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2024年8月1日木曜日

アゼルバイジャン2024 十日目、十一日目(夜のバクー、帰国)

 7月14日

バクーのどの旅行代理店もBaku Night Tourと銘打ったツアーを催行している。このツアーに参加するかどうか迷った。料金は50~60マナト(5000円程度)でそう高くはない。だが、3日連続でツアーというのもなんだけ気が引ける。夜のバクーは自分だけで探索しようという結論になった。

夜になる前にバクーのBlack Cityを見ておきたい。Black Cityとはバクーの南西部にある地区で、19世紀から20世紀にかけてバクーの石油産業の拠点だった。Black Cityという名前は工場や精油所から排出される黒煙に由来する。石油が生み出す富がバクーの光の部分だとすれば、Black Cityはその影の部分といえる。「Baku Slum」で検索すると往々にしてBlack Cityが出てくる。

Black Cityの最寄りの地下鉄駅はŞah İsmail Xətaiらしい。地下鉄でXətaiまで行く。だが、街並みは普通でスラムからはほど遠い。もちろん黒煙はまったく見られない。予想はしていたことだが、「バクーの陰の部分」の探索は完全に失敗した。

Xətai


再び地下鉄でバクーの中心部に引き返し、Nesami Streetで遅めの昼食をとる。路上にテーブルを出している小さなレストランでケバブとスプライトを注文。量が多く、パンはとても食べきれなかった。15マナト(1400円ほど)。

遅めの昼食

ホテルに戻って休憩。7時を過ぎたので、やおら「Baku by Night」の探索に出る。7時を過ぎているとはいえ、外はまだ明るい。カスピ海沿いにDeniz Mallを目指してぶらぶらしているころに日は暮れてきた。「Baku by Night」などと見得を切ってみたが、行く場所がない。ライブ音楽をやっているレストランは至るところにある。しかし、流れてくる音楽に耳を貸しても、入る気にはならない。Beer Barという看板も見かけるが、食事は出さず、ビールを飲むだけらしい。

結局、ネオンに輝く夜のバクーをぶらつくだけの「探索」に終わってしまった。

夜のバクー(1)


夜のバクー(2)

泉の夜景(Fountain Square)

せめてもと缶ビールを買ってホテルに戻った。これがアゼルバイジャンで飲む最初のアルコール。

7月15日

今日は帰国日。ドバイ行きのFlydubai(エミレーツ航空の子会社)の便は18時ドバイ発だから、3時ごろに空港に向かえばよい。

ということで、11時過ぎににホテルをチェックアウトし、バクー2日目に行こうとして見つからなかったタザ・バザールを再度目指す。見つけたのはTaza Basarの看板だけ。ここでやっとバザールが移転したことを知る。

街の中心へ戻る途中、理髪店に入る。恒例の「旅行先での散髪」だ。料金は20マナト(2000円弱)ということだった。日本の1000円カット(今は1300円か)より高いが、記念のためだと思い切った。ところが、料金を支払う段になると、25マナトだと言われる。理由はよくわからないが(バックも刈ったからと言っていたが理由にならない)、支払うしかない。ここでもぼられてしまった。こうした経験が積み重なると、アゼルバイジャンの印象が悪くなる。公平を期すために言っておくと、親切なアゼルバイジャン人に助けられた体験も少なくない。

旧市街の近くに戻り、Dolmaというレストランで昼食をとる。バクーの旅行記などでしばしば紹介されているレストランだ。「満席で待たなければならなかった」という記事が多かったが、数多くのテーブルがある大きなレストランで、1時半という時間帯にもかかわらず空席はいくつもあった。スープ(トマト・スープだったかな)、挽肉をかけたライス(料理名は覚えていない)、アゼルバイジャンのビールを注文した。正確な値段は覚えていないが、30マナト(3000円弱)くらいだっただろう。

Dolmaで昼食


慎重を期して2時過ぎにBoltでタクシーを呼び、バクー国際空港へ向かった。

コーカサスの山を越え...


夜のドバイに到着

ドバイでの待ち時間は6時間。長椅子に横になってひたすら休み、真夜中の3時に飛び立つ関空行きのエミレーツ航空便を待った。

「まだ行ったことがないから」という消極的な理由で訪れたアゼルバイジャンだが、それなりに楽しめた。楽しめた最大の要因は、いろいろな国から来ている旅行者と交流できたことだ。

だが、肝心のアゼルバイジャン人と深い会話をする機会はなかった。アルメニアとの紛争をどう考えるか、アリエフ親子がつくりあげている政治体制に不満はないのか、そもそもこうしたことを語り合える自由があるのかどうか。こうしたことに探りを入れるチャンスすらつくり出せなかったことが悔やまれる。

アゼルバイジャン2024 九日目(バクー市内ツアー)

 7月13日

8時過ぎに朝食をとる。ビュッフェ式の朝食はMadinah Hotelに比べれば規模も小さく、品数も少ないが、不満を言うほどのレベルではない。

欧米系の女性2人組が朝食の場にやってくる。母子か姉妹か、ただの友達か。若いほうは10代くらい。ハローキティのTシャツに短パン。腕や腿には派手なタトゥー、鼻にはピアス。ひょっとしたはずみから会話が始まる。彼女たちはルーマニアから来ていた。ルーマニアは私のお気に入りの国のひとつで、話が弾む。話題はチャウシェスク時代からデモクラシー、イラン旅行にまで及ぶ。これにエジプト人男性も加わり、賑やかな朝食となった。

Sherlock Hotelの朝食


今日はBaku City Tourに参加するつもりだ。予約はしていない。昨日と同様にATI Travelのツアーにしてもいいが、一昨日に無料の旧市街ツアーを提供してくれたTES Tourを利用するのが礼儀だろう。

10時前にTES Tourを訪れる。一昨日は申込者が私だけで中止になったBaku City Tourだが、今日は土曜日ということもあり、問題なく催行されそうだ。料金は50マナト(5000円弱、ランチは各種入場料は含まない)。旧市街を出発した小型バスは途中いくつかのホテルに立ち寄り、参加者を拾っていく。ガイドは60代の男性。同行者の内訳は、パキスタン人女性2人、エジプト人2人、トルコ人4人、英国人、米国人、イタリア人、日本人(私)各1人。なぜかロシア人はいない。ガイドは英語に加え、トルコ人に対してアゼルバイジャン語でも説明していた。

Baku City Tourといっても、行き先はバクー市内に限らない。舗装されていないでこぼこ道を1時間近くかけて到達したのはMud Volcanos(泥の火山)。地下から噴出する天然ガスによって泥が泡立っている。こうした火山がいくつもあり、一帯はまで月の表面だ(見たことはないが)。確かに奇景ではある。

泥の火山

泥の火山をあとにしてゴブスタンに向かう。これも奇景だ。ゴツゴツした岩の群れ。これらの岩には人や動物の絵が彫り込まれており、考古学的な価値があるらしい。

ゴブスタンの岩群

ゴブスタン全景

3時近くになってやっとランチの時間。ビュッフェ式のレストランだが、それぞれ好みの皿をとって最後に会計で支払うのではなく、ウェイターに好みの皿を指差しで告げ、それをウェイターがそれぞれのテーブルに持ってくるという、ややこしいシステムだった。

私はパキスタン人女性2人、米国人、英国人、エジプト人と同席した。私が注文したのは肉とジャガイモ、ジャガイモのサラダ、ヨーグルト。15マナトちょっとだったが、最後にウェイターに16マナトを支払おうすると、ウェイターは微妙な表情をして、お金を会計に持っていかない。チップがほしいのだ。やむなく20マナト札を出す。料理はおいしかったが、私にとっては量が多すぎた。

昼食

朝食後に向かったのはAteshgah Fire TempleとYnardag Burning Mountain。この2つの施設への入場チケットはまとめて購入でき、15マナトだった。

これらはどちらも「火」に関係しており、火の宗教であるゾロアスター教につながる。ガイドからいろいろ説明があったが、基礎的な知識の不足のために頭に入ってこないのは昨日と同様。

Ateshgah Fire Temple

Ynardag Burning Mountain

最後にHeydar Aliyev Centerを訪れる。Heydar Aliyevはソ連時代から30年以上にわたってアゼルバイジャンを支配してきた、いわば独裁者だ。現在の大統領はその息子。ザハ・ハディッドという有名な女性建築家の設計によるこの建造物は現在ではかっこうの観光スポットになっている。

Heydar Aliyev Center

旧市街に戻り、ツアーを解散したときには午後6時を過ぎていた。

ツアー同行者との会話が楽しかったのはいつものこと。立派な髭をたくわえた米国人から「日本人ですか」と日本語で話しかけられたのにはびっくりした。カリフォルニアの大学で日本語を学習したという。日本語だけでも結構話が通じるが、「もう6年間日本語にほとんど触れていないの忘れてしまった」とのことだった。米国の大統領選については「そもそも50%近くの米国人がトランプに投票するのが問題だ」と言っていた。

パキスタン人女性2人はカラチから来ていた。ひとりは精神科医、もうひとりは世界銀行勤務で、いわばパキスタンのエリートだ。世銀勤務の女性は村上春樹の愛読者だった。「ノルウェーの森」と「女のいない男たち」を読み、「海辺のカフカ」に手を出そうとしているところだった。彼女の父親は国連の研修で日本に4か月ほど滞在したことがあり、「人は親切で、街はきれいで、世界最高の国だ」とべた褒めだったという。私が褒められたわけではないが、聞いて悪い気はしない。

ドバイで働いているエジプト人は「昨日はワインを3本空けた」と言っていた。「モスレムか」と聞くと「そうだ」との答え。イスラム教徒にもいろいろいるものだ。

スーパーでコーラとアイスクリームを買ってホテルへ戻る。