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2026年6月18日木曜日

ブルネイ2026 最終日(ジャカルタへ)

 5月27日

今回の旅の目的のひとつは未踏のジャカルタとジャワ島を訪れることだったが、昨晩心変わりした。インドネシアでの滞在先にバリ島のウブドを加えることにしたのだ。5月29日にジャカルタからバリ島のデンパサール空港へ飛び、6月4日にデンパサールからジャカルタに戻るBatik Air便の往復航空券をtrip.comで購入した。26730円。

今日はブルネイ最後の日。ジャカルタ行きのAirasia便は21時50分に飛び立つ。ホテルのチェックアウトを6時まで延長することにし、代金の40ドル(約5000円)を支払う。

10時過ぎにDartでKampon Ayer(水上集落)に行く(5ドル=620円)。ブルネイ川の対岸まで歩いてき、そこからボートで川を渡れば1ドルで行けるらしいのだが、渡った先の細い桟橋をちゃんと歩けるかどうか不安だったこともあり、陸路で行くことにした。

歩いて水上集落に入る。家と家をつなぐ木製の橋は細くはあるが、支障なく歩くことができる。ただ、ところどころ危なそうな箇所もあった。人はほとんど見かけない。動画を撮りながら集落内を彷徨する。時間にすれば20分にも満たず、集落の奥深くまで入ったわけではない。

水上集落を歩く


Dartで来た道を歩いて引き返し、1時間以上かけてホテルまで戻る。

ホテルの部屋で体を休めてから、1時20分ごろにホテルを出てレストランへ行く。ビーフのミーゴレン(焼きそば)とアイス・ミロで6ドル(740円ほど)。

ミーゴレンで昼食


レストラン近くの理髪店で散髪をする。代金は5ドル(900円ちょっと)。散髪なら、このあと訪れるインドネシアのほうが確実に安い。8年前にバリで入った床屋は200円もしなかったはずだ。だが、ブルネイでの理髪という貴重な体験を逃がしたくなかった。

散髪後


3時ごろにホテルに帰り、6時のチェックアウトまで体を休める。

6時にホテルが手配した無料タクシーで空港へ向かう。運転手は若い中国人だった。アニメのファンであるこの青年が言うには、ブルネイは若者にとっては退屈(boring)とのこと。ブルネイで2019年から適用されているイスラム法(シャリア)についても質問したが、はっきりした回答は返ってこなかった。

フライトのチェックイン、出国審査はスムーズに進行し、ジャカルタ行きのAirasia便は定刻より少し早く、午後9時40分ごろに飛び立った。

ブルネイ国際空港


若干の感想

ブルネイ旅行を振り返る中、頭に浮かぶ場面や印象が1か月前に訪れたパラオのそれと混同することがしばしばあった。パラオは人口1万8千人、ブルネイは4~50万人。どちらも小国とはいえ、規模はまったく異なる。だが、繁華街といったエリアがない、通行人が少ない、電車がなく、バスも少ないなど、全体的な雰囲気がよく似ている。あの場面はパラオだったのか、それともブルネイだったのか、記憶が雑然と交差する。

石油と天然ガスに恵まれ、東南アジア屈指の富裕国ブルネイ。所得税はなし、医療費や教育費は無料、燃料も安く、住宅費も援助されている(特にシングル・マザーと高齢者の住宅)。こういった事情が絶対君主制への国民の不満を抑えているのだろう。しかし、原油価格に依存したシステムがいつまで続くか。その根底には危ういものがあるように思える。

3泊4日の旅行者の目にはブルネイの特別な豊かさは見えなかった。住民の生活の質は数年前に訪れたマレーシアと同じように思えた。人々は適度に親切かつフレンドリーで、まずは快適な旅を経験できた。

インドネシア2026に続く】

2026年6月16日火曜日

ブルネイ2026 三日目(ブルネイ探索の続き)

 5月26日

朝食は抜きにし、9時40分にホテルを出る。向かう先はニュー・モスク。ニュー・モスクとは第29代サルタン、つまり現国王によって1994年に建造された新しいモスクだ。宿からは遠いから、配車アプリのDartを使う(5.5ドル=680円)。Dartの運転手は中国人の中年男性だった。ブルネイの中国人の割合は10%くらい(マレーシアでは40%)、インド人はごく少数とのことだった。王政についても尋ねてみたが、あまり抵抗なく受け入れているようだった。

ニュー・モスクでは10~20人くらいの観光客を見かけた。大半はインド人の団体のようだ。

ニュー・モスク

モスクの中庭を散策したあと、30分以上歩いてショッピング・モールのThe Oneヘ向かった。昨日のショッピング・センターにがっかりしたこともあり、期待をもって訪れたThe Oneだが、ショッピング・センターより もっと閑散としている状態に唖然とした。フードコートもあるが、5つか6つあるストールのうち、オープンしているのは日本食と韓国食の2つだけ。どちらのストールも働いているのは一人だけだ。客もひと組しか見当たらない。

The Oneの閑散としたフードコート

ブルネイに来てまで日本食は食べたくないので、モール近くの地元の客で賑わっているレストランでラクサを注文した。ラクサはシンガポール風の辛めのヌードルだ。シンガポールで口にしたことがある。4.9ドル(600円ほど)。

ラクサ


30分以上かけてホテルまで歩いて戻る。

5時ごろ再度ホテルを出る。オールド・モスクを再訪したが、クローズドだった。しばらくブラブラしてから、ビュッフェ式レストランで夕食。6ドル。値段からして仕方がないが、品数の少なさにがっかり。7時過ぎにホテルに戻る。

夕暮れのブルネイ

明日はジャカルタだが、ジャワ島のどこへ行くか。少し調べてみたが、心惹かれる場所が見つからない。いっそバリ島まで足をのばすか。バリ島は8年前にパプアへ行く途中に2泊したことがあるが、バリの中心ともいうべきウブドには行っていない。ウブドでガムラン音楽やケチャ、影絵芝居など経験するほうがジャワ島を巡るよりも魅力的に思えた。

2026年6月14日日曜日

ブルネイ2026 二日目(ブルネイ探索)

 5月25日

7時に起床。このホテルには浴槽がある。といっても水道の蛇口がなく、シャワーの湯で浴槽を張るしかない。ともあれ長い時間をかけて浴槽をいっぱいにし、入浴。昨夜買った缶詰で朝食を済ませ、10時前にホテルを出る。まずすぐ近くのKianggehマーケットへ行く。ごく小さなマーケットで、特にみるべきものもないが、迎えてくれる人々の笑顔がうれしい。

Kianggehマーケット

続いて、歩いて15分ほどのオールド・モスクを目指す。オールド・モスクとは第28代スルタンによって1958年に建造された豪華なモスクで、ブルネイのランドマークのひとつとなっている。内部も覗いたが、無宗教な私には特に感慨もない。

オールド・モスク

さらに徒歩圏内のHua Ho Yayasanというショッピング・センターに向かう。3階建ての大きなセンターだが、中に入ると、営業している店舗は少なく、客も数えるほど。なんとも活気がない。地下の食品スーパーは大きくて、品揃えも立派だが、人がまばらなのは階上と同じ。寿司や日本製のインスタント・ヌードルも見かけた。

閑散としたショッピング・センター


ショッピングセンターを出て、水上集落(Water village)へ行く。これはブルネイ川に広がる大きな水上村で、3万人も人が暮らしているらしい。

水上集落


対岸から眺めていると、ボートから誘いの声がかかる。集落を一周して観光ポイントを巡る誘いだ。40ドルくらい、値切っても20ドルはかかるようだ。今日のところは遠くから眺めるだけにとどめておこう。

Babu's Kitchenというレストランに入り、エビフライ・ライスとアイス・ミロを注文(6.5ドル)。グーグル・マップのクチコミもよく、地元の客で賑わっているレストランだが、値段相応で、満足できる内容ではなかった。

エビフライ・ライスとアイス・ミロ

レストランの近くで20米国ドルをシンガポールドルに両替してから、2時ごろにホテルに戻る。

27日にジャカルタへ移動する。そこで、このために必要なインドネシアの入国フォーム(AllIndnesia)の作成にとりかかった。予約してあるホテルの場所の指定に手間取る。「ジャカルタ」にもいろいろな地域があるからだ。とりあえず「ジャカルタ中央」を指定しておいた。

5時半ごろにDartでGadong Night Marketへ行く(5.5ドル)。DartとはUberや Grabと同様の配車アプリだ。マレーシア、フィリピン、タイ、インドネシアなどの東南アジアではGrabが一般的だが、ブルネイでは独自のDartが使われている。

ナイト・マーケットは5時からオープンしている。動画を撮りながら、屋内マーケットを一巡する。昼間のショッピング・センターとは異なり、こちらはそこそこ賑わっている。行列ができている人気の屋台もある。

ガドン・ナイト・マーケット

7時近くになり、マーケットを出る。ちょっと時間はかかるが歩いてホテルまで帰ろうとするが、道に迷ってしまった。周りが暗くなり始めるなか、右往左往。仕方なくDartタクシーを呼んだ。Dartのドライバーは若いマレー人。マレーシアと同様、ブルネイも公用語はマレー語だが、英語も広く使われており、コミュニケーションは簡単だ。ドライバーとの会話が始める。絶対君主制の是非からサウジアラビアのことなど(彼はサウジには3回巡礼したとのこと)。「君主制でも民主制でもトップの善し悪しに左右されるから、同じようなもの」とは彼の見解。暗に米国のトランプを指して「民主制」の問題点を示唆しているようだった。現地人とのはじめての会話らしい会話。

ホテル近くの食堂で夕食。ナシゴレン・シーフードと飲み物で7ドル(860円ほど)。ナシゴレンとは焼き飯のことで、8年前にバリでも口にしたことがある。

ナシゴレン・シーフード

けっこう歩いたこともあり、疲れた一日だった。

2026年6月12日金曜日

ブルネイ2026 一日目(ブルネイ到着)

 5月24日から6月7日までの約2週間、ブルネイとインドネシアを旅した。ブルネイに3泊、残りはインドネシアという行程だ。ブルネイはまだ行っていない国だから、インドネシアも首都ジャカルタを含むジャワ島には足を踏み入れていないからという理由の選択である。それにブルネイやジャワ島は春と夏は乾期で旅行に適している。

5月24日にブルネイの首都バンダ・スリ・ブガワンに入り、6月7日にインドネシアのジャカルタから出る往復の航空券をTrip.comで購入した。同時にブルネイからジャカルタへの5月27日の片道航空券も入手した。前者は90290円、後者は34850円だった。

5月24日

ブルネイ行きは、成田発のRoyal Bruneiの直行便。前日に東横INN成田空港本館に宿泊した。

ブルネイの通貨はドル。これはシンガポールのドルとリンクしており、レートも1対1で固定されている。ブルネイ国内ではシンガポール・ドルをそのまま使用できるらしい。そこで、いくばくかのシンガポール・ドル(確か6千円分だったかな)を成田空港で入手しておいた。

Royal Brunei便は定刻の11時45分に成田を飛び立ち、4時40分にブルネイに到着した。時差が1時間だから、約6時間のフライト。入国カードは事前にオンラインで登録する仕組みになっている。

オンラインの登録時にいくつかミスをしたこともあり、ちょっと心配だった入国審査も問題なく通り抜け、空港でSimカードを購入した。30GBで15ドル(約1900円)。電話番号も付いている。

宿はBooking.comを通じて市内中心部に近いJubilee Plazaを予約しておいた。空港送迎の無料サービス付きだ。バンダ・スリ・ブガワンの空港にはバスもなく、タクシーも待機していないから、ホテルの送迎がないと、市内までの足の確保がむずかしい(ここらへんはパラオと似ている)。3泊で15000円(朝食なし)とブルネイでは比較的安いホテルだが、残念なのはWifiの信号が弱いこと。パラオのDWモーテルも同様だった。

Jubilee Plaza


ホテルの部屋で体を休めてから、7時前に外出。歩いて5分ほどすると派手な寺院が目に入る。あとで知ったが、仏教ではなく、道教の寺院だ。日曜ということもあり、この寺院ではなにかのイベントがあり、無料の夕食と豆乳が提供されていた。うろうろするうち、私もご相伴に与った。中華風の料理は予想外においしかった。

道教寺院

中庭のこの会場で

ご相伴に与る

ホテル横のミニマート(コンビニ)でチキンの缶詰、お菓子、スプライト、ミルクティーを購入し、明日の朝食に備える。6ドル強(750円ほど)。

2026年5月4日月曜日

パラオ2026 四、五日目(コロール、帰国)

 4月25日

ダイビングやシュノーケルといったアクティビティを除けば、パラオの観光はごく限られている。今回の旅の主な目的はペリリュー島の戦跡巡りであり、これを2日前に終えた今、特にすることはない。パラオの歴史を知るために、博物館にでも行ってみるか。

11時ごろにホテルを出て、ベラウ国立博物館を目指す(「ベラウ」はパラオを意味する現地語)。博物館はメインストリートから外れており、少し迷った。迷っていると、大きな家の中庭にいた2人の中年のパラオ人男性から「ダイジョーブ?」という声がかかる。博物館へ行きたいことを伝える。「ミギ」、「ヒダリ」といった日本語を交え、英語で行き方を説明してくれる。「カキ」に沿って行けばいいとのこと。「カキ」とはfenceの意味らしい。彼らは日本語の単語を知っているだけで、日本語がしゃべるわけではない。

「カキ」に沿って行き、博物館にたどり着いた。入場料の15ドルを払って中へ入る。パラオの歴史が時系列的に展示されている。私にとって興味があるのは、日本統治時代のパラオだ。統治時代のパラオ住民の手記もいくつか展示されており、そのなかには「日本の軍人に理由なく殴られた」というものもあった。「親日国」だけでは済まされないパラオの歴史の一部だ。

ベラウ国立博物館


昼食はメインストリート沿いの中華料理店でとった。炒飯、豚肉、トマトと卵の炒め物、セブンアップで13ドル。物価高のパラオにしては安いが、おいしさはいまひとつ。こんなことなら、博物館に付設されていたカフェ・レストランにすればよかったと後悔。

中華で昼食

ホテルへ帰って一休みしてから、6時ごろ再度外出。メインストリートをPalau Hotelとは逆の方向に足をのばす。日没の海を見ながら橋まで行き、引き返す。

日没の海

ここらあたりには高級レストランもあるが、私にとっては選択外。小ぎれいな台湾料理の店を見つけて入る。「美人魚餐廳という名前のレストランだ。円卓が多く、ひとりで食事するにはあまり向いていそうになかったが、ともかく炒飯と台湾ビールを注文した。炒飯のボリュームにびっくりした。ゆうに3人分の量だ。半分以上は平らげたが、残りは持ち帰りにした。合計で21ドル。クレジットカードは使えなかった。

炒飯とビール

4月25日

昨日持ち帰った炒飯を朝食とする。今日は帰国日。10時50分発のユナイテッド航空の直行便で成田に帰る。7時45分に小型バスが宿まで迎えに来てくれる。

パラオ国際空港

出国とフライトはスムーズに進行し、定刻より早めの15時過ぎに無事成田に到着した。

若干の感想

今回の旅を一口で要約すれば、「国内旅行の延長」だ。空港、ホテル、レストランでは英語よりも日本語を使う機会が多かった。旅の主要な目的であったペリリュー島戦跡ツアーは日本語ツアーであり、参加者も全員が日本人だった。

「国内旅行の延長」とは現地の人たちとの接触が限られていたということにほかならない。パラオ人は概してフレンドリーで、向こうから「ハロー」と声をかけてくることも多かったが、じっくりと長く話す機会には恵まれなかった。レストランのウェイトレス、ツアーの受付とは多少言葉を言葉を交わしたが、彼女たちはすべてフィリピン人だった。

ペリリューという名前だけは知っていたが、第二次大戦におけるその位置や背景、経緯についてはまったく知らなかった(パラオ入国の直前に文春新書の「ペリリュー玉砕」を読んだくらい)。戦跡ツアーはペリリュー島の戦いを知るいいきっかけとなった。ツアーに参加できたのはラッキーといえる。早めに申し込んだとしても、催行人数に達しないケースもある。確実にツアーに参加するには、日本の旅行会社のパッケージ・ツアーに申し込むのがベストかもしれない。値段も個人旅行とそう変わらない。

南太平洋にはパラオのほかに、ツバル、ニウエ、ナウル、キリバスなどの小国がある。これらの国への興味もないわけではないが、アクセスの難しさやコストを考えると、当面は行けそうにはない。パラオに行ったことで満足しておこう。メインストリートから外れたところで撮った動画をひとつアップしてこの稿を終えたい。

パラオを歩く

2026年5月3日日曜日

パラオ2026 三日目(コロール)

4月24日

8時半に起床。昨夜はよく眠れた。昨日買ったパンと缶詰で朝食をとったあと、11時ごろにホテルを出た。今日は目的を定めずにコロールの街中を散策するつもりだが、その前にSimカードを購入しておきたい。Palau Hotel近くのPNCC(パラオの国営通信会社)のオフィスへ行き、8GBで10ドルのSimカードを入手した。

パラオの滞在は残り1日半。Wifi接続はホテルやレストランで可能だ。Simカードの用途は路上でグーグル・マップを参照するくらいに限られる。しかも、グーグル・マップはオフラインでも使用できるように地図をダウンロードしてあるから、Simカードなしでもやっていける。なのにあえてSimカードを買ったのは、ホテルのWifiの信号が弱く、動画をまともに見ることができなかったからだ。モバイル通信のほうがまだましだろう。ネットでの情報を見ると、Wifiが弱いのはDW Motelだけではなく、もっと大きなホテルでも同様らしい。

コロールには「繁華街」はない。Palau HotelやPNCCの界隈が「中心」と言ってもいいかもしれない。その界隈には比較的大きなWCTCショッピング・モールがある。1階の食料品スーパーに入ってみる。日本からの輸入食品が多い。インスタント・ラーメン、酒や焼酎、お菓子類など。

WCTCショッピング・センター


ラーメン

「街」の探索はこれで尽きたので、海の方向を目指し、「ポイントD」という地点に至る。海以外に特に見るべきものはない。動画を撮っていた2人連れに声をかけられる。現地人ではなくバングラデシュから来た2人組だった。「ブロガー」であり「Youtuber」でもあるとのこと。彼らから30秒ほどのインタビューを受けた。「バングラデシュは人が親切で、すばらしい場所だ」という主旨のことをしゃべり、その内容を動画に撮られた。

バングラデシュのブロガーと

時刻は2時を過ぎている。メインストリートに戻り、Canoe Houseというカフェ・レストランに入る。地ビールの生とフィッシュ・アンド・チップスを注文。21ドルだった。

フィッシュ・アンド・チップスと地ビール

メインストリートをさらにぶらぶらし、4時過ぎにホテルに戻った。少し休んでから、夕食のために外に出るつもりだったが、ちょうど雨が降りだした。しかもかなり強い雨脚だ。外に出ることはあきらめ、ベッドに寝転んで、動画を見ながら、怠惰な時間を過ごした。

朝の残りのパン、ツナ缶、スパム缶を夕食とする。これで十分に満腹だった。

2026年5月2日土曜日

パラオ2026 二日目(ペリリュー島戦跡ツアー)

 4月23日

DW Motelには朝食はついていない。ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるメインストリート沿いの小さなショップに出かけ、コーヒー飲料とパンを購入して朝食とした。

8時半過ぎにツアー会社からの迎えがあり、ペリリュー島戦跡ツアーの出発点となる桟橋へ向かう。

ツアーの申込先は日系ツアー会社のベラウツアー社だが、ツアーを主催するのはロックアイランド・ツアーカンパニーという会社らしい。

桟橋に着き、ツアー代金の146ドルと上陸許可代金(州税)25ドルを支払う。ツアー代金はクレジットカードでよかったが、州税は現金のみ可だった。

参加者は日本人7人。これを日本人の女性ガイドが率いる。ペリリュー島へはスピードボートで1時間余り。海が美しい。上陸すると、日本語と英語の看板が迎えてくれる。

ペリリュー島へ


船内


ペリリュー島上陸

まず上陸地点のすぐ近くにある1000人洞窟に入る。バンザイ突撃で壊滅したサイパン島とは異なり、ペリリュー島では洞窟をはりめぐらし、持久戦の方針がとられていた。フィリピンや日本本土への侵攻を1日でも遅らせるためだ。米軍4万人に対して日本軍1万人。最初から勝つ見込みはない。1日でも長く米軍を食い止め、1人でも多く米兵士を殺すことが目的の戦い。これは後日の硫黄島の戦いでも同じだった。

1000人洞窟はその名のとおり、1000年を収容できる人工の洞窟だ。手にライトを持ち、腰をかがめて洞窟の中へ入る。ビールの空瓶などが今も残存しており生々しい。

1000人洞窟の入口とガイド


ビールの空き瓶

洞窟を出てから向かったのはペリリュー戦争記念博物館。部屋ひとつの小さな博物館だ。日本軍の遺品と米軍の遺品が混在して展示されている。受付のパラオ人女性と少し言葉を交わす。「パラオという小さな国に16もの州があり、16人もの知事がいる」と笑う女性。パラオの観光客のなかでもっとも多いのは中国人らしい。パラオは台湾と国交を結んでおり、中国との外交関係はないにもかかわらず。

戦争記念博物館

続いて日本軍戦死者の慰霊碑(みたま)を訪問。ここでは各自が線香を一本たむけた。

慰霊碑

慰霊碑をあとにし、日本軍の燃料貯蔵庫や日本軍戦車を見て、1944年9月15日に米軍が上陸したオレンジ・ビーチ(この水際での戦いでは日米ともに多数の犠牲者が出た)に至る。

日本軍の燃料貯蔵庫


日本軍の戦車

零戦の残骸を見たあとで休憩所での昼食となった。昼食にはチキンの弁当が用意されていた。味は可もなく不可もないといったところ。

弁当

昼食後、まず平和記念公園を訪れる。2015年に天皇夫妻が供花・礼拝した場所でもあり、そのときの記念碑も建っている。

平和記念公園

次に、高台にある200mm砲を見に行く。砲を見るにはかなりの階段を登らなければならないので、私は下にとどまった。高齢になると、坂や階段には慎重になる。上るのはともかく、怖いのは下りだ。眼もよくないから、踏み外す心配がある。

階段を降りてきた数名の欧米人の団体に遭遇した。米国人の団体だった。こちらが日本人であることを告げると、高齢の女性が突然私をハグしてきた。力の入ったハグで、ちょっとびっくりした。女性はハグしながら、「戦争はよくない。戦うべきではない」といった主旨のことを言っていた。

続いてペリリュー神社に向かう。ペリリュー神社は1934年に建立された南興神社を起源とし、1982年に再建されたものだ。

ペリリュー神社

ツアーの締めくくりは、1944年11月下旬に最後の戦闘が行われた山頂の見学。山の上をかなりの時間歩くということだったので、ここでも私は参加を見合わせた。

戦跡ツアーを終え、再び海を渡ってコロールの桟橋へ戻ったのは午後4時過ぎだった。いったん宿へ帰り、日が暮れてから、メインストリートへ出る。10分ほど歩いて、スーパー(Payless Market)を見つけ、明日の朝食用にパン2個、ツナの缶詰(日本製)、スパムの缶詰、牛乳を購入。さらにその近くの「B's居酒屋 夢」という和食レストランに入る。

「B's居酒屋 夢」の2人のウェイトレスはフィリピン人だった。刺身とポテトチップス、Asahiの缶ビールを注文。白身魚の刺身はまずまずの味。ポテトチップスの量が多すぎ、半分ほどを持ち帰りにした。料金は合計で23.65ドル。クレジットカードで支払った。

夕食