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2025年2月26日水曜日

南半球一周ピースボートの旅(その13)

 2月13日

午前中は天候が悪く、甲板に出られなかった。

2月14日

GETプログラムのレッスンをうっかりして逃してしまった。

2月15日

午後、8階で読書しながら、ピザとビール(アサヒ・スーパードライ)で口をうるおした。ピザは無料だが、ビールは780円(プラス15%のサービス料)。

ピザとビール

2月16日

朝、甲板を4周。日ごとに暖かくなっている。

2月17日

今日も甲板を4周。 昼食後におにぎり1個(無料)。今日も食べ過ぎだ。

2月18日

早朝にイースター島に到着。イースター島には大型船が接岸する設備はない。このため、ピースボートは沖合いに碇泊する。ここに3日間滞在し、この間に乗客を小分けして島に上陸させる。

私の上陸予定日は2日目の19日であり、今日は碇泊している船の中で1日を過ごした。

2月19日

10時半ごろに90名ほどのグループで 沖合いのピースボートからイースター島までピースボート附属の小舟で渡る。こうした小舟をTender Boatというらしい。

小型バスに分乗し、約30分でアフ・トンガリキに立つ15体のモアイ像に到着した。

モアイ像

モアイ像群を一周して写真撮影に時間を割いたあと、さらにバスでモアイの製造現場でもあった岩の切り出し場(ラノ・ララク山)に向かう。

山には、いくつもの立っているモアイ像や横たわっているモアイ像が見られる。その間を観光客が一列に並んで進む。

ラノ・ララク

それほど急坂ではないが、山道の登り降りはやっかいだ。ナミビアで転倒した我が身、特に下り道には注意した。

再びテンダー・ボートでピースボートに戻ったのは午後3時前。14階のビュッフェ式のレストランで遅めの昼食をとった。

モアイ像よりも、転倒することなく無事に観光を終えたことに感慨が深かった。

2月20日

船は今日もイースター島の沖合いにとどまっている。船内でのイベントは皆無で、すでに観光を終えた私たちに何もすることがない。

4時過ぎには乗客の全員がイースター島観光を終了し、船は次の寄港地のタヒチに向けて出航した。出港に先立ち、イースター島を一周するサービスがあった。

イースター島を一周


2月21日

今日から通常の洋上生活に戻る。

2月22日

朝、甲板を4周(約2km)。 

昨夜から上の前歯が1本かすかにぐらつき始めた。旅の終わりまで保てばよいが、むずかしいだろう。

2月23日

今日も甲板を4周。

夕食は14階のビュッフェ式レストランで福井県在住の3人の会食となった。

2月24日

今日も甲板を4周。読書が思うように進まない。

2月25日

甲板を4周。朝食は14階のビュッフェ式で済ます。

昼食時、香港から乗船した女性と一緒になる。中国語の教師を辞してこの船に乗ったという。教室内で思ったことを言えなくなったのも辞職の理由とか。

船は次の寄港地のタヒチを目指して静かに進む。

2025年2月13日木曜日

南半球一周ピースボートの旅(その12)

 2月7日

船は午前7時ごろにプンタアレナスに接岸した。

今日はモンテビデオで一緒だったI氏と行動を共にすることを約束していた。

9時前に2人で船を降り、シャトルバスで町の中心部アルマス広場まで行く。

マゼランの銅像があるアルマス広場から展望台(Cerro de la Crus)まではすぐそこだ。展望台からはプンタアレナスを一望できる。

マゼラン像と一緒に

展望台からプンタアレナスを一望

展望台をあとにして、町を散策する。理髪店が見つかったので「現地での散髪」を実行することに。17ドルと、旅行先での散髪の代金としてはこれまでの最高の値段だが、船内でカットするのに比べれば格段に安い。

チリで髪を切る

行こうとした博物館が閉まっていたことなどもあり、プンタアレナスを歩きまわるにした。船上生活の余波か、地上を歩いているときにも足がふらつく。

1時過ぎにレストランに入る。見かけは小さなレストランだが、奥行きがあり、2階に上がることもでき、大勢の客でにぎわっていた。観光客は我々2人だけで、あとはすべて地元の客だ。

店員とのままならぬコミュニケーションに苦労しながらも、なんとかサーモンをメインディッシュとするコース料理とビールを注文する。

サーモンはおいしかったが、なにぶんにも量が多く、やっとの思いで最後まで食べきった。

サーモンで昼食

食後さらに歩いて町を探訪。5時前にシャトルバスで帰船した。

2万歩以上歩いてへとへとになりながらも、道行く人やレストランの店員の親切さに触れ、チリでの1日目を好印象で終えることができた。

2月8日

ツアーもあと1ヶ月を残すだけ。旅の後半に入った。夕食のレストランをこれまでの6階から5階に変更する。

2月9日

今日はめずらしく朝から雨模様。甲板でのウォーキングはとりやめ。

夜8時から「国際問題を英語で話す」というイベントがあり参加。GETプログラムのSaraが主催するイベントで、日本人3人、香港のカップル、台湾人1人が参加した。

2月10日

朝から雨模様で、揺れが激しい。早朝に5階に漏水があり、船のスタッフ全員で対処していた。各部屋のクリーニングは中止ということだったが、私の部屋は掃除されていた。

午後になって、雨は止み、日差しがさしてきたが、波はまだ高かった。

2月11日

晴れ。久しぶりに甲板を3周する(1.5km)。

昼食時、ハーフらしき風貌の若い女性と同席になる。「大学生か」と尋ねると、なんと中学生とのこと。米国(シアトル)生まれの米国育ち、パスポートも米国だが、日本のおばあさんと一緒に乗船しているという。

夕食は日本訪問歴16回、演歌大好きの45歳の台湾人と一緒だった。

2月12日

船は7時前にチリ第2の都市、バルパライソに着岸した。

バルパライソ着岸

今日は終日ひとりで行動するつもりだ。

9時半ごろに下船し、シャトルバスと電車を使ってソトマヨール広場まで出る。ここはバルパライソの中心部で、エレベーター(アサンソール)を使えば、街を一望する丘に登ることができる。

電車を降りてうろうろしていると、「ツーリストか」とスペイン語で尋ねてくる男性がいる。5~60歳代か。柔和で、人の良さそうな男性だ。

「アサンソールを探している」と言うと、「一緒に行こう」と案内してくれる。

あとでチップをねだられるのではないか、どこか怪しげな場所に連れて行かれるのではないかという疑念が頭をよぎるが、そのまま男性についていく。

杞憂だった。5分余りでアサンソールに到着し 笑顔で別れた。3台あるアサンソールのうちメインとなるアサンソール・コンセプシオンだ。

この丘は眺望がすばらしいだけではなく、家々にはさまざまな壁画が描かれ、全体がストリート・アートを形成している。

数多い観光客のなか、ピースボートとおぼしき人たちもかなり見かけた。

丘の上を歩く

丘から下りるときにはアサンソールを使わず、坂道をたどった。下へ下へと歩いているうち、気づけば平地にたどりついていたというほうが正確だろう。

時刻は1時近くなっている。レストランを探して中心街からちょっと離れた方向に足を踏み出すと、近くのレストランで呼び込みをしていた女性が私を追いかけてくる。

女性は両手でバツ印をつくり、「danger」という単語を口にする。この先は危険なエリアだという意味だろう。忠告したがって引き返した。

そして選んだのが、ちょっと大きめのレストラン。地元の客で賑わっている。

英語のメニューはなく、ウェイトレスはスペイン語の一点張り。なんとかビーフとビールを注文した。

予想した通り、ボリュームたっぷりの料理が出てきた。付け合わせのポテト・フライの量が半端ない。肉は硬かった。ナイフでカットするのが容易でない。こんなことなら、魚か鶏肉を注文しておけばよかった。料金は2400円ほど。

あとでグーグルマップで調べると、かなり評判のよいレストランで、きびきび働く店員たちも感じがよかった。ただ肝心の肉が硬かったことから、私の評価は60点といったところ。

このレストランで

この料理

食後、スーパーで乳飲料やお菓子を購入し、電車とシャトルバスを使って4時過ぎに帰船した。揺れる船での生活の余波か、陸地でも足がふらついた。さすがに疲れた。次の寄港地のイースター島まで5日間の洋上生活が続く。

2025年2月7日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その11)

 1月29日

今日は旧正月(春節)。関連するイベントがいくつかあった。ユンノリや書道などの文化体験コーナーに加え、春節ファッションショーも催された。春節の雰囲気を垣間見られたことをよしとしよう。

春節ファッションショー


1月30日

南極航行が近づいていることから、そのためのオリエンテーションが開かれた。このオリエンテーションは全員参加が建前で、洋上にゴミやその他の物体を放棄しないことなど、南極航行時の注意事項が伝えられた。

14階のビュッフェで夕食をとる。隣のテーブルに座ったネパール人女性と小一時間しゃべった。沖縄の米軍基地で働く31歳の彼女から多くのことを学んだ。ネパールのパスポートでこの南半球一周クルーズに参加するには6カ国の入国ビザが必要なこと。ビザ入手はそう簡単ではなく、大使館ないし領事館での面接の後、何か月も待たなければならないことなど。

1月31日

今日はウシュアイアに寄港する。ウシュアイアは「地球最南端の町」、「世界の果て(fin del mundo)」とも称されてるアルゼンチン南部の町で、南極クルーズの出発点ともなっている。

ウシュアイア到着

ウシュアイアには午前7前に接岸し、8時過ぎには上陸できた。今日は何のオプションもとっておらず、帰船リミットの午後7時まで自由に行動できる。

船を出てちょっと歩くと、多くのツアーのブースが待ち構えている。そのうちの1つでペンギン島(正式な島の名前は失念した)を訪れるツアーに申し込んだ。ツアーは定員16人。参加者は全員ピースボートの乗客で、日本人10人とマカオから来た中国人6人。

ツアーは10時に出発。1時間半ほどのバス・ドライブのあと、小型のエンジン付きゴムボートに乗り込んでペンギン島に近づく。

ボートは島から2、3メートル離れた場所に停泊。

約6000匹のペンギンが生息する島の光景は圧巻だった。なすこともなく立っているペンギンたち。ときおり泳いで船に近寄ってくるペンギンもいれば、ヨチヨチと歩き始めるペンギンもいる。

ペンギン島


ペンギン

ペンギンの動画

30分余りの写真タイムのあと、ボートは引き返す。パタゴニアの山々の写真を撮ったりしながら、町の中心部、港の近くに帰ってきたときには3時近くになっていた。代金140米国ドルとちょっと高めのツアーだが、まずは満足できる内容だった。

パタゴニアの山々

遅めの昼食のためのレストランを探してメインストリートを歩いていると、あるレストランの中から私を呼ぶ声がする。ピースボートに乗船している同県人のI氏だ。I氏は別の1人と一緒に昼食中だった。

私もこの席に加わることにする。注文したのは、トルティーヤ(スペイン風オムレツ)と白ワイン。アルゼンチンまで来てスペイン料理を注文するのも芸のない話だ。まだ食べていない牛肉のステーキを試すのが筋だろう。しかし、I氏が頼んだステーキを見て躊躇した。圧倒的なボリューム。とうてい私には食べ切れない。

トルティーヤと白ワイン

食後、スーパーで370円のカートン入りの極安赤ワインを購入し、午後6時過ぎに帰船した。

2月1日

昨日買ってきた赤ワインを朝からグラス一杯飲む。ふだん飲んでいないからこれだけでほろ酔い気分。安ワインだが、これで十分だ。特に何事もなく一日を終える。

2月2日

昨夜8時から南極圏に入ったようだ。朝の海水は摂氏2度。薄手のセーターを着込んだ。

午後1時ごろから大きな氷山が姿を現し始めた。鯨も見られたようだが、私は目撃できなかった。

氷山


2月3日

南極圏航行2日目。一段と寒くなった。甲板での朝のウォーキングはせいぜい一周が限度。freezingという形容がぴったりの寒さだ。

鯨も何頭か姿を現しているが、遠くにかろうじて見える程度。

昼過ぎになると寒さもだいぶやわらいだ。

甲板から海を見る


1時過ぎには船内成人式があった。24歳までの「新成人」を南極で祝う催しだ。

成人式


2月4日

午前中に南極圏を抜け、南極航行は終了した。が、甲板はまだ寒いうえ、船の揺れもあり、歩くのはむずかしい。

午後になって船内は南極航以前の日常を取り戻した。

2月5日

朝、波が荒く、船が揺れる。甲板へ出るのは禁じられた。

午後になると、波も穏やかになり、甲板へ出ることも可能になった。

2月6日

寒さはだいぶゆるんだ。朝、久しぶりに甲板を4周(2km強)。

今日は何のイベントにも参加しなかった。そのためか、読書が若干はかどる。

明日はチリのプンタアレナスに上陸する。