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2023年3月21日火曜日

スリランカ2023 十一日目(最終日)

 2月26日

今日はスリランカを離れる日。といってもフライトは夜中の0時25分だから、厳密には明日の27日にスリランカを離れることになる。

今日一日たっぷり時間がある。Fairway Colomboのチェックアウト時間は12時だが、ありがたいことに午後2時まで無料でチェックアウトを引き延ばすことができる。

8時過ぎにホテルを出て、近くの食堂で朝食をとる。麺とダール・カレー(豆のカレー)、紅茶を注文する。値段は覚えていない。

朝食

コロンボの中心部は官庁・銀行街のFort(フォート)と商業地帯のPettah(ペター)からなる。Fairway Colomboはフォートに位置している。

朝食後、閑散としたフォートを通り抜け、海辺まで行ってみた。美しい眺めだ。散策する人もちらほらいる。

フォート地区


海辺


フォートを歩いているとき、昨日の詐欺師と似たような誘いかけに2、3度遭遇した。もちろん完全無視。

ホテルまで引き返し、ベッドに寝転がって体を休める。2時ちょうどにチェックアウトし、荷物をホテルに預けて外へ出る。ちょっと高級なレストランに入る。どのレストランだったか思い出せない。ヒルトン・ホテルだったかもしれないし、ヒルトン・ホテル近くのレストランだった可能性もある。チャーハン、紅茶、ミネラル・ウォーターで1850ルピー(700円近く)。

昨日と同様Floating Marketまで歩き、マンゴー・ジュースで喉を潤す(250ルピー)。

ホテルまで戻り、かなり早めだが、7時ごろに配車アプリのPickmeでトゥクトゥクを呼び、空港を目指す。せっかくインストールし登録しておいたPickmeだが、実際に利用したのはこれが最初で最後だった。料金は2600ルピーだったが、ルピーが余っていたこともあり、3000ルピーを運転手に渡す。

コロンボ発クアラルンプール行きのマレーシア航空便はほぼ定刻通り0時半すぎにコロンボを飛び立った。

2月27日

クアラルンプールに着いたのは朝の7時近くだった(スリランカとマレーシアの時差は2時間半)。関空行きの便は22時40分だから、待ち時間は16時間近くある。関空行きの搭乗券も入手済みだったが、空港の出発ロビー内で16時間を過ごすという選択肢はない。マレーシアにいったん入国するしかない。入国してから市内まで足をのばすか、それとも空港近くのホテルで体を休めるか。昨夜機内でほとんど寝ていないこともあり、後者を選んだ。

選んだホテルはTune Hotel。格安航空専用のターミナルに隣接している。8時間の休憩で40ドルだった(食事付き)。予期したとおりあまり眠れなかったが、暑い中で街を歩き回るより楽だろう。

Tune Hotel(クアラルンプール)

11日間に及ぶスリランカ旅行はこうして終わった。数か月前の政治的・経済的混乱の痕跡は一介の短期旅行者の目には入ってこなかった。トリンコマリーのガソリン・スタンドで一度だけモーター・バイクが長い行列をつくっているのを目撃したが、他のガソリン・スタンドではそうしたことはなかったので、何か特別な事情があったのだろう。10日余りの滞在ではインフレも肌では感じられない。コロンボで遭遇した詐欺もずっと以前からあったもので、最近の経済的困窮が影響しているとは考えにくい。

トリンコマリーのガソリン・スタンド

正直なところ、不燃焼感が残る旅行だった。詐欺に遭ったことを含め、こうした残念な結果は、私の側の調査と準備の不足、油断と甘さのせいでもある。

2023年3月20日月曜日

スリランカ2023 十日目(詐欺に遭う)

 2月25日

8時過ぎ、朝食をとるためにホテルを出る。軽く朝食を済ませてまたすぐホテルへ戻るつもりだった。

中年の男が声をかけてきた。近くでなにか行事があり、何匹も象が登場する。格好の写真材料だ。近くかだから、行ってみるとよいとのことだ。

これが結構手の込んだ詐欺だった。トゥクトゥクの運転手と組んだ詐欺で、コロンボではよくあるものらしい。何年も前からネット上で数多く報告されている。「コロンボ 詐欺」で検索すればゴロゴロ出てくる。

トゥクトゥクに乗せられ、向かった先はでは象では亡く、寺院。男が寺院を案内する。もちろんこの時点でおかしいことに気がついたが、せいぜいガイド料を請求されるくらいだろうと油断していた。

再び同じトゥクトゥクでホテル近くまで戻ったとき、運転手は往復の運賃として9800ルピー(3600円ほど)要求する。余りにも高額なため980ルピーと勘違いして1000ルピーを差し出したくらいだ。

結局、言い値のとおり支払い、案内した男にも1000ルピー(370円ほど)を渡してしまった。

ネット上の報告では、宝石店に連れて行かれて、偽の宝石を高額で買わされるというケースもあるが、私の場合はトゥクトゥクの法外な運賃だけだった。

振り返って後悔されるのは、法外な値段を言われたときに抵抗しなかったことだ。人通りは少ないとはいえ、白昼の大通りだから、いくら抵抗しても身体に危害を加えられるようなことはなかっただろう。

数年前にエジプトのピラミッドで子供を使った詐欺に遭遇して以来の失敗。エジプトのときもそうだったが、詐欺にひっかかるときは、冷静な判断力を奪われ、夢遊病者のように行動してしてしまう。

事前にスリランカ旅行のYouTube動画をいくつか閲覧し、「スリランカはいい人ばかり」という刷り込みがあったことも大きい。多少の嘘やぼったくりを許容してしまう私の側の甘さもある。

被害は約4000円。起こってしまったことはとりかえせない。あれこれ後悔するより、忘れたほうが精神衛生によいだろう。

Fairway Colombに付設されているJavaというカフェに入り、サンドウィッチとカフェラテで朝食とする。

サンドウィッチとカフェラテで朝食

ホテルで休息してから、コロンボの下町であるペターまで30分ほどの道のりを歩く。ペターのメイン・ストリートは文字通りMain Streetという名前だ。

Main Street


このMain Streetを歩きながら動画を撮る。


バス・ステーションの近くにFloating Marketという店舗群がある。湖の上に設置されている十数軒の飲食店や衣料店で、なかなか趣がある。このなかの一軒で遅めの昼食をとった。チキンライス(?)とコーラで400ルピー(150円ほど)。

Floating Market

歩いてホテルまで帰る。途中、Colombo Fort駅のあたりで日本人らしき若いカップルを見かけたので、声をかける。男性は日本人だが、女性のほうは京畿道出身の韓国人だとのこと。女性も日本語は達者なようなので、日本語で話す。今朝の恥ずかしい出来事(詐欺に遭遇)を話したあと、韓国語を交えながら北朝鮮旅行の話題に移る。北朝鮮には平壌をはじめいろいろな場所に合計で10回行ったことやその理由など。別れる際に、男性が「ありがとうございました」と礼を言う。感じのいいカップルだった。

ホテルの前では今日もStreet Food Festivalが行われていた。今日は雨も降っていないので、ゆっくり見て回ることができた。迷いに迷った末、350ルピー(130円ほど)のサンドウィッチを買って夕食とする。

Street Food Festival

2023年3月19日日曜日

スリランカ2023 九日目(コロンボへ戻る)

 2月24日

予定どおり5時15分にチェックアウト。早朝のチェックアウトがちゃんと伝わっているかどうか不安だった。案の定、玄関のシャッターは閉まったまま。ガラス越しに事務室を覗くと、若い男が床に寝ている。だがドアを2、3回ノックすると、男はすぐに起き、笑顔でシャッターを開けてくれた。どうやら早朝チェックアウトは伝わっていたようだ。

外はまだ暗い。犬の多い裏通りは避け、表通りから駅を目指す。途中でトゥクトゥクから声をかけられる。駅までなら100ルピー(40円弱)とのこと。列車は6時15分に発車だから、歩いても十分に間に合うが、表通りにも犬がいるかもしれない。ここは楽をしてトゥクトゥクを利用することにした。

駅に着いたのは5時半過ぎだが、まだ誰も来ておらず、もちろんチケットの窓口も開いていない。

やがて徐々に乗客が到着し、窓口が開く。コロンボまでの2等のチケットが980ルピー(360円ほど)。3等の値段はわからない。後でわかったことだが、2等と3等の違いは2等が2人席なのに対し、3等は4人席。どちらも指定席ではなく、値段もそう大きくは異ならないだろう。

トリンコマリーからコロンボまでは直通ではない。途中のGaloyaという駅で乗り換えなければならない。

6時15分発の列車が発車したのは7時過ぎだった。この種の遅れは予期していたことではある。結果的には暗いうちにチェックアウトする必要はなかったわけだが、最初から遅延を見込んで駅に遅く到着するという選択肢はない。

乗り換え駅のGaloyaには2時間余りで到着した。Galoyaでの待ち時間は30分ほどということだったが、実際には1時間以上待った。駅の売店で買ったスナックとオレンジ・ジュースを遅めの朝食としながら列車を待つ。

Galoya駅

トリンコマリーから乗り合わせた乗客の中に十数人の若者がいる。全員私服だからわからなかったが、彼らはスリランカ海軍の兵士だった。トリンコマリーの海軍基地から配置転換でコロンボの南にあるGall(ゴール)へ行くところ。

そのうちのひとりがスマホの画面を見せ、「日本語が話せる友達だ」と言って若い男性を紹介する。紹介された男性とスマホのビデオチャットを通じて日本語で話す。男性は熊本に住んでいる。スリランカ人が日本へ行くには日本人の保証人が必要になるらしい。

ようやく列車が到着した。席を探すのに右往左往している私を海軍兵士のひとりが自分の隣の空席まで案内してくれた。列車の中ではいろいろな物売りが来る。これはまあどこにでもあることなので驚かないが、カラオケの歌手まで登場したのにはちょっとびっくりした。

列車内のカラオケ歌手

午後5時過ぎ、コロンボまであと20分くらいのときにトラブルが発生した。着いた駅で列車が立ち往生してしまったのだ。どんなトラブルかは不明で、いつ発車できるかもわからない。隣の海軍兵士は「列車を降りてバスでコロンボへ向かったほうがいい」と言う。

そのアドバイスに従い、列車を降りる。コロンボ行き(正確にはペター行き)の路線バスはすぐに見つかった。

30分ほどでコロンボへ着く、予約したRegent Roomsというホテルにトゥクトゥクで向かうが、市の中心部にあるはずのこの宿がなかなか見つからない。宿に電話すると、なんと私の予約はキャンセルされているという。しかもキャンセル料は100%。キャンセルした覚えはない。2泊で32ドルだからたいした金額ではないが、あまりにも理不尽だ。

帰国後に調べると私と同じような目にあった客からのレビューがあり、評価は10点中の1となっていた。予約サイトのBooking.comに連絡し、キャンセル料は課さないということで決着した。

結局、Fairway Colomboというホテルに飛び込んだ。朝食なしで1泊60ドルと高いホテルだが、ここで2泊することにした。外では雨が降り出していた。Fairway Colomboの前ではStreet Food Festivalということで、数多くの屋台が出店し、かなりの人が集まっていた。彼らも雨宿り中だった。

Fairway Colombo


雨の中のStreet Food Festival

雨は1時間ほどでやんだが、雑踏の中でストリート・フードを求めることはあきらめ、近くのバーガー・キングでビーフ・バーガーのセットを調達、ホテルの中で食べた。正確な値段は覚えていないが、2000ルピー(740円)を上回っていた。Pizza Hutと同様、外国資本のチェーン店は安くない。

朝の5時過ぎにトリンコマリーの宿を出て、コロンボのホテルに落ち着いたのが夜の8時。15時間を移動に費やしてしまったわけだ。

翌日になって判明したことだが、Fairway Colomboはコロンボ到着時に宿泊したZest Metropoleと隣接していた。

2023年3月18日土曜日

スリランカ2023 八日目(トリンコマリーの一日)

 2月23日

トリンコマリー随一の観光スポットはコネスヴァラム寺院だ。海に面した大きな寺院で、ヒンドゥー教の一大聖地となっているらしい。

宿(Holiday Villa)からはかなり離れているので、トゥクトゥクで行く(400ルピー)。

トゥクトゥクは寺院の敷地には入れない。入口でサンダルを預け(20ルピー)、しばらく歩くと、シヴァ神の大きな座像が目に入る。

コネスヴァラム寺院


シヴァ神


ヒンドゥー教のお寺は派手だ。過剰なまでの装飾、グロテスクと紙一重の彫像。ここではその規模に圧倒される。お寺のすぐ後ろの海が美しい。

小さな神々


寺院から見る海

出口で欧米人の老カップルを見かける。ドイツ語で話している。ドイツ語を練習するいい機会だ。ドイツ語で話しかける。フランクフルトから来て、1か月の予定でスリランカを回っているとのこと。ヨーロッパ勢は老いも若きも長期旅行者が多い。日本にはまだ来たことがない。「日本を見るにはどれくらいの日数が必要か」尋ねられる。これは答えにくい。数日で満足する人もいれば、半年旅行しても足りない人もいるだろう。「人それぞれ」と答えるしかない。残念ながら、会話は途中で英語に切り替わった。

トリンコマリーの中心部はCentral Roadとその付近らしい。トゥクトゥクでCentral Roadまで行き、しばらく散策する。バス・ステーションもこの近くだ。バス・ステーションの周りは小さな市場となっている。途中でアイスクリーム屋に入り、マンゴー・アイスを食べてから、さらに歩く。昼時になったので食堂に入り、チキンライスとスプライトを注文。併せて650ルピー(240円ほど)。少し辛かったが、まずまずの味。

チキンライス

歩いて宿に向かう途中、仏教寺院に立ち寄る。若い男が近づいてきて、ついてくるように言う。僧院らしきところから、ひとりの僧侶が出てきて、手に巻き付ける糸状のものを差し出す。「買え」というのだろう。無言で断って、宿への道に引き返す。

宿で休む。明日は5時15分ごろにはチェックアウトしたい。その旨を宿のスタッフに伝える。英語で伝わったかどうか不安なので、紙に「5:15 Check out」と書いて渡しておく。この宿はどうもプロフェッショナリズムに欠ける。英語ができないもそうだが、ちゃんとした受付もない。昨日私が宿泊するときも、パスポートの提示を求めることはおろか、そもそも私の名前すら尋ねなかった。誰が泊まっているのか、まったくわかっていないのだ。新しい宿ということもあるが、そんなことでよいのだろうか。スタッフの人柄はそう悪くはなさそうだが。

明日のチェックアウト時にはたぶんまだ暗いだろう。鉄道駅までは10分余りだが、念のために道順を確かめておきたい。グーグル・マップが示す駅までの道を歩いてみた。粗末は住居が建て込む細い裏通りだ。犬が多い。そこかしこに犬がいる。しかも吠える。吠えながら追いかけてくる。

早朝の暗いうちにここを歩くのは危険だと判断した。犬に噛まれれば、確率は低くても、狂犬病のおそれがある。狂犬病に対処するために、今後の予定をすべて変更するはめになるだろう。明日は少々時間がかかっても表通りを歩くことにした。

裏通りで出会った子供

鉄道駅から引き返し、昨日と同じスーパーまで歩く。昨日と同じVanilla Milkと菓子パンを購入して宿へ戻った。

2023年3月17日金曜日

スリランカ2023 七日目(トリンコマリーへ)

 2月22日

朝食の席でタミール人の老夫婦から声をかけられる。ジャフナの生まれだが、現在はオーストラリアに住んでいるとのこと。つまりは里帰り中。オーストラリアには多くの日本人が住んでいるという。

今日はトリンコマリーに移動する日だ。昨日試した配車アプリのPickmeでは車がつかまらなかったことから、バス・ステーション行きのトゥクトゥクをホテルに手配してもらった。トゥクトゥクはトリンコマリー行きのバスの乗車口まで私を連れて行ってくれた。

9時ごろに出発したバスは午後2時前にトリンコマリーのバス・ステーションに着いた。宿を決める前にまず鉄道駅で明後日のコロンボ行きの列車の座席を確保しておきたかった。以前は10時間以上バスに乗るのも平気で、ときには24時間バスで移動したこともある。しかし、トイレ休憩もままらないバスに5、6時間揺られる体力も気力も今はない。長時間の移動は鉄道に限る。

路線バスで鉄道駅まで行く。窓口で尋ねると、前日に調べておいたとおり、コロンボ行きの列車は1日に2本とのこと。早朝の6時15分の列車と夜の7時の列車。座席を予約できるのは夜行列車だけ。朝の列車は当日にチケットを買う。夜行列車といっても寝台車ではない。しかもコロンボ着が翌朝の3時半になるらしい。早朝の列車を選択するほうがずっと楽だろう。

トリンコマリーの鉄道駅

グーグル・マップを頼りに、鉄道駅から歩いて10分ほどのHoliday Villaという小さな宿にたどり着く。予約はしていないが、部屋は空いていた。2泊で8000ルピー(3000円ほど)。部屋はきれいで、エアコンもあるが、冷蔵庫がないのが難。2、3人の若い男性従業員がいるが、英語でのコミュニケーションがあまりうまく行かない。初日の印象から「スリランカではどこでも英語が通じる」と思い込んでしまったが、そうでもない現実を徐々に知ることになる。どの町でもEnglish ClassやEnglish Schoolの広告をよく見かけたが、英語学習の需要がそれだけあるということなのだろう。

朝から食事らしい食事をしていない。宿のそばにPizza Hutに入って、かなり遅めの昼食をとる。小さいピザとスプライトを注文。1300ルピー(500円近く)。後日利用したバーガー・キングもそうだったが、こうした外国資本のチェーン店はかなり高くつく。

トリンコマリーもタミールの町だ。かつて英国の海軍基地があったため、第二次大戦では日本軍の攻撃を受け、民間の死者も出ている。スリランカ(当時はセイロン)が東京裁判に判事としてかかわったのはこのためだ。

現在は海岸のリゾート地として観光客を集めている。なにはともあれ海を見ておこう。30分ほど歩いて海岸へ出る。地元の青年たちが魚を売っている海辺には観光客は見当たらなかった。

海辺


宿へ戻り、少し休んでから、昼間とは反対の方向を散策する。Riyanというスーパーで夜食用にVinilla Milkなる乳飲料と菓子パンを購入する。このへんでも海が見える。歩いて宿へ帰るときには陽が海に沈もうとしていた。

日没の海

2023年3月15日水曜日

スリランカ2023 六日目(ジャフナを歩く)

 2月21日

ヒンドゥー教との関係か、Jaffna Heritage Hotelの部屋の中には「アルコールおよび肉類の持ち込みは禁止」との貼り紙があった。つまりはベジタリアン・ホテルだ。

したがってビュッフェ式の朝食もベジタリアンになる。正直なところ、ちょっと物足りない。

Jaffna Heritage Hotelの朝食


ジャフナのメインストリートはHospital Roadであること、さらにバス・ステーションはメイン・ストリートの近くにあることは昨夜のうちに調べていた。ジャフナの次の行き先も決めていた。東北の海岸沿いにあるトリンコマリー(Trincomalee)だ。トリンコマリーならジャフナからバスで5時間ほどで行ける。そのうえ、トリンコマリーからコロンボまでは鉄道を利用できる。つまり、もっぱらジャフナからコロンボへ戻る交通の便を考えてトリンコマリーを選んだことになる。まあ東海岸を見ておくのも悪くはないだろう。

ホテルからHospital Roadまで、配車アプリのPickmeを使って行こうとしたが、「(運転手を)Searching...」の状態が5分以上続いたのであきらめた。時間はたっぷりあるから歩いて行こう。途中で何匹からの牛と遭遇しながらHospital Roadをめざし、40分ほどかけて到着した。

牛と出会いながら

Hospital Roadに到着

バス・ステーションも見つかった。トリンコマリー行きのバスは2時間おきくらいにあるようだ。

ホテルまで寄り道しながらぶらぶら歩いて戻る。空き地で一休みしているときに地元民から話しかけられたりもした。途中食堂に立ち寄って昼食をとる。焼き飯といくつかの小皿、ミネラルウォーターで540ルピー(200円ほど)。

昼食

食堂のテーブルの上には容器に入った水が用意されている。コップも渡される。だが、私の隣の席の若者はコップを使わずに、容器に直接に口をつけて飲んでいた。しかも数回。周りの人はこれを見ても平気で、誰も注意しない。ちょうどこのころ日本では回転寿司のスシローで若者が醤油差しをなめたことがスキャンダルになっていた。所変われば品変わる。日本なら全国ニュースになりかねない「蛮行」がスリランカでは日常茶飯事だった。

ホテルへ戻って一休みしてから再度外出する。ホテルの近所を散策してから、目星を付けていたアイスクリーム屋に入る。昨日とは異なるアイスクリーム屋だ。注文したのはSunday Special。この店で最高値(350ルピー)のアイスクリームで、5種類のアイスが皿に盛られている。

Sunday Special

外が暑いこともあり、おいしかった。だが甘い物をこんなに摂取していいのだろうかという罪悪感が出てきた。通常なら暑さと渇きにはビールで対処するのだが、スリランカでは一般にカフェや食堂ではビールを提供していない。アルコールが禁止されているわけでない。Barという看板を掲げた店も見かけたし、ワイン・ショップもある。しかしビールにありつくには意識的に求める必要がある。ここらへんの事情はインドと似ている。

毎日ビールを飲むのも罪悪感が伴うが、シュガー入りの炭酸水やアイスを頻繁に口にするのはひょっとするとアルコールより体に悪いかもしれない。

この日の夕食はよく覚えていない。たぶん路上で買ったスナックで済ませたように思う。「肉類の持ち込み禁止」のホテルに肉を詰めたスナックを持ち込んで食べた気がする。

2023年3月14日火曜日

スリランカ2023 五日目(ジャフナへ)

 2月20日

5時に目が覚める。昨日ど同様、ムハマッドが運んできた「朝食」(実際は若干のお菓子)を食べた後、8時過ぎにムハマッドのトゥクトゥクでジャフナ行きのバス乗り場へ行く。ちゃんとしたバス・ステーションではなく、単なるバス乗り場だ。ジャフナ行きのバスはアヌラーダプラ発ではなく、コロンボからやって来る。バスを待っている間、年老いたトゥクトゥクの運転手が話しかけてきた。ムハマッドはジャフナまで8時間と言っていたが、この老人によると4時間とのこと。ジャフナまでトゥクトゥクで行くことも可能だが、代金は80ドル。普通車なら100ドルとのことだった。昨日ムハマッドが示した200ドルの半額だ(もっともムハマッドは「ディスカウントは可能」とも言っていた)。

しばらく待つと、ジャフナ行きのバスがやって来た。先ほどのトゥクトゥクの運転手が「ジャフナ行きだ」と教えてくれる。これはありがたかった。車掌が行き先を叫びながらバスは近づいてくるが、「ジャフナ」とは聞き取れなかった。

バスは満員で、多くの乗客が立っていた。満員の状態は30分以上続いた。私は幸い10分ほど経ったところで座ることができた。

満員のジャフナ行きバスの中


バスの中でジャフナで今日から2泊するホテルを予約しておいた。ジャフナのバス・ステーションに着いたのは12時過ぎ。トゥクトゥクの老運転手が言っていたとおり、4時間近くかかったわけだ。アヌラーダプラからジャフナまでのバスの代金は1100ルピー(400円ほど)。

予約しておいたJaffna Heritage Hotelまでトゥクトゥクで向かう。レビューの点が高いことから選んだJaffna Heritage Hotelは2泊で83ドル。コロンボで泊まったZest Metropoleとほぼ同じ値段だ。2日分の朝食も付けることにした(1日あたり550円ほど)。

チェックインしたあと、近くのスリランカ料理の店で昼食をとる。グーグル・マップで評判のいい店だが、各種スリランカ料理を提供するのは夕方5時半以降で、昼は1種類の定食しかなかった。定食の値段は忘れてしまったが3~400ルピー(100~150円くらい)だっただろう。定食はインドのターリーのような形式だった。ジャフナがタミール地域であることを思い知る最初の出来事。

インド式の定食

ホテルから歩いて10分もしないところにヒンドゥー教のナルア・カンダスワミ寺院がある。
スリランカ最大級のヒンドゥー寺院であるこのお寺は、ジャフナきっての観光スポットでもある。時間帯によっては中に入れるのだが、私が行ったときに門は閉じていた。中に入る際には、男性は上半身裸にならなければならないらしい。スリランカまで来て、貧弱な裸体をさらすのははばかられる。内部を見学するのはあきらめよう。

壮大なナルア・カンダスワミ寺院

ジャフナの午後はコロンボと同様に暑い。寺院の近くのLingan Cream House
という大きなアイスクリーム屋でマンゴー・アイスクリームを食べる。中年の男が私のテーブルに座り、英語で話しかけてくる。宗教の話などをしていたようだが、内容は忘れてしまった。

ジャフナに2泊したあとどこに移動するか。どこに移動するにせよ、鉄道を利用できないから、バスで行くしかない。どのようなバスの便があるか、バス・ステーションまで行って確かめておきたい。グーグル・マップで「バス・ステーション」を検索するが、バス・ストップしか出てこない。ともかく表示されたバス・ストップを目当てに30分以上歩くが、方向違いだった。バス・ステーションへ行くのは明日に回し、歩いてホテルまで帰る。

歩いていて気づいたのは、ジャフナの整然とした街並みだ。住宅地ではゴミもほとんど見られない。インド、パキスタン、バングラデシュとは大きく異なる。むしろ日本に近い。ただ、ヒンドゥー教の影響で、ときおり通りを闊歩する牛を見かける。ここらへんはインドと似ている。インドのバラナシの牛たちほど厚かましくはなく、数も多くはないが。

ジャフナの整然とした通り

その通りを闊歩する牛

ホテルへ戻り、バナナやパンで夜食代わりとし、この日を終える。

2023年3月12日日曜日

スリランカ2023 四日目(アヌラーダプラ探訪)

 2月19日

8時前にムハマッドが朝食をベランダに運んできた。ムハマッドに「おまえは宿のスタッフか」と聞くと「そうだ」の返事。実際は、宿とつるんでいるトゥクトゥクの運転手といったところだろう。朝食はとても宿で用意したものとは思えない。お菓子とバナナ、プラスチック袋入りのミルクで、おそらくムハマッドがあつらえたものと見てよい。

朝食


朝食をとっていると、ドタドタ、バタバタと音がする。猿だ。数匹の猿が屋根の上を走り回っているのだ。ムハマッドによると猿は人間を恐れているので、食事中を襲われる心配はない。

屋根の上の猿

今日は、ムハマッドのトゥクトゥクでアヌラーダプラの仏教遺跡を見学することになっている。3、4時間の見学に対してムハマッドが要求した金額は30ドル。これに遺跡に入るための入場料(外国人のみ)の25ドルが加算される。入場料についてはガイドブックにも記載されているし、ネットの記事などでも承知していた。ムハマッドは入場料の25ドルを20ドルに割引するというので、合計40ドルを彼に支払った。

暑くなる前に見学を終えてしまいたいので、朝食後すぐ、8時ちょっと過ぎに出発した。

いくつかの寺院を巡る。日曜日ということもあり、寺院にはスリランカ各地から白装束の仏教徒が数多く集まっていた。座してお経を唱えている小集団、太鼓を先頭に長い布を捧げ持つ行列、各種のお供え物をする人たち。地に頭をつけて祈っている人もいる。興味深い光景だった。

仏塔の前で

日曜日のお寺

最後に遺跡博物館を訪れ、Royal Parkという公園に立ち寄った。博物館は規模も小さく、展示物に惹かれるものはなかったが、若い男性の訪問者とスリランカの現状などについていろいろと話すことができのはよかった。ほとんど人のいないRoyal Parkでは、子供連れの若いスリランカ人の夫婦に出会った。「どこから来たのか」と聞かれたので「日本」と答えると、「日本は私たちの国をほんとうに助けてくれる。中国やインドの援助には下心がある」
返ってきた。お世辞かもしれないが、悪い気はしない。

見学を終えたのは11時過ぎ。ちょうど3時間かかったわけだ。喉が渇いていたので、昨日の高級レストランでコーラを飲む。値段は忘れたが、かなり高かったはずだ。

ここで散髪をしたい旨をムハマッドに伝える。日曜日だから散髪屋は閉まっているが、ムハマッドが知っている自営の散髪屋はやっているとのことで、少し離れたその散髪屋に向かう。「現地で散髪」はこのところ私の旅の定番になっている。アルメニアでもラオスでも散髪を欠かさなかった。

散髪屋は閉まっていたが、ムハマッドがスマホで呼び出し、かなり短く刈ってもらった。

スリランカで散髪

散髪代は5ドルということなので、ムハマッドに支払う。

宿へ戻り、一休みしてから、私ひとりで外へ出た。宿の近くのWalker'sという食堂で遅めの昼食をとった。グーグル・マップで評判のよい食堂だ。焼き飯にポークなどのカレーをかけた料理とスプライトで900ルピー(約350円)。おいしかったと言いたいところだが、初日コロンボで食べたときと同様に微妙だ。おいしいはずだが、なにぶんにも辛すぎる。ひとつひとつspicy(辛い)かどうか尋ね、spicyでないカレーを選んだにもかかわらず、私の口には辛く感じる。バングラデシュでもインドでも特に辛いと感じたことはなかったから、加齢とともに辛さへの耐性がなくなっているのかもしれない。

Walker'sで昼食

食後、アヌラーダプラのメインストリートらしきところまで足をのばし、特に目的もなく散策してから宿にもどった。

アヌラーダプラのメインストリート

明日はバスへジャフナへ向かう。ムハマッドは200ドルでジャフナまで(トゥクトゥクではなく)車で送ると提案してきたが、これは断った。

昨日、今日と、ムハマッドに引きずられる形で行動してきた。かなりぼっているとは感じていたが、多少ぼられることは承知で任せていた。しかし旅行後に冷静に考えると、ムハマッドのやり方は「ぼる」というレベルを超えた、詐欺と紙一重ではなかったかという思いもある。たとえば遺跡巡りのチケットの件。ムハマッドは25ドルと記載されたチケットを私に見せて「20ドルにディスカウントする」と言ったが、現場でチケットを提示するような場面はなかった。ムハマッドが案内したのは遺跡などではなく、ただの寺院だったのではとの疑惑。散髪屋に5ドルというのも、私の経験からは高すぎる。差額はムハマッドのポケットに入ったのではないかという疑い。Nadeeja Family Resortの一泊30ドルもムハマッドが恣意的に設定した値段ではなかっただろうか。高級レストランに連れて行かれたのも裏がありそうだ。

ジャフナまで車で行くことを提案したとき、ムハマッドは「ジャフナまでバスでは7時間かかる」と言ったが、実際は4時間だった。つまりは完全な虚偽。こうしたことが積み重なって、単なるぼったくり以上で、詐欺に紙一重という印象が強くなった。もちろんどんな遺跡を見ることができるのかちゃんと調べなかった私の側にも責任がある。「多少はぼられてもかまわない」という甘さもあった。

2023年3月11日土曜日

スリランカ2023 三日目(アヌラーダプラへ)

 2月18日

昨日の夕方5時に寝込んでしまい、最終的に起床したのは朝の4時。途中1、2回目が覚めたとはいえ、11時間ほど眠ったことになる。シャワーを浴び、5時ちょっと過ぎにホテルをチェックアウトした。5時にチェックアウトすることは前日受付に伝えてあった。こんなに早くチェックアウトするのは私だけでなかった。フランス人の若者2人がすでにチェックアウト中だった。彼らは列車で東海岸へ行くとのこと。

ホテルを出たときには外はまだ暗く、十数分後に駅に着いたときにもまだ陽は昇っていなかった。アヌラーダプラ行きの列車は定刻より5分遅れて5時45分に出発した。

アヌラーダプラ行きの列車の中

アヌラーダプラに到着したのは10時10分ごろ。駅に降りたとたんにトゥクトゥクの運転手が声をかけてくる。アヌラーダプラは仏教の遺跡が多いことで知られている。これらの遺跡を案内しようとする誘いだ。だが、遺跡の見学よりもまず宿を探す必要がある。

アヌラーダプラ駅

この宿探しに苦労した。Booking.comやグーグル・マップで目星を付けていたいくつかの宿を訪れるが、すでに廃業していたり、空室がなかったり、高すぎたりで、なかなか見つからない。真昼近くの強い日差しのもと、バックパックを背負いながら1時間近く歩くと、疲労困憊の状態になる。精も根も尽き果て、思わず道ばたに座り込んでしまう。

そんなときに声をかけてきたトゥクトゥクについつい乗ってしまった。ムハマッドというこの運転手、名前のとおりイスラム教徒だ。彼に案内されたのはNadeeja Family Resortという宿。朝食付きで30ドル。

翌日の観光案内も彼に任せることになるが、宿の選択を含め、彼の口車に乗ったことは完全な失敗だった。

まず宿。最初に彼が「どのくらいの値段の宿を望んでいるのか」と尋ねたのに対し、「30ドルから40ドルくらい」と答えた。30ドルという値段はこの会話に基づいて設定された可能性が高い。Nadeeja Family Resortはせいぜい10~20ドル程度の宿だった。扇風機やエアコンはあるが、冷蔵庫はない。Wifiも信号が弱くて部屋では使えない(SIMカードが入ったスマホをテザリングすることでなんとかタブレットでネットに接続できた)。翌朝に判明することだが、朝食もひどいものだった。そもそも朝食付きの宿ではないのだろう。

朝からお菓子くらいしか口にしていないので、宿に落ち着いたのはよいが、空腹だ。ムハマッドが案内したのは宿の近くの高そうなレストラン。実際高く、焼き飯とソーダ水で2500ルピー(1000円近く)だった。ムハマッドはNadeeja Family Resortやこのレストランとかなり親しい関係にあるらしい。空腹のうえに遅めの昼食とあって、焼き飯自体はおいしかった。

高めのレストランで昼食


食後、ムハマッドのトゥクトゥクで街に出る。スーパーに立ち寄りオレンジジュースとお菓子、さらにその横のパン屋で夕食用のサンドイッチを購入した。

この日も8時という早い時間に寝入ってしまった。

2023年3月10日金曜日

スリランカ2023 二日目(コロンボ)

 2月17日

昨夜は午前2時過ぎに就寝したが、今朝7時半には眼が覚めた。9時半にホテルを出て、コロンボの鉄道駅(Colombo Fort)を目指す。Zest Metropoleは市の中心部に位置しており、駅まで歩いて10分ほどだ。

スリランカ国内をどう回るか、明確な予定は立てていなかった。ただひとつ、北部タミール地域の中心都市であるジャフナは外せない。私たちの年代では、スリランカでまず思い浮かべるのは20世紀の後半に始まって2009年に一応の終結を見た北部タミール地域の分離・独立運動だ。ゲリラ組織のタミール・タイガーとともに、ジャフナという土地名も耳に馴染みがあった。この血塗られた争いが今もジャフナに影を落としているのかどうか。シンハラ人(大多数が仏教徒)とタミール人(ヒンドゥー教が多い)と間に何らかの目に見えるような相違があるのかないのか。ジャフナを自分の目で見たいという思いが強かった。

ジャフナへ行くには3つの選択肢がある。空路と鉄道とバス。コストと快適さから考えてベストは鉄道だ。

Colombo Fort駅に着き、ジャフナまでの明日の列車の切符を求めたが、「鉄道の補修作業のため現在のところジャフナ行きの列車は運行していない」と告げられる。途中のアヌラーダプラ(Anuradhapura)までなら列車で行けるらしい。アヌラーダプラはコロンボとジャフナの中間(ややジャフナ寄りか)にある観光地だ。ただし明日のアヌラーダプラ行きは早朝の5時40分発の座席しか残っていない。明後日なら6時半発の座席もある。ホテルのチェックアウトが早くなりすぎることから、ちょっと躊躇したが、結局明日(18日)のアヌラーダプラ行きの切符を購入した。座席の代金は2400ルピー(約900円)。このとき空路の選択は思いつかなかったが、後日聞いたところによると、燃料危機の中、コロンボ・ジャフナ間のフライトは停止になっているとのことだった。

Colombo Fort駅

これより先、鉄道駅に向かう途中、「カフェ」の看板を出している食堂へ入って、遅めの朝食をとった。ライスにかけるいくつかの料理を指定する。ミネラルウォーターと併せて390ルピー(150円ほど)。スリランカではじめて口にする料理の感想は微妙だ。おいしい、とは思う。しかし辛すぎる。辛くなければ「まずまずおいしい」で片付くのだが。

スリランカで最初の食事


記述は前後するが、列車の切符を入手したあと、スーパーでお菓子と清涼飲料水を購入し、ホテルに戻って体を休める。

2時になって再び外出する。再度鉄道駅に向かい、その裏にあるバス・ターミナルとペター(Pettah)地区へ行く。コロンボの中心部はフォート地区とペター地区からなる。フォートは官庁や銀行などのオフィス街で、ペターは活気のある商業地域だ。もちろんペターのほうが興味深い。ここまで来てはじめてコロンボに触れた気がする。

ペター地区


歩き疲れてホテルの近くへ戻る。小さな食堂で遅めの昼食としてエッグ・ホッパーとコーラを注文した。ホッパーとはココナッツミルク入りのパリパリの皮状の食べ物。この中に卵を落としたのがエッグ・ホッパーだ。いわばスナックであり、腹が一杯になるようなものではない。これだけでは不十分なので、路上の屋台でさらに少々買い込み、ホテルに戻る。

夕方の5時ごろには明かりをつけたまま、服装もそのままでベッド上で寝込んでしまった。夜中の12時半ごろにいったん眼が覚めたが、明かりを消す間もなく、また寝てしまった。前後不覚の眠りから目が覚めたのは朝の4時。よほど疲れていたのだろう。前夜あまり眠っていなかったこともある。

朝出かけたときにはそれほど暑くなく、さわやかな空気の中で、「この時期のスリランカは過ごしやすい」と思ったのだが、午後になると気温は30°を超え、汗が出てくる。日陰が少なく、公園やカフェといった休息の場もなかなか見つからないため、歩くと疲れがたまる。おいおいシュガーの入った炭酸水を喉が求める。日本ではコーラなどめったに飲まないのだが、ここでは喉に刺激のある冷たい液体に抵抗するのはむずかしい。

2023年3月6日月曜日

スリランカ2023 一日目(コロンボ 到着)

2月16日から2月27日にかけ、10日余りのスリランカ旅行を敢行した。スリランカを選んだのは、インドおよびその周辺の国でまだ足を踏み入れていないのスリランカとブータンであるという単純な理由からだ。スリランカといえば、数か月前には未曾有の経済的・政治的危機のまっただ中にあった。だがネットで調べると、現在は小康状態で、観光客を受け入れられないような状況ではないらしい。経済と政治の混乱がどのような爪痕を残しているか知りたいという好奇心もないと言えば嘘になる。

かくてスリランカへの電子ビザを申請した。かかった費用は52米国ドル。

 2月16日

9時55分関空発のマレーシア航空便でクアラルンプールに到着したのが16時近く。コロンボ行きの便は7時間後の20時30分発だったが、1時間遅れて21時半ごろにクアラルンプールを離陸した。コロンボ到着も1時間遅れの22時半ごろ(マレーシアとスリランカの時差は2時間半)だった。

イミグレを通過し、アライバルホールでまず320ドルを両替し、SIMカードを購入する。25GBの通話機能(電話番号)付きのSIMカードが6ドル。10日余りの滞在で25GBも必要ないから、もっと安い15GBを購入しようとしたが、「15GBと25GBでは1ドルしか違わない」という声に押されて25GBを購入した。

空港で紹介されたタクシーで予約してあるホテルのZest Metropoleへ向かう。タクシー代は23ドル。後日、スリランカの配車アプリであるPickmeでコロンボ中心部から空港へ行ったときの代金が1000円強だったから、倍以上の値段である。ただし、深夜であったこと、Pickmeで車がすぐつかまるかどうかわからないこと、そもそもPickmeをまだ登録していなかったことなどを考慮すると、空港のタクシー・サービスを利用するのはやむをえない選択だった。

空港からコロンボの中心までは小一時間かかる。運転手といろいろ話す。最近の政治経済状況についてはもちろん、シンハラ語(SinhalaまたはSinhalese)とタミール語やインド各地の言語との関連など。シンハラ語は他の言語から独立した孤立語らしい。スリランカでは英語が広く普及しているのが、シンハラ人が家庭で話すはシンハラ語であり、学校教育もシンハラ語で行われているという。ただ授業をすべて英語でやっている私立学校もあるとのこと。

運転手とは多少複雑なことまでちゃんと英語で意思疎通できた。「ああこれがスリランカだ、ありがたい」という感想をこのときは持ったが、英語が万能ではないことを後日思い知らされる。

Zest Metropoleに着いたのは午前1時近く。先客の欧米人カップルがチェックイン中だった。この高齢カップルの夫人のほうに見覚えがあった。コロンボ行きのマレーシア航空便の機内で見かけたのだ。派手なワンピースだったので目立っていた。

夫がチェックイン中、夫人と少し話す。アイルランド人で、アジアを何か月か旅行し、最後にスリランカを訪れたところとのこと。スリランカには10日ほと滞在する予定らしい。

チェックインを済ませてホテルの部屋で体を横たえたときには午前2時近くになっていた。2泊(朝食なし)で83ドルとちょっと高いだけあって、広々とした気持ちよいベッドだ。

Zest Metropole(翌朝撮影)


Zest Metropoleの部屋の中