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2018年4月13日金曜日

平壌からウラジオストクへ2018 九日目(帰国、まとめ)

3月7日。

ツアー解散の日。Tomとオーストラリア人夫婦はすでにウラジオストクを離れている。パキスタン系英国人のAfzalはウラジオストクの別のホテルにあと1日滞在してから列車でハバロフスクに向かう。Victoriyaはサハリン(樺太)に強制移住させられた朝鮮人の足跡をたどるために、ユジノサハリンスクに飛ぶ。Pollyとその友人のAyeshaはAyeshaの現在の居住地であるソウルに向かう。Edgarはロシアを経由してヨーロッパを旅する予定だ。Simonはハルビン経由で北京へ戻る。それぞればらばらになるが、なんらかの形で旅を継続するメンバーが多い。

私はこの日のうちに日本に帰る。午後1時45分発のSiberia Airline(S7)の便でソウルの仁川国際空港まで飛び、4時間待ってから関空行きのアシアナ航空機に乗る。もっと短い乗り継ぎ時間の選択肢もあったが、ウラジオストクからの便の遅延を考慮して安全策をとった(S7を利用するのがはじめてだったため)。PollyとAyeshaもソウル行きだが、私より遅い大韓航空の便だった。

8時に朝食を済ませ、徒歩で駅まで行き、9時2分発の空港行きのエアロエクスプレスに乗る。料金はよく覚えていないが、2等で230ルーブル(400円ほど)だったように思う。がらがらのエキスプレスは1時間ほどで空港に着いた。S7機は遅延することもなくほぼ定刻通りに仁川空港に着陸。空港でたっぷり時間を過ごしてから、アシアナ機で帰国の途についた。

空港行きエキスプレスのがらがらの車内

エキスプレスの車窓から

まとめ。

このツアーを選ぶにあたって心配したのは寒さだった。真冬を過ぎているとはいえ、なにぶんにも北朝鮮(それも北部)とロシア。零下何度かの気温は覚悟しなければならない。せめて3月下旬か4月上旬のツアーだったらと思ったものだ。

だが結果的にはこの季節を経験できてよかった。車窓から見る北朝鮮の冬景色は美しかった。観光地は閑散としていたが、これもまた北朝鮮の現実だ。羅先でもウラジオストクでも寒さは恐れていたほどではなかった。平壌のホテルでも羅先のホテルでも、そして列車の中でも暖房は十分すぎるほどだった。

北朝鮮の冬景色(車窓から)

北朝鮮の冬景色(羅先)

2015年の鉄道の旅は私たちグループだけが乗車する特別列車の旅だったが、今回は北朝鮮でいつも走っている列車を利用した。といっても私たちが乗る車両は平壌とモスクワをつなぐ「国際車両」で、国内を移動する車両から隔離されていた。このため、列車内でふれあうことができた北朝鮮人民はハバロフスクへ向かう労働者だけだった。ツアーを申し込む段階では予想していなかったことで、かなりがっかりした。

労働者たちとはそれなりに交流できた。惜しむらくは私たちの側での朝鮮語会話能力の欠如だ。労働者の中にはある程度ロシア語をしゃべれる人もいたが、朝鮮語以下のレベルの私のロシア語ではどうにもならない。

ともあれ、同行者にも恵まれ、楽しい旅だったと言える。これには添乗員として同行したKoryo ToursのSimonの力も大きい。親切で、細かいところにまで配慮してくれる。訪朝回数170回を超えるSimonは情報も豊富で、BBC、アルジャジーラ、CNNなどにたびたびインタビューされている。彼から聞く裏話や秘話の数々は長い道中をおもしろいものにしてくれた。

昨年4月からほぼ1年ぶりの訪朝。昨年に比べれば変化は感じられないが、2004年のはじめての訪朝からすれば北朝鮮は大きく変貌している。消費社会や格差といった資本主義に特有の現象が徐々ではあるが北朝鮮をも浸食しているように見える。これが北朝鮮社会のどこまで浸食しているのか、ごく一部の表層にすぎないのか。こうした傾向が北朝鮮の政治の行方にどのように影響するか。興味深いところではある。

このツアーのスライドショーをYoutubeにアップしておいた。


 

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