よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2019年11月20日水曜日

スペイン・ポルトガル2019 マドリード、帰国

10月21日(マドリード到着)

この旅の最後の滞在地となるマドリードでの3泊はHostal Arbol del Japonに予約しておいた。名前のとおり、これは日本人夫婦が経営するいわゆる「日本人宿」だ。この宿を選んだのは、日本人と交流したいということもあるが、トイレ・シャワー共同の個室で1泊29ユーロという安さにひかれたからだ。

グラナダ発マドリード行きのバスは定刻通り午前10時に出発し、午後3時に南バスターミナルに到着した(途中サービスエリアでドーナツとミルクコーヒーをとる)。バスターミナルから地下鉄を乗り継いでHostal Arbolに着いたのは4時前だった。

アパートの2階にあるHostal Arbolのドアを開けると、60代の日本人男性が迎えてくれる。この宿のオーナーだ。この男性の最初の言葉にびっくりした。なんと私が住んでいるところの隣町の出身だと言うではないか(私の住所は予約時に知らせてあった)。共通の知人もいる。マドリードまで来て隣近所が話題になるとは想像もしていなかった。

数年前、アルバニアのティラナのドミトリーで同郷の女性と同じ部屋になったとき以来の奇跡的な偶然だった。

Hostal Arbolは安いだけではなく、立地もよかった。最寄りの地下鉄の駅までは歩いて5分足らず、マドリードの中心ともいうべきフェルタ・デル・ソル広場までは10分ほど。宿のすぐ近くには大きなスーパーが2つあることも、レストランでの外食をできるだけ控えている私にとってはありがたい。

体を少し休めてから外に出て散策。マヨール広場まで足をのばし、宿に引き返す途中のレストランでスパニッシュ・オムレツのサンドイッチ、クロケッタ(クリームコロッケ)、ビールを注文する。私の前方のテーブルでは日本人らしき中年のカップルがパエリアを食べている。声をかけると、やはり日本人だった。6時からプラド美術館が無料になるので食事をしてから見に行くとのこと。

マヨール広場

10月22日(トレド)。

マドリード観光の目的は2つに絞っていた。ひとつは中世の面影が残るトレドを訪ねること。もうひとつはプラド美術館で名画を鑑賞することだ。旅も終盤、体も疲れているのであまり欲張らないほうがいいだろう。

今日と明日の天気予報はあまりかんばしくない。どちらも雨模様だ。今日のほうが雨の確率も低そうなので、まずトレドを訪れ、プラド美術館は明日に回すことにした。

エリプティカ広場のバスターミナルから1時間ちょっとかけてトレドに到着。快晴というわけにはいかないが、幸い雨は降っていない。

1561年に首都がマドリードに移るまで、政治・経済の中心だったトレド。旧市街はタホ川と城壁に囲まれている。

トレドもコルドバと同様、ユダヤやイスラムの影響を色濃く残しているとのことだ。小さな通りが網の目のように入り組んでいることもコルドバと同じで、グーグル・マップを使ってもどこを歩いているのか判然としない。もちろん旧市街の面積はコルドバの旧市街よりずっと小さい。

トレド

トレドの裏道

欧米の観光客に交じって東洋人の数が多いのもスペインの他の観光スポットと同じ。10人ほどの中年の東洋人のグループがトレドの風景を写生している。話し声からすると日本人らしい。尋ねてみると、大阪の絵画同好会の写生ツアーだとのこと。ただの物見遊山ではなく、写生ツアーとは文化度が高い。

13時発のバスでマドリードに帰る。バスに乗ったとたんに雨が降り出し、マドリードに到着すると止んでいた。

雨が止んだ中、午後はプレルタ・デル・ソレやサン・ミゲル市場をぶらぶらと見て回った。

10月23日(プラド美術館)

10時過ぎにプラド美術館に着いたとき雨が降り出した。チケットの購入窓口には長い行列ができている。傘をさして待つことおよそ30分、ようやくチケットを購入できた。料金は15ユーロだが、シニアシティズンである私はその半額で済んだ。

入場券購入の列(館内は写真禁止)

プラド美術館は大きい。全体の配置が頭に入るまでにかなりの時間がかかった。

エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどの作品が数多く展示されている。スペインには関係なさそうなブリューゲルやボッシュの絵画もある。ゴヤにしろ、ベラスケスにしろ、よくこれだけの作品を描く時間があったものだと感心する。美術に素養のない私がこれ以上の感想を述べるのは述べるのはやぼだろう。

11時ごろから3時過ぎまで4時間ほどをプラド美術館で過ごした。昼食は館内のビュフェ式のレストランでとるつもりだったが、長い列ができており、空いているテーブルもなかったのであきらめた。美術館を出ると雨は止んでいた。美術館に近いアトーチャ駅のカフェでサンドイッチとミルクコーヒーを注文し、昼食というより夕食に近い食事をとる。

スーパーで夜食用の寿司と野菜サラダを購入して宿に戻る。宿には日本の書籍や漫画を数多く収めている部屋がある。ここで同宿の男性2人と1時間ほど話す。2人とも私と同世代だ。話題はもっぱら旅行について。スペイン旅行に加え、なぜか中国旅行にも話が及ぶ。

3人とも明日チェックアウトする。宿の奥さんが3人の部屋を回っておにぎり1個を差し入れてくれた。「朝食にでも」ということだったが、作りたてで温かく、おいしそうだったので、夜食を食べたあとだったにもかかわらずすぐに食べてしまった。塩昆布とゴマを入れたおにぎりは予期したとおりおいしかった。

10月24日(帰国)。

Hostal Arbolのチェックアウトは11時で、帰国便のフライトは16時45分発。朝のうちにスーパーまで出かけて土産物を買い、11時ぎりぎりまで部屋の中で休む。

チェックアウトしてからプレルタ・デル・ソレに向かうとデモに遭遇した。コルドバのデモと同様に、打楽器を先頭とする陽気なデモだが、何を求める(あるいは何に抗議する)デモなのかよくわからなかった。「我々は不可視(invisible)ではない」とか「我々は人間であり、カタツムリではない」などのプラカードが見られたがら、おそらく貧困がテーマだったのだろうと推測している。

マドリードのデモ

マドリード→ドーハ→羽田→伊丹という帰りのフライトはけっこう体にこたえた。ドーハで5時間以上待ち、羽田で一夜を明かすという、試練のフライトだった。羽田空港は心配していたほど寒くはなかったが、ほとんど眠れなかった。ともあれ、体をこわすことなく帰国できたことを幸いとしよう。

ほじめてのスペインとはじめてのポルトガル。いくつか気付いたことを挙げておこう。

まず思ったより英語が通じなかったこと。ひとびとは概して親切だったが、道を尋ねても答えはスペイン語で返ってくることが多かった。ホテルやインフォメーションで英語が通じないこともあった。

もっとも複雑な話をするわけではないから、コミュニケーションに困った覚えはない。スペイン行きを決めてから1か月ほどあわててスペイン語を学習したこともまったく無駄というわけではなかった。

次に治安。ネットで調べると、マドリードやバルセロナ、リスボンではスリや置き引きなどの被害が頻繁に報告されている。マドリードの日本人宿の主人も「貴重品は持って出ないほがよい。できれば何も持たずに身一つで出かけることをお勧めする」と言っていた。帰りのマドリードからドーハへの飛行機で隣席だったスペイン人男性も同様の意見で、「バルセロナやマドリード危ない」と言う。

しかし私が体験した限り、そうしたあやしい雰囲気、危険な気配はまったく感じなかった。もちろんこれはたかだか2週間余りを旅した一介の貧乏旅行者の限られた体験だから、長年現地に住んでいる人の感覚のほうがリアリティがあるだろう。最低限の注意が必要なのはそのとおりだ。しかし、物騒な情報がスペイン行き、ポルトガル行きを引き留めるようなことにはなってほしくない。

もうひとつ。外国人訪問者の日本の印象は「人は礼儀正しく、街はクリーン、電車や電車の中はすごく静か」というのが一般的なようだ。スペイン・ポルトガルについてはどうだろうか。スペインやポルトガルの街を「汚い」と思ったことは一度もなかった。路上のゴミもほとんど見かけなかった。唯一目に障ったのはスプレーでの落書きだ。この点を除けば、日本の街もスペイン・ポルトガルの街もそう変わりはない。電車や列車の中が静かなのはスペインやポルトガルでも同様だった。高速列車、地下鉄、バスの中の中はいつもシーンとしていた。

礼儀正しさはどうだろうか。レストランのウエイター/ウエイトレス、ショップの店員、バスや電車の窓口は確かに日本ほどていねいではないし、笑顔も少ない。しかしこれは必ずしも親切でないということを意味するわけではない。親切かどうか、フレンドリーかどうかは国籍ではなく個人に依存する。

辺境の探訪ではなく、観光に徹するわけでもなく、なんとも中途半端な旅だったが、大きな波乱もなく終わったことに感謝したい。

2019年11月17日日曜日

スペイン・ポルトガル2019 サフラ、セビリア、コルドバ、グラナダ

10月14日(サフラ)。

エルヴァスからバスでスペインのバダホス(Badajoz)に入る。30分もかからなかった。シェンゲン協定のおかげで、入出国審査もなければパスポートのチェックもない。どこが国境だったのかも定かでなかった。スペインからポルトガルへ空路で入国するときもノーチェックだった。

バダホスで2時間ほど待って、サフラ(Zafra)という町に向かう。セビリアまで直行する選択肢もあるが、あまり有名でないスペインの町も見ておきたいので途中のサフラで1泊することにした。

「あまり有名でない」といっても、サフラも「地球の歩き方」に1ページが割かれている、それなりに由緒のある町だ。アンダルシアに近いが、アンダルシアには属していない。

バスターミナルから町の中心までは15分ほど。「地球の歩き方」に載っているHotel Victoriaを目指す。予約はしていないが、部屋は空いていた。バス・トイレ付きで25ユーロ。バスタブもあるホテルとしては破格の値段だ。受付は英語をしゃべれなかったが、1泊するだけの交渉だから問題はない。

宿で体を休めてから5時ごろに外に出ると、雨が降り出した。今回の旅ではじめての雨。それほど強い雨ではないが、傘は必要だった。雨のせいもあるが、サフラの印象はくすんでいる。ガイドブックには「アンダルシア地方に近づいてきたことがはっきりわかる」とあるが、バルセロナしか知らない身としては何とも言えない。覚えているのは、パラドールが立派だったっこと。夕食のパンと飲み物を求めて立ち寄ってミニマーケットがいずれも中国人の経営だったこと。バーに立ち寄って「コミーダ(食事)」を求めたが、「コミーダはもっと遅くなってからだ」と言われたことくらいか。観光客らしき姿はほとんど見かけなかった。雨は夜になってやんだ。

サフラ

10月15~16日(セビリア)

いよいよアンダルシアに入る。サフラからバスで2時間ほどのセビリアは、アンダルシアの州都であり、アンダルシア最大の都市でもある。フラメンコや闘牛、イスラム文化の影響などでも有名だが、私の知識はかろうじて「セビリア」という名前に馴染みがある程度。

昼ごろにかなり大きいバス・ステーションに着き、街の中心であるカテドラルの方向に歩く。「地球の歩き方」に掲載されているHotel Nuevo Suizoに行くためだ。ここも予約はしていなかったが、部屋は空いていた。2泊で136ユーロ。朝食付きだが、これまででいちばん高い部屋だ。紅茶とコーヒーは無料。キッチンにある冷蔵庫も利用できる。

宿からカテドラルは歩いて10分ほど。カテドラルの近くのバーで遅めの昼食をとる。生ヒールとタパス(つまみ)3品で20ユーロほどと、観光地値段だった。

カテドラルから少し離れたところにある闘牛場に通りかかる。闘牛をやっている時間帯ではない。場内に入るにも入場料がかかる。そのまま素通りした。

フラメンコのライブを見られるレストランも数多くあるようだが、ファドと同様、開演時間が遅すぎた。フラメンコ舞踏博物館のフラメンコショーは夜の7時開演だが、今日の公演はすべて売り切れになっていた。ファドと事情は似ている。「遅くなるから見ない」というのは、要するにフラメンコに対する私の関心がそれほど強くなかったということだろう。ストリートパフォーマンスでフラメンコを踊っているのを見て満足してしまった。

路上のフラメンコ

フラメンコや闘牛にもふれず、アンダルシア料理を味わうこともない。セビリアというアンダルシア随一の観光スポットを訪れたにもかかわらず、観光にも徹することができない。なんとも中途半端だ。今回の私のスペイン・ポルトガル旅行を象徴するような流れだった。

セビリアのカテドラル

16日にはホテルで毛布を1枚追加してもらった。前日の明け方かなり寒い思いをしたからだ。7日にバルセロナに着いたときには、宿に戻るとすぐにエアコンをオンにするほどの暑さだった。いつの間にかスペインでも秋が深まっていた。

10月17~18日(コルドバ)

セルビアからバスでおよそ2時間かけコルドバへ向かう。セルビアほど大きくはないが、コルドバもよく知られた観光地だ。「コルドバはレコンキスタと縁が深く、メスキータ(スペイン語でモスクを意味する)とその北に広がる旧ユダヤ人街が観光の中心となっている」とはあとから得た知識で、セルビア同様、耳に馴染みのある名前だから訪れたというのが正直なところだ。

コルドバではドミトリーに宿泊するつもりだった。本来私は、通常のホテルよりもドミトリー形式のホステルのほうが好みだ。宿泊費の節約はもとより、ホステルなら他の旅行者とふれあい、情報を交換することができる。通常のホテルではこうした機会はまず与えられない。

ホステルの難点はプライバシーが大きく制限されること。若いころならともかく、年齢を重ねた今となっては体力的にも厳しい。上段のベッドの場合は特にそうだ。

ともあれコルドバで1度ドミトリーを試してみよう。そのメリットとデメリットを秤に掛け、メリットが上回りそうなら次の目的地のグラナダでもドミトリーを選びたい。

ということでHostel Osioというドミトリーに2泊した。旧ユダヤ人街の近く(というよりその一角)にある宿だ。2泊で36ユーロだっただろうか、確かでない。

6つのベッドがある部屋。17日は私のほかにはペルー人の若いカップル。18日にはこれにイタリアのジェノバから来た男性が加わる。ペルー人カップルはマドリードに留学中で、週末にスペイン各地を旅行しているとのことだった。

チェックインして体を休めているとき、ちょうどチェックアウトして出て行こうしている東洋人風の若い男性を見かけた。香港から来た学生だ。彼も私も時間に余裕があったので、中庭に座って小一時間話す。

話題はおのずから香港の民主化運動に。彼は運動には参加していないが、支持はしているという。彼の中国批判に応えて、心ならずも私が中国を擁護するはめになる。「多くの問題を抱えていることは確かだが、この50年の間に中国が進歩し、豊かになったことは否定できない。50年前には50歳だった平均寿命が今では80歳にまで延びた」と言う私に対し、「しかし今の中国は昔の中国より不幸だ。幸福な50年の人生を送るのと、不幸な状態で80歳まで生きるのとどちらがよいか」と切り返してくる。

あえて反論はしなかった。豊かさには客観的な指標があるが、幸不幸を測る物差しはない。それに大躍進や文化大革命の時代の中国が今の中国より幸福かどうかについては疑問が残る。

このほか、香港の英語教育、彼の大阪・京都旅行、四川省の観光スポットなどに話が及び、楽しい時間を過ごすことができた。

17日と18日の両日でコルドバをあますことなく探訪した...とはいかず、ただぶらぶらと歩いただけだった。見る人が見れば、ユダヤ人街の痕跡をたどり、イスラム文化の影響に気付くこともあるのだろうが、私には無縁だった。昨年イスラエルを訪れ、スペインを追われ東欧に逃れたユダヤ人の末裔であるエリアス・カネッティの作品を読んでいる私にとってレコンキスタは無縁であるはずがないのだが、もったいないことだ。

コルドバ

どちらの日も昼食だけをレストランでとり、朝食と夕食はスーパーで購入したパンや総菜、飲み物でまかなった。節約のためだ。ホステルにはキッチンがあり、食器や冷蔵庫を利用できるのはありがたかった。

17日の昼食はレストランのセットメニューで12.5ユーロ、18日は8ユーロのハンバーガーと1.5ユーロのコーラ。このハンバーガーが感動的においしかった。「こんなうまいものがあったのか」という思い。ハンバーガーの味に感動するとは、みずからの食生活の貧しさの証ではないか。少し恥ずかしい。

感動のハンバーガー

さてドミトリーの泊まり心地はどうだっただろうか。正直なところ、リラックスからはほど遠かった。同部屋だったペルー人のカップルもイタリア人もいたって行儀がよく、フレンドリーだったが、それでも気を遣う。女性がいる場合は特にそうだ。次のグラナダでは無理をせずにホテルを選ぶことにする。

10月19日~20日(グラナダ)

グラナダまではスペインの高速鉄道AVEで行った。バスのほうがはるかに安いのだが、スペインの新幹線を体験したかったからだ。

8時ごろにホステルを出て駅へ向かうが、外はまだ暗い。この時期のスペインは日が明けるが8時半ごろ、日が暮れるのも遅く夜の8時過ぎだった。不思議だったが、何のことはない。まだ夏時間だったのだ。10月の最終土曜日に冬時間に切り替わるらしい。

9時17分発のグラナダ行きのAVEは少し遅れて出発した。1時間40分ほどかけてグラナダに到着。

スペインの高速列車(AVE)

グラナダ駅で日本人の男性と遭遇する。マドリードからの日帰り旅行でグラナダにやって来たところ。一緒に街の中心まで歩く。彼はそのままアルハンブラ宮殿に向かい、私はカテドラルの近くで宿を探す。

最初にあたったペンションはフルだった。そのあとも、またそのあとも同様。今日は土曜日だ。予約していないとこういうことも起こりうる。

フルだった3軒目の宿で「近くにPension Sevillaというのがあるから行ってみたらどうか」と教えられた。

このPension Sevillaでやっと空き部屋が見つかった。シャワー・トイレ共同の個室が2泊で70ユーロ。まだ部屋のクリーニングが終わっていないということで、バックパックを部屋に置いていったん街に出る。

カテドラルからメインストリートを散策し、昼食をすます。2、3時間たったところで宿に戻ろうとしたのはよいが、ここだと思った場所にPension Sevillaがない。両隣の通りや近辺をあたってみるが見つからない。宿を出るときに位置をちゃんと確かめておかなかった失敗。幸いペンションの名前は覚えていたのでグーグル・マップで検索するが出てこない。あれこれ1時間以上探し回った。さすがに焦った。お金は支払っていないが、荷物は宿に置いてあるから、別の宿にすることもできない。

やむなく近辺のちょっと大きめのホテルに入り、恥を忍んで「道に迷っている。Pension Sevillaはどこだろうか」と尋ねて事なきを得た。Pension Sevillaにたどり着いたときには心底ホッとしたものだ。

アルハンブラ宮殿に行ったのは次の日だ。チケットを購入していないから、外から見たのにとどまる。チケットはかなり前からオンラインで予約していない限り入手できないようだ。

アルハンブラ宮殿

19日の昼食はアルハンブラ宮殿のふもとのレストランでとった。パエリアとサングリア(フルーツ入りの赤ワイン)で19ユーロ。パエリアはポルトガルや西サハラで食べたことはあるが、本場スペインでははじめてだ。味のほうは「まあ一度食べればいいか」という程度。サングリアも同様だった。

メインストリートでデモを目撃した。結構数が多い。千人くらいはいただろうか。MalagaやSevilliaと書いたプラカードも見られたので、おそらくアンダルシア一帯から集結しているのだろう。先頭の隊列は打楽器を奏でている。派手で陽気なデモだ。道行く人に聞いて見ると、医療問題への抗議(?)のデモらしい。

デモに遭遇

明日はマドリードに向かう。列車は1日に4本しかなく、朝の7時すぎを逃すと、午後3時になってしまう。

バスなら本数も多く、値段も安い。バスの時刻表とバスターミナルの位置を知るためにツーリスト・オフィスに入った。予期したとおりマドリード行きのバスは何本もある。10時発のバスで行くことにした。5時間かかる。バスで5時間なら高速列車なら1~2時間で行けそうなはずだが、4時間もかかる。ツーリスト・オフィスの男性職員の説明によると、マドリード行きの高速列車はセビリアのほうに迂回するためだという。時間がそう変わらず、値段が何倍もするなら、列車という選択肢はない。

2019年11月10日日曜日

スペイン・ポルトガル2019 リスボン、エヴォラ、エルヴァス

10月9~11日(リスボン)。

バルセロナから一挙にリスボンまで飛んだのは、航空運賃が940円と安かったからだ。ただし、この安さは見かけで、燃費サーチャージ、税金、手数料などを加算すると、9000円強になった。

10時25分発のTAPポルトガル航空機は11時20分にリスボン空港に到着した。1時間にも満たないフライト時間...ではない。スペインとポルトガルの間には1時間の時差があり、実際のフライト時間は2時間ほど。機内では簡単なサンドイッチも提供された。

まず空港にあるVodafoneのショップでSimカードを入手した。通話機能なしのデータ通信のみのカード。30日間有効で通信量は5GB、値段は40ユーロ。5GBは多すぎた。節約しながら使ったこともあるが、2週間後の帰国日の時点で消費したのは1GBにも満たなかった。

次にインフォメーションでリスボンの地図を入手し、72時間有効のリスボン・カードを購入した。地下鉄、市電、バス、ケーブルカー、エレベーター(!)などが乗り放題になるカードで40ユーロ。私の観光は「歩く」が基本だから、3日間の滞在で40ユーロを回収するほどに利用したかどうかは疑問だが、いちいち料金を支払う手間を省けたからよしとしておこう。

リスボンには3泊する予定で、Lisbon Styleというゲストハウスを予約していた。3泊で170ユーロ。シャワー・トイレ・テレビ付きだが、バルセロナの宿と同様、非常に狭かった。

リスボンは坂が多い。その坂を路面電車やケーブルカーが往き来する。旅心をそそる風景だが、細い道が網の目のように入り組んでいる中を効率よく回るのは容易でない。地下鉄ロシオ駅から海辺のコルメシロオ広場に抜けるいくつかの通りや海岸沿いの道路はわかりやすいが、そこから少しはずれると、どこを歩いているのか判然としなくなる。もっとも、グーグル・マップに頼っても道に迷ってしまう私の方向感覚のなさのほうが問題かもしれないが。

リスボン

リスボンの裏通り

10月9日から11日にかけ、サン・ジュルジェ城、カテドラル、サンタ・ジュスタ展望台、リベイラ市場などをめざし、リスボンの中心部を歩く。バルセロナ同様、どこも観光客であふれている。中国人、韓国人、日本人が目につくのも同じ。

ロシオ駅とコルメシロオ広場をつなぐアウグスタ通りの観光客向けのレストランで、中国人らしきウエイトレスに声をかけられ昼食をとったときのこと。ウエイトレスに「中国から来たのか」と尋ねると、「インド」との返事。「よく中国人と間違われるが、インドのだダージリン出身だ」と言う。色が白く、インド人には見えない。ダージリンにはこうした我々に似た人々が住んでいるのだろうか。

サンタ・ジュスタ展望台に上がるエレベーターの前には長い行列ができていた。私のうしろには中年の東洋人男性。かぶっているキャップの横にnissanのロゴが見える。しかし日本人ではなく台湾人だった。生かじりの中国語を試してみる。「台湾には2度行ったことがある」と中国語で伝えたところ問題なく通じる。ちょっとうれしい。が、そのあと中国語で会話を続けられてさっぱり理解できなかったことであえなく馬脚を現した。男性は今度は日本語で「ひとりで旅行しているのですか」と聞いてくる。あきらかに彼の日本語のほうが私の中国語よりも上だった。

ポルトガルの音楽といえばファドだ。「ポルトガルの演歌」ともいわれるファドを聞かせる劇場やレストランはリスボンに数多くある。しかしそのほとんどが夜遅くの開演。早くても19時半から21時まで。夜の9時といえば私がもう就寝している時間。そんななか、ロシオ駅の近くに夕方5時から6時までファドのライブをやるレストランを見つけた。

このレストランでファドを鑑賞した。ドリンクとつまみ付きで19ユーロ。少し年期の入った男女の歌手が美声を聞かせてくれた。もともとファドは私の好きなジャンルの音楽ではないが、本場のポルトガルで生で体験できたのはありがたい。

ファドを聴く

リスボンのあとでどこを目指すかで少し迷った。これはスペインをメインにするかポルトガルをメインにするかの迷いだ。ポルトガルをメインにするなら北上してナザレ、コインブラを経由してポルトに至り、ポルトからマドリードに抜けるルートになる。

スペインに重点を置くなら、リスボンから東に進み、スペインを南下してアンダルシアを巡ってからマドリードに行くルートになる。

ポルトガルも捨てがたいが、今回の旅の動機のひとつはアンダルシアへの関心だった。リスボンの東、バスで1時間半のエヴォラで1泊し、さらにスペインとの国境に近いエルヴァスで1泊してスペインに入ることにした。

10月12日(エヴォラ)。

リスボンからバスで11時過ぎにエヴォラに着いた。宿は前日にBooking.comでゲストハウス予約していた。レビューの評価がよかったからだ。ところが、エヴォラ行きのバスの中でBooking.com経由で送られてきたゲストハウスのメッセージを見て驚いた。「チェックインは4時から。それまで荷物はツーリスト・オフィスにあずけておくことができる」とのこと。予約する時点でそういう注意書きがあったのかもしれないが、私は気付かなかった。

宿で体を休めてから街歩きしたいところだが、しかたがない。ツーリスト・オフィスにバックパックを預けてから街を一回り、昼食をとり、カフェで休み、ようやく4時になったのでチェックインした。これ以降、最後のマドリードでの3泊を除き、宿はそのつど現地に着いてから探すことにした。私のように行き当たりばったりの旅をしている場合、事前の予約は自由の制約にしかならない。宿を予約していなければいつでも予定を変更できる。

エヴォラは歴史のある町で、古くは日本の天正遣欧少年使節も訪れたことがあるらしい。バルセロナやリスボン同様、観光客が多い。正直なところ「教会や広場を中心とする旧市街」を多くの観光客に交じってぞろぞろと歩くのにはあきていた。ほんとうに見たいのはポルトガルの日常の生活であり、農村の風景だ。

エヴォラ

エヴォラの裏道

今後の行程を考える。ここからスペインに入るには、国境の町エルヴァスでバスを乗り換えればいい。かかる時間もせいぜい2、3時間だろう。ひょっとすればエヴォラから直接にスペインに行くバスが出ているかもしれない。しかしたった4泊でポルトガルを去るのも心残りだ。エルヴァスで1泊してからスペインを目指そう。

10月13日(エルヴァス)。

エヴォラからエルヴァスまではバスで1時間半ほど。昼過ぎにエルヴァスに着く。エルヴァスは城壁に囲まれた町だ。バスの停留所は城壁の外にある。停留所から城壁までは歩いて10分ほど。

まず宿を探す必要がある。「どこへ行きたいのか」と声をかけてくれた男性に「ホテル」と答える。男性が指さす方向に少し歩くとホテルが見つかった。相手はすべてスペイン語だが、単純なことなので十分にコミュニケーションは可能だ。

Hotel São João de Deus。トイレ・バス・テレビ・朝食付きで1泊50ユーロ。修道院を改修してつくられたいいホテルだった。バスタブがあり、朝食も充実していた。Booking.comでは同じ部屋が55ユーロとなっている。予約サイトを利用しないことのメリットのひとつが値段だ。

エルヴァスは観光客も少なく、落ち着いていた。惜しむらくは日曜日ということもあり、多くの店が閉まっていたこと。もう1泊してじっくりと探索すべきだったかもしれない。夕食はホテル近くの小さなスーバーで購入したパンと牛乳で済ませた。
明日は再度のスペイン入りだ。

エルヴァス

エルヴァスの裏道


2019年11月5日火曜日

スペイン・ポルトガル2019 バルセロナ

10月6日から26日にかけスペインとポルトガルを訪れた。20泊の長旅だが、このうち3泊は機中泊と空港泊だから、実質的には17泊と18日だ。それでも私としてはかなり長い行程の旅になる。

スペインとポルトガルを選んだのは、いずれもまだ訪れていない国という単純な理由からだ。それに加え、数年前にロンドンで遭遇したアンダルシア出身のスペイン女性が「アンダルシアはスペインの中でもっとも貧しく、失業率もいちばん高い。しかし人々の心の温かさでは随一だ」と語っていたことが心に残り、アンダルシアに興味があったこと。また、世界を旅していてもっとも気楽に接することのできるのが、スペイン人や中南米人だったことも大きい。せっかく高い航空運賃を出してスペインへ行くなら、そのすぐ隣のポルトガルまで足をのばしたい。

今回の旅は「辺境」への旅とは言いがたい。もちろんスペインやポルトガルにも辺境もあれば秘境もあるだろうが、私のたどったのは名の知れた観光地に限られる。そのうえ18日間の旅を思い出しながら一日一日記録するのはめんどうだ。といってブログに記録しておかなければ、記憶の中からも消え去ってしまいかねない。ということで、これまでの形式から外れ、ともかく旅の概略だけを記述しておき、備忘録としたい。

10月6~7日。

6日19時半に伊丹空港を発ったカタール航空機は羽田とドーハを経由して翌日7日の午後2時過ぎにバルセロナ国際空港に到着した。鉄道と地下鉄を乗り継ぎ、予約していた宿(Hostal Delfos)までたどり着いた。2泊で90ユーロ。シャワー・トイレ・テレビ付きだが、部屋はシングルベッド1つで非常に狭い。チェックインのとき受付に座っていたおばさんはムツッとしており第一印象はよくなかったが、あとあと顔を合わせるたびに笑顔で接してくれた。

ひとつ予想外のことが発生した。スペインやポルトガルをはじめヨーロッパの多くの国で使えるSimカードをアマゾンで購入し、日本でセットアップしておいたのだが、スペインに到着してからネットにつながらない。「あなたのクレジットはすでにすべて使われている」という英文のメッセージが出るだけ。日本ではセットアップしただけで、当該のスマホはずっとオフにしていたので納得はいかない。しかし1000円のカード(データ通信量1G)でジタバタするのも時間と労力の無駄だ。バルセロナでは宿やレストランののWifiを利用し、路上の道案内はMap.meのアプリにまかせることにした。

宿で体を休めてから、街に出る。宿から中心部のカタルーニャ広場までは歩いて10分ほど。6時ごろにバーのテラス席でタパス(スナック)3品と生ビールで夕食代わりとした。タパスは生ハム、ムール貝、ポテト。これで20ユーロほどと安くはない。おいしかったが、このおいしさの実体は味の「濃さ」、特に塩味にあるように感じた。

スペインではじめての食事

伊丹→羽田→ドーハ→バルセロナと26時間に及ぶ移動でこの日はともかく疲れていた。夜の8時ごろには寝入っていただろう。

10月8日。

9時過ぎに宿を出て小一時間歩き、サクラダファミリアに行く。途中カフェに立ち寄りパンとコーヒーで朝食。予想通りサクラダファミリアの前は観光客でいっぱいだった。欧米の観光客が多数派だが、中国、日本、韓国からの観光客も負けてはいない。チケット売り場もあったが、中に入る気ははじめからなかった。外から見たその偉容(異様?)だけで十分だ。

サクラダファミリアの前の観光客

ぶらぶらと歩いてカタルーニャ広場まで戻る。広場の近くにあるスーパーのカルフールで昼食用の寿司(14ユーロ強)と夕食用の菓子パン、生ハム、チーズ、牛乳を仕入れ、宿に帰る。

寿司はまずまずだったが、粘り気のないぱさぱさしたライスが悔やまれる。これは外国の寿司に共通の弱点だ。

午後はカタルーニャ広場からコロンブスの塔がある海岸まで、ランプラス通りを散策した。途中で立ち寄ったサン・ジュセップ市場は人であふれ、活気に満ちていた。カウンター席の食事処もたくさんあり、新鮮なエビやタコ、カキを味わうことができる。値は結構張りそうだ。

サン・ジュセップ市場

正確な時刻は覚えていないが、この日もかなり早く寝入ってしまった。
はじめのスペイン。バルセロナでの実質1日半の観光。このおよそ一週間後にはカタルーニャ独立の活動家に対する実刑判決をきっかけに激しい抗議デモが展開され、バルセロナは麻痺状態になる。ただの1ツーリストの目にはこれを予測させるような兆候は皆無だった。カタルーニャのdistinctiv identityを示唆したのは、バルセロナ空港のサインがスペイン語と英語に加え、カタルーニャ語でも表記されていたことくらいだ。

明日は朝10時25分発のTAPポルトガル航空便で一挙にポルトガルのリスボンへ飛ぶ。