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2018年6月28日木曜日

インドネシア・パプア州2018 五日目(バリエム渓谷トレッキング)

5月29日。

今日はトレッキングの日だ。ホテルを出る前に、パスポート、クレジットカード、現金、タブレットPC、スマートフォンなどの貴重品をすべてフロントのセーフティ・ボックスに預けておく。藤原さんによると、今日歩くことになっているエリアではこの1年ほどで2回強盗事件があり、旅行者が身ぐるみはがされたらしい。貴重品は身につけていないほうがいいだろう。ガイド代(500Kルピア)に加えていくばくかのお金を入れた財布とカメラだけを携えて出発する。、

8時半にPapua.comに着くと、ガイドはすでに来ていた。藤原さんを交え、トレッキングの行程を確認する。ペモ(乗り合いタクシー)でスゴッモ(Sugokmog)まで行き、バリエム川を渡ってセイマ(Seima)まで歩く。セイマから再度バリエム川を渡りクリマに達する。クリマからスゴッモに戻る。クリマ(Krima)からスゴッモまでは歩いてもよいし、疲れていればバイクタクシーを利用してもよい。ワメナに帰ってくるのは3時ごろになるだろうとのこと。

ガイド(名前を聞いていたが忘れてしまった)と一緒にスゴッモ行きのペモが出るミシ市場(Pasar Misi)まで歩く。小さな食堂に入って昼食用の弁当をつくってもらう。オムレツ、鶏肉にライス。30Kルピア(230円ほど)。ガイドの分と併せて60Kルピアを支払う。ガイドは自分持ちでビスケットも購入した。

9時過ぎにミシ市場を出たペモは10時前にスゴッモに到着した。トレッキングの始まり。ガイドと2人で草地の中を入っていく。途中ガイドは藪の中に入り、木の枝を折って自分と私のための杖を作ってくれる。これでずいぶん助かった。30分ほど歩くと、バリエム川にかかる橋に達する。今はちゃんとした橋になっているが、以前はかなり危ない橋で、日本人旅行者が転落、それを助けようとしたガイドともども亡くなるという事故が発生したということだ。

橋の上のガイド

ゴム草履のガイドはすたすた歩くが、でこぼこ道に苦労する私はなかなか追いつけない。畑仕事をしている人や背中に荷物を担いで歩いている人にすれ違う。でこぼこの石ころ道にもかかわらず、裸足で歩いている人が多い。

バリエム川を眺望する峠に達したところで、10分余り休憩する。強い日差しの中、日陰で休んでほっとする。

ここで小休憩

山道でも裸足

山道にはところどころ小さな柵が設けてある。豚の逃亡を防ぐための柵らしい。藁葺きの家も見られたが、人影はなかった。

豚の逃亡を防ぐ柵

藁葺きの家

セイマの手前の家に入る。ガイドの友人の家ということだ。上半身裸の友人が出てきて挨拶をする。家のベンチに厚い本が2冊置いてあった。聖書だ。

ガイドの友人の家

時刻は12時を過ぎており、ここで携帯していた弁当を食べる。しばらく休んでから再出発。

セイマにはこぎれいな教会が建っている。宣教師が最初に降り立ったのがこの地だとのこと。オランダ人の宣教師ということだが、いつごろのことか訊くのを忘れた。1930年代のことか、それとももっとあとの1950年代か。

子供が2人遊んでいるが、ほかに人影は見られず、ひっそりしている。

橋を渡ってクリマに出る。ここにはバイクタクシーが2、3台たむろしており、これを利用することにした。しばらく行くと石の河原があり、歩いて渡る。渡ってからまた別のバイクタクシーに乗る。

河原を行く

ガイドによれば、この地域で最近村同士の争いがあり、一方の村では27人、他方の村で7人の死者が出たという。銃は使わず、ナイフ、槍、弓での戦争だ。このため今でもペモ(乗り合いタクシー)は一方の村から他方の村へ入れないとのことだ。

あとで藤原さんに聞いたところ、盗んだバイクの代金を払う払わないから発生した争いで、死者は出ていないらしい。ただし死者が出る争いもときどきは発生するとのこと。弓、槍、刀による戦争(藤原さんによるともっぱら弓らしいが)。いったいいつの時代のことだ。5、60年前なら、死者は食用にされたことだろう。

バイクタクシーの終点に小さい小屋があった。小屋の中では7、8人の若者がトランプによる賭博に興じている。昨日の朝路上で見かけた風景と同じだ。

この小屋の中で賭博

スゴッモからペモでワメナに戻る。Papua.comに着いたのは3時前だったが藤原氏は不在だった。ガイドに約束の500K(3800円ほど)を渡して別れる。

石でごつごつした山道を歩くのは結構疲れた。かなり急な傾斜も少なからずあった。セイマやクリマの集落の中に入っていかなかったのは心残りだ。ただ、遠くから見た限りでは、入っていってもあまり人には遭遇しなかったかもしれない。

トレッキングの動画

夕食は今日もラマダン・テントでまかなった。焼きそばとエッグと果物入りの飲み物で25Kルピア。明日は特に予定がない。ワメナを気ままに探索しよう。

2018年6月24日日曜日

インドネシア・パプア州2018 四日目(ジウィカ村)

5月28日。

ホテルでビュフェ式の朝食をとったあと、8時半過ぎにPapua.comに向かう。藤原さんからワメナ観光の情報を得るためだ。

ホテルからPapua.comまでは歩いて10分強。昨日見た「商店街」(イリアン通り)を通り抜ける。路上に人だかりがしているので覗いてみる。4、5人の男がトランプで賭博していた。それを取り囲んで眺めている人たち。月曜日の朝9時前から路上で賭博する働き盛りの男たち。パプアが抱え込んでいる問題を垣間見たような気がした。

藤原さんの勧めに従ってまず警察でスラットジャラン(入域許可書)を取得する。許可書はもう必要なくなったとの情報もあるが(実際ワメナ滞在中に許可書が必要になった場面はなかった)、お金はかからず、手間もそうかからないから、いざという場合に備えて取得しておいたほうがいいだろう。

警察署はPapua.comから歩いて5分ほど。写真2枚とパスポートの名前のページのコピー(これは用意してた)、さらにインドネシアの入国スタンプが押してあるページのコピー(これはPapua.comで用意してもらった)を提出し、5分余り待つと許可書ができあがる。

今日はバリエム渓谷を北上してジゥイカ(Jiwika)という村へ行くつもりだ。行き方はおおよそネットで調べてある。藤原さんからも若干の情報を得た。まずペモ(乗り合いタクシー)でジバマ市場(Pasar Jibama)まで行く。ジバマ市場はバリエム渓谷北部へのバス・ターミナルでもあり、ジゥイカを経由するマイクロバスやトラックが出ている。

ジバマ市場へ行くペモはすぐにつかまった。料金は失念したが、5Kルピア以下だっただろう。ジバマ市場からジウィカへ行くバスを見つけるのはちょっと手間取った。が、これも10分ほど訊いて回って見つけることができた。バスではなく、乗り合いトラックだった。

ジバマ市場を10時過ぎに出発してから1時間足らずでトラックはジゥイカに着く。降りたのは私だけだ。乗り合いトラックの料金は15Kルピア(120円ほど)だった。

トラックを降りると、コテカ姿の老人が近づいてくる。停留所のそばに住んでいるYariという名前の老人だ。この老人のことは藤原さんから聞いていた。彼は片言の英語をしゃべる。「フジのところから来たのか」と尋ねられたので、「Yes」と答える。「フジ」とは藤原さんを指すのだろう。

私を案内するYari

村人たちの住み家へ向かう途中、集落の長(chief)と名乗る男が合流し、集落の中へ入る料金として500Kルピア(3900円ほど)を要求してくる。これだけ払えば無制限に写真を撮ってよいとのこと。法外な値段だ。値切る。が、まったく応じようとしない。ここで互いに気分を害してもと思い、結局この法外な入場料を受け入れてしまった。

藁葺きの小屋がいくつか見える。これが住み家だ。奥に少し大きめの小屋があり、その左右に4つずつ小屋が並んでいる。奥の小屋は男性用で、集落の男性は全員ここで寝起きするとのことだ。左右の小屋には女性や子供たちが住む。

茅葺きの家

コテカの老人が2、3人、上半身裸の老女も同じく2、3人。普通の衣服を着用した数人の男女と7、8人の子供たち。豚も数匹放し飼いにされている。

コテカ着用の老人

上半身裸の女性

子供たち


男性用の小屋からミイラが取り出される。300年前のものらしい。ミイラの写真を撮り、コテカの写真を撮り、子供たちと少し戯れる。時間にしてせいぜい20分ぐらいだが、あとはもうすることがない。コテカなどの土産物も売っているが、あまり興味はない。

ミイラ

するとYariが歩いて2、3分の隣の集落へ案内してくれた。ここも家屋の配置は同じだ。人はあまり見あたらず、比較的若い夫婦と子供が1人、それに豚が1匹いるだけ。Yariと一緒に男性用の小屋に入る。地面の上には藁が敷いてある。天井から電球らしきものがぶら下がっているので、「電気は通じているのか」と訊くが、質問が理解されなかった。

男性用の小屋の中

ジウィカ

しばらくしてからYariに別れをつげ、大通りを歩いて10分ほどの別の集落を訪れた。藁葺きの小屋ではなく、通常の木造の家屋が並ぶ集落で、教会もあった。

大通りに出て、しばらく待ってから、乗り合いマイクロバスでジバマ市場に戻った。せっかくだから市場を見て回る。活気のあるマーケットで、野菜、果物、魚などがあふれている。コテカ姿の男も見られた。

ジバマ市場

2時を過ぎていたので、いくつかある食堂の1つに入る。ケースの中にオムレツらしものがあったので、2枚注文してライスに載せてもらった。20Kルピア(150円強)と安いにもかかわらず、今までのどの食堂よりもおいしかった。

遅めの昼食

ペモでワメナの中心まで戻り、Papua.comに立ち寄って、明日のバリエム渓谷南部へのトレッキングのガイドを依頼する。藤原さんが電話で連絡してくれたガイドと明朝8時半にPapua.comで落ち合うことになった。午後3時ごろまでのトレッキングで料金は500Kルピア。

人口3万のワメナはダニ、ラニ、ヤリといった部族からなるパプア人の町だ。町を歩いていると、一瞬アフリカにいるのかと勘違いすることもある。しかし、本来のパプア人だけでなく、インドネシアの他の地域から移住していた住民も少なくない。ネットを調べてもその割合がどれくらいかは判明しないが、ざっと見たところ、3割くらいはニューギニア島以外の地域からの移住組のような印象を受けた。ショップやレストラン、ホテルのほとんどは移住組によって営まれている。

町の中心にはこうした移住組のためのモスクもある(本来のパプア人は大半がキリスト教だ)。午後5時過ぎからこのモスクの前に食べ物や飲み物の出店が並ぶ。バナーにはRamadanという文字が書いてある。おそらく日没後に食べる食料を売る「ラマダン・テント」だろう。

ラマダン・テント

このラマダン・テントで夕食用の食べ物をまかなうことにした。購入したのは揚げ天やパイ(のようなもの)などの3点とバナナを入れた白い飲み物。全部で19Kルピア(150円ほど)だった。ホテルに戻ってから食べ、明日のトレッキングに備える。

2018年6月17日日曜日

インドネシア・パプア州2018 三日目(ワメナ到着)

5月27日。

8時過ぎに宿を出て、空港へ向かう。遅延やキャンセルがめずらしくないジャヤプラ・ワメナ間の便だが、トゥリガナ航空機は定刻通り10時20分に飛び立った。

ワメナまでは40分余りの短い飛行。11時過ぎに真新しいワメナ空港に降り立つ。

ワメナ空港到着

ガイドブックによれば、空港には「ガイド」たちがたむろしており、しつこく勧誘してくるということだったが、私には「タクシー」という声が2つか3つかかっただけだった。ワメナは小さい。ホテルを探すだけなら、タクシーの必要はない。

ホテルの前に行くべきところがあった。Papua.comというネットカフェだ。このカフェのオーナーは藤原さんという日本人男性。Lonely PlanetにはPapua.comは「informal tourist information center」として紹介されている。

空港の外に出て、Papua.comの方向を目指す。5分くらい歩いただろうか。道端に4、5歳の男の子が全裸で立っている。数十年前には男はコテカ(ペニスケース)、女は腰蓑だけを身につけていたニューギニアだから、裸は今でも文化の一部なのかもしれないが、到着早々ちょっとびっくりした。

全裸の男の子

さらに歩くと、キリスト教の教会が見える。教会の広場では何か集会が行われている。今日は日曜日だ。日曜日ごとに行われる集会か、それとも今日だけの特別の集会なのかはわからない。広場の中央に人だかりがしていたので、肩越しに覗いてみる。地面を掘ってそこを水で清めているようだった。周りを囲んでいる人たちの中にコテカ姿の男がいる。ワメナに着いてからせいぜい20分ぐらいで最初のコテカに遭遇した。

コテカ着用の男性

広場に周囲に座っている人たちは男も女も子供も老人もみんな一張羅を着ている。その中で乳房を出した女性が数人いる。そうだ、パプアの人たちにとってコテカや乳房は伝統の装いであり、晴れ着であり、正装なのだ。

乳房を出した女性(中央)

晴れ着の人々

いつまでもぐずぐずしておられない。Googleマップを頼りにPapua.comがあるはずの場所までたどり着いたが、見当たらない。日曜で閉まっており、よくわからなかったのだ。ここでも親切に助けられた。近くの家から上半身裸の男性が出てきて(この裸はパプアの文化とは関係ない。男性はパプア人ではなく、暑いから上着を脱いでいただけだ)、藤原さんに電話してくれたのだ。数分待つと、Papua.comの看板がある家から藤原さんが出てきた。60歳くらいの話しやすそうな人だった。

ホテルを探す前にまずPapua.comを訪れたのは、ネットで「藤原さんに安いゲストハウスを紹介してもらった」というパプア旅行記を読んでいたからだ。ところが、そのゲストハウスは数ヶ月前に廃業したという。仕方ない。別の宿を探そう。明日また来ることを約束して、Papua.comをあとにする。

ホテルはいくつかあるが、最初に当たったのがBaliem Pilamo Hotelだ。総じてホテル代が高いワメナでもこれはもっとも高い部類に属するが、藤原さんのお勧めでもある。スタンダードは朝食付きで400Kルピア(450Kだったかもしれない)、デラックス(supirior)は540Kルピア(4200円ほど)。ただし、スタンダードはすべてふさがっており、空いているのはデラックスだけだった。ワメナではめずらしくクレジットカードで支払い可能なこともあり、少々高いがここに4泊することにした。

部屋のクリーニングが終わるまで20分くらい待ってくれということだった。時刻は1時過ぎ。荷物をホテルに預けて、昼食をとりに外へ出た。ワメナでは日曜には午後5時まで店も食堂もすべて閉まっているとのことだったが、確か空港の食堂は開いていたはずだ。

Baliem Pilamo Hotelから空港までは歩いて15分ほど。開いていたはずの食堂はすでに閉まっていたが、その並びにもうひとつの小さな食堂があったので入る。英語はまったく通じない。ケースに並んでいた食材を適当に指さして注文する。

出てきたのは葉物と卵の炒め物をぶっかけたライスだった。まずくはないが、それほどおいしくもない。途中で煮魚の小皿が出てきた。これは注文していない。サービスなのか。よくわからないが、そのまま食べる。おそらく川魚だろうが、おいしかった。代金は40Kルピア(280円ほど)。煮魚を含めた値段なのかどうかは不明だ。油、食品、衣服すべて空輸するしかないから、ワメナはインドネシアでももっとも物価が高い。

昼食

宿へ戻って休み、店がオープンする5時過ぎに外に出る。宿から5分ほど歩いたところにスーパーがあり、さらに歩くと店が並んでいる。これがワメナのメインストリートなのだろう。路上では女性たちが芋やその他の野菜を売っている。

ワメナのメインストリート

路上マーケット

この「商店街」を一巡しているうちに陽が暮れてきた。パン屋で夕食としてパン2個とコーラを購入し(35Kルピア)、宿に戻る。

2018年6月13日水曜日

インドネシア・パプア州2018 二日目(ジャヤプラ)

5月26日。

午前1時半ごろにデンパサール空港を飛び立ったガルーダ機は午前8時半ごろにジャヤプラに着いた。約6時間の真夜中の飛行(バリとジャヤプラには1時間の時差がある)。途中にニューギニア島のTimkaに着陸し、食事も出たから、眠る時間はほとんどなかった。

「ジャヤブラに着いた」と書いたが、空港はジャヤプラから36Km離れたセンタニ(Sentani)にある。ガイドブックによれば、センタニからジャヤプラに出るにはタクシーで1時間、300Kルピア(2200円)ほどかかるらしい。明日は午前中のうちにワメナに飛びたい。特に見どころもないジャヤプラまで出ずに、センタニに1泊するのが得策だろう。

センタニ空港

しかし、宿を探す前にやるべきことがある。陸路ではアクセスできないワメナまでの往復航空券を入手することだ。ジャヤプラ(センタニ空港)とワメナ間の航空路はトゥリガナ航空(Trigana Air)によってほぼ独占されているらしい。

空港前にたむろしている男たちのひとりに連れられてトゥリガナ航空のデスクに行くと、今日のフライトはフルだとのこと。明日以降についてはセンタニ市内にあるトゥリガナ航空のオフィスに訊いてくれと無愛想に言われる。

このオフィス探しに手間取った。バックパックを背負ったまま、尋ね尋ねしてたどり着いた建物には確かにTrigana Airという看板がかかっているが、カーゴ(貨物)の事務所だった。

しかし、この事務所の男が私をモータバイクの後ろに乗せて旅客用のオフィスまで連れて行ってくれた。歩けば10分以上の距離だっただろうか。チップを要求されるのではとチラッと思ったりもしたが、そういうことはなかった。

トゥリガナ航空のオフィスでは若い女性が英語で対応してくれた。まず明日のワメナ行きを確保する。ワメナ行きは1日3便だが、10時20分発を選んだ。続いてワメナからジャヤプラ(センタニ)への帰りの便。6月1日の午前9時にジャヤプラからバリのデンパサールに向けて飛び立つガルーダ航空のチケットを購入しているから、5月31日にはジャヤプラに戻っている必要がある。ところが、31日までの便はすべて埋まっている。6月1日の便には空きがあるが、遅すぎる。

これは困った。せっかくここまで来てワメナまで行けないとなると、インドネシアに来た目的が失われてしまう。ジャヤプラで何日も過ごす意味はないから、明日のうちにバリまで戻り、残りの日々をバリで過ごすしかなくなる。トゥリガナ航空以外にワメナに行く便があるかもしれないが、あまり期待は持てない。

ところがどっこい。しばらく考えていた受付の女性が「ビッグ・ボスに電話で相談してみる」と言ってくれるではないか。女性は携帯で電話する。どうやら「日本のツーリストが航空券がなくて困っている」と伝えているようだ。

電話を終えた女性は、「31日にジャヤプラに戻る便も確保できた」と言う。まさに神の声だ。帰りの便も1日に3本あり、11時20分のものを予約した。フルだったはずの席をどのようなマジックを使って予約できたのか。今でもよくわからない(実際帰りの便には空席はなかった。)。料金は往きも復りも800Kルピア。合計で1600Kルピア(12000円余り)だった。女性と握手して、トゥリガナ航空のオフィスをあとにする。

航空券を確保できたところで、今日の宿を決めなければならない。トゥリガナ航空のオフィスを探している途中に、2つのホテルを当たっていた。1つはWifiなし、朝食なしで250K(1900円ほど)、もう1つはWifiなし、朝食付きで300K(2300円)。センタニの宿は高い。

トゥリガナ航空のオフィスの隣にWifi付き、朝食付き(ただしトーストとインスタントコーヒーだけ)で2750Kのホテルがあるのを見つけた。ここにしよう。名前はUnique Hotel。Wifi付きといっても、部屋の中では信号が弱すぎ、受付付近でしかネットに接続できなかった。

宿から空港までは歩いて10分足らず。空港のカフェでかなり遅めの昼食をとる。注文したのはナシ・ソト・アヤム(鶏肉のスープ、ライス付き)とメロン・ジュース。ナシ・ソト・アヤムが60Kで、メロン・ジュースが50K。合計110K(780円ほど)。インドネシアの通貨(ルピア)は桁数が多く(1ルピア=0.0077円)、混乱してしまった。これで780円は高すぎる、78円じゃないかなと。78円では安すぎる。やはり780円だった。それなりに客が入っているカフェだったが、この値段で大丈夫なのだろうか。インドネシア語のメニューに表示されていた値段だから、外国人用の特別な値段というわけでもない(そもそもセンタニでは外国観光客を誰一人として見かけなかった)。

出された料理はまずかった。昨日バリで食べた一品はあまりおいしくないというだけで、まずいとまでは言えなかったが、これは空腹にもかかわらず食べ進むのが苦痛なくらいだった。

遅めの昼食

空港でSimカードを購入してから、あてもなくセンタニを歩く。ショップやレストランもほとんどなく、見どころもない。建設が終わっていない新しいモスクが目に付いたくらいか。

センタニの町並み

昨日ほとんど寝ていないこともあり、疲れている。宿の近くの小さな店で揚げかまぼこ(のようなもの)、パイ(のようなもの)、肉団子(のようなもの)の3品と乳飲料、ミネラルウォーターを夕食用として購入し、宿に戻る。全部で20Kルピア(160円くらい)ぐらいだっただろうか。この3品はおいしかった。インドネシアではじめて口にしたおいしい食べ物。

トゥリガナ航空の若い女性職員のおかげで明日はワメナに飛び立てる。感謝感謝。

2018年6月8日金曜日

インドネシア・パプア州2018 一日目(バリ島到着)

5月25日

インドネシアへの旅を思い立ったのは、東南アジアの主要国で足を踏み入れていない唯一の国だったからだ。リゾートとして賑わうバリ島は避け、ジャカルタを起点とする旅をまず考えた。しかし、ちょうとこの時期がラマダンと重なることを知った。ラマダンを経験するのもおもしろいかもしれないが、なにぶんにもはじめてのインドネシアだ。できればラマダンに影響されない場所に行きたい。

そこでニューギニア島のパプア州が浮かんだ。パプアの住民の大半はキリスト教徒だという。パプアは相対的に観光客も少なく、今でもコテカ(ペニスガード)を着用している人もいるらしい。まさに「辺境へ」にふさわしい場所だ。ニューギニア高地に位置するワメナという人口3万ほどの町にねらいを定めた。

問題はアクセス。ワメナまで陸路で行くことはできない。パプア州の州都であるジャヤプラから飛行機を利用するしかない。まず関空からバリ島へ、さらにバリ島からジャヤプラへ、そしてジャヤプラからワメナへと、飛行機を3回乗り継ぐ必要がある。

関空からバリ島のデンパサール空港まではガルーダ航空の直行便で行くことにした。エアアジアやマレーシア航空、シンガポール航空を使えばもっと安く行けるが、今回はバリ島からさらに飛行機を2つ乗り継ぐ必要があることから、少々高くついても経由便は避けたかった。デンパサールからジャヤプラへの往復もガルーダ航空の便をオンラインで予約した。ジャヤプラからワメナまでは日程もはっきり決めていなかったので、ジャヤプラで航空券を購入することにした(そもそもオンラインでは予約できない可能性が高かった)。

5月25日、10時50分発のガルーダ航空機は17時半ごろにデンパサール国際空港に着く。ジャヤプラ行きの国内便は翌日26日の午前1時25分発だから、8時間ほどの待ち時間がある。空港に荷物を預けて(50Kルピア=390円)、町へ出ることにする。

バリ島にはこれといった中心がなく、リゾートが島のところどころに散在している。とりあえず空港から一番近いクタという地域に出てみよう。ガイドブックによれば、クタは「商魂渦巻く...無国籍な」町で、「世界各地からの旅行者たちでにぎわっている」とある。数時間滞在するだけだから、リゾートの賑わいを見るのもいいだろう。空港で声を掛けてきたタクシーに乗って20分足らず、クタに着いたのは夕方の6時ごろだった。

空港で両替した5千円に加え、両替所でさらに5万円を両替してから、メイン通りのジャラン・レギャンを歩く。欧米の観光客にはちらほら遭遇するものの、「世界各地からの旅行者たちでにぎわっている」といった感じではない。これはたまたまそうだったのかもしれない。海辺まで出かけていれば、あるいは時間帯が異なれば、また違った印象を受けていたかもしれない。ヒンドゥー教の寺院がバリ島らしい。

ヒンドゥー教の寺院

安食堂に入って夕食をとることにした。さすがバリ島、安食堂のおばさんでも英語で会話できる。注文したのはライスにさまざまな総菜をのせた一品(スープ付き)。30Kルピア(およそ220円)。「spicyにするかnot spaicyにするか」と尋ねられたので、not spicyとリクエストしたが、結構な辛さだった。インドネシアではじめて食べた夕食は正直なところあまりおいしくなかった。

夕食(ナシチャンプルというのだろうか)

8時を過ぎると、あたりは真っ暗になった。空港に戻ることにする。帰りのタクシーは90Kだったが、100Kを支払った(相場は70Kくらいだろうか)。

預けていた荷物を受け取り、歩いて10分ほどのDomestic airportに移動する。この国内空港はきれいだが、お茶を飲ませる店もない。ベンチに寝転びながら、午前1時25分発のジャヤプラ行きのガルーダ機を待つ。いよいよパプアへの旅が始まる。

デンパサール国内空港のデコレーション