5月24日。
8時少し前に「朝食の用意ができた」との声がかかる。台東から来た青年と一緒にテーブルにつく。ウインナを挟んだ小ぶりのパン2つ、トースト、炒り卵、紅茶(たぶん)。腹をずっしりと満たす内容だ。英語と筆談を交えながら青年と話す。
3日間の休暇を利用してスクーターで霧台まで来ていたこの青年、現在は台東で建築家として働いているが、出身は台北に近い新竹という。新竹という名前はなじみがあった。どこかで「新竹には客家が多い」と読んだ覚えがある。青年に確かめると、その通りで、新竹には客家が多いとのことだった。
台湾人は大きく3つに分類できる。国民党の敗北に伴い1945年以降に中国本土から逃れてきた外省人、それよりずっと以前から中国の福建省などから移住していた本省人(客家を含む)、そして台湾の本来の住民である原住民(日本の統治時代には高砂族と呼ばれていた)だ。青年は本省人であり、越南つまりベトナムの血も混じっているとのことだった。といっても、出自を越えた結婚も珍しくない今日の台湾では、本省人、外省人、原住民の区別もあいまいになっているという。
「日本人、中国人、韓国人を区別できるか」と青年に聞いてみた。おおよそできるとの答えだった。「日本人の特徴は,,,」と言いかけたが、適切な英語が見つからないらしく、スマートフォンに翻訳させてその画面を見せてくれた。画面にはneatという単語が表示されている。neatの対極にあるむさ苦しい私に対して「日本人はneatだ」と言われてもちょっと対応に困る。
9時過ぎに宿を出た。すでにメインストリートに停車していた屏東行きのマイクロバスは定刻の9時半ではなく9時45分に出発した。乗客は当初は私ひとりだったが、2つか3つ目の停車場で観光客らしき若者がひとり乗り込んできた。
私は終点の屏東まで行かず、途中の三地門で下車した。今日はここで1泊する予定だ。下車したのは三地門バスターミナルだが、ここから街に出るのに苦労した。30分以上歩き、曇り空からぽつぽつ雨が降り出したころにようやく「民宿、旅社」という看板を見つけた。1泊500元(1750円)とのこと。きれいとは言いがたい宿だが、テレビ、エアコン、トイレに加え、バスタブまで付いている。
一休みしてから外へ出る。雨は降ったり止んだり。なにはともあれ昼食。近くの食堂で豚肉のあんかけご飯を注文する。コーラと併せて85元。三地門は川を隔てて2つの地区に分かれている。橋を渡り、川向こうにまで足をのばしたがすぐに引き返した。台湾原住民族文化園区という一種のテーマパークで午後3時から歌と踊りのショーが始まることを思い出したからだ。台湾原住民族文化園区は街の中心から歩いて20分ほどのところにある。幸い雨は止んでいる。
ちょうど3時ごろに台湾原住民族文化園区に着いた。文化園区は広く、ショーが行われる歌舞場までは無料のシャトルバスで向かう。シャトルバスは台湾人の観光客でいっぱいだった。歌舞場に着くと、ショーはすでに始まっていた。観客は200人近くいただろうか。とりわけ有名な観光地とも思えない三地門のような(失礼!)ところに平日(火曜日)にこれだけの観光客がいたのはちょっとした驚きだった。
歌と踊りは可もなく不可もなしといったところか。台湾の原住民は16の部族から構成されている。ショーは渾然一体としていて、どの衣装や踊りがどの部族のものかわからない。ショーの合間には中国のアナウンスが流され、そこらへんのことを説明しているのだろうが、私には理解不能。見たところどうも外国人は私ひとりのようだ。
ショーは1時間ほど続いた。すでに4時になっており、これからこのひとけのない広大なテーマパークを探るのもちょっと不安だ。雨がまた降り出すかもしれない。そのまま文化園区を出て、街に戻った。
宿の近くに「家庭理髪」という散髪屋があったので髪をカットしてもらうことにした。200元(700円)ということだったが、洗髪を省略したので170元ですんだ。
日暮れになるとまた雨が降り出した。客が多く、はやっていそうな食堂で焼きそばを食べた。大小のうち小を注文して60元。スーパーで明日の朝食用のパンとお菓子とナッツ、飲み物を購入して宿に戻った。スーパーの主人は合計金額の195元を日本語で伝えてくれた。
明日は屏東までバスで行き、屏東から列車で高雄に戻る予定。
8時少し前に「朝食の用意ができた」との声がかかる。台東から来た青年と一緒にテーブルにつく。ウインナを挟んだ小ぶりのパン2つ、トースト、炒り卵、紅茶(たぶん)。腹をずっしりと満たす内容だ。英語と筆談を交えながら青年と話す。
3日間の休暇を利用してスクーターで霧台まで来ていたこの青年、現在は台東で建築家として働いているが、出身は台北に近い新竹という。新竹という名前はなじみがあった。どこかで「新竹には客家が多い」と読んだ覚えがある。青年に確かめると、その通りで、新竹には客家が多いとのことだった。
台湾人は大きく3つに分類できる。国民党の敗北に伴い1945年以降に中国本土から逃れてきた外省人、それよりずっと以前から中国の福建省などから移住していた本省人(客家を含む)、そして台湾の本来の住民である原住民(日本の統治時代には高砂族と呼ばれていた)だ。青年は本省人であり、越南つまりベトナムの血も混じっているとのことだった。といっても、出自を越えた結婚も珍しくない今日の台湾では、本省人、外省人、原住民の区別もあいまいになっているという。
「日本人、中国人、韓国人を区別できるか」と青年に聞いてみた。おおよそできるとの答えだった。「日本人の特徴は,,,」と言いかけたが、適切な英語が見つからないらしく、スマートフォンに翻訳させてその画面を見せてくれた。画面にはneatという単語が表示されている。neatの対極にあるむさ苦しい私に対して「日本人はneatだ」と言われてもちょっと対応に困る。
9時過ぎに宿を出た。すでにメインストリートに停車していた屏東行きのマイクロバスは定刻の9時半ではなく9時45分に出発した。乗客は当初は私ひとりだったが、2つか3つ目の停車場で観光客らしき若者がひとり乗り込んできた。
私は終点の屏東まで行かず、途中の三地門で下車した。今日はここで1泊する予定だ。下車したのは三地門バスターミナルだが、ここから街に出るのに苦労した。30分以上歩き、曇り空からぽつぽつ雨が降り出したころにようやく「民宿、旅社」という看板を見つけた。1泊500元(1750円)とのこと。きれいとは言いがたい宿だが、テレビ、エアコン、トイレに加え、バスタブまで付いている。
三地門で泊まった清峰旅社
ちょうど3時ごろに台湾原住民族文化園区に着いた。文化園区は広く、ショーが行われる歌舞場までは無料のシャトルバスで向かう。シャトルバスは台湾人の観光客でいっぱいだった。歌舞場に着くと、ショーはすでに始まっていた。観客は200人近くいただろうか。とりわけ有名な観光地とも思えない三地門のような(失礼!)ところに平日(火曜日)にこれだけの観光客がいたのはちょっとした驚きだった。
台湾原住民族文化園区
歌と踊りは可もなく不可もなしといったところか。台湾の原住民は16の部族から構成されている。ショーは渾然一体としていて、どの衣装や踊りがどの部族のものかわからない。ショーの合間には中国のアナウンスが流され、そこらへんのことを説明しているのだろうが、私には理解不能。見たところどうも外国人は私ひとりのようだ。
原住民族文化圏のパフォーマンス
ショーは1時間ほど続いた。すでに4時になっており、これからこのひとけのない広大なテーマパークを探るのもちょっと不安だ。雨がまた降り出すかもしれない。そのまま文化園区を出て、街に戻った。
宿の近くに「家庭理髪」という散髪屋があったので髪をカットしてもらうことにした。200元(700円)ということだったが、洗髪を省略したので170元ですんだ。
「家庭理髪」の看板が見えるだろうか
日暮れになるとまた雨が降り出した。客が多く、はやっていそうな食堂で焼きそばを食べた。大小のうち小を注文して60元。スーパーで明日の朝食用のパンとお菓子とナッツ、飲み物を購入して宿に戻った。スーパーの主人は合計金額の195元を日本語で伝えてくれた。
明日は屏東までバスで行き、屏東から列車で高雄に戻る予定。
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