著者:Stefan Zweig
刊行:1942 年
評価:★★★★★
Kindle版(165円)
2026年1月12日読了
Stefan Zweigの中編小説「Schachnovelle(チェスの話)」は傑作として名高いが、今まで手が出なかった。というのも、チェスの知識が乏しいことから(何十年も前にルールブックに目を通しただけで、実戦経験はゼロ)、敷居が高そうに思えたからだ。
杞憂だった。チェスのルールは将棋のルールとほぼ同じであること、c3やc4といった記号は盤上の駒の位置を示すことくらいがわかっていれば十分だ。この小説のテーマはチェスではない。チェスにとりつかれた男が主人公であり、どうしてとりつかれるようになったかの経緯がストーリーの軸だ。
ニューヨークからブエノスアイレスへ向かう大型客船の中。ここにたまたまチェスの世界チャンピオンが乗り合わせていた。成金の同船者が語り手である「私」のほか数人を誘って、チャンピオンに大金をはたき、一対多で対戦することになる。結果はチャンピオンの大勝ち。成金はさらにお金をつんで、第2戦がはじまる。
2局目も「私」たちの思い通りには進まない中、たまたま通りかかった中年の男性が「私」たちに助言しはじめる。これで戦局ががらりと変わり、結果は引き分けになる。
世界チャンピオンに対抗しうるチェスの指し手であるこの男性はいかなる人物か。男性と同国人(オーストリア人)であることから、「私」がこの男性の身の上話を聞き出すことになる。
オーストリアの貴族や僧院の財産を管理を生業としていた男性は、オーストリアがナチス・ドイツに併合された際に、財産をナチスから秘匿する動きにも関与していた。このため、ゲシュタポに逮捕され、ホテルの一室に監禁されて尋問を受ける。ホテルの部屋には何もない(無=Nichts)。簡素な家具のほかには、本棚はもちろん、装飾などは一切なく、筆記道具も与えられず、毎日同じような食事と尋問が繰り返される。変化のない「無」の生活。
「何もない」に苦しめられ、ゲシュタポに屈服しそうになる男性。これを救ったのが、ナチス兵士の外套のポケットからたまたま盗み出した一冊の本だ。といっても、これはただの本ではなく、チェスの数々の名勝負の駒の動きを忠実に記録しているだけの内容だった。
男性はこれらをすべて記憶するほどに繰り返して読み、やがて自分でチェスの対戦を組み立てるようになる。「自分」対「自分」のチェスの試合を頭の中で組み立てるのだ。
この過程とその描写がおもしろい。フロイトの影響下にあったZweigが得意とするobsession(強迫観念)の描写だ。狂気に近づいていくobsession。ここらへんはZweigの独壇場だろう。ナチスを時代背景とした一種の心理小説。チェスはその格好の素材となる。
物語の終末が船上での世界チャンピオンと男性の一対一の対決となるのは必然だ。この結果についてふれるのは野暮だろう。
脇役にとどまるが、世界チャンピオンも興味深い人物だ。身寄りのない貧しい農民の子供で、チェスには並外れた才能を示すが、頭脳明晰からはほど遠い。というよりも、その対極で、計算もまともにできず、読み書きもあやしい。「極端」好きのZweigらしい人物造形といえる。
