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2023年8月11日金曜日

モンゴル2023 シティ・ツアー、帰国

 7月21日

今日はオンラインで申し込んであったシティ・ツアーの日。ガイドが8時半にホテルに迎えに来るということだった。代金の150ドルはすでに支払っていたが、はたしてほんとうにガイドが現れるかどうか、一抹の不安があった。

不安は杞憂だった。8時半に1階に降りると、ガイドが待っていた。Land Hotelの朝食は9時(実質的には9時半)からだから、今日はあきらめざるをえない。といっても残念な気を起こさせるほどの朝食ではない。

ガイドは50歳代くらいの女性。彼女が運転する車でまず向かったのは、ガンダン僧院。大きなチベット仏教の僧院だ。チベット仏教に特有のマニ車がある。25mの巨大な観音像を筆頭に、さまざまな仏像も見られる。いくつかの部屋では信徒たちが僧侶に唱和して読経していた。

ガンダン僧院


25mの観音像

続いてモンゴル民族博物館へ向かう。ここはすでに訪れた場所だ。だが、博物館の男性職員の英語ガイド付きなので、改めて入館する意味はあった。入館料やガイド料はすべてツアー代金に含まれていた。博物館のガイドと、元寇やジンギスハーンに対する評価について話した。ガイドによれば、元寇が失敗したのは底が平らな中国の船を使っていたからだとのこと。「そもそも侵攻の時期として9月を選んだのが間違いだったのでは」と言うと、笑っていた。ジンギスハーンは侵略された他の国からすれば大量虐殺の張本人だ。そのジンギスハーンがモンゴルで英雄とみなされているのはどうしてかという質問に対しては、「いくつもに分かれていたモンゴルをひとつの国として統一したから」との返答があった。

スフバートル広場をしばらく見物してから、ボグドカーン宮殿へ行く。モンゴルの最後の王であったボクドカーンの宮殿だ。ここでも宮殿専属の英語ガイドが付く予定らしかったが、いつまで待ってもやってこないので、専属ガイドなしで見て回った。したがって何を見たかほとんど記憶に残っていない。覚えているのは中庭で行われていた結婚式だけだ。

結婚式

1時近くになり、昼食をとることにした。向かった先はザイサン・トルゴイ。この麓にある小さな食堂に入る。出てきたのはホーショールとグルヤシ。どちらも今までに食べた料理だ。値段もあまり高くなさそうだ。

「このあとコンサートがはじまる5時までいったんホテルに帰って休んだらどうか」とガイドは提案してきた。これは彼女の手抜きだ。おそらくツアー・コースにはブラック・マーケットも入っているはずだ。さらには、ザイサン・トルゴイの丘に登ることもコースに入ってるのだろうが、「登ろうか」という提案すらなかった。ただ、ブラック・マーケットに行くこともザイサン・トルゴイに登ることもすでに経験済みの私としては、ホテルで体を休めるほうがありがたかった。

ツアー・ガイドはEnglish Speakingのはずだが、彼女の英語は少しあやしかった。よく理解できない場面も少なからずあった。以前には中国まで出かけて商品を仕入れ、ロシアで販売する仕事をしていたらしい。モスクワやサンクトペテルブルクまで足をのばしたらしいが、よく行ったのはイルクーツクだ。イルクーツクではモンゴル語も話されているという。人種的にもモンゴル人に近いのだろう。「モンゴル人のほうがイルクーツクの人たちより顔が大きい」とはガイドの弁。

ツアー・ガイドと一緒に昼食


3時前にホテルに戻り、4時過ぎまで休む。迎えに来たガイドの車でスフバートル広場に面した国立オペラ劇場に向かう。

モンゴル伝統音楽の公演は5時にはじまり、6時半に終わった。2、300人の観客はほぼ全員が外国人だった。ここでも韓国人が多かったが、日本人のグループもいた。公演の内容はほぼ予期したとおりだった。モンゴル独特の唱法であるThroat singingを聴くことができて満足。

公演舞台

Throat singing

公演終了後、待っていたガイドの車でホテルへ戻る。車中、ガイドは明日の空港までの運転を買って出てきた。10000MNT(4000円)とのこと。高い。UBCabを使えば、7000MNTくらいだろう。しかしUBCabではドライバーとうまくマッチングできないケースもありうる。あえて値切らず、彼女の提案を受け入れた。

夕食は例によってホテルの近くの韓国系コンビニで購入した。キンパはさすがにあきているので、肉まんにした。何種類かのまんじゅうがある。レジの店員に英語で違いを尋ねた。若くてかわいい女店員は1つのまんじゅうを指して「カウ」と言う。もう1つは「キムチ」らしい。本来ならbeefと言うべきところを「カウ(cow)」と表現したその言い方がかわいかった。

7月22日

約束どおりガイドは9時に迎えに来た。ホテルの朝食はこの日もとることができない。

空港には10時過ぎに着いた。関空行きのMiat(モンゴル航空)便は13時発。少し残っていたモンゴル通貨でサンドイッチの朝食をとってから、セキュリティ・チェックとイミグレを問題なく通過し、18時に無事関空に到着した。

最後に、今回のモンゴル旅行の感想をいくつかランダムに書いておこう。

(1)10日間という、それほど短い時間ではないにもかかわらず、モンゴルの草原を馬で駆けることもなく、ゲルに泊まって遊牧民の生活を垣間見ることもなかった。ウランバートルを離れたのもハラホリンに行ったときだけ。後悔はしていない。最初から、無理はせずに、のんびり滞在するつもりだったからだ。馬にもラクダにも乗らず、ゲルの中で夜を過ごすことがなくても、十分にモンゴルを楽しめた。旅には年齢に応じたスタイルがある。ガイドブックのとおりに行動する必要はない。

(2)韓国の影響の大きさを感じた。コンビニはほぼすべてが韓国系。Korean restaurantもいたるところにある。外国人観光客も韓国人がもっとも多い。相対的にあまり目立ったなかったのが隣国の中国だ。もちろん中国人観光客にも数多く出会ったが、予想していたほどではなかった。ハラホリンからの帰りのバスで一緒になったモンゴル人青年は「モンゴル人は中国をあまり好きではないから」と説明していたが、真偽のほどはわからない。

(3)7、8月はモンゴル旅行に最適だ。少し暑いが、30°を超えることはなく、なによりも湿気がない。冷房の必要もない。「夏はハエが多い」とも聞いていたが、家畜の周りで少し気になったくらいで、街中ではほとんど見られなかった。

(4)ウランバートルの交通渋滞は噂どおりだった。タクシーに乗っても、渋滞のために予期したより時間がかかるケースが少なくない。公共の交通機関をもっと充実させれば、たとえば地下鉄を開通させれば、渋滞も多少は緩和されるのだろうが、それには多額のお金が必要になる。



2023年8月10日木曜日

モンゴル2023 ブラック・マーケットとザイサン・トルゴイ

 7月19日

Land Hotelの朝食は9時から10時までという変則的な時間。しかも実際には食事が出てくるのは9時半以降になる。これはウランバートル初日に経験済みだったから、9時半を過ぎてから朝食の場に行く。内容はベーシックで、値段相応。

Land Hotelの朝食

朝食を済ませ、State Department Storeへ向かう。SIMロックを解除してもらうためだ。Unitelのカウンターの前に並んでいると、女性から声をかけられる。13日と14日に2泊したTop Tour & Guesthouseのオーナーだった。ちょうどよかった。チェックアウト時に返し忘れていた部屋の鍵を返しに行こうと思っていたところだ。Top Tour & Guesthouseはデパートから6、7分で遠くはないが、手間がはぶけた。

ロックを解除してもらったところで、デパートの近くにある理髪店に行く。恒例となっている「旅先での散髪」のためだ。料金は25000MNT(約1000円)。日本の千円カットとあまり変わらない。

理髪店


さてやっと本来のウランバートル観光だ。目指すはブラック・マーケット。このマーケットのことは数日前にTop Tour & Guesthouseの同宿者から聞いた。ナダームの期間は閉鎖されていたが、17日からオープンしているという。

ブラック・マーケットというおどろおどろしい名前だが、以前はともかく、現在ではウランバートル最大の普通のマーケットで、盗品を扱っているわけでもなく、違法でもない。正式な名称は「ナラントール・ザハ」(「ザハ」はモンゴル語で「市場」という意味)だ。

State Department Storeからタクシーで行く(8000MNT)。確かに大きなマーケットだ。衣類から家具、ゲルの材料や部品までいろいろなものを売っている。しかし残念なことに食品セクションはない。食堂もある。ここで昼食をとりたいところだが、2時過ぎにもかかわらずかなり混んでおり、どう注文していいかわかない。後悔は残るが、あきらめた。

ナラントール・ザハ(ブラック・マーケット)の入口

ブラック・マーケット

ブラック・マーケット内の食堂

タクシーでState Department Storeまで戻り、Asian Food Zoneで遅めの昼食とした。今まで何回も食べたことのあるグルヤシと生ビールで、34500MNT(1400円ほど)。

ホテルに帰り、オンラインで明後日(21日)の市内ツアーを申し込んだ。ランチと夕方からのコンサートを含めて150米国ドル。てっきりグループ・ツアーだと思い、他の観光客との出会いを期待して申し込んだのだが、あとでプライベート・ツアーだと気づいた。150ドルはグループ・ツアーとしては高すぎる。

7月20日

朝食後、配車アプリのUBCabを使ってザイサン・トルゴイまで行く。ザイサン・トルゴイは1971年に建造された円形の戦勝記念碑で、円形の内側には第二次大戦をテーマとするモザイク壁画が描かれている。丘の上にあることから、ウランバートルを一望する場ともなっている。

ザイサン・トルコイ

かつては麓から丘の頂上まで徒歩で登るしかなかったが、現在では複合目的のビルが建っており、7階までエレベーターで行き、残りの若干の階段を登ればよい。

かなりの数の訪問者を見かけた。なかでも目立ったのが若い韓国人観光客だ。韓国・モンゴル奉仕団というボランティア・グループもいた。

韓国のボランティア・グループ

帰りもUBCabを利用した。やってきたタクシーの運転手は女性だった。これには驚かなかったが、助手席に4、5歳の女児が座っている。子連れのタクシー運転手に遭遇するのははじめての経験で、ちょっととまどった。

State Department Storeまで送ってもらい、その近くにあるレストランに入った。3時まで手頃な価格のビジネス・ランチを提供しているレストランだ。3時10分前だったが、ビジネス・ランチは可能とのこと。AランチとBランチのうち、Aランチを選択した。Bランチはスパイシーということで避けたのだが、Aランチはハラホリンで食べたことのあるホーショールだった。生ビール(ジンギスカン・ビール)と併せて20000MNT(800円ほど)。

ビジネス・ランチ

このレストランのウェイターはウランバートルのレストランには珍しく、英語をしゃべった。「英語をしゃべる店員に出会えてうれしい」との感想を伝えておいた。

今日も夕食はコンビニで買ったキンパ(韓国風巻きずし)。さすがにあきた。

2023年8月8日火曜日

モンゴル2023 ウランバートルへ戻る

 7月18日

ウランバートル行きのバスは午前10時にハラホリンのバスターミナルを出る。私のほかに、ハルピンおばさんとその連れの青年もこのバスを利用する。バスターミナルまではGaya's Guesthouseが無料で送ってくれた。

ハルピンおばさんとその連れは、ウランバートルのバスターミナルでバスを乗り継ぎ、モンゴル北方のフブスグル湖を目指す。ウランバートルからフブスクル湖まではバスで15時間。寝台バスではなく、普通のバスらしい。今の私には過酷すぎる行程だ。10年ほど前の2014年には24時間以上かけて普通のバスでモロッコのマラケシュから西サハラまで行った。2012年には寝台バスだが新疆ウイグルのホータンからウルムチまで26、7時間かけて移動した。10年前には、いや5年前でもこうした過酷な移動も躊躇なく選択したものだ。今では長時間のバス移動はできれば避けたい。

バスは定刻に出発。2時間ほど走ったところでランチ休憩。ウランバートルからハラホリンへ来たときと同じ食堂だ。注文したのも同じで、「グルヤシ」という肉の煮込み料理。

バスの車窓から


私の隣にはモンゴル人の長髪の青年が座っていた。なんとなく英語ができそうな雰囲気だったので話しかけてみた。私が日本人だと告げると、彼は日本語で話し出した。日本に留学して8年間滞在したとのこと。昨年モンゴルへ帰ってきて、今年また日本へ行く予定とか。

行きのバスでは通路を挟んだ隣が日本人旅行者で、帰りのバスの隣は日本留学経験者。行きも帰りも日本語で会話できた。希有な偶然だ。

モンゴル人青年とはウランバートルまでの残りの4時間、ほとんど休みなくたっぷり日本語で話した。

青年は大学2年のときに日本へ留学。日本語学校から秋田の高専、さらに新潟大学に入り修士課程に進んだ。日本滞在の最後の3年間は京都に住んでいた。専攻は建築。修士論文を日本語で書いたという。

京都に住んだのはミャンマー人のガールフレンドが京都大学で学んでいたためだ。

日本のサービスの質の高さ、その裏面であるサービス労働者を巡る過酷な状況、ブラック企業のこと、ミャンマーのこと、最近の日本語(たとえば「ヤバい」とう表現)のこと、そしてもちろんモンゴルのことなど、話題は多岐に及んだ。

彼によれば、モンゴルの大きな問題は政治の腐敗だ。元力士の旭鷲山が政治家になった話を持ち出すと、「彼もただの腐敗した政治家になってしまった」と批判していた。

青年の実家はハラホリンで製麺業を営んでいる。普段はウランバートルに住んでいるが、ナダームの4日間だけ実家に帰って家業の手伝いをしたという。

今年中に日本に帰り、大林組の派遣社員として働く予定らしい。

モンゴル人青年

ウランバートルの案内が必要なときにはいつでも連絡してくれと、私に電話番号を伝えてくれる。せっかくの申し出だが、ウランバートルの残りの日は自分で動きたいこともあり、遠慮しておいた。

今日からモンゴルを離れる22日までの4泊5日の宿は、初日と同じLand Hotelを予約していた。このホテルに満足していたわけではないが、バスルーム付きの個室で1泊22.5ドルという安さにひかれた。本来はゲストハウスの個室がベストなのだが、Booking.comではドーミトリーしか空きがなかった。

ホテルに着くと、スマホのSIMカードに問題が発生していた。UnitelのSIMカードはスマホを再起動するたびにSIMカードのPINコードを入力する仕組みになっていた。これまでにこうした経験がなかったこともあり、つい(SIMカードではなく)スマホのPINコードを入力してしまい、しかもその入力を3回連続して繰り返したため、SIMカードがロックされてしまったのだ。ロックを解除するにはSIMカードのPUKコードを入力する必要がある。PUKコードなるものはSIMカード購入時にもらったカードに記載してあったのかもしれないが、このカードは先日財布とともになくしている。

SIMカードを購入したState Department Storeまで出かけ、事情を話してロックを解除してもらうしかない。

ホテルからState Department Storeまで歩いて出かける。ロックは解除してもらえそうだが、時間がかかるので明日また来てくれとのことだった。

夕食は韓国系コンビニ(コンビニの大半は韓国系だ)で購入したキンパ(巻きずし)で済ませた。

2023年8月7日月曜日

モンゴル2023 ハラホリンを歩く

 7月17日

朝食の席で私の前に座っていたのは米国人の青年。カリフォルニア州出身で、コロナ前に米国を出て、4年間ほど世界各地を旅しているという。昨日フランス人女性が「米国人男性と一緒に歩いて隣町まで行く」と話していたが、この青年がまさにその相手だった。やがて当のフランス人女性も姿を見せた。昨日はフランス語と日本語で話したものだが、第三者がいるこの場では当然言葉は英語になる。

中東風の若いカップルがやってくる。女性はヘッド・スカーフを着用している。どこの国籍だろうか。気になる。シリア、イラン、あるいは...。トルコ人だった。彼らも長期旅行者だ。モンゴルに来る前に日本に4か月ほど滞在したとのこと。日本での体験は総じてポジティブだったようだ。ハラル料理の話から、彼らがよく行ったらしい「サイゼリア」へと話が飛ぶ。

私の斜め前に座っていたのは中年の中国人女性。若い中国人男性と一緒だった。母と息子かとも思ったが、あとから聞くと、ウランバートルのゲストハウスで知り合って一緒に旅をしているだけとのこと。これもあとから聞いたことだが、中国人女性は46歳だった。

彼女はハルピンの出身(以下、「ハルピンおばさん」と呼ぶことにする)。日本はすでに2回訪れたが、あと2回は行ってみたいと言う。「ペイハイド、トンジン、ジンド、ダーバン、そしてXXXなどへ行った」とも。北海道、東京、京都、大阪はわかったが、最後のXXXはわからなかった。スマホの画面を見せてくれる。XXXは沖縄のことだった。

「日本では北海道をペイハイド、大阪をダーバンと言っても通じない。次に日本へ来るときは日本の地名を日本語で(つまりは英語で)覚えてから来るように」と忠告しておいた。

昨日はエルデニ・ゾーを見るだけで終わってしまった。今日はハラホリンのメイン・ストリートを見てみたい。ハラホリンの今日の天気予報は雨ということだが、午前中は大丈夫みたいだ。ゲストハウスから30分以上かけ、ぶらぶらと歩きながら、それらしきところにたどりつく。といっても、ちょっと大きめのホテルと3、4軒のカフェやレストランがあるだけで、メイン・ストリートと呼ぶのはおおげさだ。

通りのはずれのほうにあるらしい川を目指して歩く。20分ほど歩くが見えてこない。さすがに疲れ、引き返す。川を見ることはかなわなかったが、通りすがりに見える家並みは興味深かった。ゲルでもなく、ウランバートルにあるような高層アパートでもなく、おそらくこれが平均的なモンゴル人の住み家なのだろう。

沿道の家並み


午後1時を過ぎたところで、「メイン・ストリート」にあるちょっと大きめのレストランに入る。ウェイトレスがなかなか注文をとりに来ない。こちらから声をかけると、スマホの画面を見せてくる。画面には韓国語が表示されている。私を韓国人だと勘違いし、グーグル翻訳を使ったのだろう。日本人であることを英語で伝える。英語への翻訳に切り替えて表示されたのは「Closed」という情報。まだ客はちらほら残っているようだが、新しい注文は停止していた。

やむなくさらに20分ほど歩いて、昨日訪れたエルデニ・ゾー(寺院)の周辺にある食堂を目指した。昨日とは別の食堂に入る。客の食べている料理を指さし、これを3個くれと伝える。ここでもウェイトレスがスマホの画面を私に差し出す。表示されているのはまたまた韓国語だ。日本人であることを伝え、日本語の翻訳を表示してもらう。注文したのは「ホーショール」というモンゴル伝統のパイのような料理だが、画面には「パンケーキ3個でいいのか」という日本語が表示されていた(ホーショールが「パンケーキ」と日本語訳されていた)。ホーショール3つとミルク・ティー2杯で8000MNT(300円ほど)だった。

ホーショール


今日は「ナダーム」の最終日。エルデニ・ゾー前では子供たちが輪になって踊っていた。

子供たちの踊り

そうこうしているうちに、空模様があやしくなってきた。エルデニ・ゾーの近くにある博物館に入るのはあきらめ、スーパーに立ち寄ってから宿に帰ることにした。

スーパーで買い物を終え、外へ出たときにちょうど雨が降りだした。かなり激しい雨脚だ。急いでカバンから傘を取り出し、宿へ向かう。スーパーから宿までは7、8分。風も強く、傘をまともにさすことができない。ゲストハウスに着いたときにはかなり濡れてしまった。皮肉なことに、着いてからしばらくすると雨はやんだ。

共有スペースに行くと、若い東洋人の女性がタブレットで何かを鑑賞している。韓国語だ。韓国語で声をかける。いつものとおり、韓国語で話しかけてもあとが続かない。英語に切り替えて話を続ける。

彼女はソウル出身。モンゴルははじめてで、モンゴルのあとは列車で北京と上海へ向かう予定だ。三回の訪日経験あり。いずれも東京。どうして東京なのかと尋ねると、劇団四季のテストを受けるためだったとのこと。合格には至らなかったらしい。つまり彼女は女優もしくはその卵なのだ。「女優と名のつく人と話すのは生まれてはじめてだ」と私の驚きを伝えておく。

やがて朝食時に知り合ったハルピンおばさんもやって来た。紅茶を飲みながら、日・中・韓の三者会談がはじまる。3つの国での漢字の意味と使い方からはじまり、東アジア3か国が抱えている問題に及んだ。

日本語で「カンジ」、中国語で「ハンズ」、韓国語で「ハンチャ」と呼ばれる漢字については、韓国人女性に対して「自国語(つまりは韓国語)を理解するには、漢字の勉強が不可欠だ」と力説したが、あまり納得したようではなかった。「愛人」という漢字が3つの国でそれぞれ異なる意味を持つことなども話題にした。

日・中・韓が抱える問題にはいくつかの共通項がある。たとえば、少子化、過度な受験勉強、女性の社会的地位など。こうした共通の問題を抱えているにもかかわらず、3か国の関係がぎくしゃくしているのは残念だとの感想を述べておいた。「中国は世界でナンバーワンになろうとしている」という私に対し、ハルピンおばさんは「そんなことはない」と否定していた。

小一時間は話しただろうか。この三者会談は今回の旅行での忘れがたい経験となった。

この日も夕食はスーパーで購入したイワシの缶詰とビスケットで済ました。明日はバスでウランバートルへ帰る日だ。チケットはGaya's Guesthouseのオーナー夫人が予約してくれていた。ハルピンおばさんと中国人の青年も同じバスでウランバートルへ向かう。

2023年8月5日土曜日

モンゴル2023 ハラホリン

 7月16日

朝食の席で30歳くらいのフランス人女性と出会った。私がフランス語で話し始めると、彼女は日本語で返してきた。数年前にワーキング・ホリディで来日し一年半滞在したとのこと。1年間は日本国内を旅行し、半年間は関西空港で働いたという。一年半の滞在にしてはかなり流暢な日本語で、問題なくコミュケーションが可能。関空で働いていたときには朝から晩まで働きづめでたいへんだったらしい。「これではなんのために日本にいるのかわからない」と感じ、仕事をやめてフランスに帰った。

桜よりも紅葉が好きだという彼女。漢字も好きで、(日本語は)話すよりも読むほうが得意だという。日本語で読んだ(あるいは読もうとしている)本をいくつか紹介してくれた。そのうちのひとつは、逢坂冬馬の『同時少女よ、敵を撃て』。これは私も少し気になっていた本だ。

外国人にとっては読み書きがネックとなる日本語だから、彼女の読書力には感心するしかない。だが、フランスの文学については、どうだろうか。私が愛読したルイ・フェルナンド・セリーヌやエドワルド・ルイについては存在すら知らないようだ。私も彼女が紹介してくれた日本のミステリー小説について作家も作品も知らなかったから、まあおあいこと言えるだろう。

彼女はモンゴルを皮切りに日本を経由して東南アジアを回る2年がかりのまわる予定だ。数年前にアフリカを長期間旅行したことはあるが、東南アジアははじめてという。「少なくとも一ヶ月は滞在しないとその国を知ったことにはならない」というのが彼女の持論。明日はハラホリンの隣の町まで米国人男性と一緒に20Kmの道を歩いて行く予定だ。そのあとも2週間ほど野宿しながら歩いてモンゴルを巡るつもりらしい。野宿のためのテントも用意している。重い荷物を背負って移動するために、「筋トレ」もやっているとのこと。フランス人女性の口から「筋トレ」という日本語が出たことにも驚いたが、もっとびっくりしたのはそのユニークな旅のスタイルだ。

ハラホリンの観光の中心は「エルデニ・ゾー」という仏教寺院だ。ゲストハウスから歩いて20分ほどの距離。広大な敷地に寺院の建造物が数多く建っている。仏像が建立されている奥の院に入るには入場料が必要。外国人は20000MNT(800円ほど)だった。

エルデニ・ゾーの入口


エルデニ・ゾーの内部

訪問者のなかにはちらほらと外国人も見られるが、大半はウランバートルなどから来たモンゴル人だ。実はこの時期(7月11日から17日まで)、モンゴルでは「ナダーム」という年に一回の祭りの最中で、ずっと祝日だった。モンゴル人の観光客が多かったのはそのせいだろう。

エルデニ・ゾーの前の広場ではナダームの行事の一環で、歌や踊りが披露されていた。これも興味深かったが、それよりももっと心を引かれたのは、広場からずっと離れたところで行われていた女の子たちの伝統楽器の演奏だった。同じ曲を繰り返していたから、練習だったのかもしれない。2、3人の保護者らしい人を除けば観客はゼロ。ぜいたくに伝統音楽を鑑賞できて大満足。

伝統楽器の練習

エルデニ・ゾーの前にはいくつかの食堂や土産物屋が出店している。そのうちのひとつで遅めの昼食をとった。肉と卵とライスの料理。甘い飲み物と併せて14000MNT(550円ほど)。

3時過ぎにゲストハウスへ帰り2時間ほど休む。ゲストハウスの裏の丘には亀石(亀の形の石像)があるというので、丘の頂上を目指す。道のたどって登るが、亀石らしきものは見当たらず引き返す。亀石には出会えなかったが、丘に登る途中、そして丘の頂上から見える景色はいかにもモンゴルらしい絶景だった。

丘に登る途中で

丘の上から

ゲストハウスのオーナー夫人によれば、道を辿って行っても亀石は見つからないとのことだった。ゲストハウスの真裏からまっすぐに道なき道を登っていかなければならない。

オーナー夫人からは朝青龍が経営するAsa Landなるツーリスト・キャンプのことも聞いた。朝青龍はハラホリン近郊の出身らしい。Asa LandはGaya's Guesthouseから5kmほど離れたところにあるとのことだったが、あとで調べると3.8kmの距離だった。「ハラホリンの町を歩いてれば朝青龍に会えるかも」とはオーナー夫人の弁。

Asa Landは1泊150ユーロと高額で、私の選択肢に入るような宿ではない。しかも、ネットの評判も芳しくない。「高い値段にしては...」といったレビューが多かった。

Gaya's Guesthouseには1日延泊することにした。明日はもう少しハラホリンを探索しよう。

昨日と同様、スーパーで買ったイワシの缶詰を夕食としてこの日を終えた。

2023年8月2日水曜日

モンゴル2023 ハラホリン(カラコルム)到着

 7月15日。

今日の朝食の席は昨日ほどにぎやかではなかった。私が顔を出したときに朝食の場にいたのは米国ジョージア州出身の青年ひとりだけだった。彼はモンゴル、日本を経て、東南アジアを数か月かけて旅行する予定とか。そのうち、昨日会った韓国人女性や一昨日チェックインしたときに見かけた米国人も現れた。カリフォルニア州出身のこの男性、日焼けしていて米国人といった雰囲気ではない。それもそのはず、米国を出てから9年以上、一度も帰国することなく世界を放浪しているという。

9時半にゲストハウスをチェックアウトた。ハラホリン行きのバスがドラゴン・バスターミナルを出るのは11時だから、ちょっと早すぎるが、Better to be too early than to be too lateだ。

ゲストハウス近くの大きな通りに出て、配車アプリのUBCabでタクシーを呼ぶ。だがなかなかドライバーとマッチングできない。ドライバーからかかってきた電話を通りがかりのモンゴル人女性に受けてもらい、ようやく車と遭遇できた。

車に乗り込むと、運転手が韓国語で話しかけてくる。流暢な韓国語だ。韓国の大学に留学していたという。ウランバートルに戻ったときの観光案内を売り込んでくるが、韓国語の案内ではちょっと躊躇する。

バスは11時5分ごろに出発した。通路を隔てた隣には日本人男性が座っていた。5日間のモンゴル旅行で、乗馬やゲル体験のツアーに申し込んでおり、ハラホリンまでは行かずに途中で降車し、ガイドと合流するらしい。長野在住のこの男性、以前に2年間かけて世界を一周したという経験の持ち主だ。

ゲストハウスをチェックアウトする際に部屋の鍵を返却していないことに気がついた。バスの中からゲストハウスに電話し、ウランバートルに戻ったときに返却すると伝えておく。

4時間近く走ったところで、ランチ休憩となった。私が注文したのは「グルヤシ」という肉の煮込み料理。ハンガリーの「グヤーシュ」由来の料理らしい。11500MNT(450円ほど)。

グルヤシで遅めの昼食


ハラホリン(カラコルム)の宿はGaya's Guesthouseを予約していた。ネットの評判がよく、ドーミトリー形式が基本だが、個室も備えている。私が予約したのはもちろん個室で、朝食付きで1泊30ドル。バスターミナルまではからは2km以上離れており、あらかじめ連絡しておけば無料で送迎してくれる。

バスがハラホリンに着いたのは夕方の6時近く。ウランバートルから7時間ほどかかったわけだ。バスターミナルにはゲストハウスのオーナー夫人が迎えにきてくれていた。バスの到着を待っていたかのようににわか雨が降りだす。

草原の中にあるGaya's Guesthouseはウランバートルのゲストハウスとはかなりおもむきが異なる。メインの建物のほかに、7、8棟のゲルの宿舎がある。

Gaya's Guesthouse(1)

Gaya's Guesthouse(2)

ゲストハウスに到着したときは、落雷のせいで停電だったが、すぐに回復した。共有スペースにはドイツ人の女性がいた。ドイツ語で話してみる。トーマス・マンのことなど。女性は数か月の予定でアジアを旅行しているということだった。モンゴルのあとは日本に向かう。日本には最低3週間は滞在する予定という。モンゴルで出会う欧米人はすべて長期旅行者だ。それはそうだろう。遠い欧米からモンゴルだけをターゲットとしてやってくるケースは考えにくい。日本、中国、韓国の旅行者とはわけが違う。

Gaya's Guesthouseを切り盛りしているのはオーナー夫人とその2人の娘(次女と三女)で、主人はあまり表に出てこない。夫人によれば「シャイだから」ということだった。夫婦の長女は大阪に留学中という。

ゲストハウスの周りには便利なコンビニやレストランなどはない。もっとも近いスーパーマーケットまでは歩いて10分ほどかかる。モンゴルの夏は8時過ぎまで日が沈まない。雨もやんでいるので、スーパーまで出かけ、カップヌードル(中国製)、イワシの缶詰(ロシア製)、ソフトドリンクを購入して夜食とした。ゲストハウスには2泊だけ予約してあったが、もう1泊延長してもよい。明日決めよう。

スーパーからの帰り道