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2018年7月22日日曜日

インドネシア・パプア州2018 九日目(ジンバラン、帰国)

6月2日。

今日は帰国日だが、飛行機が出るのは真夜中。一日たっぷりと時間を使える。

9時にホテルで朝食をとる。トーストか焼きそばか、いずれかを選択できる。焼きそばにした。麺はインスタントのようだが、まずはおいしい。

ホテルのチェックアウトタイムは12時なので、荷物を部屋に置いたまま、いったん外に出る。街の中心にあるマーケットを見るためだ。昨日にも訪れたが、午後遅くだったため、閉まっていた。

市場

マーケットの動画を撮ったあと、向かい側にあるヒンドゥー寺院に入る。入ろうとすると、庭掃除をしていた男から声がかかる。腰のほうに手をやって何か仕草をしている。何を言っているかわからない。あとで判明したことだが、寺院に入るには、バリの伝統衣装である腰スカートを着用していなければならなかったのだ。寺院の前にもその旨の英語の掲示が出ていたのが、目立つ掲示ではないので気付かなかった。男は「仕方ないなあ」といった感じで、私がそのまま寺院の中へ入っていくのを見ていた。

ヒンドゥー寺院

再びホテルに戻り、チェックアウトぎりぎりの12時まで休息する。チェックアウトし、荷物を預けてから出かけた先は、ジンバラン・コーナーというショッピングアーケード。興味を引くような売り物は少なく、客もほとんどいなかった。

途中で散髪屋を見つけたので髪をカットする。20Kルピア(160円ほど)。短くなりすぎたきらいもあるが、すっきりと刈り上がった。

2時を過ぎていたので、食堂へ入る。エビ入り焼きそば(ミーゴレン)とマンゴージュースで確か60Kルピアだった。

遅めの昼食

日差しも強く、これから夜まで特にすることもない。ホテルはチェックアウトしているから、部屋に戻って休むこともできない。そうだ、海岸に出て、長椅子に横たわって休もう。

この選択は正しかった。長椅子の代金は50Kルピア。時間の制限はない。大きなパラソルが日陰をつくってくれる。飲み物や食べ物を注文することもできる。コーラを注文し、スマホで音楽を聞きながら、横たわる。目の前にはきらきら光るきれいな海。今までやたらと歩き回っていたが、ただただリラックスするこうした時間の過ごし方もいい。「リゾート」という言葉の意味をはじめて実感した。

長椅子に横たわって海を眺める

太陽が水平線に沈んでいくのを見てから、ホテルに戻った。空港までの車の手配を頼んでいたからだ。料金は100Kルピア。約束の8時まで受付付近のソファに座ってネットに接続する。

空港までは30分くらいのはずだが、ひどい渋滞で1時間以上かかった。運転手はホテルの関係者だった。ラマダンの話になった。ヒンドゥー教にも断食はあるという。ただし1日だけとのこと。

空港に着いてから、ビールとフィッシュ&チップスで夕食代わり。値段は忘れたが、空港だからそれなりに高かったように思う。0時40分発の関空行きのガルーダ機に無事搭乗し、はじめてのインドネシア旅行を終えた。

インドネシアは広い。今回の旅ではそのほんの一部、それもパプア州という特殊な地域を覗いただけだが、ワメナに行ってコテカを見るという当初の目的を達成できたので80点としよう。5月26日にセンタニでワメナ行きの往復エアチケットを確保できたのがポイントだった。親切に対応してくれたトゥリガナ航空の若くて可愛い女性に感謝。

2018年7月19日木曜日

インドネシア・パプア州2018 八日目(バリ島へ)

6月1日。

ホテルの朝食は予想を裏切らずお粗末だった。

ホテルから空港までは歩いて10分ほど。9時25発のデンパサール行きガルーダ便は、ほぼ定刻通りセンタニ空港を飛び立った。往路と同じくTimikaを経由し、5時間半ほどかけてバリ島のデンパサール空港に降り立ったのは午後2時ごろだた(パプアとバリ島の間には1時間の時差がある)。

バリ島には明日の夜遅くまで滞在できる。帰国便は明後日の0時40分発だ。帰国までの1日半をリゾート地のジンバランで過ごすことにした。ガイドブックによれば、ジンバランは「静かな漁村という雰囲気をいまだに濃厚に残している」ということだった。バリ島の舞踏やガムラン音楽に興味があるから、そうした催しの多いウブドとも考えたが、少し遠く、タクシー代も高そうなのであきらめた。

空港を降りたところにあるタクシーデスクでジンバランまでの代金を尋ねると、200Kルピア(1500円ほど)とのことだった。高すぎるので、空港の外に出る。タクシーの運転手が群がっており、声をかけてくる。最初に声をかけてきた運転手の言い値(150Kルビア)を受け入れ、ジンバランの中心部にあるVilla Puri Royanというホテルまで行く。

Villa Puri Royanはガイドブックに記載してあるもっとも安価なホテルだ。予約はしていなかったが、部屋は空いていた。エアコン・テレビ・シャワー・トイレ付きで1泊300Kルビア(2300円ほど)。朝食も付いている。Wifiは受付の付近でのみ利用できる。顧みるに、センタニやワメナの宿は高かった。

機内で軽食が出たこともあり、昼食は抜きにしてジンバランの街に出る。大通り沿いにある吹き抜けの小さな建物の中で、初老の男性が打楽器でガムランの旋律を奏でている。しばらく耳を傾ける。mesmerizingな音の流れが心地いい。男性は私に「ちょっと弾いてみるか」と誘うが、音楽の素養がゼロである我が身を考えれば、遠慮しておいたほうが無難だろう。

バリの住民の大半はヒンドゥー教徒だ。家の前に置かれた数多くのお供え物、寺院、頭に巻かれている白い布、サロン(腰巻き)、帯の伝統衣装が独特の雰囲気をつくり出す。

ジンバランのストリート
 

お供え物

バリの伝統衣装

海岸に出てみる。きらきらと輝く海が水平線と交わっている。漁の船を出す人々もいるが、「漁村の雰囲気」は感じられない。

ジンバランの海岸

街で目立つのは中国人の団体観光客だ。中国人観光客を目当てに法輪功の大きな看板を持った男が街角に立っている。中国本土では禁止されている行為だが、ここなら大丈夫なのだろう。

夕食は海岸に張り出したシーフードのレストランでとることにした。焼き魚、野菜の炒め物、スープ、ライス、それにビールで136Kルピア(1000円ちょっと)。これまで「安ければいい」式の食事しかしていなかったから、たまにはいいだろう。

テーブルは海岸の砂場に配置され、蝋燭の灯りのもとで食べる。ロマンチックともいえるが、料理をよく識別できないのが難点だ。周りのテーブルからは日本語の会話も聞こえる。日本人はおろか、観光客の姿をほとんど見かけなかったパプアとは大きな違い。

蝋燭の灯りのもとで夕食

宿に戻ると2人の若い日本人女性がいた。はじめてのバリ島で1週間ほどの旅を楽しんでいるもよう。最初はクタに滞在したが、サーフィンなどの誘いがすさまじかったという。ジンバランはそういうこともなく、のんびりしているとのことだった。

明日は帰国日だが、真夜中の便だから、1日たっぷりジンバランを楽しめる。「楽しめる」というより、どうやって夜までの時間を過ごせばいいのかわからないというのが本音。

2018年7月10日火曜日

インドネシア・パプア州2018 七日目(センタニへ戻る)

5月31日。

ジャヤプラ(センタニ)行きのトゥリガナ航空の便は11時20分発。ビュフェ式の朝食をとってから8時過ぎにホテルを出る。ホテルから空港までは歩いて15分ほど。空港についてチェックインする。ともかくフライトがキャンセルされていなようでホッとする。

ホテルの朝食

ところが11時を過ぎても飛行機が到着せず、搭乗できない。スタッフに聞くと遅延だと言う。いやな気になる。フライトがずるずると遅れて結局キャンセルされてしまった苦い経験が今までに2度ある。1度目は中国国際航空で、2度目はデルタ航空で。今日中にセンタニに到着しなければ、明日の朝9時25分にセンタニ空港を発つデンパサール行きのガルーダ便に間に合わない。

1時過ぎに搭乗が始まったときにはホッとした。およそ2時間遅れでワメナ空港を飛び立ったトゥリガナ航空機は2時ごろにセンタニに到着した。ガルーダ航空の便がキャンセルされる可能性は低いから、明日にはちゃんとデンパサール(バリ島)にたどり着けるだろう。教訓を1つ。信頼性の低い航空会社を利用するときには、日程にかなりの余裕を持たせるべきだ。

ワメナからセンタニへのフライト

センタニに着いたが、高いタクシー代を払ってジャヤプラまで遠出する気はない。センタニでの宿はMansapur Raniというホテルにした。5日前にセンタニで宿を探したときに当たってみたホテルだ。朝食付きで300Kルピア(2300円ほど)。Wifiは飛んでいない。外観が立派で、英語を話すオーナーがフレンドリーで正直そうだから選んだのだが、これは失敗だった。5日前に泊まったUnique Hotelにすべきたった。

立派なのは外観だけで、室内は暗くてじめじめしており、何の趣もない。エアコンは椅子を使わなければオンにできない。温度調節は不可能。シャワーはなく、マンディ(水を張った水槽)があるだけ。広いだけが取り得だ。

ホテルの部屋

町にでて遅めの昼食をとることにした。空港のカフェがツーリスト価格であるのは経験済みだから、町中の安食堂にした。オムレツなどの総菜3種類とライスで22Kルピア(170円ほど)。まずまずおいしい。食堂の主人が「Twenty two」と英語で値段を言ったのにびっくり。

遅めの昼食
 
センタニはあまり見どころもなく、5日前にすでに一巡している。すこしぶらぶらしたあと、5日前と同じ店でスナック3点とミネラルウォーターと乳飲料を購入(全部で25Kルビア)してから宿に引き返した。明日はバリ島だ。

2018年7月7日土曜日

インドネシア・パプア州2018 六日目(ワメナ) 

5月30日

今日はワメナの町の中で一日ゆっくり過ごすつもりだ。

朝食後、9時前にホテルを出て、あてもなく町外れまで歩く。途中に市場があったので立ち寄る。大きい市場だが、閑散としてる。

閑散とした市場

街中に引き返し、空港まで歩く。トゥリガナ航空のオフィスがあったので、明日のジャヤプラ(センタニ)行きのフライトが予定通りであることを確認しておく。キャンセルや遅延が多い航路だけに気がかりだった。

路上での賭博を今日も見かけた。

路上賭博

昼食はホテルの前の食堂でとった。無難なところで焼きそば(ミーゴレン)。可もなく不可もなし。値段は忘れたが、20Kから30Kルピアの間だろう。

昼食後、しばらくぶらぶらしたあと、Papua.comへ行く。ネット・カフェを利用するためだ。ネットにつなぐだけならホテルのWifiを利用すればいいのだが、これまで藤原さんにお世話になりながら、金銭はまったく支払っていない。藤原さんが受け取ろうとしないからだ。せめてネット・カフェの客としていくばくかをお返しするしかない。

Papua.com

ネットを30分ほど使う。速度は極端に遅い。ワメナのように通信インフラが貧弱なところでネット・カフェを運営する苦労がしのばれる。communal violenceとWamenaをキーワードにして、昨日ガイドが話していた死者数30人を超える紛争(というより小規模な戦争だ)を検索したが、それらしきものはまったくひっかからなかった。おそらくガイドが誇張したのだろう。

ネット代はたったの7K(50円ちょっと)だった(これさえも藤原さんは「払わなくていい」と言っていた)。

この藤原さん、なかなかの冒険家だ。高校時代から登山を始め、新宿の住友三角ビルに命綱なしに素手で登ったこともあるとか。日本からニューギニアまでヨットで渡航し、さらにボートで高地までやってきたという。この冒険譚については同行した歌手の峠惠子さんの著作がある。

http://honz.jp/articles/-/42074

夕食は3日連続でラマダン・テントで購入した。ワメナで最後の夜なのでお菓子も2つ追加した。正直なところ、インドネシアではそれほどおいしいと思う食べ物に遭遇していなかったが、このお菓子は絶品だった。見かけは大福や草餅に似ているが、中に入っているのはあんこではなく、ヤシ砂糖だろうか。バリ島に戻ったときに、お土産にと探したが、見つからなかった。

ここで4泊5日したワメナの印象をまとめておこう。

ワメナ

先にも書いたが、ワメナではダニ族などの先住民とインドネシアの他の地域からの移住組が混在している。ざっと見たところでは先住民7割、移住組3割といったところだが、この数字は印象でしかなく、根拠はない。

商店、レストラン、ホテルなどに携わっているのはほとんど移住組だ。私が宿泊したBaliem Pilamo Hotelでも受付やホテルのスタッフはすべて移住組で、先住民はもっぱら掃除や雑用の担当だった。

ワメナで気づいたのは、町の中か山道かを問わず、裸足の人が多いことだ。子供だけではなく、大人にも裸足が多い。3分の1あるいは4分の1くらいの人が靴もサンダルも草履も履いていなかった。

人々はフレンドリーだ。歩いているとよく声がかかる。おそらく「ハロー」とか「ウェルカム」に相当する言葉をかけてくるのだろうが、よくわかない。握手を求めてくる人も少なくない。手を握りながら、「ワッ、ワッ、ワッ」と言う。「ワッ」とはおそらく「うれしい」という意味なのだろう。こちらも「ワッ、ワッ、ワッ」と返す。

ワメナの町の中でコテカ(ペニスケース)姿を見ることはまれだが、皆無ではない。すべて老人。ホテルの周辺で見かけるコテカ姿はツーリスト目当ての物乞いである場合が多い。こうした1人に捕まったとき、そばを通りかかったインドネシア人の女性が私のほうに目配せをして、「相手にするな」といったしぐさをしたこともあった。

たまに見かける裸の老人

先住民間での争いについてはガイドや藤原さんから聞いたが、Papua.comで検索していて気づいたのはパプア人のインドネシアからの独立運動だ。こうした動きが今でも存在するののかどうか、移住組に対するパプア人の感情がどのようなものかについては聞きそびれてしまった。

明日はジャヤプラ(センタニ)へ移動する日。飛行機がちゃんと飛んでくれるとよいのだが。