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2023年1月31日火曜日

ラオス南部2022 ハノイ空港での失敗、帰国

12月24日

ハノイ空港でやってしまった大失敗とは飛行機への搭乗を逃してしまったことだ。空港に着くのが遅すぎたわけではない。不慮の事態が発生したわけでもない。ただただ搭乗を逃してしまっただけだ。まことにまぬけな失敗だ。

ミスの原因は離陸時間をちゃんと確かめていなかったことにある。ハノイ空港のボード(標示板)を見て、1時40分離陸だと勘違いしてしまった。私のベトナム空港便は0時30分の離陸だったが、もうひとつ1時40分の格安航空のVietJetのOsaka行きがあったのだ。まさかこんな接近した時間にOsaka行きが2本あるとは知らず、1時40分が自分の便だと勘違いした。もっとボードを注意深く見るべきだった。それよりもなによりチケット控えを見て出発時間をちゃんと確かめておくべきだった。基本中の基本を怠った。

午前1時過ぎになってVietJetの搭乗が開始され、搭乗のチェックを受けたときに「これは別の航空会社だ」と言われ、初めて間違いに気づいた。

私の便はすでに飛び立っている。さすがに焦った。どこに連絡すればよいか。この場でコンタクトできるのはセキュリティチェックの係官たちしかいない。

係官に「飛行機に乗れなかった」旨を伝えると、「ちょっと待っていろ」とのこと。

20分くらい待っただろうか。女性の職員が現れ、入国手続きの場まで連れて行ってくれた。通常の入国審査はすべて終了している。窓口に現れた審査官は不機嫌そうに入国スタンプを押してくれた。業務が終わっているにもかかわらず再度呼び出されたわけだから不機嫌なのも無理はない。

こうしてベトナムに入国し、明かりはともっているが、店はすべて終了している入国ロビーに放り出された。人影もまばらだ。時刻は午前2時近く。

どこか泊まる場所を見つけ、明日早朝に改めて大阪へのチケットを購入するしかない。

往路で一泊したカプセルホテルに行ってみる。なんとか受付の女性を見つけたが、空いている部屋はない。タクシーで外へ出ようにもベトナムの通貨を持ち合わせていない。

両替カウンターは明るいが、誰もいない。しかしその横のもうひとつの両替カウンター(MSB銀行)に女性がいた。店は閉まっているが、この女性が窓を開け対応してくた。この女性に助けられた。

まず10ドルをベトナム通貨のドンに両替する。

「腹が減っているが、どこか開いているレストランはないか」と尋ねると、女性はお菓子を差し出す。そして「インスタントのヌードルでもよいか」と言う。

私は両替カウンターの前のベンチで、女性が湯を沸かせてヌードルを持ってきてくれるのを待つ。お金を払おうとするが、女性は「払わなくもいい」と言う。水も持ってきてくれる。

ベトナム人女性(周囲は明るいが午前2時過ぎ)

ラーメンをつくってくれた

やっと一息つき、女性と小一時間会話をする。両替カウンターで働いているにもかかわらず、女性は英語が堪能ではない。したがって「会話」は女性のスマホを介して次のような手順で行われた。

まず女性が私への質問をベトナム語でスマホに入力する。それが日本語に自動翻訳される。私が女性のスマホに日本語の音声で答える。音声はベトナム語に自動翻訳され、スマホに表示される。

女性は24歳。ハノイのXXX(忘れた)地区に住む。ハノイは騒音がひどく、空気が汚く、好きではない。

日本語の学習が始めたが、文字が難しく、あきらめた。で、今は韓国語に切り替えた。

そこで韓国語で少し話してみたが、女性の韓国語も会話レベルには達していない。「韓国語もできるのか。すごい」との反応。

私がベトナムのサパ地域に興味を持っており、モン族やアカ族に言及すると、女性は「私はキン族だ」と言う。キン族など聞いたことがない。なにぶんにもスマホの翻訳を重ねた会話だから、何かの間違いではないか思った。しかし帰国してから調べると、キン族とはベトナム民族を指すらしい。

こうして午前3時近く楽しく「会話」した。

私は両替カウンターの前のベンチで眠ることにした。女性は私に寝袋を貸してくれた。彼女はバイクか何か帰宅するものと思っていたが、自らもカウンターのうしろに引っ込んで眠りについた。ひょっとすると自分用の寝袋を貸してくれたのかもしれない。

寝袋付きでも眠れなかった。ちょっとウトウトしたくらいだ。5時を過ぎたので起床する。「チケット・オフィスの窓口が開くのは5時」と女性が言っていたからだ。

そんな早くから開くだろうか。半信半疑だったが、2階上の国際線フロアまで行ってみた。ベトナム航空の窓口は閉まっていたが、VietJetのカウンターはオープンしている。

大阪までできるだけ早い便のフライトを購入したいと伝える。今日の8時20分の便があるという。うれしかった。さっそく購入することにした。クレジット払いで、18248円だった。安い。

早速チェックインし無事帰国できた。今度は便名と搭乗時間を念入りに確認したことは言うまでもない。

クリスマスから年末年始という時節柄、もしかすると大阪の便は数日の間すべて埋まっているかもしれないとおそれていた。最悪、数日をハノイで過ごす覚悟もしていた。しかしその日の朝の大阪行きのVietJet便はガラガラだった。20~30%くらいの席しか埋まっていない。

本来のベトナム航空便なら朝6時すぎに到着の予定が、午後2時半の到着となった。入国時にファースト・トラックを利用するために必要なVisit Japan Webはラオスに行く前、日本で必要事項を入力し、審査済みだった。今回の帰国時にはQRコードの読み取りはなく、チラッと見せるだけでよかった。

まぬけなミスのために8時間のロスと18000円強の余分な出費。だが、その代償に若いベトナム人女性との楽しい時間を持てたことを考えると、必ずしも悪い経験ではなかった。自分のまぬけさが恥ずかしいことにかわりはないが。

今回の出来事で印象的だったのはスマホのグーグル翻訳を介してごく自然に会話できたことだ。まったく違和感のない会話だった。彼女がどんなベトナム語を入力したのかはわからないが、画面に表示された「おじさんは元気ですね」という言葉が忘れられない。

私が主体となってこうした会話を展開するのはむずかしい。スマホの文字入力が苦手だから。今の若者がやっているように両手の親指を使ってすばやく入力することができない。

ちょっと長めの文章はすぐにパソコンに頼ってしまうことの弊害だ。「スマホの文字入力は苦手」と言っておられる時代ではない。スマホ入力に慣れることは今後の旅に必須だ。

ベトナム人女性からはFacebookのアカウントを聞かれた。私はFacebookのアカウントを一応持ってはいるが、Facebook上の情報を見ることだけが目的で、実質的には使っていない。したがって「使っていない」と答えるしかなかった。

フィリピンではネット上の交流はほとんどFacebookを通じて行われると聞いた。インターネット=Facebookといった感覚だ。おそらくベトナムでも似たような事情なのだろう。

ともかくラオス南部の旅行はこうしたちょっとまぬけなコーダをもって終了した。

2023年1月30日月曜日

ラオス南部2022 十四日目(最後のビエンチャン観光、帰国の途につく)

 12月23日

今日はハノイ経由で日本へ帰る日。ハノイ行きのフライトは19時45分だから、ビエンチャンをさらに探索する時間はたっぷりある。

ネットで調べると、日本人女性が経営するSIHOM cafeというカフェ・レストランがある。ハンバーグやカレー、カツ丼などの大衆的な料理を手頃な値段で提供しているらしい。場所はタラート・サオ(ショッピング・モール)を少し先にいったところ。歩いて行ける距離だ。ビエンチャン最後の昼食はここにしよう。

12時近くにホテルをチェックアウトし、荷物を預けて、タラート・サオの方向に歩く。タラート・サオを越え、キャピタル・バスターミナルを通過してさらに行くと、Vientiane Centerという大きくて近代的な建物が見える。中に入ってみる。ショッピング・モールだ。

タラート・サオより大きく、新しい。しかし、まだ完成していないのか、2階より上にはほとんど店がなく、1階も空いている場所が多い。

Vientiane Center


Vientiane Centerと道を1本ははさみ、もう1つ大きなショッピング・モールがあった。Parksonというモールだ。Vientiane Centerを上回る大きさで、Vientiane Centerよりもっと新しい。ロッテリアやStarbucksなどの有名店も入っているが、2階以上は空っぽで、1階もまばらにしか埋まっていない。Vientiane CenterもParksonも中国資本と言われているが、詳細はわからない。

Parkson

本来の目的であるSIHOM cafeが見つからない。グーグル・マップで調べると、このあたりなのだが。ひょっとしてと思い、Parksonの地下にあるフードコートを覗いてみる。案の定、SIHOM cafeのコーナーを見つけた。カツ丼やハンバーグなどを提供してはいるが、ネットで見たような家庭料理といった感じではない。ネットの記事は2020年のもの。おそらくフードコードに移転してスタイルも変わったのだろう。ちょっと迷ったが、ここで食べるのは止めにした。

フードコート内のSIHOM Cafe

まだまだ時間はある。ビエンチャンの数少ない観光スポットであるタート・ルアンに行くことにした。歩くにはちょっと距離があるので、配車アプリのLocaを使って車で行った。代金は55000キープだったが、チップを含めて60000キープ払う(480円ほど)。

タート・ルアンは金箔で飾られた仏塔で、その高さは45mとのこと。こうした黄金に輝く寺院はタイやミャンマーにもある。しかし、正直なところ、金まみれのお寺を見るたびに思うのは、これを建てるためにその時代の農民たちがどのように搾り取られ、こき使われたかという、過酷さだ。昨日訪れたワット・シーサケットのほうが落ち着きがあり、好ましい。

タート・ルアンの入口


タート・ルアン


帰りもLocaを使おうとしたが、運転手とうまく落ち合えずキャンセルされてしまった。やむなく、トゥクトゥクで宿の近くのナンプ広場まで行く(60000キープ)。配車アプリを使うときの問題は、待ち合わせの場所の指定だ。タート・ルアンの正面で車を呼んでもうまくいかなかった。こうした場合、電話でやりとりするのが普通だろうが、Locaに登録してある私の電話番号は日本の番号なので通じない。通じたとしても英語でのコミュニケーションは難しいだろう。

遅めの昼食をホテルの近くでとったあと、4時過ぎにホテルでタクシーを呼んでもらい。空港へ向かう。タクシー代金は入国時とほぼ同じの100000キープ(780円ほど)だった。

タイで余ったバーツもキープに替えたこともあり、2万円以上のラオス・キープの手持ちがあった。ラオス入国時に両替したカウンターで「両替の領収書があれば再両替が可能」と聞いていたので、キープを余分に持つことに不安はなかった。

ところが、その肝心の両替カウンターが閉まっている。閉まった中に男性がいたので尋ねると「オープンするのは明日以降だ」と言うではないか。

隣のオープンしている両替所でもキープの再両替は不可能。「カーレンタルのカウンターで替えてもらえば」というアドバイスに従ってカーレンタルのカウンターへ行くが、誰もいない。その近くにある空港タクシーを手配するカウンターでようやく、手持ちのすべてのキープを米国ドルに替えることができた。受け取ったのは百数十ドル。レートの高低を気にしている場合ではない。ともかくキープを厄介払い(失礼!)できたこに満足。将来またラオスを訪れる可能性もないわけではないが、インフレ著しいキープを手持ちするのは得策ではない。

チェックイン時にはワクチン接種証明書の提示を求められた。日本入国のためだ。私の証明書を見たベトナム航空のスタッフはクスッと笑い、「5回も接種しているのですか。私は3回だ」と言う。

19時30分に離陸したベトナム航空機は1時間半ほどでハノイ空港に到着した(行きと同様食事は出なかった)。セキュリティを通過して出国ロビーに入り、あとは関空行きの飛行機を待つばかり。

いつもならこれで旅行の終了となるのだが、ハノイ空港で大きな失敗をしてしまった。このため「ラオス南部の旅」の記事もこれで終わりにならない。まだ続きがある。

2023年1月28日土曜日

ラオス南部2022 十三日目(ビエンチャン散策)

 12月22日

8時過ぎにホテルでビュッフェ式の朝食をとる。

Family Boutique Hotelの朝食

同じ価格帯のVientiane Luxury Hotelに比べ、Family Boutique Hotelの朝食は規模も内容も若干劣る。食事だけでなく、総じてVientiane Luxury Hotelのほうが上だった。ただ、立地に関しては、タラート・サオ(ショッピング・モール)やナンプ広場に近い分だけFamily Boutique Hotelに利がある

朝食後、すぐ近くにあるナンプ広場に向かう。ナンプ広場はビエンチャンの中心と目される噴水のある広場だ。実際にはただの小さな広場で、「中心」という名には値しない。噴水も吹き出していなかった。

Family Boutique Hotelからナンプ広場にかけの通りはツーリスト向けのホテルがいくつか立ち並んでいる。この通りをタイのカオサン通りと比較する記事もどこかで読んだが、規模や賑やかさからしてカオサン通りとは比べものにならない。

ナンプ広場に至るストリート

続いてタラート・サオを目指す。歩いて10分ほどの距離だ。途中、タートダムというパゴダに立ち寄る。草に覆われたユニークなパゴダで、それなりに風情がある。

タートダム


タラート・サオの中に入る前に、その隣にあるキャピタル・バスターミナルへ行く。明日は帰国日。空港に行くバスを調べるためだ。だがそれらしきバスは見つからない。周りの人に聞いてみる。今は空港行きのバスは運行されていないと言う人が2人、逆に運行されていると言う人が1人。いずれにしてもバスが見つからないのでは話にならない。明日はタクシーで空港へ向かうしかないようだ。

タラート・サオは2つの建物からなり、そのうち1つにはフードコートが入っている。ちょっと中を覗いてみよう。

タラート・サオのフードコート

クーポンを買ってから注文するシステムがめんどうだったので、昼食はモールの入り口にある小さな食堂でとった。麺とコーラで40000キープ(310円ほど)。

食後、タラート・サオの近くにあるワット・シーサケットというお寺を見学する。1551年に建立され、その古さを今にとどめている寺院だ。この寺院へ向かう途中、路上に低くのびていた大きな木の枝におもいきり額をぶつけ、道の上に背中から倒れてしまった。スマホを見ながら歩いていたためだ。幸いかすり傷ひとつなかったが、打ち所が悪かったら、次の日の帰国もままならなかったかもしれない。

ワット・シーサケット

わっと・シーサケットの仏像

ホテルへ戻り、夕方になってからメコン川へ出る。相変わらずの賑わいだ。ナイト・マーケットのメイン商品は衣服で、とにかく安い。シャツやジーンズが20000キープ(160円)均一で売られている。いくつか購入したいところだが、機内持ち込みが可能なバックパックひとつで旅をしている身としては、買っても収納するスペースがない。

20000キープ均一

ナンプ広場を通過してメコン川から引き返す。このときのナンプ広場はイルミネーションで照らされ、噴水も動いていた。

夜のナンプ広場

夕食は高級レストランのKua Laoでとることにした。ディナー・ショーをやっていないことから昨日は避けたレストランだが、ラオス最後の夜だ。少しは贅沢してもいいだろう。

レストランに入ると、10人ほどの日本人らしき団体が食事を終えて席から立ち上がるところだった。そういえば昼間、注文にたのはラープとポークソーセージ、それにカオ・ニャオ(もち米)。もちろんボトルのBeerLaoも頼んだ。合計で220000キープ(1700円余り)。が先客もいた。そういえば昼間、

2023年1月27日金曜日

ラオス南部2022 十二日目(ビエンチャンに戻る)

 12月21日

8時過ぎ、Lao Styleゲストハウスの車でバス・ターミナルに向かう(25000キープ)。ビエンチャンに戻るためだ。ゲストハウス経営者の母親が運転する車には4人の若いフランス人女性が同乗していた。フランス語で話しかけよう。彼女たちのひとりはベルギー人だったので、「フラマン語はしゃべれるのか」と尋ねる。「しゃべれるべきだけど、あまりうまくはない」との返事だった。今回の旅でフランス語で会話するのは4回目だ。

彼女たちの目的はターケーク・ループ。バス・ターミナルに到着する前に”Bon Voyage"と私に声をかけて下車していった。ターケーク・ループとはターケークから出発してターケークに戻る観光コースで、車やバイクで回って5、6日はかかる。私にはターケークだけでそれだけの日数をかける時間的余裕がないうえ、体力的にも厳しい。東南アジアを長期旅行している(確か3ヶ月ということだった)若い彼女たちだからこそ可能な冒険だろう。

9時30分発のビエンチャン行きのVIPバスに乗る。代金は150000キープ(1200円ほど)。VIPバスということだが、どこがVIPなのかはよくわからなかった。ビエンチャンまで直行するという意味だろうか。大型バスはほぼ満席。3分の2がライス人、3分の1が欧米のバックパッカーといったところ。

VIPバス

途中で食事休憩をはさみながら、バスは午後5時ごろにビエンチャンのバス・ターミナルに到着した。合計7時間半のバスの旅。バス・ターミナルはビエンチャンの中心部から離れているため、さらにソンテウ(トラックの荷台を改造したタクシー)に乗り、予約している宿の近くまで行く。

テンソウには数人の欧米人バックパッカーが乗り合わせていた。そのうちのオランダ人のカップルと話す。彼らはなんと6ヶ月をかけての長旅だった。うらやましくもあるが、たいへんだろうなという感想も否めない。

宿はビエンチャン中心部のFamily Boutique Hotelを予約していた。朝食付き2泊で57ドル。当初はビエンチャン到着後に3泊したVientiane Luxury Hotelを再度予約していたのだが、せっかくのビエンチャン滞在をいつも同じホテルでは芸がない。ちょっと目先を変えるためにキャンセルして、似た価格帯のFamily Boutique Hotelに変えた。

Family Boutique Hotel

いままでラオス舞踊にふれる機会がまったくなかったので、せめて最後にレストランでディナー・ショーでも見ようと思っていた。ガイドブックによると、Kua Laoという高級レストランでは夜の7時から伝統舞踊のショーがあるとのこと。

幸い、Kua Laoは宿から歩いて10分もかからない。しかし、残念、Kua Laoに行ったがよいが、ショーはやっていないという。おそらくコロナのせいだろう。

伝統舞踊はあきらめ、宿の近くの食堂で夕食をとった。食事中、ぐらいついていた歯がついに抜けてしまった。ある意味、これで楽になった。食べにくいことに変わりはないが、気をつかいながら食べる必要がなくなったからだ。

2023年1月26日木曜日

ラオス南部2022 十一日目(ターケーク)

 12月20日

Lao Styleゲストハウスの中庭には「あずまや」があり、コーヒーとバナナが用意されている。宿泊者同士の交流の場ともなる建物なのだろうが、8時過ぎに私が訪れたときには誰もいなかった。バナナは小ぶりで、青く、固かった。この種のバナナを好む人もいるかもしれないが、ところどころ黒くなるほど熟れきった黄色いバナナが好きな私向きではない。

中庭のあずまや


部屋でしばらく休んでから、歩いてメコン川を目指す。途中、5、6歳の女の子とすれ違った。女の子が「ハロー」と声をかけてきた。「ハロー」と返す。すると彼女は片手を挙げてハイ・タッチ(high five)を求めてくる。求めに応じて、小さな手に私の手を合わせる。これには少し驚いた。アフリカの子供ならありうる光景だが、ラオスでのこうした出会いはまったく予期していなかった。

ターケークの中心はやりメコン川沿いだ。しばらく散策し、川に面したお寺などを見る。

メコン川に面したお寺

川に沿って小さな食堂がいくつかある。そのうちひとつを選ぶ。焼き飯とビールを注文し、メコン川を眺めながらのんびりと食べる。隣の席に高齢のフランス人3人組(女性2人と男性1人)がいたので声をかける。ボルドーから来たという。「ボルドーのワインは日本で人気が高い」と言うと、「牡蠣も有名だ」とのこと。2日前には対岸のタイにいたこと、タイはラオスよりも豊かだが、ラオスはタイよりも落ち着く(tranquille)ことなどを彼らに話した。

メコン川を眺めながら

昼食

食後、YOKOという名前の小ぎれいなカフェに入る。YOKOが日本人女性に由来しているのかどうかは不明。バニララテを注文。隣の5人の若い女性が気になった。飲み物そっちのけで自分たちの写真を撮っているのだ。席を頻繁に替えながら、いろいろなポーズで撮る。自撮りもあれば、2人、3人と組み合わせて撮ることもある。インスタグラムのためだろうか、Facebookのためだろうか。

支払いを済ませて外へ出ると、カフェの入り口でも彼女たちの写真撮影は続いてた。私は図々しくも彼女たちに「あなたがたの写真を撮ってもいいか」と尋ねる。快くOKの返事を得る。英語でのコミュニケーションはスムーズにはいかない。服装からしてタイ人かなとも思ったがラオス人らしい。Facebookに載せるのが目的らしいが、私の聞き間違いの可能性もある。

ラオス5人娘

宿まで歩いて帰る。Lao Styleゲストハウスではカップヌードルやスナック、飲料などを売っている。グーグル・マップのレビューによると、外で買うのと同じ価格で、上乗せはしていないらしい。夕食はここで買ったカップヌードルで簡単に済ませてた。

余分のブランケットをもらうのを忘れたが、この日はそう寒くはなかった。それでも就寝時にはヒートテックの着用が必要だった。



2023年1月25日水曜日

ラオス南部2022 十日目(ラオスへ戻る)

 12月19日

今日はラオスのターケークに戻る日。朝食後、10時過ぎにホテルをチェック・アウトし、呼んでもらったトゥクトゥクでバス・ステーションまで行く。

ターケーク行きの国際バスは11時30分に出発した。タイを出国し、メコン川にかけられた友好橋を渡ってラオスに入国する。ラオスの入国窓口に行く手前で、空路で入国したときには必要なかったコロナ・ワクチンの接種証明書の提示を求められた。どうもここらへんの統一がとれていないようだ。もし接種証明書を持っていなかったら、どうなっていただろうか。まさかタイに戻されることもないとは思うが。

この国際バスで


メコン川を渡る


午後1時ごろにターケークのバス・ステーションに到着。ターケークにに2泊してからビエンチャンに戻るつもりだ。ターケークの宿はBooking.comを通じて予約してある。Lao Style or Song Lao Guesthouseという長い名前の宿で、2泊27ドル(朝食なし)。1泊13.5ドルだ。

宿までのトゥクトゥクでは中年のフランス人カップルと同乗した。ノルマンディー出身で、ラオスは6回目とか。マクロン大統領の年金改革問題、フランス文学、ミャンマーなどについて話す。フランス語の会話のいい練習になった。

ゲストハウスに着いたのは2時前だったが、部屋の掃除が終わるまで1時間ほど待ってくれということだった。昼食をとるのにちょうどいい。ゲストハウスの周辺には店や食堂がない。10分近く歩いて食堂を見つけ、麺とコーラで遅めの昼食とした。合計4000キープ(310円ほど)。

若い夫婦が運営しているLao Styleゲストハウスは名前のとおりラオス風の造りになっている。値段も安く、評判も悪くないゲストハウスだが、難点は町の中心やメコン川から少し離れていることだ。

Lao Styleゲストハウス(1)


Lao Styleゲストハウス(2)

チェックイン後、20分ほどかけてメコン川まで歩く。河岸にはタイのナコム・パノム行きのフェリー(渡し船というほうが適切かもしれない)の乗り場がある。フェリーでタイに行けるのはラオス人だけで、外国人はバスで友好橋を渡らなければならない。

メコン川沿いにはホテル・リビエラやメコン・ホテルといった大きなホテルもあった。いずれもBooking.comには登録されいない。値段もそう高くはなく、立地を考えればこちらのほうがよかったかもしれない。いつもBooking.comに頼るのは考え物だ。

メコン川に日が沈んできた。向こう岸は今日の朝までいたタイのナコム・パノムだ。

メコン川の日没

川沿にはCetner Pointと呼ばれるナイト・マーケットがオープンしている。いろいろな食べ物屋が並び、それなりに賑わっている。たこ焼きと鶏肉で夕食とした。不安定な歯が気になって残念ながら食事を楽しむことはできなかった。

Center Point

ゲストハウスに帰り、10時過ぎに就寝したが、この日の夜は寒かった。ブランケット1枚ではとうてい足りない。ヒートテックを着込んでもまだ寒く、さらにセーターを重ね、ズボンをはいてなんとか眠れた。




2023年1月23日月曜日

ラオス南部2022 九日目(タイのナコン・パノム)

 12月18日

8時前に2階の朝食会場に行く。会場は広く、客で賑わっていた。大半はタイ人だが、ちらほらと欧米人もいる。ビュッフェ式の朝食で、内容も満足できるものだった。

朝食会場


ナコン・パノムの観光は今日一日だけだ。ネットで調べてわかったのは、ナコン・パノムの中心、そして観光の中心は「ナーガ像」らしきこと。「ナーガ」とは「蛇神」のかことだが、仏教的な意味もあると思われる。タイやラオスの各地に見られるナーガ像だが、ナコム・パノムのものはメコン川に面して建立されている。Hotel VELA Dhi Nakhon Phanomからは2km以上離れており、歩けば30分はかかる。

朝食後、ナコン・パノムを知るためにも、メコン川に沿ってナーガ像まで歩いた。ナーガ像の周りにはかなりの人がいた。仏教徒だろうか、手を合わせて祈っている人もいる。

ナーガ像


ナーガ像を越えてさらにメコン川沿いを上っていく。動物などの妙ちくりんでコミカルな
像が川沿いを飾り、道行く人の眼を楽しませている。

川沿いの像(1)

川沿いの像(2)


Riverside Cruise(メコン川クルーズ) の看板もあった。17時30分から19時30分までの2時間で、大人ひとり200バーツ(800円)。

散策を続け、お寺などを見物する。ガーナ像の近くにセブン・イレブンがある。ここで菓子パンと抹茶ラテを購入し、メコン川を眺めるテラスでのんびりと食べる。

トゥクトゥクでいったんホテルに帰る。たっぷり休んでから再びホテルを出たのは5時過ぎ。クルーズに乗るタイミングを逃してしまった。日が暮れる中、ナーガ像まで歩くと、日中よりずっと賑やかだった。ナーガ像の近くでは、タイの伝統的な踊りが披露されていた。タイの歌や踊りはラオスのものと似ている。ラオスの歌と踊り見たかった私にとっては、これはラッキーだ。

タイ舞踊

私が到着してから30分もしないうちにパフォーマンスは終了した。クルーズ船に乗っていれば見逃すところだった。

昼間は閑散としていた道路は屋台で埋め尽くされていた。ナーガ像近くから時計塔(ベトナム時計塔というらしい)まで600メートルほどの道筋を各種各様の食べ物を売る屋台が並んでいる。ラオスと同様、寿司やたこ焼きを売る屋台もあれは、昆虫食に特化した屋台もある。見ているだけで楽しい。

昆虫食(?)

ナコム・パノムの夜市

屋台は見るだけにとどめ、ホテルに歩いて帰った(トゥクトゥクを拾うことができなかった)。夕食はHotel VELA Dhi Nakhon Phanomのレストランでとるつもりでいた。グーグル・マップのレビューで評判がよかったからだ。

ところがホテルのレストランは、夜9時前というのにすでに閉まっていた。仕方がない。ホテルの近くの大きなレストランに入る。ライブ演奏をやっているレストランだ。といってもタイの伝統音楽ではなく、世界のどこでも聞かれる今風の若者向けの音楽だ。客も若者が多い。

ウエイトレスが英語のメニューを持ってきてくれる。ほとんどの料理にSpicy(辛い)という注意書きが付いている。若いころは多少辛くても大丈夫だったが、年齢とともに辛さへの抵抗が弱くなっている。かろうじて見つけた辛くない野菜の煮付けとビールを頼む。これだけでは足りないのでチャーハンの小も追加した。合計400バーツ(1600円)。ラオスに比べタイの物価は高い。

ここのウエイトレスは親切だった。私がスマホをいじっていると、Wifiの利用が可能であることを教えてくれ、私に代わって接続を設定してくれた。「どこから来たのか」と聞かれたので、「日本」と答え、「日本語をしゃべるのか」と尋ねると笑い出した。彼女の英語力は最小限だったが、タイの地方都市では最小限の英語でさえ貴重だ。

夕食

ナコム・パノムで気がついたことをひとつ。バンコクやチェンマイと比べ、住んでいる日本人が多いとは思われず、日本人観光客も少ないナコム・パノムだが、日本語の看板をちょくちょく見かけた。そのほとんどが「ちょっと変な日本語」だ。いくつか紹介しよう。

ラーメン店

「もぐもぐも」ある。何の店だろうか。

もぐもぐ

これは意味不明。「モーニング・カフェ」だろうか。

カフェであることは確か


かなり凝った看板。

ラーメン「銀座」(?)






2023年1月21日土曜日

ラオス南部2022 八日目(タイに入る)

 12月17日

9時30分のターケーク行きのバスに乗るために、少し早めの8時過ぎに朝食の場に行く。女主人から「よく眠れたか」と聞かれる。一昨日の夜に近所の騒音に悩まされたことを受けての質問だろう。「8時間ぐっすり眠れた」と答えておく。

昨日会ったロシア人は早々に朝食を済ませており、ターケークに向けてバイクで宿を去った。朝食の場には、昨日の中国人に加えて、新しい西洋人男性が登場していた。宿の女主人と英語と片言のラオス語を交えて話していたこの男性はドイツ人で、東南アジアに長期滞在している欧米人のひとりだった。ベルリンの壁が建設される前年(つまり1960年)に東ドイツに生まれ、生まれてすぐに両親とともに西ドイツのシュトゥットガルトへ移住したとのこと。せっかくの機会なのでこの男性とは少しドイツ語で話した。

ドイツ人男性は東南アジア(主としてタイ)には長くいるが、日本を訪れたことはない。しかし「日本が好きだ。サムライ・カルチャーが好きだ」と言う。「サムライ・カルチャー」って何だよ(もちろん声に出しては言わない)。「日本食が好きだ」とも。タイの和食レストランに行っただけで日本食を語られても何だかなあ(これも声には出さない)。

中国人の話題はカジノだった。ラオスに着いた夜にカジノに行き800ドル勝つ。それに味をしめて昨晩も行ったが、2000ドル負けたという。初回に勝たせて次に大負けさせるのはカジノの常套らしい。結果は1200ドルの負けだが、「16時間楽しんだのだから悔いはない」と言う。ビエンチャンで利用した配車アプリの運転手は「中国人はみんなカジノへ行く」と語っていたが、アフリカ在住のこの中国人も例外ではなかった。

中国人とドイツ人

宿の女主人にバス・ステーションまでの車の手配を頼む。歩いて行けないこともないが、時間が迫っている。中年の女性が運転する車はケーケーク行きのマイクロバスが出発する寸前にバス・ステーションに到着した。ターケークまではおよそ2時間の道のりだ。9時30分ちょうどに出発したマイクロバスは途中で客を拾い、荷物を積み込む。驚くほど多くの荷物を屋根の上に載せた。

車の屋根に荷物を載せる


12時前にターケークのバス・ステーションに着く。ここから直接にタイのナコン・パノムへ渡るつもりだったが、タイ行きのバスはこのバス・ステーションではなく、ベトナムやビエンチャン行きのバスが発着する長距離バス・ステーションから出ていることが判明した。

長距離バス・ステーションまでトゥクトゥクで移動し、2時30分に出発するナコン・パノム行きバスのチケットを購入。39000キープ(300円強)だった。バスを待つ間にバス・ステーション内の食堂で昼食をとる。チキンなどをぶっかけたご飯で、25000キープ。

ほぼ定刻に出発したバスは30分ほどでラオス側の出国窓口に到着。出国手続きを終えると(何かの名目で各自10000キープを徴収された)、再度バスに乗り、友好橋(Freindship Bridge)を渡る。タイへの入国手続きも問題なく終わる。ワクチン接種証明の類いは求められなかった。

ラオスの出国窓口

入国を経てナコン・パノムのバス・ステーションに到達したのは午後4時ごろだった。1時間半でラオスからタイへの移動を完了したことになる。

ナコン・パノムには2日間滞在する予定だが、宿は予約していなかった。ラオスで買ったSIMカードはメコン川をはさんだタイ側でもなんとか使えた(スピードはかなり落ちだ)。Booking.comで宿を調べると、あまり選択肢がない。候補になりそうなのは、中心部から少し遠いVELA Dhi Nakhon Phanomくらいだ。ともかくここへ行ってみよう。

ナコン・パノムのバス・ステーションには両替所がなかった。やむなくATMを使って5000タイ・バーツ(約2万円)を入手した。「やむなく」と書いたのは、ATMを使いたくなかったからだ。第一にカードが飲み込まれる可能性がある。短期の旅行者にとってこれは大きな問題だ。第二にATMでは円をバーツに両替することになる。安くなった円でバースを購入することは避けたい。手持ちのドルで購入したいところだ。

トゥクトゥクでVELA Dhi Nakhon Phanomまで行く。100バーツ(約400円)。2km弱の道のりだからちょっと高い値段だ。

VELA Dhi Nakhon Phanomは朝食付き2泊で4300バーツ(17000円ほど)だった。支払いはクレジットカードにした。手持ちは5000バーツだから、現金で支払うと700バーツしか残らない。バーツなら余ってもあとでラオス・キープに両替できる。

1泊8500円だから、私にしてはかなり高い宿だ。しかし広々とした新しい部屋、清潔でふくよかなベッド、メコン川を眺める景観と、十分に満足できる値段た。たまには高めのホテルに泊まるのもいい。

夜のHotel VELA Dhi Nakhon Phanom

           Hotel VELA Dhi Nakhon Phanomの部屋

シャワーを浴び、広々としたベッドで横になって体を休めてから外に出る。ホテルの周りにはいくつかレストランがある。そのうち1つを選んで、ポーク付きのライスとビールを注文し、ナコム・パノムではじめての夕食とした。

夕食(140バーツ、560円ほど)




2023年1月18日水曜日

ラオス南部2022 七日目(サワンナケート)

 12月16日

8時半ごろ、朝食をとりに宿の庭に出る。宿の女主人に昨夜遅くまで近所がうるさかったことを伝える。5~60代の女主人は「それはすまなかった。わかっていたら注意したいたのだが」と言う。騒音にはまったく気づいていなかったようだ。Booking.comでこの宿のレビューを見ると、この女主人の評判が非常にいい。その後のいろいろなやりとりのなかで、彼女の評判のよさにはちゃんと根拠があることがわかった。

朝食はフランスパンと卵料理、それにコーヒーか紅茶だけのシンプルなものだった。1泊13、4ドルという値段を考えれば十分だ。

Sala Thongyonの朝食


朝食の席にはそれほど若くもなく、かといって高齢でもない西洋人の男性がいた。30代後半、ひょっとすると40代か。同席して言葉を交わした。ロシア人とのこと。東南アジアを長く旅しているらしい。ロシアを出たのはウクライナ侵攻が始まる前と言う。タイで購入したバイクでラオスをまわっているところだ。うらやましい旅の仕方だが、私には無理だ。事故や事件が起こったら対処できない。

ヨーロッパの先進国にあまり興味がないのは私と共通していた。「ヨーロッパは美しいし、きれいだ。旅のインフラも整っている。だが予想を超えること、びっくりするようなことが起こらず、はらはらわくわくがない。要するに退屈だ」という点で私たち二人は一致した。

アルメニア旅行のときにはロシア人観光客に「ウクライナ侵攻をどう思うか」と問うのを躊躇したものだが、このロシア人には聞いてみた。明確な答えは返ってこなかった。なんとも煮え切らない回答ではぐらかされてしまった。つまりは答えたくなかったのだろう。

彼が気に入っているらしいインドネシアの話などをしているとき、これまた30~40代くらいの東洋人男性が現れた。彼も朝食の席につき、私たちに話しかけてきた。中国人だ。開口一番”I am not a communist”と大きな声で言う彼。アフリカ在住で、東南アジアで長期休暇中(彼の表現を借りればvacation中)とのこと。タイからバスで十数時間かけてラオスに入国したばかりだった。

北京近郊出身のこの中国人、声高に中国共産党と中国政府を批判する。「中国国内ではそんなこと言えないだろう」と反応する私に対して「もちろんだ。こんなこと言ったらすぐ投獄されてしまう」と彼。

中国のネット規制に話が及ぶ。ネット規制をかいくぐるにはVPNという手段があるが、この中国人によると「VPNもあぶない」とのことだ。「VPNを使っていると、ある日突然公安警察がやってくる可能性がある」と言う。「外国人は大丈夫だ」と彼は言うが、どうなのだろうか。

彼はケニヤやタンザニアで建設関係のビジネスを独立して営んでる。アフリカの中国企業については、現地人を雇用せずに、労務者や料理人まで中国から連れてくるとの批判があるが、「俺は現地人をたくさん雇っている。現地人のほうが中国人よりずっと安い。雇わない法はない」とのことだった。なかなかおもしろい中国人だった。

朝食後、昨日行きそびれたメコン川まで足を伸ばす。道すがら、聖テレサ教会があったので、入ってみる。

聖テレサ教会

教会より興味深かったのは、植民地時代のものとおぼしき、古くて半ば朽ちかけた建物群だ。

古い建物(1)

古い建物(2)

メコン川に出る。ゆったりとした川の向こう岸はタイだ。川沿いは閑散としており、店も少ない。大きなドラゴンの像だけが目立つ。

ドラゴン像

メコン川からトゥクトゥクでバス・ステーションへ行く。明日のターケーク行きのバスの時刻表を確かめるためだ。9:30、11:30分...と2時間おきにある。

明日はターケークへ行くが、ターケークでは泊まらず、そのままタイのナコム・パノムを目指す計画を立てていた。タイでは2泊する予定。当初は行程の中に入っていなかったタイだが、サラワンに行かなかったこともあり、旅に変化を持たせるためにあえて足を踏み入れることにした。

バス・ステーションから歩いて宿に戻る途中、小さなカフェ・レストランに入り、焼き飯とマンゴー・ジュースで昼食をとる。歯が不安定なこともあり、食事は麺か焼き飯の二択になってしまった。

宿で休憩し、日が暮れるころに再びメコン川の方向を目指す。昼間の散策でNew Night Marketなるマーケット兼フードコードを見つけていたからだ。

New Night Marketはかなり規模が大きく、賑わっていた。自分で素材を選んで火にかけてもらう、一種の煮込み料理のカップを購入。BeerLaoのカウンターもあり、生ビールを提供している。350mlの生ビールを注文。煮込みとビールを併せて39000キープ(310円ほど)だった。生ビールはタワー型のサーバーでも提供されており、ラオスの若者(だけではないが)たちが仲間連れで楽しんでいた。

New Night Market

New Night Marketを歩く

昨日とはうってかわり、今日の夜は物音ひとつせず、ぐっすりと眠れた。



2023年1月16日月曜日

ラオス南部2022 六日目(サワンナケート到着)

 12月15日

8時40分ごろにホテルに迎えにきたトゥクトゥクでサワンナケート行きのバス乗り場まで行く。「バス乗り場」はバスターミナルではなく、小さな旅行会社の前だった。バスもマイクロバスだ。サワンナケート行きのマイクロバスがやってくる。乗り込んだのは私と若い韓国人のカップル。韓国人のカップルの目的地はサワンナケートではなく、その先のターケーク。サワンナケートでミニバスを乗り換えるらしい。

韓国人のカップルに韓国語で話しかける。といっても「韓国人ですか。私は日本から来ました」だけで、あとは英語に頼るしかない。韓国人カップルは3ヶ月をかけて東南アジアを旅行中。ベトナムで両親と合流する予定とのこと。ラオスのバンビエンに韓国人観光客が多いことなどを話す。「(韓国人は)ルアンパバーンとバンビエンしか行かない」と韓国人カップル。日本人も同じようなものだ。ラオス滞在6日目、まだひとりの日本人にも遭遇していない。

午後1時過ぎにサワンナケートのバス・ステーションに到着。Booking.comを通じて予約していたSala Thongyonという宿まで30分ほどかけて歩く。2泊(朝食付き)で27ドル、バンガロー式の宿だ。

Sala Thongyon(1)


Sala Thongyon(2)

宿で体を休めたあと、外へ出て食堂を探すが、なかなか見つからない。メインの通りから少し離れるたところでCafe Amazonを見つけた。ビエンチャンでも見かけたカフェだ。このときはラオスのチェーン店かと思ったが、あとでタイ資本のチェーンであることが判明した。食事は提供していなかったので、抹茶ラテとケーキを注文して昼食代わりとした。60000キープ(450円強)。小ぎれいなカフェだけあって、ラオスにしては高めの値段だ。

Cafe Amazonで

抹茶ラテとケーキを注文

サワンナケートもパクセーと並んでラオス第2の都市といわれているが、パクセー同様に閑散としている。バス・ステーションの近くに市場があるというので行ってみたが、見つからなかった。

もと来た道を引き返し、宿には戻らず、メコン川の方向を探索する。この日はメコン川までは行かず、途中のローカルな食堂で夕食をとった。ヌードルで15000キープ(120円弱)。こんなローカルな食堂でもキャッシュレス決済に対応している。もっとも普及しているのOne Payというシステムらしい。もちろん外国人の私は現金で支払うしかない。

120円のヌードル

One Pay

宿に戻り、床についたときくらいから、外で話し声と音楽が聞こえてきた。最初は宿の客のグループが騒いでいるのかと思ったが、どうも宿の外から聞こえてくる音らしい。音楽もラオスのものだ。話し声と音楽は夜中の1時、2時まで続き睡眠を妨げた。