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2017年4月28日金曜日

金正日の料理人藤本氏を訪ねて平壌へ 一日目(平壌)

4月14日。

高麗航空の平壌行きのフライトは12時。8時半過ぎに宿を出て、エアポート・エキスプレスで9時半ごろに北京首都空港のターミナル2に着く。カナダ人3人はすでに到着していた。マイケルからビザをもらって搭乗。

マイケルはVIP扱いでファーストクラスにアップグレードされるが、残り3人はエコノミー席のまま。私の隣にはブライアンが座る。ブライアンは大学教授であると同時に、政治家という顔も持っている。前回の総選挙では与党の自由党から立候補したが惜しくも落選。次回の選挙にも出るつもりなので、訪朝している自身の姿がカナダのテレビに映るとちょっとまずいと言う。野党の保守党からどんな難癖をつけられるかわからないとのことだった。ブライアンは1994年に一度北朝鮮を訪れており、今回が2回目、23年ぶりの訪朝となる。「前回訪朝した一週間後に金日成が死んだ。今回も何かあるかな」と言っていた。

機上の昼食は北朝鮮製ハンバーガー。10年前にはちゃっとトレイに載った食事が出たが、いつの間にかハンバーガーになった。そのハンバーガーも以前より小ぶりになり、質も少し落ちているような気がしないでもない。
平壌空港に着陸

飛行機は2時間ほどで平壌空港に着く。現地時間の14時30分(北京との時差は30分)。イミグレを通り(パスポートにスタンプは押されない)、持ち込んだ荷物の検査となる。電子機器と印刷物をすべてバッグやスーツケースから出すように求められる。私はカメラ2台、タブレット、スマートフォン、電子辞書、フランス語の小説1冊、中国に関するガイドブック2冊を提出する。特に問題はなかった。韓国の小説のコピー数ページは前日に北京で処分していた。

ここでビルが引っかかった。バンクーバーのタイブロイ紙を持ち込んでいたのだ。それだけなら特に問題もないが、そのタブロイド紙の一面には"Trump Takes over Kim Jong Un"というヘッドラインが踊っていた。このため別室に連れて行かれ、なかなか戻ってこなかった。30分くらいは待っただろうか。

幸い入国拒否というやっかいな事態には至らず、我々4人は北朝鮮のガイド2人と合流して、専用車で平壌市内に向かう。30分ほどかけて最初の観光ターゲットである凱旋門に着いたときにはすでに6時近くになっていた。外は小雨が降っている。

凱旋門

2人のガイド(案内員)はどちらも女性だった。以前このブログのどこかで「案内員が2人とも女性というケースはない」と断言してしまったが、これは訂正しなければならない。メイン(上司)のガイドがキム(金)氏。3歳の子供がいるという。30歳台か。サブ(部下)のガイドがチョン(全)氏。25歳くらいと見た。どちらも平壌観光大学の出身という(この大学が設立されたのは2014年だから、その前身の教育機関かもしれない)。

凱旋門をあとにした我々は宿泊先である高麗ホテルに向かった。チェックインし(ここでパスポートをガイドに預ける)、部屋でしばらく休んでから、食事のために車で再び平壌の街に出る。当初の予定ではこの日に藤本健二氏のレストランに行くことになっていたが、これは明日に先送りになった。代わって向かったのが万寿台創作社のレストラン。2013年の訪朝時に「朝鮮の民謡を聴けるような場所に行きたい」という私のリクエストに応えてガイドが連れて行ってくれたレストランだ。

個室での食事が終わりかけたころ、突然チマチョゴリの女性数人が現れ、北朝鮮歌謡を披露する。彼女たちが去ると、今度はモランボン楽団風のミニスカートの女性たちが現れて2、3曲歌う。おそらく個室から個室へと巡り回って芸を披露しているのだろう。

歌と踊り

食事後、マイケルの提案で羊角島ホテルに行くことになった。羊角島ホテルにはプレスセンターが設けられ、多くのジャーナリストが宿泊している。マイケルはジャーナリストにも知り合いが多く、彼らに会いたいとのことだった。2015年の10月には私もこのホテルで朝日テレビのクルーに出会った。

羊角島ホテルのバーに入り、ビールを注文する。さっそくジャーナリストたちがやってきた。渡された名刺にはNK Newsとある。帰国してから調べると、これは米国をベースとする北朝鮮関連のニュース社らしい。隣に座ったNK Newsの記者としばらく話す。英国出身、ソウル在住の記者だ。話題はもっぱら私が北朝鮮をどう見ているかということ。ブログを書いているおかげで、自分の感想をある程度まとめて述べることができた。東洋人らしい若い女性もいた。中国系オーストラリア人のロイターの記者で、現在は中国に住んで取材活動をしているという。

高麗ホテルに戻り、その横手にあるバーで、さらに4人で飲む。このバー特製のビールはこくがあり、おいしかった。このときの代金はビルかブライアンかどちらかが払ってくれた。

明日15日は金日成生誕105年の記念日である太陽節。今回の旅のクライマックスでもある。

2017年4月26日水曜日

金正日の料理人藤本氏を訪ねて平壌へ 北京

4月12日、朝9時に関空を飛び立った中国国際航空機は予定どおり11時20分に北京首都航空に到着した。

宿はbooking.comでHappy Dragon Hostelを予約しておいた。2015年の訪朝時に泊まった宿だ。トイレ・シャワー付きの個室で200元(3000円ちょっと)。朝食が付いていないから高めだが、北京で安宿を探すのは容易でない。慣れたところを選んでおくのが無難だろう。

この日の午後はたっぷり時間があったが、繁華街の王府井まで歩いて出かけ、ぶらぶらと散策するにとどめた。

王府井

宿に戻りタブレットでインターネットに接続する。今回はVPNのアプリを用意していたので、YoutubeやFacebookにもつながるが、なぜかメールの受信ができない。マイケルから新しいメールが着信していても読めない状態だ。

翌13日。この日は3時に東直門のホテル(ホリディイン)に集まることになっている。朝ゆっくりと宿を出て、またまた王府井まで歩き、小吃通りの屋台のスナックを昼食代わりとする。

2時近くになり、ちょっと早いが地下鉄で東直門に向かう。ホリディインは東直門の駅から歩いて20分ほどのところにある。途中、ユニクロがあったので立ち寄り、シャツを購入(199元)。ユニクロの商品価格は日本とほぼ同じだ。

3時前にホリディインに着き、ロビーで待っていると、マイケルが現れる。ツアー同行者の2人のカナダ人、ブライアン(Braian)とビル(Bill)は紫禁城や天安門を観光中であとで来るとのこと。案の定、マイケルは昨日私に2通のメールを送っていたが、私はメールソフトの不調で読んでいなかった。いずれにせよ北京でマイケルに会えたことで一安心。

しばらくすると日本人の青年がメイプルツリー(もみじ)の苗木を数本持って現れた。マイケルの手伝いをしているN君だ。マイケルはカナダのシンボルでもあるメイプルを平壌で植樹する予定らしい。N君は北京の大学に通う好青年。高校卒業と同時に中国に渡り、すでに4年が経つ。マイケルとN君は東京で行われたマイケルの講演会で知り合ったとのこと。今回のツアーの日本語ページを作成したのはN君だ。

ロビーから2階のカフェに移動し、話を続ける。マイケルとN君はWebページの編集を行いながら。そうこうするうち、ブライアンとビルが帰ってきた(彼らはホリディインに宿泊していた)。どちらも190cmの巨体。しかも2人ともスキンヘッドだ。年の頃は4~50歳くらいか。2人の巨体に圧倒されながらも、自己紹介して、しばらく話す。ブライアンはカナダのアルバータ大学の教授で、専門は東アジア史、特に戦後の韓国史。ビルはITエンジニアとのこと。ブライアンはマイケルの以前からの知り合いだ。そのブライアンが若いころからの友人のビルを誘う形で今回の訪朝となった。つまり予想していたとおり、Paektu Cultural ExchangeのWebサイトを見て応募したのは私1人ということになる。

韓国史が専門のブライアンにCumingsの"Korea's Place in the Sun"について尋ねたが、もちろん彼はこの本を知っていた。これは私が10年ほど前に読んだ韓国/朝鮮の通史で、非常におもしろかった。だがその内容は今ではすっかり忘れており、機会があればもう一度読みたいと思っているところだ。

陽も暮れるころ、N君を含め我々5人は2台のタクシーに分乗して、北朝鮮大使館へ行く。訪朝のビザを受け取るためだ。大使館にはマイケルだけが入り、無事にビザを入手した。日本から北朝鮮へ個人で旅行する場合、以前には直接に大使館まで赴いてビザを受け取るケースもあったようだが、最近は空港のチェックインカウンターで受け取るケースが大半になっている。私も北朝鮮大使館には入ったことがない。

北朝鮮大使館のまわりには北朝鮮関連のさまざまなショップが並んでいて興味深い。しばらくショップを覗いたあと、大きめの北朝鮮レストラン(朝鮮平壌銀畔館)に入り、一緒に食事をすることになった。

マイケルは中国吉林省の延吉に住んでいるが、北京にも数多くの知人がいる。そのうち何人かが我々の夕食に加わり、カナダ人5人、アメリカ人3人、それに私とN君の日本人2人、合計10人の会食となった。いくつかの朝鮮料理をシェアした。どれもおいしかった。飲み物はもちろん北朝鮮の大同江(テドンガン)ビール。なぜかカナダ大使館の書記官も同席していた。彼はまだ北朝鮮に行ったことがない。外交官ともなると訪朝もいろいろややこしいらしい。大きなレストランではあったが、残念ながら歌や踊りのパフォーマンスは行っておらず、そのためのスペースも見あたらなかった。

北朝鮮レストランで夕食(中央はマイケル、その右隣がブライアン)

夜も更け、2次会となったが、私は早め(といっても9時過ぎ)に宿に帰ることにした。N君に案内されて大通りに出たが、タクシーはやって来ない。結局白タクで最寄りの地下鉄の駅(東四駅)まで行き、5分ほど歩いて宿に戻った。

宿に戻ると、今朝まで不調だったメールの受信が可能になっており、前日にマイケルから送られてきたメールを読むことができた。

明日、マイケルと他のカナダ人2人はホリディインに集結してそこから空港に向かうとのことだったが、私は直接に空港に行くつもり。そのほうが手っ取り早い。

2017年4月25日火曜日

金正日の料理人藤本氏を訪ねて平壌へ 経緯

2015年10月の北朝鮮Train Tourから1年半、北にも南にも朝鮮半島から足は遠のいていた。興味がなくなったわけではない。韓国/朝鮮語の勉強も遅々たる歩みながらずっと続けていた。興味を引くような企画やツアーがあればと、ネットのチェックも怠らなかった。

そんな中、あるきっかけからPaektu Cultural Exchangeなる組織がFinding Fujimotoという平壌ツアーを企画していることを知った。Fujimotoとは金正日の料理人であった藤本健二氏のことで、最近平壌に寿司とラーメンのレストランをオープンしたことはメディアの報道で知っていた。

Paektu Cultural Exchangeの主催者はマイケル・スパバー(Michael Spavor)氏。北朝鮮マニアの間ではちょっとは知られた人物だ。米国のバスケットボール選手デニス・ロッドマンの2回目の訪朝をアレンジした人物こそがマイケルであり、ロッドマンと一緒に元山の金正恩の別荘で3日間を過ごしたことがある。つまりは金正恩に会った数少ない外国人の1人なのだ。そのマイケルがこれまた金正恩の知己である藤本氏を訪ねる4泊5日のアー。これは是非参加したい。

マイケルと金正恩

まずはネット上でマイケルに関する情報を集める。思想信条はともかく、怪しげな人物ではないようだ。ウェブに掲載されている写真にも好感を持った。気軽に話しかけやすいタイプと見た(この印象は間違っていなかった)。北朝鮮訛りの流暢な朝鮮語を話すとも言われている。

さっそく問い合わせのメールを送る。人数が集まらないためにツアーが中止になるのが心配だったが、「今のところ数人(a few)しか集まっていないが、少人数でも催行する」との返事を得る。予定を立てたがいいがキャンセルされるということもなさそうなので、申し込むことにした。

だが、その後の成り行きには不安がつきまとった。私の直近2回の北朝鮮旅行は北京に拠点を置く英国系のKoryo Toursのツアーだった。Koryo Toursとのやりとりではほとんど不安はなかった。メールの返事も迅速で、プロの仕事を信頼できた。忙しいマイケルがひとりで運営しているPaektu Cultural Exchangeはちょっと様子が違う。ツアー代金の1290ユーロのうち415ユーロはデポジットとして前払いとのことだったが、どうやって支払うのかの指示はなく、結局全額現地で現金で支払えばよいということになった。もっともやきもきしたのが、ツアー出発の4月14日の朝に北京のどこに何時に集合するのかはっきりしなかったことだ。お金を支払っていないから詐欺の心配はないが、北京でうまくマイケルと落ち合うことができるか、一抹の不安があった。北京のネット環境にも不安があり、現地でマイケルとちゃんと連絡できるか心配だった。

「4月13日の午後3時に東直門のホリディインに集まろう」というメールをマイケルから受け取ったのは北京へ飛ぶ2日前の4月10日だった。これでやっと安心して日本を飛び立つことができる。マイケルのメールによると、ツアーの参加者は私以外にはBillとBrianという2人のカナダ人だけらしい。ひょっとするとこのカナダ人2人はツアー以前からのマイケルからの知り合いかもしれない。だとするとネットを見てツアーを申し込んだのは私1人ということになる(この予感は的中した)。

ツアーは、4月14日に北京を発ち、平壌で3泊して、平壌から北京まで列車で帰る(車内で1泊)という内容だった。だが、私は私にとってはじめての地である新義州を見たかった。新義州は中国の丹東に隣接する国境の街だ。このため、17日に新義州で1泊して、翌18日に中国の丹東でツアーを終えたいとリクエストしていた。

このリクエストは受け入れられた。受け入れられただけではなく、マイケルを含む他の3人も新義州で1泊することになった。つまり、平壌3泊、列車内1泊のツアーが平壌3泊、新義州1泊のツアーに変更されたことになる。この宿泊すべてで私は1人部屋を希望した。1人部屋の追加料金は1泊あたり50ユーロ。新義州のオプション料金は200ユーロくらいとのことだったが、正確な金額は不明だった。

ツアー開始日の2日前、4月12日の中国国際航空便で関空から北京へ向かう(北京in大連outの航空券を購入していた)。前日の13日の便でも間に合うのだが、中国国際航空には何度か苦い目にあっているので、あえて1日の余裕を持たせた。

かくて私にとっては7回目の北朝鮮旅行がスタートの途についた。