よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2018年4月3日火曜日

平壌からウラジオストクへ2018 五日目(羅先観光)

3月3日。

ホテルの朝食を済ませ、8時半にマイクロバスで羅先観光に出発する。最初の行き先は琵琶島だ。2014年の夏に訪れたときにはアザラシを見る遊覧船が出ており、中国人の観光客で賑わっていたこのエリアも、オフシーズンの今は私たち以外に誰一人見あたらず荒涼としていた。海産物などを提供していた店もすべて完全に閉鎖されている。

次に鮭と鱒の養殖場を見学したあと、2014年にも訪れたエンペラー・ホテルに向かう。これは香港資本によって建てられたホテルで、中国からの客をターゲットとしたカジノが売り物となっている。前回訪れたときにはなせか閉まっていたカジノだが、今回は入ることができた(ただし写真撮影は禁止)。賭博に関する知識はゼロなので確かでないが、バカラか何かのテーブルが10以上あり、それぞれに若い女性のディーラー(と呼ぶのかどうかはわからないが)が手のひらを上にして両手を差し出している。客を待っているのだろうか。客がついているテーブルは2つか3つだけだった。客らしき人物はすべて中国人。

エンペラー・ホテルの内部

ディーラーではない制服姿の女性従業員に話しかけた。北朝鮮人民がこのカジノへ出入りすることは禁止されていると聞いていたが、彼女は羅先の出身だった。「(あなたたちのグループは)何人ですか」と尋ねられ、9人と言うつもりで「구명(クミョン)」と答えてしまった。女性従業員はクスッと笑い、「아홉명(アホプミョン)」と訂正する。「ミョン(명=名)」を助数詞とするときは固有数字を使うべきところを漢数字を使ってしまったのだ。初歩的な間違い。

羅先の街に戻り、ゴールデントライアングル銀行に赴く。ゴールデントライアングルとは中国、ロシア、朝鮮が国境を接するエリアを指す(中国語では黄金三角州)。今日は土曜日であり、本来なら銀行は閉まっているのだが、私たちのために30分だけオープンしてくれるとのことだった。明日ロシアに入る私たちはルーブルが必要になる。しかもウラジオストクに着くまでは両替の機会はない。したがってここ羅先で入手しておくしかない。私はすでにいくばくかのルーブルを持参していたので、50ユーロだけをルーブルに交換した。

ゴールデントライアングル銀行

ゴールデントライアングル銀行に接する歩道

昼食は「해안원(海岸園)」という一種の娯楽施設に併設されているレストランでとった。ここも円卓形式だ。パキスタン系英国人のAfzalは箸を使うのが苦手なので、私が隣に座って彼のために料理を取り分けてやる。Afzalはベジタリアンだが、魚や卵は大丈夫だ。

海岸園には理容室や写真館、大きなゲーム機もある。ゲーム機で遊んでいる少年に「おもしろいか」と聞くと「おもしろい」との返事。

食後、近くの海岸公園(해안공원)を散策する。2014年の夏に訪れたときには、陽が暮れかかっていたにもかかわらず、ベンチで涼をとる人やローラースケートに興じる子供たちで賑わっていた公園だが、オフシーズンの今はひっそりとしている。ところどころ雪に覆われ、チェコビールを提供するビアホールも閉まっていた。

そんなさびしい公園からの帰り道、新婚のカップルに出会った。平壌同様、ここでも「チュッカハムニダ(お祝いします)」と声を掛け、全員で一緒に写真に収まる。

新婚カップルと一緒に

金親子の銅像に花を捧げて一礼したあと、ビール、ソジュ、ジュースなどを製造している工場、さらには靴の工場を訪れる。ビール等の工場ははじめてだが、靴の工場は前回にも見学した。

製靴工場で

工場見学に続き、外国語教育に力を入れている中・高等学校を訪れる。2014年にはこの学校の校庭で4人の少女を相手に英語で話した。今回は校庭ではなく、教室に入る。30人余りの生徒が起立して私たちを迎える。3分の1が女生徒、3分の2が男生徒といったところ。私たちグループの簡単な自己紹介のあと、それぞれ分散して生徒たちと英語で会話。私とEdgar、Afzalは3人の男子生徒を相手にした。彼らは17歳。この学校の最上級のクラスらしい。卒業後の進路を尋ねると、3人とも軍隊と答える。Simonから聞いたように、他の選択肢はないのだろう。

英語クラス訪問

私のスマートフォンには2014年に相手となった4人の女生徒の写真が収めてある。会話が一段落したところで、居合わせた教師たちにこの写真を見せると、びっくりしながらも喜んでいた。2014年当時13歳だった彼女たちはすでに卒業して大学に進学しているという。彼女たちの担任だったという男性教師は私のスマートフォンに表示されている写真を自分のスマートフォンで撮影していた。元教え子の彼女たちに送るつもりらしい。

学校訪問も終え、さあいよいよ市場での買い物の時間だ(韓国では市場は시장だが、北朝鮮では장마당と呼ばれている)。羅先観光の最大のハイライト。北朝鮮で外国人に公開されている唯一の自由市場だ。2014年にはガイドの手違いからこの장마당(チャンマダン)での買い物の時間が10分ほどしかなかった。

経済特別区の羅先ではウォンと並んで中国元も流通している。あえて外貨をウォンに両替しなくても買い物ができるわけだ。

屋根付きの巨大なチャンマダン(市場)は2014年当時よりずっときれいになり、モダンになっていた(場所も移動していたのかもしれないが、私には判断できなかった)。雑然とした感じがなくなり、すっきりと整理されていた。私の好みからすれば、以前のいかにもアジアらしい錯綜のほうが興味深い。売り手たちもおとなしくなったようだが、これは気のせいかもしれない。チャンマダンの主力が女性たちである点は以前と同じ。

私はおばあさんの「モチ、モチ」という声に誘われて、大福餅(らしきもの)を半キロ購入した(半キロで10個ほどあった)。金ガイドの助けを借りて、元とウォンを混ぜて支払ったので、いくらだったのか確かでない。4、5元、あるいはそれ以下だったかもしれない。

残念ながらチャンマダンの写真はないが(撮影禁止だった)、せめても北朝鮮製大福の写真をアップしておこう。

北朝鮮製大福餅

チャンマダンの外へ出ると、おばさんが焼き芋を売っていた。私たちグループの何人かは熱い焼き芋を頬張っていた。私も欲しかったが、もうすぐ夕食なのでここは我慢。

夕食のレストランでは食事に先立って、女性の料理人がキムチとマンドゥ(蒸し餃子)の調理を実演した。2014年にはなかった趣向だ。EdgarとNancyeがエプロンとマスクを着用して実習に志願した。

キムチづくりの実習

調理実習のあとは夕食。マントゥをはじめ、イカや肉料理、魚、焼き海苔、サラダ、カレーライス、そしてなぜかサンドイッチやパイなどのバラエティー豊かな料理が次から次へと円卓に出てくる。金ガイドが「オコノミヤキ」と称する一品も。「共和国でもオコノミヤキと呼んでいるのか」と尋ねると、そうだとのこと。しかしこの「オコノミヤキ」なるものはお好み焼きとはまったく異なり、薄い豆腐を揚げたものでしかなかった。まあまずくはなかったのでよしとしよう。

北朝鮮最後の夜はこうして暮れていく。

0 件のコメント:

コメントを投稿