よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2016年6月16日木曜日

台湾2016 六日目(帰国)

5月27日。

関空行きのPeach便は高雄を13時に発つ。「あひる家」のチェックアウトは11時。チェックアウトぎりぎりまで宿にとどまり、それから高雄空港に向かえばちょうどよい。

台湾に着いてからずっと朝食はコンビニやスーパーで購入したもので済ましてきた。台湾最後の今日くらい街の食堂の朝食を試してみたい。そこで8時過ぎに宿を出て、ぶらぶらと駅の方向に歩く。朝食を提供している店を見つけた。客足もたえず、はやっていそうな店だった。揚げパンと卵焼き、豆乳を選んで、50元(175円)。コンビニで調達する朝食よりずっとよい。

台湾最後の朝食

高雄の街の見納めに、写真や動画を撮ってから宿に戻る。

高雄のトラフィック

11時にチェックアウトし、MRTで高雄空港に向かう。台湾入国時に合計4万円を現地通貨に両替していたが、だいぶ余ってしまった。余った台湾元を空港で日本円に再両替する。1万3千円戻ってきた。つまり台湾で合計2万7千を支出したことになる。1日あたり5400円。思ったより安くついた。まだすこし元が残っていたので、出発ロビーの食堂で牛肉麺と缶ビールを注文し昼食とした。

Peach機は定刻どおり高雄を発ち、6時前に関空に着いた。5泊6日の台湾旅行の終了。

11年ぶりの台湾。今回の旅で何に気付き、どう思ったか、若干の感想を記しておこう。

booking.comを通じて予約した「アヒル家」がドーミトリーにもかかわらず660元(2300円)と日本並みの値段だったため、日本を旅行する場合と同じくらいの出費を覚悟していたが、実際の物価は日本と中国本土の中間、それもかなり中国本土寄りの中間だった。宿代、交通費、食費すべてにおいてでだ。「あひる家」は台湾の水準では高かったが、高いだけの付加価値がある。掃除に時間と人手をかけており、部屋もトイレもシャワーもウルトラクリーン。各ベッドにライトとコンセントが用意されており、共有スペースには電子レンジもある。お茶も飲み放題だ。こうした付加価値をどう評価するかで「あひる家」を高いと思うかどうかが決まるだろう。

5月下旬の高雄は暑く、湿度も高かった。最初の3日間は雨が降ったり止んだり。天候はベストではなかった。だがいざというときには雨が止んでくれ、まずは満足すべきだろう。「あひる家」のスタッフに聞くと、台湾旅行のベストシーズンは11月と12月だという。

檳榔(ピンロウ)を売る店が多かったは意外だった。経済発展著しい今日の台湾では檳榔のような嗜好品は影を潜めたかと思っていたが、そうではなかった。高雄ではあまり見かけなかったが、屏東から三地門へ向かうバスの車窓からはそれこそ数十メートルおきに檳榔の店があった。過激な服装の若い女性が檳榔を売る姿は見かけなかった。法律で禁止されたのかもしれない。

高雄、台南、屏東では予備校、補修塾、語学学校の看板を頻繁に見かけた。駅前の一等地にはこの種の学校が乱立しているようだった。台湾も日本や韓国と同様に学歴社会となっているのだろう。

語学学校の看板

今回の旅行を通じ台湾もまたぜひまた訪れたい国のひとつになった。このように再訪したい国が増えるのはそれなりにいい旅をしている証拠だと自画自賛してみる。

2016年6月15日水曜日

台湾2016 五日目(高雄・台南)

5月26日。

朝方、宿の共有スペースで欧米系の若い女性を見かける。聞けばリヨン近郊出身のフランス人だとのことで、フランス語に切り替えてしばらく会話。観光客かと思ったが、そうではなく台湾在住4年で、宿のスタッフと流暢な(と私には思える)中国語で話していた。現在は台北の大学でデザイン・マネジメントを学んでいるとのこと。大学の授業はすべて英語だが、同級生のほとんどが台湾人であることから中国語を覚えたらしい。日本にはまだ来たことがないというので、ぜひ来るように勧めておいた。

さて、高雄で残された1日をどう過ごすか。宿の下にあるセブンイレブンで買ってきたカツおにぎり(カツを挟んだおにぎり)とアップルミルク(牛乳とアップルジュースのミックス)で朝食をとりながら、ガイドブックを見て検討する。

台湾は小さな島国だ。新幹線を使えば高雄から台北への日帰り旅行も可能だ。今日の行き先もなにも高雄市内に限る必要はない。高雄のすぐ近くに台南という比較的大きな都市がある。宿のスタッフに「台南はどうだろうか」と尋ねると、「台南は台湾の京都ともいえる都市で、訪れる価値がある」との答え。高雄から急行で30分、各駅停車で1時間ほど。列車の本数も多く、いつでも簡単に行ける。

というわけで、台湾最後の1日は台南行きにあてることにした。9時過ぎに宿を出て、急行で台南に着いたのは10時半ごろ。駅前のビルの電光掲示板には温度が33℃と表示されている。高雄も暑かったが、台南も暑い。メインストリートとおぼしき中山路を下っていく。途中書店があったので立ち寄る。冷房がありがたい。予想したとおり、日本の雑誌が少なくない。なぜか猫に関する雑誌が多い。そういえば猫カフェが誕生したのは台湾だった。

台南駅前

書店の中(なぜか猫関係の雑誌が多い)

かき氷の店に立ち寄り、「日式抹茶氷」なるものを注文する。他のかき氷よりちょっと高くて50元(175円)。

日式抹茶のかき氷

やがて目指している孔子廟に到着。孔子に興味があるわけではないが、ただ街をぶらぶらするのではなく、ひとつくらいは名所にも足を運んでおこうと思ったからだ。中学生や高校生の団体に加え、ちらほらと観光客もいる。毛筆で書いた書を売っていた老人が私に日本語で話しかける。一目見ただけで私が日本人だとわかるらしい。

かつて台湾の首府でもあった台南にはほかにも史跡や名所が数多くあるらしいが、暑い中を歩いて探し回るまでの好奇心はない。台南の路地裏を少しうろついてから昼食をとることにした。時刻も1時を過ぎている。

台南の路地裏

駅に近い「本家台湾咖哩」というチェーン店とおぼしきカレー屋に入る。昨日もカレーを食べ、今日もカレーというのも芸のない話だが、前を通りかかったときに女店員に呼び止められたのと、カウンターに多くの客がいたのでおいしいのではと思ったからだ。

メニューの中でもっとも高価な「総合カレー」を注文した。300元。日本円にすれば1050円ほど。日本より食費がなべて3割くらい安い台湾にしては破格の値段だ。チキンカツ、豚肉のしゃぶしゃぶ、唐揚げ、ニンニク、ネギ、生卵、挽肉がトッピングされたなんとも高カロリーなカレー。満腹感に抵抗しながら何とか食べきった。

総合カレー

このカレー屋では4、5人の若く可愛い女性が働いていたが、客が入るたびに日本語で「いらっしゃいませ」と声をかける。客が支払いを終えて出て行くときには誰かが「お客様のお帰りです」と言い、それにあわせて全員が「ありがとうございました」と唱和する。すべて日本語だ。私に向かって言うのならわかるが、台湾人の客に対しても同様だ。

 彼女たちが知っている日本語はこれだけ。食事を終えたあと、中国語で「おいしかったか」と聞かれたので、「おいしかった」と答え、つたない中国語で「あなたたちはどうして日本語で客を迎えるのか」と尋ねてみた。「この店のオーナーは日本人だから」というのが答えだった。あとでネットで調べると、本家台湾咖哩は台湾という名を冠しているものの、発祥地は名古屋らしい。

昼食後さらに街を散策する。名所旧跡はそっちのけで、暑さしのぎにデパートを覗いたり、カフェでアイスコーヒーを飲んで時間を過ごし、5時前に高雄に戻る急行に乗った。

宿に戻り、共有スペースにいた日本人女性2人と少し話す。ワーキングホリディで台北に滞在している女性とその友人ということだった。彼女たちは昨夜私が行って失望した瑞豊夜市に行くと言って宿を出て行った。私が瑞豊夜市に失望したのは実は市の定休日だったからだ。このまま終わるのもしゃくだ。そこで私も再度瑞豊夜市を訪れることにした。

巨蛋駅を降りて昨日歩いた道を再度たどっていくと、昨日とはまったく異なる賑やかな光景が展開されていた。これが本来の瑞豊夜市だ。観光客向けといわれる六合夜市よりはるかに大きい。射的や風船釣り、輪投げなどのゲーム場もある。昼に台南で食べた総合カレーのおかげで夜になっても空腹感はほとんどない。ホットドッグ(熱狗)をジャガイモでコーティングした大熱狗で夕食代わりとした。

瑞豊夜市

8時半過ぎに宿に戻り、共有スペースで缶ビールを飲む。ひょんなことで隣に座っている30歳くらいの台湾人女性と会話になった。「会話」とはいうものの、女性は日本語も英語も話せない。したがって私の入門レベルの中国語と筆談による素朴きわまりないコミュニケーションだ。この限られた手段のコミュニケーションから得られたのは次のような情報。

女性は霧台で遭遇した青年と同様、台東に住んでいる。
息子と一緒に日本のディズニーランドを訪れたことがある。日本語も英語もしゃべれないので怖かった。海外は日本のほかにインドネシアとマレーシアを訪れたことがある。
日本の食べ物で好きなのは刺身と蟹。
私の名前の中国語読みが「好聽」(耳に快い)とのことで、ちょっと気をよくした。
私のほうからは北朝鮮旅行やアフガニスタン旅行の写真を見せた。

女性とは「明天見」(See you tomorrow)と挨拶して、それぞれの部屋に戻った。明日はいよいよ帰国だ。

2016年6月12日日曜日

台湾2016 四日目(高雄へ戻る)

5月25日。

昨夜購入したパンとお菓子で朝食を済まし、8時ごろに宿を出る。バス停は宿の正面にある。10分ほど待つと屏東行きのバスが来た。大型バスだが、乗客は誰も乗っていない。途中3、4人の乗客を拾い、40ほどかけて屏東(ピントン)に着く。

屏東

時間はたっぷりあるから、屏東を見物してから高雄へ向かってもいいのだが、パックパックを背負ったまま暑い中を歩くのもおっくうだ。このまま高雄へ向かおう。

行きは各駅停車で31元だったが、帰りは急行の指定席で48元だった。高雄までは30分ほどなので、各駅停車も急行も大差ない。高雄には10時前に着いた。

高雄駅に着くと再びゲストハウスの「あひる家」に向かった。2日前に「あひる家」をチャックアウトするときに、高雄最終日となる明日25日のベッドは予約しておいたが、今日の分は予約していなかった。今日高雄に帰ってくるかどうかはっきりしていなかったためだ。いずれにしても宿泊客はそう多くないから、フルということはないだろうとふんでいた。案の定、今日のベッドも空いていた。チェックインは2時からだというので、共有スペースでしばらく休み、荷物を預けて外へ出た。近くのカレー屋で昼食とする。豚肉カレーで、確か70元。ここでもお茶とスープは無料だった。

昼食のカレー

しばらく街をぶらぶらしてから、自由黄昏市場に行くことを思いついた。この市場の存在はネットで知っていた。MRTで最寄りの生態園區駅まで行き、歩いて10分ほどのところに市場はあった。しかし閑散としている。営業している売り台はせいぜい全体の10~20%。一瞬「遅きに失したか」と思ったが、逆だ。この市場はその名のとおり黄昏から活況を呈するらしい。今はまだ2時過ぎ。早すぎたのだ。

閑散とした自由黄昏市場

すごすごと市場から退散し、宿に戻ってチェックインを済ませ、再度街に出撃。今度のターゲットは「高雄の原宿」とも称される新堀江だ。少し遠いが宿から歩いて行く。これはまあどうといことのないショッピング街。若者が多いが、原宿ほどの賑わいはなく、雰囲気も異なる(もっとも私は原宿をよく知らないのだが)。

新堀江

3日前高雄に着いた初日に夜市に出かけたが、あいにく雨だった。雨でもそれなりの活況はあったが、やはり全開の夜市を見たい。幸い今日はずっと晴れている。というわけで、夜市に出かけることにした。高雄には2つの夜市がある。「あひる家」からすぐの六合国際観光夜市とMRTの巨蛋駅に近い瑞豊夜市だ。「あひる家」の受付の台湾人女性に英語で尋ねると、前者は観光客がメインで、後者は地元客で賑わっているという。夜市は毎日オープンしているということなので、まず瑞豊夜市に行くことにした。

巨蛋駅で降りて、女子高生に道を聞き、それらしき場所に着いた。が、屋台が20ばかり出ているだけ。これが地元民で賑わっているというマーケットなのだろうか。ガイドブックによると、食べ物だけでなく各種のゲームまで楽しめるということなのだが、その気配はまったくない。

怪訝な気持ちのまま美麗島駅まで引き返し、六合夜市で小籠包と餅(?)を購入して宿に持ち帰った。宿の共有スペースでこれらと台湾ビールを夕食代わりとしながら、名古屋から来ていた中年男性としばらく話す。3泊4日で2度目の台湾旅行に来ているらしい。台北から高雄まで新幹線で来て、明日また台北に引き返すとのこと。

瑞豊夜市が期待外れに小さかったことが気になる。で、ネットで調べると、月曜日と水曜日は瑞豊夜市の定休日だというではないか。つまり今日(水曜日)は市は開いていなかったのだ。なまじいくつかの屋台だ開いていたので、これが瑞豊夜市と勘違いしてしまった。受付の女性は確かに「夜市(複数)は毎日オープンしている」と言っていた。意図的に私を欺いたとは考えられないが、私の質問がうまく伝わらなかったのか、彼女が何か勘違いしていたのだろう。

明日は高雄で過ごす予定外のおまけの1日。どこへ行くか決めないままに就寝した。

2016年6月10日金曜日

台湾2016 三日目(屏東県三地門)

5月24日。

8時少し前に「朝食の用意ができた」との声がかかる。台東から来た青年と一緒にテーブルにつく。ウインナを挟んだ小ぶりのパン2つ、トースト、炒り卵、紅茶(たぶん)。腹をずっしりと満たす内容だ。英語と筆談を交えながら青年と話す。

3日間の休暇を利用してスクーターで霧台まで来ていたこの青年、現在は台東で建築家として働いているが、出身は台北に近い新竹という。新竹という名前はなじみがあった。どこかで「新竹には客家が多い」と読んだ覚えがある。青年に確かめると、その通りで、新竹には客家が多いとのことだった。

台湾人は大きく3つに分類できる。国民党の敗北に伴い1945年以降に中国本土から逃れてきた外省人、それよりずっと以前から中国の福建省などから移住していた本省人(客家を含む)、そして台湾の本来の住民である原住民(日本の統治時代には高砂族と呼ばれていた)だ。青年は本省人であり、越南つまりベトナムの血も混じっているとのことだった。といっても、出自を越えた結婚も珍しくない今日の台湾では、本省人、外省人、原住民の区別もあいまいになっているという。

「日本人、中国人、韓国人を区別できるか」と青年に聞いてみた。おおよそできるとの答えだった。「日本人の特徴は,,,」と言いかけたが、適切な英語が見つからないらしく、スマートフォンに翻訳させてその画面を見せてくれた。画面にはneatという単語が表示されている。neatの対極にあるむさ苦しい私に対して「日本人はneatだ」と言われてもちょっと対応に困る。

9時過ぎに宿を出た。すでにメインストリートに停車していた屏東行きのマイクロバスは定刻の9時半ではなく9時45分に出発した。乗客は当初は私ひとりだったが、2つか3つ目の停車場で観光客らしき若者がひとり乗り込んできた。

私は終点の屏東まで行かず、途中の三地門で下車した。今日はここで1泊する予定だ。下車したのは三地門バスターミナルだが、ここから街に出るのに苦労した。30分以上歩き、曇り空からぽつぽつ雨が降り出したころにようやく「民宿、旅社」という看板を見つけた。1泊500元(1750円)とのこと。きれいとは言いがたい宿だが、テレビ、エアコン、トイレに加え、バスタブまで付いている。

三地門で泊まった清峰旅社

一休みしてから外へ出る。雨は降ったり止んだり。なにはともあれ昼食。近くの食堂で豚肉のあんかけご飯を注文する。コーラと併せて85元。三地門は川を隔てて2つの地区に分かれている。橋を渡り、川向こうにまで足をのばしたがすぐに引き返した。台湾原住民族文化園区という一種のテーマパークで午後3時から歌と踊りのショーが始まることを思い出したからだ。台湾原住民族文化園区は街の中心から歩いて20分ほどのところにある。幸い雨は止んでいる。

ちょうど3時ごろに台湾原住民族文化園区に着いた。文化園区は広く、ショーが行われる歌舞場までは無料のシャトルバスで向かう。シャトルバスは台湾人の観光客でいっぱいだった。歌舞場に着くと、ショーはすでに始まっていた。観客は200人近くいただろうか。とりわけ有名な観光地とも思えない三地門のような(失礼!)ところに平日(火曜日)にこれだけの観光客がいたのはちょっとした驚きだった。

台湾原住民族文化園区

歌と踊りは可もなく不可もなしといったところか。台湾の原住民は16の部族から構成されている。ショーは渾然一体としていて、どの衣装や踊りがどの部族のものかわからない。ショーの合間には中国のアナウンスが流され、そこらへんのことを説明しているのだろうが、私には理解不能。見たところどうも外国人は私ひとりのようだ。

原住民族文化圏のパフォーマンス

ショーは1時間ほど続いた。すでに4時になっており、これからこのひとけのない広大なテーマパークを探るのもちょっと不安だ。雨がまた降り出すかもしれない。そのまま文化園区を出て、街に戻った。

宿の近くに「家庭理髪」という散髪屋があったので髪をカットしてもらうことにした。200元(700円)ということだったが、洗髪を省略したので170元ですんだ。

「家庭理髪」の看板が見えるだろうか

日暮れになるとまた雨が降り出した。客が多く、はやっていそうな食堂で焼きそばを食べた。大小のうち小を注文して60元。スーパーで明日の朝食用のパンとお菓子とナッツ、飲み物を購入して宿に戻った。スーパーの主人は合計金額の195元を日本語で伝えてくれた。

明日は屏東までバスで行き、屏東から列車で高雄に戻る予定。

2016年6月6日月曜日

台湾2016 二日目(屏東県霧台郷)

5月23日。

7時過ぎに「あひる家」をチェックアウトし、高雄駅まで歩く。まず屏東(ピントン)まで列車で行く必要がある。各駅停車の列車は31元(108円)。高雄から30分余りかけ、8時ごろに屏東に着いた。屏東のバスターミナルは鉄道駅の近くにある。ルカイ族(魯凱族)の住む霧台(ウータイ)行きのバスは7時30分、9時30分、14時30と1日に3本。9時30分発の切符を142元(約500円)で購入した。霧台からの帰りのバスは9時30分、11時30分、16時30分発とのことだった。つまり3本のバスはそれぞれ2時間近くかけて霧台に行き、屏東に引き返してくるわけだ。私は霧台に1泊するつもりだったが、宿が見つからなければ16時30分のバスで戻ってくるしかない。

9時30分まではまだ1時間以上あるので、テーブルが2つしかない近くの食堂で朝食をとる。メニューに出ていた野菜の炒め物を注文した。確か30元。おそらくこれは単独で食べるものではなく、本来は麺などの副食とするものだろう。私にはこれで十分だった。

霧台まではマイクロバスで行くことになる。これはあとで知ったことだが、霧台では大型バスの通行が禁止されている。霧台に至る道は細く、くねくねと曲がった登り道だから、大型バスの禁止は妥当な措置といえるだろう。9時30分発のマイクロバスに乗り込んだのは私を含めて4人。30分ほど行くと、乗客は次々と下車していき、中継点の三地門に着いたときには私ひとりになった。三地門でバスはしばらく停車し、差し出されたノートに氏名、住所、パスポート番号などを記入するように求められた。入山許可の手続きだ。すべて日本語で記入しておいた。

私ひとりを乗せたバスはさらに1時間ほどかけて霧台に到着した。予想どおり、ごく小さな集落だ。霧台は標高1000メートルであり、それほど暑くない。しかし空は曇り、今にも雨が降りそうな気配。まず今夜宿泊する宿を見つけなければならない。確か「夢想之家」というホテルがあるはずなのだが、なかなか見つからない。紙片に「住宿」と書いて道行く人に見せて尋ねてみる。ていねいに教えてくれるが、長い中国語の説明なのでよくわからない。小粒の雨が降り出してきたころ、ある男性が私を民宿にまで案内してくれた。しかし「民宿」という看板は出しているものの、宿泊する観光客がごく少ないため、休業状態のところが多い。ようやく3軒目で泊めてくれるところが見つかる。朝食付きで500元(1750円)とのこと。冷房、シャワー、トイレ付きの部屋で、格安といえる。

霧台

部屋の中でしばらく休んでいると、雨も止んだようなので外へ出る。ルカイ族(魯凱族)の伝統的な家は石造りらしいが、そうした家は多くない。キリスト教の教会は石造りだった。こんな小さな村にも教会があることからもうかがえるように、台湾の少数民族の間にはキリスト教が深く入り込んでいる。外からやって来て台湾を占領した中国人に対抗するための精神的なよりどころとなっていたのだろうか。

山あいの村、霧台

キリスト教教会

霧台行きのマイクロバスの乗客は私ひとりだったが、予想に反して結構な数の台湾人の観光客が見かけられた。大半は旅行会社のマイクロバスで来た団体客だが、自家用車などでやってきた個人旅行者もちらほらいるのだろう。

ガイドに案内された台湾人観光客

メインストリートとおぼしきところには2、3軒の食事ができる店がある。餅米と肉を葉っぱで包んだ「ちまき」(みたいなもの)と2本のソーセージを注文して、昼食とした。合わせて100元。

昼食

昼食後、村の散策を続け、ひとけのない山のほうまで行ってみた。雨上がりの霧の中、山から見下ろすこじんまりとした集落はちょっとした景観だ。

雨上がりの霧台

また雨が降ってきたので、宿に戻って休む。雨は降ったり止んだりだ。ときにはかなり強く降る。山地なので天候はすぐ変わる。4時過ぎになって雨が止んだので再び外へ出る。外へ出るとき、民宿の30代くらいの女主人が「別の宿泊客も来たので夕食も提供する」と言う。夕食はいくらかと尋ねると、無料だとのこと。これは助かった。実際、夕食をどうしようかと悩んでいたところだった。メインストリートには食事を提供する店があるが、夕方にも開いているかどうかは確かでなかった(開いていない可能性のほうが高かった)。スーパーもコンビニもないから、食料を買い込むというわけにもいかない。最悪、ミネラルウォーターと手持ちの飴だけで一夜過ごす覚悟をしていた。

夕食は5時からいうことだった。集落をもう一度散策してから、宿に戻り、台湾の台東市からきた若者と一緒に夕食をとった。餅米で肉を包んだ「猟人弁当」と呼ばれるルカイ族の料理、2種類の野菜、ジャガイモの天ぷら(のようなもの)、卵スープ。写真で見ると質素なようだが、結構な量であり、腹はいっぱいになった。

夕食

食事をしながらもうひとりの宿泊客である台東の若者、そして民宿の女主人と話す。若者も女主人も英語をしゃべる。流暢ではなく、「なんとかしゃべれる」というレベルだが、基本的なコミュニケーションは十分に可能(ここらへんは中国本土との大きな違い)。民主進歩党の蔡英文が新しい総統に就任したばかりだったので、Are you happy with the new president?と尋ねてみたが、両人ともpresidentが理解できず、伝えるのに苦労した。この一因は「蔡英文」を中国語でどう発音するのか知らなかった私にもある。

6時前に夕食を終え、部屋に引きこもった。暗くなってから山間をうろついてもあぶないだけだ。明日は9時半のバスで霧台を発つことにする。屏東までは行かず、途中の三地門で1泊する予定。