4月17日。
丹東行きの列車は平壌駅を10時10分に出る。高麗ホテルから平壌駅までは近い。歩いても10分くらいだろう。9時半ごろに平壌駅に到着し、ガイドや運転手とのお決まりの別れの儀式をすませて、列車に乗り込む。我々には最前列のコンパートメントが割り当てられていた。あとで気がついたが、これは途中(定州駅)での降車をスムーズに行うための措置だった。コンパートメントには我々4人に加え、カナダ人とイギリス人の男性がいた。彼らはYoung Pioneer Toursのツアー客で、我々同様新義州のオプションを選んでいた。
外は雨だ。沿線の動画や写真を撮るのはあきらめた。高麗ホテルは昼食用の弁当を用意してくれていた。キムパプ(海苔巻き)に魚や玉子など。これはおいしかった。2015年10月に羊角島ホテルが用意した弁当はひどくまずかったものだ。雨も上がりはじめたようだ。
ブライアンと一緒に食堂車へ行き、大同江ビールを飲む。1本20元だった。平壌の印象や感想を語り合う。錦繍山太陽宮殿の異様さなどが話題になる。今の北朝鮮はImperial Japan(帝国日本)に似ているという点で一致した。もっとも、Imperial Japanでさえ、いろいろ意見の相違はあり、visibleなoppositionも存在したから、北朝鮮の現体制は戦前の日本をも凌駕する、字義通りのtotalitarianismだというのは私の意見。いずれにしてもmentalityの面では両者は似ている。
私はてっきり新義州で下車するものと思っていたが、我々外国人6人が下車したのは平壌を出てからおよそ2時間半後、東林(トンリム)の駅だった。先頭コンパートメントの我々は急いで降りる。降りたホームにガイドたちが迎えに来ていた。女性ガイドが私を見つけるやいなや「日本人か」と尋ねてくる。Yesと答えると、「あなたは今年はじめての日本人訪問者だ」と言う。
私たち4人には男性と女性のガイドが付き、Young Pioneer Toursのカナダ人とイギリス人には女性1人のガイドが付く。以前の北朝鮮旅行記に「ガイドは必ず2人以上」と書いたが、これも訂正が必要になった。
私たちに付いたのは男性の金(キム)ガイドと女性の朴(パク)ガイド。どちらも若く、20代の後半から30代の前半といったところか。他方の2人組のガイドは20代だろう(あとで彼女と少し話したとき、「日本人と話すのははじめてだ」と言っていた)。彼らが属しているのは朝鮮国際旅行社ではなく、妙香山旅行社だ。
全員同じ車に乗ってトンリム(東林)地区にあるホテルに向かう。車は舗装されていない道を揺れながら走り、2時間ほどかけてホテルに着く。2014年に中国との合弁で設立されたトンリム・ホテル(東林飯店)だ。プールやジムも備えており、すべてが新しい。シャワールームはピカピカで、熱いお湯もたっぷり出た。しかし、客は我々6人以外に見かけなかった。
中国からの観光客を見込んで建てたホテルなのだろうが、中国客が見あたらないのはどういうわけか。核を巡る朝鮮半島の緊張のせいだろうか。それだけではなく、中国と北朝鮮の関係の悪化が影を落としているのだろうか。経済制裁、経済制裁と声高に叫ばれるが、私にはそれによって大きな影響を被る北朝鮮の人たちの顔が浮かぶ。苦しむのはガイドやホテルの従業員たち、一般の市民で、ロイヤル・ファミリーやその取り巻きはあまり痛痒を感じないのではなかろうか。
部屋でしばらく休んでから、ホテルの近くにある滝を見に行く。とりわけ大きな滝ではない。山の頂上まで歩けば1時間くらいかかるとのことだったが、我々は途中で断念して引き返した。雨はすっかり上がっている。
7時の夕食まで時間があるので、ホテルのまわりをひとりで散策したが、林以外には何もなかった。ホテルはそれほどまでに孤立した場所に建てられている。3人の若い女性がバトミントンを楽しんでいた。ホテルの従業員だろう。
7時に1階のホールで夕食が始まる。我々4人、金(男性)と朴(女性)の両ガイド、それに妙香山旅行社のマネージャが1テーブルを占め、もう1つのテーブルにYoung Pioneer Toursの2人と女性ガイドが座る。テーブルは中国式の円卓。料理を回してシェアすることになる。
新義州への日本人訪問客について、金ガイドと朴ガイドの説明が違っていた。金ガイドは日本人に付くのははじめて。日本人の訪問客もいないわけではないが、みんな平壌経由で来るので、日本語ガイドが平壌から付き添っている。新義州のガイドの出る幕はないという。これに対し、朴ガイドは昨年2、3人の日本人を案内したことがあるとのこと。平壌経由ではなく、中国の丹東と新義州を往復する日本人観光客だ。妙香山旅行社には日本語を話すガイドがいないので、英語ガイドが対応するしかない。
これは実際に経験した朴ガイドのほうが正しいだろう。朴ガイドは私に「(あなたを)どう呼べばいいのか。おとうさんと呼べばいいのか」と尋ねてきた。昨年案内した日本人が「おとうさんと呼んでくれ」とリクエストしていたらしい。
ガイドたちはマイケルと金正恩の関係を知らなかった。マイケルは写真を見せて説明する。金正恩に言及するときには「marshal」という呼称が使われていた。
8時になり、中央の舞台でパフォーマンスがはじまる。まずチマチョゴリを着た女性4人による「パンガプスニダ」。北朝鮮訪問客用のテーマソングともいうべき歌だが、「そういえば今回の旅行でこの歌を聞くのははじめてだな」とはマイケルの弁。
このあと何曲か続き、最後に客を含め全員が輪になって踊る。宴はまだ終わらない。朴ガイドがカラオケで歌い(「アリラン」だったかな)、さらに彼女とマイケルのデュエット。テレビドラマか映画の主題曲で、あまりなじみのない歌だった。どちらもまずまずの歌唱力。
続いてウエイトレスがピアノの腕前を披露する。2曲弾いた。そのうち1曲はショパンだったように思うが、確かでない。
10時を過ぎ、我々のテーブルだけが残る。ウエイトレスがひとり、立ち姿で待機している。ちょっと気の毒な気がしたうえ、疲れていたこともあり、私だけは部屋に引き上げることにした。
残り3人はこのあとビリヤードなどをして、12時半ごろに就寝したらしい。
丹東行きの列車は平壌駅を10時10分に出る。高麗ホテルから平壌駅までは近い。歩いても10分くらいだろう。9時半ごろに平壌駅に到着し、ガイドや運転手とのお決まりの別れの儀式をすませて、列車に乗り込む。我々には最前列のコンパートメントが割り当てられていた。あとで気がついたが、これは途中(定州駅)での降車をスムーズに行うための措置だった。コンパートメントには我々4人に加え、カナダ人とイギリス人の男性がいた。彼らはYoung Pioneer Toursのツアー客で、我々同様新義州のオプションを選んでいた。
金案内員と全案内員(平壌駅で)
外は雨だ。沿線の動画や写真を撮るのはあきらめた。高麗ホテルは昼食用の弁当を用意してくれていた。キムパプ(海苔巻き)に魚や玉子など。これはおいしかった。2015年10月に羊角島ホテルが用意した弁当はひどくまずかったものだ。雨も上がりはじめたようだ。
弁当
ブライアンと一緒に食堂車へ行き、大同江ビールを飲む。1本20元だった。平壌の印象や感想を語り合う。錦繍山太陽宮殿の異様さなどが話題になる。今の北朝鮮はImperial Japan(帝国日本)に似ているという点で一致した。もっとも、Imperial Japanでさえ、いろいろ意見の相違はあり、visibleなoppositionも存在したから、北朝鮮の現体制は戦前の日本をも凌駕する、字義通りのtotalitarianismだというのは私の意見。いずれにしてもmentalityの面では両者は似ている。
私はてっきり新義州で下車するものと思っていたが、我々外国人6人が下車したのは平壌を出てからおよそ2時間半後、東林(トンリム)の駅だった。先頭コンパートメントの我々は急いで降りる。降りたホームにガイドたちが迎えに来ていた。女性ガイドが私を見つけるやいなや「日本人か」と尋ねてくる。Yesと答えると、「あなたは今年はじめての日本人訪問者だ」と言う。
私たち4人には男性と女性のガイドが付き、Young Pioneer Toursのカナダ人とイギリス人には女性1人のガイドが付く。以前の北朝鮮旅行記に「ガイドは必ず2人以上」と書いたが、これも訂正が必要になった。
私たちに付いたのは男性の金(キム)ガイドと女性の朴(パク)ガイド。どちらも若く、20代の後半から30代の前半といったところか。他方の2人組のガイドは20代だろう(あとで彼女と少し話したとき、「日本人と話すのははじめてだ」と言っていた)。彼らが属しているのは朝鮮国際旅行社ではなく、妙香山旅行社だ。
全員同じ車に乗ってトンリム(東林)地区にあるホテルに向かう。車は舗装されていない道を揺れながら走り、2時間ほどかけてホテルに着く。2014年に中国との合弁で設立されたトンリム・ホテル(東林飯店)だ。プールやジムも備えており、すべてが新しい。シャワールームはピカピカで、熱いお湯もたっぷり出た。しかし、客は我々6人以外に見かけなかった。
トンリム(東林)ホテル
中国からの観光客を見込んで建てたホテルなのだろうが、中国客が見あたらないのはどういうわけか。核を巡る朝鮮半島の緊張のせいだろうか。それだけではなく、中国と北朝鮮の関係の悪化が影を落としているのだろうか。経済制裁、経済制裁と声高に叫ばれるが、私にはそれによって大きな影響を被る北朝鮮の人たちの顔が浮かぶ。苦しむのはガイドやホテルの従業員たち、一般の市民で、ロイヤル・ファミリーやその取り巻きはあまり痛痒を感じないのではなかろうか。
部屋でしばらく休んでから、ホテルの近くにある滝を見に行く。とりわけ大きな滝ではない。山の頂上まで歩けば1時間くらいかかるとのことだったが、我々は途中で断念して引き返した。雨はすっかり上がっている。
7時の夕食まで時間があるので、ホテルのまわりをひとりで散策したが、林以外には何もなかった。ホテルはそれほどまでに孤立した場所に建てられている。3人の若い女性がバトミントンを楽しんでいた。ホテルの従業員だろう。
7時に1階のホールで夕食が始まる。我々4人、金(男性)と朴(女性)の両ガイド、それに妙香山旅行社のマネージャが1テーブルを占め、もう1つのテーブルにYoung Pioneer Toursの2人と女性ガイドが座る。テーブルは中国式の円卓。料理を回してシェアすることになる。
夕食
新義州への日本人訪問客について、金ガイドと朴ガイドの説明が違っていた。金ガイドは日本人に付くのははじめて。日本人の訪問客もいないわけではないが、みんな平壌経由で来るので、日本語ガイドが平壌から付き添っている。新義州のガイドの出る幕はないという。これに対し、朴ガイドは昨年2、3人の日本人を案内したことがあるとのこと。平壌経由ではなく、中国の丹東と新義州を往復する日本人観光客だ。妙香山旅行社には日本語を話すガイドがいないので、英語ガイドが対応するしかない。
これは実際に経験した朴ガイドのほうが正しいだろう。朴ガイドは私に「(あなたを)どう呼べばいいのか。おとうさんと呼べばいいのか」と尋ねてきた。昨年案内した日本人が「おとうさんと呼んでくれ」とリクエストしていたらしい。
ガイドたちはマイケルと金正恩の関係を知らなかった。マイケルは写真を見せて説明する。金正恩に言及するときには「marshal」という呼称が使われていた。
8時になり、中央の舞台でパフォーマンスがはじまる。まずチマチョゴリを着た女性4人による「パンガプスニダ」。北朝鮮訪問客用のテーマソングともいうべき歌だが、「そういえば今回の旅行でこの歌を聞くのははじめてだな」とはマイケルの弁。
パンガプスニダ
このあと何曲か続き、最後に客を含め全員が輪になって踊る。宴はまだ終わらない。朴ガイドがカラオケで歌い(「アリラン」だったかな)、さらに彼女とマイケルのデュエット。テレビドラマか映画の主題曲で、あまりなじみのない歌だった。どちらもまずまずの歌唱力。
続いてウエイトレスがピアノの腕前を披露する。2曲弾いた。そのうち1曲はショパンだったように思うが、確かでない。
10時を過ぎ、我々のテーブルだけが残る。ウエイトレスがひとり、立ち姿で待機している。ちょっと気の毒な気がしたうえ、疲れていたこともあり、私だけは部屋に引き上げることにした。
残り3人はこのあとビリヤードなどをして、12時半ごろに就寝したらしい。
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