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2017年5月1日月曜日

金正日の料理人藤本氏を訪ねて平壌へ 二日目(平壌)

4月15日。

昨日はぐずついた天気だったが、太陽節(金日成の誕生日)の今日は晴れている。

朝7時過ぎ、ビュッフェ式の朝食の席でビルは居合道で使われている用語の英語訳リストを見せてくれた。私は居合道なるもの知らず、最初に耳にしたときにはてっきり合気道だと勘違いした。ビルに言わせれば「もっとも役に立たない格闘技(most useless marshal art)」である居合道だが、バンクーバーではなぜか人気があり、5~60人が習っているとのことだ。居合いとの関連からか、彼は座頭市の映画のDVDも購入していた。

ビルは墓堀人、ビルの解体作業員、パイプラインの作業員、ピザの料理人などとして働き、カナダの海軍に5年勤めたこともある。最終的にはソフトウェアを開発するIT技術者に落ち着いたが、今はリタイアしている。ずっと独身で、いわば無頼の徒だ。

その友人のブライアンはハーバード大学を卒業して大学教授となり、政治家たらんとしている。私生活でもフルート奏者の妻と娘2人(16歳と18歳)に恵まれ、つまりは今時の若衆言葉で言えば「リア充」。一応エリートと分類していいだろう。

エリートと無頼の組み合わせは奇異なようで、意外とよくあることなのかもしれない。ビルもただの無頼ではなく、ときおり深い教養をうかがわせる発言をする(フーコーや三島にも言及していた)。

今日は予定がめじろ押しだ。まず朝鮮戦争に関連する祖国解放戦争勝利記念館、続いて大同江につながれた米国の「スパイ船」プエブロ号の見学。私にとっては前者は2度、後者は3度目の見学となる。朝鮮戦争とプエブロ号事件が北朝鮮によっていかに解釈され、宣伝されているかを知るのが見学のポイントになる。もちろん彼らの言うことがすべてプロパガンダというわけではない(特にプエブロ号については)。どこまでが事実でどこからがプロパガンダかを見分けるのは私のような素人には容易でない。

次に万景台の金日成の生家に向かう。ここは4度目だろうか。ひょっとすると5度目かもしれない。

金日成の生家

戦争記念館の見学中、若い方のガイドの全(チョン)と話す。医師の父親と料理人(彼女はcookerと言っていたが、もちろんcookの間違い)の母親を持つ彼女とはこのあともよく話した。彼女にとって私ははじめて接する日本人であり、日朝関係について聞かれた。日朝関係の行き詰まりの原因のひとつに拉致問題があるが、日本語ガイドなら誰もが知っているこの事件を彼女は知らなかった。拉致問題を説明するのは難しい。「どうして(拉致などしたのか)」と聞かれたが、こちらが聞きたいくらいだ。韓国が配備しようとしてるサード(THAAD)についても意見を求められた。「核を持たない南の立場からすれば、北からの脅威に対抗する手段として理解できる(understandable)」と答えておいた。

彼女にはボーイフレンドがいる。「ビジネスをやっている」男性らしいか、どんなビジネスなのかはつまびらかにしなかった。ボーイフレンドは彼女の仕事を嫌っているとのことだった。ガイドは24時間拘束の仕事だから会う機会が少なくなるというのだ。

部屋がいくつもある大きなレストランで昼食をとる。アヒル、牛、羊の肉を焼きながら食べる。元気のいい中年の女性ウエイトレスが印象的だった。大きな声でいせいよくしゃべり、韓国のアジュマを彷彿させる。北朝鮮のウエイトレスには珍しい。珍しいというよりはじめて遭遇するタイプだった。

もうもうと煙をあげる焼肉(右端が全ガイド)

昼食後、鉄板焼き高級レストラン「柳京館」の前の大通りで、市民向け街頭パレードを待つ。2015年の10月10日と同じ場所だ。2015年には何時間も待ち、パレードが現れたころには真っ暗で、写真もろくに撮れなかった。

今回は晴天のもと、1時間も待たずに、まず巨大な張りぼてが数台現れ、戦車や兵士を乗せたトラックが続く。沿道の平壌市民が赤やピンクの造花を振り、手を振って、兵士たちに歓声をあげる。「チョッスムニダ」(いいぞ)と言っているようだ。兵士たちは笑顔で手を振り返す。女性兵士だけを乗せたトラックも通り過ぎる。

戦車

沿道の平壌市民

ほんの一瞬、心ならずも感動してしまう。「涙ぐむ」とまでは言わないが、それに類似する感情の波に襲われる。ガイドたちにも「戦争や軍事は嫌いだ」と公言し、「こんなことをやるより、もっとやるべきことがさくさんあるはずなのに」と思っているにもかかわらす。

世界からかつてなく孤立し、包囲されている国民が兵士たちに向けて手を振り、兵士たちが応える。この様子に不覚にも一瞬心を動かされた。もちろん「孤立」といい、「包囲」といい、自分たちが蒔いた種でもあるのだが。それに沿道の市民たちが実際にどう感じているかも伺うすべがない。私にとっては実質的にはじめてのパレードだが、彼らにとっては年中行事。そのたび着飾って付き合わされることにうんざりしているかもしれない。

街頭パレード

一瞬の心の揺らぎはあったが、私は自分から手を振ることはしなかった。香港から来た隣の若い女性は自ら手を振り、歓声をあげていた。日本語を習い始めたという彼女は香港の旅行会社を通じて訪朝したとのことだった。

パレードも終わりにさしかり、通りをあとにして、万寿台に向かう。金親子の銅像に花を捧げて、お辞儀をするためだ。今日の行程をすべて終えて藤本健二氏のレストラン「たかはし」に到着したのは6時ちょっと前だった。

藤本氏はひらめをさばいているところだった。アシスタントの北朝鮮の青年とウエイトレス2人が働いている。私とカナダ人3人がカウンターに席を取り、ガイド2人と運転手がテーブルに座る。まず焼きそばを注文し、続いて寿司をそれぞれ1人前、ウナギの蒲焼き、トロと赤身の刺身を注文する。酒は「大関」の熱燗を一升。一升は多すぎると思ったが(「多すぎませんよ、余ったら私が手伝いますよ」とは藤本氏の弁)、一升では足りず、いくらか追加した。もっぱらビルが飲んだ。

日本料理「たかはし」

寿司

トロの刺身

「たかはし」には別にも個室があり、私たちに続いて何組かの客がやってくる。おかげで忙しく、藤本氏とはあまり話せなかった。日本人の客も多いらしい。中国人も来たことがあるとか。

味はいいが、値段もいい。寿司が一人前最低で50ユーロだから、あとは推して知るべし。この支払いをすべてビルが持ってくれた。太っ腹なビルに感謝。ガイドたちは藤本健二氏と金正恩の関係を知らなかった。

8時過ぎに「たかはし」を出て、花火が上がる大同江沿いに沿って歩く。全ガイドと並んで歩く。アントニオ猪木(北朝鮮では「猪木寛二」と本名で呼ばれている)を知っているかと尋ねると、Yesの答え。「リョクドサン」のstudentですねと言われたが、一瞬何のことかわからなかった。ちょっと考え、「リョクドサン」とは力道山であることに気がついた。

この日は祝賀のダンスパーティがあり、当初の予定ではこれに参加して平壌の大学生たちと踊る予定だった。だが、ダンスパーティは招待客だけが参加できるとのことで、この予定は流れてしまった。やったこともないダンスで不格好な姿をさらすのを免れてホッとする一面、残念な気がしないでもない。

ライトアップされた平壌駅の写真を撮ってから高麗ホテルに戻る。ホテルにあるカフェに入り、コーヒーや紅茶で一休み。私はホットココアを頼む。このときの支払いは私がした。

今回の訪朝のクライマックスともいえる1日はこうして終了した。

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