19日から31日までの日程。これだけの期間、アルメニアだけでは物足りない。アルメニアはトルコと隣接しているが、歴史的にトルコとの関係もよくなく、トルコへの道はたたれている。残るのはジョージア。ジョージア(当時はグルジア)は13年前に訪れたとはいえ、ロシアからの脱出組が殺到しているという現在の状況にはおおいに興味がある。アルメニア滞在中、3、4日はジョージアの首都トビリシに遠出することにした。
10月19日23時30分、ドバイ行きのエミレーツ便で関空を飛び立った。10時間の飛行と3時間余の待ち時間を経て、翌20日の昼の12時ごろ、アルメニアの首都エレバンに降り立つ。
まずは両替とSIMカードの購入。円安のまっただ中だが、今回の旅行は1ドル90円のころに買い込んだ米ドルとユーロのキャッシュで十分にまかなえる。空港内には両替所もSIMカードのスタンドもいたるところにあった。SIMカードは5GBを1000円ちょっとで購入。
宿はBooking.comでエレバン中心部のVilla Delendaを3泊予約していた。3泊で72900ドラム(アルメニアの通貨単位)。円安の現在のレートで換算すると27000円余り。朝食付きだが、私にとっては贅沢な宿だ。
空港からホテルまで、配車アプリのYandexを使って行くことにした。アルメニアやジョージアではUberは使われていない。代わりによく利用されているのはYandexだ。SIMカードと電話番号を使えるようになった段階で、あらかじめインストール済みのYandexをセットアップし、車を呼び出す。
空港の外にはYandex用の乗り場があるので便利だ。5分ほど待って車がやってくる。ここで失敗した。運転手に「いくらか?」と聞いてしまったのだ。どの配車アプリでもあらかじめ値段は決まっている。「いくらか」と尋ねるのはバカの骨頂だが、これは運転手のアイコンをクリックしたときに値段が表示されていなかったためだ。Uberでも東南アジアで使われているGrabでも、運転手を選んだときに値段が表示される。値段は運転手によって多少の相違がある。ところがYandexの場合は、運転手を選ぶ前に行き先までの一律の値段が表示される。つまりどの運転手を選んでも同じ値段になる。はじめて利用する私は最初に表示された一律の値段を見落としていた。
運転手の答えは「Two」とのことだった。どの単位のtwoなのかはわからない。
ホテルまでの約30分の道中、英語がわからない運転手と私の初歩レベルのロシア語でそれなりに楽しく会話。ところがホテルに到着した運転手は2万ドラム(8千円近く)を要求してくる。これはさすがに高い。私は「高すぎる。ホテルに入ってスタッフに尋ねてみるので、一緒にホテルに入ってくれ」と反論した。運転手はロシア語で「ここに駐車しておくことはできない。ともかくお金を払え」と言い張る。
かまわず私はホテルに入り、受付の若くてかわいい女性に英語で事情を話す。女性も「2万ドラムは高すぎる」と言う。女性を伴って外へ出ると、車は消えていた。おそらくYandexに顛末を報告されることをおそれた運転手が逃亡してしまったのだ。結果的に私は空港から宿まで無料でたどり着いたことになる。後日、宿から空港までYandexで行った場合の値段は1700ドラムだった。空港から宿まで、おそらく2000ドラムくらいだったのだろう。事情を知らない私に20000ドラムという法外な値段を要求した運転手は2000ドラムも受け取らずに消えてしまった。
Villa Delendaはホテルというより古い民家というおもむきだった。単独で探していたら見つけにくかったかもしれない。部屋の中も同様で、なんと結構な数の本で埋まった本棚まであった。
Villa Delenda
部屋の中の本棚
遅めの昼食は宿から歩いて10分たらずのセルフサービス式のレストランでとった。ジャガイモと肉の皿とサラダ、水とパンで1000円余り。円安とはいえ、平均月収500ドルのアルメニアにしては結構な値段だ。アルメニア最初の食事はまずまずのおいしさだった。
このレストランで
アルメニアで最初の食事
食事後、エレバンの街をすこし彷徨したが、方向音痴の私としてはGoogleマップを頼りにしてもかいもく見当がつかない。
夕食はスーパーで購入した菓子パンとジュースで済ます。