4月14日。
高麗航空の平壌行きのフライトは12時。8時半過ぎに宿を出て、エアポート・エキスプレスで9時半ごろに北京首都空港のターミナル2に着く。カナダ人3人はすでに到着していた。マイケルからビザをもらって搭乗。
マイケルはVIP扱いでファーストクラスにアップグレードされるが、残り3人はエコノミー席のまま。私の隣にはブライアンが座る。ブライアンは大学教授であると同時に、政治家という顔も持っている。前回の総選挙では与党の自由党から立候補したが惜しくも落選。次回の選挙にも出るつもりなので、訪朝している自身の姿がカナダのテレビに映るとちょっとまずいと言う。野党の保守党からどんな難癖をつけられるかわからないとのことだった。ブライアンは1994年に一度北朝鮮を訪れており、今回が2回目、23年ぶりの訪朝となる。「前回訪朝した一週間後に金日成が死んだ。今回も何かあるかな」と言っていた。
機上の昼食は北朝鮮製ハンバーガー。10年前にはちゃっとトレイに載った食事が出たが、いつの間にかハンバーガーになった。そのハンバーガーも以前より小ぶりになり、質も少し落ちているような気がしないでもない。
飛行機は2時間ほどで平壌空港に着く。現地時間の14時30分(北京との時差は30分)。イミグレを通り(パスポートにスタンプは押されない)、持ち込んだ荷物の検査となる。電子機器と印刷物をすべてバッグやスーツケースから出すように求められる。私はカメラ2台、タブレット、スマートフォン、電子辞書、フランス語の小説1冊、中国に関するガイドブック2冊を提出する。特に問題はなかった。韓国の小説のコピー数ページは前日に北京で処分していた。
ここでビルが引っかかった。バンクーバーのタイブロイ紙を持ち込んでいたのだ。それだけなら特に問題もないが、そのタブロイド紙の一面には"Trump Takes over Kim Jong Un"というヘッドラインが踊っていた。このため別室に連れて行かれ、なかなか戻ってこなかった。30分くらいは待っただろうか。
幸い入国拒否というやっかいな事態には至らず、我々4人は北朝鮮のガイド2人と合流して、専用車で平壌市内に向かう。30分ほどかけて最初の観光ターゲットである凱旋門に着いたときにはすでに6時近くになっていた。外は小雨が降っている。
2人のガイド(案内員)はどちらも女性だった。以前このブログのどこかで「案内員が2人とも女性というケースはない」と断言してしまったが、これは訂正しなければならない。メイン(上司)のガイドがキム(金)氏。3歳の子供がいるという。30歳台か。サブ(部下)のガイドがチョン(全)氏。25歳くらいと見た。どちらも平壌観光大学の出身という(この大学が設立されたのは2014年だから、その前身の教育機関かもしれない)。
凱旋門をあとにした我々は宿泊先である高麗ホテルに向かった。チェックインし(ここでパスポートをガイドに預ける)、部屋でしばらく休んでから、食事のために車で再び平壌の街に出る。当初の予定ではこの日に藤本健二氏のレストランに行くことになっていたが、これは明日に先送りになった。代わって向かったのが万寿台創作社のレストラン。2013年の訪朝時に「朝鮮の民謡を聴けるような場所に行きたい」という私のリクエストに応えてガイドが連れて行ってくれたレストランだ。
個室での食事が終わりかけたころ、突然チマチョゴリの女性数人が現れ、北朝鮮歌謡を披露する。彼女たちが去ると、今度はモランボン楽団風のミニスカートの女性たちが現れて2、3曲歌う。おそらく個室から個室へと巡り回って芸を披露しているのだろう。
食事後、マイケルの提案で羊角島ホテルに行くことになった。羊角島ホテルにはプレスセンターが設けられ、多くのジャーナリストが宿泊している。マイケルはジャーナリストにも知り合いが多く、彼らに会いたいとのことだった。2015年の10月には私もこのホテルで朝日テレビのクルーに出会った。
羊角島ホテルのバーに入り、ビールを注文する。さっそくジャーナリストたちがやってきた。渡された名刺にはNK Newsとある。帰国してから調べると、これは米国をベースとする北朝鮮関連のニュース社らしい。隣に座ったNK Newsの記者としばらく話す。英国出身、ソウル在住の記者だ。話題はもっぱら私が北朝鮮をどう見ているかということ。ブログを書いているおかげで、自分の感想をある程度まとめて述べることができた。東洋人らしい若い女性もいた。中国系オーストラリア人のロイターの記者で、現在は中国に住んで取材活動をしているという。
高麗ホテルに戻り、その横手にあるバーで、さらに4人で飲む。このバー特製のビールはこくがあり、おいしかった。このときの代金はビルかブライアンかどちらかが払ってくれた。
明日15日は金日成生誕105年の記念日である太陽節。今回の旅のクライマックスでもある。
高麗航空の平壌行きのフライトは12時。8時半過ぎに宿を出て、エアポート・エキスプレスで9時半ごろに北京首都空港のターミナル2に着く。カナダ人3人はすでに到着していた。マイケルからビザをもらって搭乗。
マイケルはVIP扱いでファーストクラスにアップグレードされるが、残り3人はエコノミー席のまま。私の隣にはブライアンが座る。ブライアンは大学教授であると同時に、政治家という顔も持っている。前回の総選挙では与党の自由党から立候補したが惜しくも落選。次回の選挙にも出るつもりなので、訪朝している自身の姿がカナダのテレビに映るとちょっとまずいと言う。野党の保守党からどんな難癖をつけられるかわからないとのことだった。ブライアンは1994年に一度北朝鮮を訪れており、今回が2回目、23年ぶりの訪朝となる。「前回訪朝した一週間後に金日成が死んだ。今回も何かあるかな」と言っていた。
機上の昼食は北朝鮮製ハンバーガー。10年前にはちゃっとトレイに載った食事が出たが、いつの間にかハンバーガーになった。そのハンバーガーも以前より小ぶりになり、質も少し落ちているような気がしないでもない。
平壌空港に着陸
飛行機は2時間ほどで平壌空港に着く。現地時間の14時30分(北京との時差は30分)。イミグレを通り(パスポートにスタンプは押されない)、持ち込んだ荷物の検査となる。電子機器と印刷物をすべてバッグやスーツケースから出すように求められる。私はカメラ2台、タブレット、スマートフォン、電子辞書、フランス語の小説1冊、中国に関するガイドブック2冊を提出する。特に問題はなかった。韓国の小説のコピー数ページは前日に北京で処分していた。
ここでビルが引っかかった。バンクーバーのタイブロイ紙を持ち込んでいたのだ。それだけなら特に問題もないが、そのタブロイド紙の一面には"Trump Takes over Kim Jong Un"というヘッドラインが踊っていた。このため別室に連れて行かれ、なかなか戻ってこなかった。30分くらいは待っただろうか。
幸い入国拒否というやっかいな事態には至らず、我々4人は北朝鮮のガイド2人と合流して、専用車で平壌市内に向かう。30分ほどかけて最初の観光ターゲットである凱旋門に着いたときにはすでに6時近くになっていた。外は小雨が降っている。
凱旋門
2人のガイド(案内員)はどちらも女性だった。以前このブログのどこかで「案内員が2人とも女性というケースはない」と断言してしまったが、これは訂正しなければならない。メイン(上司)のガイドがキム(金)氏。3歳の子供がいるという。30歳台か。サブ(部下)のガイドがチョン(全)氏。25歳くらいと見た。どちらも平壌観光大学の出身という(この大学が設立されたのは2014年だから、その前身の教育機関かもしれない)。
凱旋門をあとにした我々は宿泊先である高麗ホテルに向かった。チェックインし(ここでパスポートをガイドに預ける)、部屋でしばらく休んでから、食事のために車で再び平壌の街に出る。当初の予定ではこの日に藤本健二氏のレストランに行くことになっていたが、これは明日に先送りになった。代わって向かったのが万寿台創作社のレストラン。2013年の訪朝時に「朝鮮の民謡を聴けるような場所に行きたい」という私のリクエストに応えてガイドが連れて行ってくれたレストランだ。
個室での食事が終わりかけたころ、突然チマチョゴリの女性数人が現れ、北朝鮮歌謡を披露する。彼女たちが去ると、今度はモランボン楽団風のミニスカートの女性たちが現れて2、3曲歌う。おそらく個室から個室へと巡り回って芸を披露しているのだろう。
歌と踊り
食事後、マイケルの提案で羊角島ホテルに行くことになった。羊角島ホテルにはプレスセンターが設けられ、多くのジャーナリストが宿泊している。マイケルはジャーナリストにも知り合いが多く、彼らに会いたいとのことだった。2015年の10月には私もこのホテルで朝日テレビのクルーに出会った。
羊角島ホテルのバーに入り、ビールを注文する。さっそくジャーナリストたちがやってきた。渡された名刺にはNK Newsとある。帰国してから調べると、これは米国をベースとする北朝鮮関連のニュース社らしい。隣に座ったNK Newsの記者としばらく話す。英国出身、ソウル在住の記者だ。話題はもっぱら私が北朝鮮をどう見ているかということ。ブログを書いているおかげで、自分の感想をある程度まとめて述べることができた。東洋人らしい若い女性もいた。中国系オーストラリア人のロイターの記者で、現在は中国に住んで取材活動をしているという。
高麗ホテルに戻り、その横手にあるバーで、さらに4人で飲む。このバー特製のビールはこくがあり、おいしかった。このときの代金はビルかブライアンかどちらかが払ってくれた。
明日15日は金日成生誕105年の記念日である太陽節。今回の旅のクライマックスでもある。