7月14日
バクーのどの旅行代理店もBaku Night Tourと銘打ったツアーを催行している。このツアーに参加するかどうか迷った。料金は50~60マナト(5000円程度)でそう高くはない。だが、3日連続でツアーというのもなんだけ気が引ける。夜のバクーは自分だけで探索しようという結論になった。
夜になる前にバクーのBlack Cityを見ておきたい。Black Cityとはバクーの南西部にある地区で、19世紀から20世紀にかけてバクーの石油産業の拠点だった。Black Cityという名前は工場や精油所から排出される黒煙に由来する。石油が生み出す富がバクーの光の部分だとすれば、Black Cityはその影の部分といえる。「Baku Slum」で検索すると往々にしてBlack Cityが出てくる。
Black Cityの最寄りの地下鉄駅はŞah İsmail Xətaiらしい。地下鉄でXətaiまで行く。だが、街並みは普通でスラムからはほど遠い。もちろん黒煙はまったく見られない。予想はしていたことだが、「バクーの陰の部分」の探索は完全に失敗した。
Xətai
再び地下鉄でバクーの中心部に引き返し、Nesami Streetで遅めの昼食をとる。路上にテーブルを出している小さなレストランでケバブとスプライトを注文。量が多く、パンはとても食べきれなかった。15マナト(1400円ほど)。
遅めの昼食
ホテルに戻って休憩。7時を過ぎたので、やおら「Baku by Night」の探索に出る。7時を過ぎているとはいえ、外はまだ明るい。カスピ海沿いにDeniz Mallを目指してぶらぶらしているころに日は暮れてきた。「Baku by Night」などと見得を切ってみたが、行く場所がない。ライブ音楽をやっているレストランは至るところにある。しかし、流れてくる音楽に耳を貸しても、入る気にはならない。Beer Barという看板も見かけるが、食事は出さず、ビールを飲むだけらしい。
結局、ネオンに輝く夜のバクーをぶらつくだけの「探索」に終わってしまった。
夜のバクー(1)
7月15日
今日は帰国日。ドバイ行きのFlydubai(エミレーツ航空の子会社)の便は18時ドバイ発だから、3時ごろに空港に向かえばよい。
ということで、11時過ぎににホテルをチェックアウトし、バクー2日目に行こうとして見つからなかったタザ・バザールを再度目指す。見つけたのはTaza Basarの看板だけ。ここでやっとバザールが移転したことを知る。
街の中心へ戻る途中、理髪店に入る。恒例の「旅行先での散髪」だ。料金は20マナト(2000円弱)ということだった。日本の1000円カット(今は1300円か)より高いが、記念のためだと思い切った。ところが、料金を支払う段になると、25マナトだと言われる。理由はよくわからないが(バックも刈ったからと言っていたが理由にならない)、支払うしかない。ここでもぼられてしまった。こうした経験が積み重なると、アゼルバイジャンの印象が悪くなる。公平を期すために言っておくと、親切なアゼルバイジャン人に助けられた体験も少なくない。
旧市街の近くに戻り、Dolmaというレストランで昼食をとる。バクーの旅行記などでしばしば紹介されているレストランだ。「満席で待たなければならなかった」という記事が多かったが、数多くのテーブルがある大きなレストランで、1時半という時間帯にもかかわらず空席はいくつもあった。スープ(トマト・スープだったかな)、挽肉をかけたライス(料理名は覚えていない)、アゼルバイジャンのビールを注文した。正確な値段は覚えていないが、30マナト(3000円弱)くらいだっただろう。
Dolmaで昼食
コーカサスの山を越え...
ドバイでの待ち時間は6時間。長椅子に横になってひたすら休み、真夜中の3時に飛び立つ関空行きのエミレーツ航空便を待った。
「まだ行ったことがないから」という消極的な理由で訪れたアゼルバイジャンだが、それなりに楽しめた。楽しめた最大の要因は、いろいろな国から来ている旅行者と交流できたことだ。
だが、肝心のアゼルバイジャン人と深い会話をする機会はなかった。アルメニアとの紛争をどう考えるか、アリエフ親子がつくりあげている政治体制に不満はないのか、そもそもこうしたことを語り合える自由があるのかどうか。こうしたことに探りを入れるチャンスすらつくり出せなかったことが悔やまれる。
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