よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2019年3月8日金曜日

ミャンマー・シャン州 九日目(帰国)

2月13日。

今日は帰国日だが、フライトは18時55分だから時間はたっぷりある。

8時少し前に朝食をとる。Beauty Land 2ホテルの朝食はトースト、卵、フルーツなどだが、前日にリクエストしておけばモヒンガーにすることもできる。モヒンガーはミャンマー特有の麺で、そうめんに似ている。3年前と同様、この日もモヒンガーを朝食とした。

モヒンガーで朝食

ホテルのチェックアウト・タイムは12時。荷物を部屋に残したまま外へ出る。ホテルから歩いて10分ほどのヤンゴン中央駅の東側一帯を探索するためだ。昨日訪れたダラ地区と同様、この地域も貧しい。

ダラ地区と似ていなくもないが、ダラ地区のような広がりはない。いくつかの細い道路から構成された小さな地域だ。

ダラ地区とは異なり、ここでは好奇心だけで訪れた外国人を笑顔と挨拶で迎えてくれるようなことはない(これはまあ当たり前のことだ)。だからといって敵意を示すこともない。要するに無関心なのだ。ずうずうしいことこのうえないが、無遠慮に写真や動画を撮りながら散策する。一度だけ、路上でサイコロ賭博に熱中している人たちを撮ったときには、身振りで「撮るな」と注意された。

中央駅東側(その1)

中央駅東側(その2)

中央駅東側(その3)

中央駅東側(その4)

中央駅東側(その5)

中央駅東側を歩く

この地域を抜け出し、さらに歩くと、大音響の音楽が聞こえてきた。音につられて坂道を登っていく。お寺だ。レコードだと思っていたのはミャンマーの民族楽器を使ったライブだった。歌い手もいる。音楽を背景に中年の女性が踊っている。手の動きに特徴があるミャンマーの踊りだ。胸にはチップらしき紙幣が数枚留めてある。

お寺での踊り

座って見ていると、男性が英語で話しかけてきた。年に4回ほどこうした行事が行われているとのこと。どこから来たのかと聞かれたので、「Japan」と答える。「私の兄弟は日本で働いたことがあるので、日本語をしゃべれる。話してみるか」とスマートフォンを渡される。日本語で二言、三言話そうとしたが、音楽のせいで相手の言うことがまったく聞こえない。

男性によると、このあとみんなで会食するらしい。私も誘われたが、これからホテルに戻って12時にチェックアウトしなければならない。残念ながら断った。ミャンマーに触れるもうひとつのチャンスを失ってしまった。

ホテルに戻り、12時ぎりぎりにチェックアウトする。空港行きのタクシーを依頼しておく。時間は2時半にした。例によって早すぎるが、遅すぎるよりいいだろう。

再び外出する前に、階上の共有スペースに行き、タブレットPCをネットにつなぐ(私の部屋ではWifiが弱すぎてつながらなかった)。

共有スペースに年配の日本人男性がいたので、少し話す。東京(神奈川だったかな)から来たSさんで、若いころからちょくちょく海外を旅しているらしい。フィリピン人結婚していたこともあるとか。昼食をとりに外に出ようとすると、Sさんが「私も付いていっていいですか」と言うので、一緒に行くことにした。

手持ちのチャットが余っていることもあり、ちょっと贅沢をして日本食をと考えていたのだが、Sさんと一緒となるとそうもいかない。

結局、昨日昼食をとった食堂に再び入ることにした。英語のメニューに「エビのてんぷら」とあるので注文したが、「できない」との返事。代わりにShan fried riceと紅茶にした。シャン州を訪れたにもかかわらず、Shan fried riceなるものを食べていなかったからだ。これは失敗だった。辛すぎるのだ。注文した料理を残すということがめったにない私だが、このときは3分の1くらい残してしまった。

ホテルへの帰り道、Sさんへの案内かたがた、Ruby Martへ立ち寄り、土産としてミャンマーのお茶を購入した。

タクシーは予定どおり2時半に迎えに来た(10000チャット)。1時間ほどで空港に到着。やはり早すぎた。カフェに入ってコーヒーフラッペを注文する。

余っているチャットがたくさんあるので、すべて米国ドルに再両替する。77ドル返ってきた。8泊9日の今回の旅行。現地で使ったのが715ドル。関空からヤンゴンまでの往復航空券が約6万7千円。合計でおよそ14万5千円。国内航空の代金とガイド代で現地支出の半分以上を占める。

ハノイ航空機は定刻どおりヤンゴンを飛び立ち(隣席はマンダレーから来た若いミャンマー人カップルだった)、ハノイ経由(乗り継ぎ時間は4時間近く)で無事関空に戻ってきた。

3年ぶりの2度目のミャンマー旅行。3年前の旅行と同様に十分に満足できるものだった。Beauty Land 2とBeauty Land(Bo Cho)を混同して予約してしまったこと、何回か食事の選択を誤ったこと、チャイントォンでの最後の1日を無為に過ごしてしまったことなど、小さな失敗はいろいろあったが、全体としては大過なく旅を終え、いろいろな場面でミャンマーの人たちの温かさに触れることができた。私の中にはミャンマーの人たちに対する一種の愛着のようなようなものが育っている。機会があれば、ぜひまた訪れたい。第1候補はチン州だが、パゴー、バガン、インレー湖などミャンマーの定番の観光地も見てみたい。

2019年3月6日水曜日

ミャンマー・シャン州 八日目(ヤンゴンへ戻る)

2月12日。

夜も明けきらない6時にチェックアウトする。昨夜タクシーを6時にと頼んでおいたが、チェックアウトと同時に電話しているようだった。心配することはない。ホテルから空港までは20分たらず。ヤンゴンと違って渋滞はありえない。しかも国内便だからフライトの1時間前に到着しても間に合うはずだ。

やって来たのはバイクタクシーだった。その分値段も安く2000チャット(160円ほど)。

案の定、私が出発ロビーに入ったときには他の搭乗者はまだ誰もいなかった。ミャンマーエアー便は予定より少し遅れて飛び立った。ホッとした。一番恐れていたのはこの日の便がキャンセルになることだった。ミャンマーの国内便があてにならないことは3年前に経験している。しかも明日は帰国日だ。

ヤンゴンには10時ごろに着いた。今日の宿はBeauty Land 2を予約していた。ヤンゴンの中心部にあるホテルで、3年前にも宿泊した。1泊20ドル。

空港からホテルまではタクシーで10000チャット(800円ほど)。途中、初老の運転手が私に小冊子を渡す。軍人の古い写真が表紙になっている小冊子だ。アウンサン将軍かと尋ねると、その通りとの返事。今日はUnion Day(連邦記念日)で明日はアウンサン将軍の誕生日だ。将軍の人気は今でもかなり高いようだ。

Beauty Land 2ホテルには11時ごろに着いたが、チェックインは2時からとのこと。今日はヤンゴン川の向こうにあるダラ地区に行くことにしていたので、バックパックを預けて外へ出た。

今日は朝から機内食の菓子パンしか食べていない。ちょっと早いが、ダラ地区に行くに先立って、ホテルの近くで昼食をとることにした。名前と値段は忘れたが、焼きうどんのような感じの麺を注文した。おいしかったが、量は少なかった。

ダラ地区に行くにはフェリーでヤンゴン川を渡る。フェリーが出ているパンソンダン埠頭までは歩いて行った。

フェリーは日本の援助によって就航しているもので、日本のパスポートを見せれば無料で乗船できる(日本人以外の外国人は片道2000チャット)。待合室に入ると、フェリーの関係者らしき男が「日本人はガイドが必要だ」と言い、「ガイド」と称する男を紹介してきたが、無視した。この手のトラブルについてはネットで情報を得ていたからだ。男もしつこくは追ってこなかった。

フェリーは10分ほどで対岸のダラ地区に着いた。フェリーの乗客はほとんどがミャンマー人だが、私のような外国人観光客もちらほらいるようだ。40代とおぼしき東洋人の女性と目が合ったので、英語で「日本人か」と尋ねたところ、中国人との返事。彼女の誘いに乗って一緒にダラを探索することにした。

ダラに到着

ダラはスマトラ島沖地震による津波の被災者が住み着いた地区で、「スラム」と呼ばれることもあるが、ちょっと当たっていないように思う。貧しいことは確かだが、スラムという言葉から連想する混沌はない。ちゃんと働いている人が多い。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(National League for Democracy)の看板も見られる。

サイカー(横に座席を付けた自転車)の誘いを断りながら、中国人女性と2人で歩いて行く。中国人女性がiphoneのマップを見ながら道案内役になってくれる。

ダラを歩いていてひときわ印象に残ったのは住民の人のよさだ。底抜けの人のよさと言ってもいい。カメラを構えた異邦人の2人を笑顔で迎えてくれる。にわか作りの質素な家が多いから、外からでも家の中が丸見えだ。そんなところを赤の他人がずかずかと通り抜け、写真や動画を遠慮なく撮る。我ながら失礼きわまりない。それでも住民は怒らない。怒らないどころか、笑顔や挨拶で迎えてくれる。

ダラ地区(その1)

ダラ地区(その2)

ダラ地区(その3)

ダラ地区(その4)

ダラ地区を歩く

僧院があったので入ってみる。青年(僧の服装ではなかった)が英語で中を案内してくれる。ここではタウンジーから来た子供たちが仏教の勉強をしているとのことだった。タウンジーといえば、私が訪れたばかりのシャン州の州都だ。がらんとした本堂で寝転んで勉強している子供いれば、テレビで中国ドラマを見ている子供たちもいる。

勉強する少年僧

汗が出るほどではないが、日中だからそれなりに暑い。食堂に入り、お茶を飲むことにした。2人とも紅茶を注文したが、予想どおり甘かった。練乳が入っているのだ。普段紅茶には砂糖を入れない私だが、たまにはこうした甘い紅茶も悪くない。

中国人女性(名前すら聞いていない)は現在は上海に住んでいるが、遼寧省の鞍山など中国のいろいろなところで働いたことがあるらしい。日本語ができる娘さんと一緒に日本を旅行したこともあるとか。娘さんはアニメや漫画を通じて日本語を覚えたという。

ダラを一緒に探索した中国人女性

私がこれまで接した中国人の多くと同様、彼女も中国共産党と中国政府に対してきわめて批判的だった。中国ではFacebookやTwitter、Youtubeなどへのアクセスがブロックされていることを指摘すると、「党や政府の幹部は自分たちの子供を米国や欧州に留学させている。これらの子供たちはネットの情報に自由にアクセスできる。なのに、国内の若者にはその自由を許さない」と言う。まことにそのとおりだ。「今の中国の若者は政府や党の言うこと、あるいは自分たちが受けてきた教育をそのまま信じている」とこぼす。私がこれまでの旅で出会った中国人の多くは「政府や党の言うことをそのまま信じている」ようには見えなかったが、これは英語をしゃべる中国人とのみ話をしているからなのかもしれない。

彼女の今回の旅はタイから始まり、ミャンマーを経てタイへ戻り、タイからラオスへ脱けて中国雲南省の昆明に向かう長丁場だ。昆明まではすべて陸路だが、昆明から上海までの最後の行程だけは飛行機を使うとのこと。

ミャンマーではドミトリーに宿泊している。それほど若くもない中国人の女性がひとりでドミトリーを利用しているのはちょっとした驚きだった。そのたたずまいや服装からして、てっきり私よりいいホテルに泊まっているものと思っていた。

7、8年前には中国人旅行者といえばほとんどがグループ旅行で、単独で海外を旅している中国人に出会うのはまれだった。今では中国人の海外旅行も多様化し、欧米型あるいは日本型に近くなっているのかもしれない。もっとも中国人にとって個人旅行はそう簡単ではない。日本人ならミャンマー、タイ、ラオスは航空券さえ入手すればすぐに行ける。中国人の場合、これらすべての国でビザが必要なはずだ。ウルムチのゲストハウスで出会った中国の青年はまだ未使用のパスポートを私に見せ、「uselessだ」と言っていた。パスポートだけではどこへも行けないということなのだろう。カシュガルで知り合った中国人女性は「香港へ行くのでさえ手続きが必要だ」とこぼしていた。

彼女とは帰りのフェリーの中で別れた。3時間あまりダラ地区を一緒に歩いてくれたことに感謝。

パンソンダン埠頭からBeauty Land 2ホテルまで歩いて戻る。途中、Ruby Martに立ち寄って、切り売りの「ういろう」のようなお菓子を2切れ買う。チェックインを済ませたときには5時近くになっていた。現地通貨をたくさん抱えているにもかかわらず米国ドルで宿代(20)ドルを支払ってしまったのは失敗。

部屋で休んでから、夕食のためにホテルを出る。3年前に韓国帰りのミャンマー人と遭遇した小さな食堂に入る。焼きそばと缶のミャンマー・ビールを注文する。3年前に注文したものとまったくと同じだ。3年前にはミャンマー人が代金を支払ってくれたため、いくらだったかわからない。今回は3000チャット(240円ほど)。おそらく3年前と同じ値段だろうが、インフレのおかげで日本円に換算すれば安くなっている。

焼きそばと缶ビールで夕食

明日は帰国日だが、フライトは18時55分だから、あわてて早起きする必要はない。

2019年3月3日日曜日

ミャンマー・シャン州 六日、七日目(チャイントォン)

2月10日。

7時半ごろ朝食をとる。一昨日、昨日と閑散としていた朝食会場だが、今日は20人近くの宿泊客で混んでいた。ふと隣のテーブルから日本語が聞こえる。

退職後にタイのチェンマイに移住した男性とその妻、そしてその友人(あるいは親戚)らしきもう1人の男性。さらに彼らをガイドしているミャンマー人の女性が日本語で話している。

夫妻は広島出身で、ミャンマー人女性は彼らの友人とのこと。ミャンマー人(ビルマ人ということだった)が広島に留学していたときに知り合ったらしい。仕事の関係でシャン州に住んでいる彼女の案内でタイからチャイントォンまでやって来たという。シャン州で日本人に遭遇するとは思っていなかった。向こうも同様で、ちょっと驚いていたようだ。

朝、ホテルを出たところで見かけた少年僧

朝食後にまず向かったのが中央市場。この市場にはすでに2回来ていたが、いずれもガイドのJosephに案内されて食料を調達しただけで、ちゃんと足を踏み入れるのははじめてだ。

3日前にチャイントォンに着いたときの印象は「眠ったような小さな町」だったが、中央市場を見てこの印象は少し修正を余儀なくされた。市場は予想以上に大きく、活気があったからだ。何軒もの食堂からは白い湯気が上がり、いずれも客で賑わっている。民族衣装の女性もかいま見られる。

中央市場(その1)

中央市場(その2)

中央市場(その3) なぜか韓服を売っている

中央市場(動画)

市場の雰囲気はタイ、ラオス、カンボジアなどと似ている。これら東南アジアの市場あるいは中国の市場と同様、写真や動画を撮っていても、誰からも文句を言われない。ただ、2、3歳の着飾った女の子がいたので、母親に断ったうえ写真を撮ったときには泣かれてしまった。

この子に泣かれてしまった

たっぷり時間をかけて市場を見たあと、ノントゥン湖へ行く。中央市場からは歩いて10分もかからない。湖に沿って歩いていると、ひとりの青年が「Speak English?」と話しかけてきた。

ノントゥン湖

ミャンマー西部のチン州からシャン州に来て、Amazing Kyaing Tong Resortというホテルで働いている青年だった。チン州から遠く離れたシャン州まで来たのは、姉夫婦を頼ってのことで、今は彼らと同居中の身(姉夫婦がシャン州に来たのは夫が転勤になったからだ)。仕事は今日はナイトシフトとのこと(ホテルの給料は安く、とても家族を養えるようなレベルではないとこぼしていた)。

Amazing Kyaing Tong Resortはチャイントォンでは最高級のホテルだ。数日前にBooking.comでチャイントォンのホテルを探したところ、Amazing Resortは満室だった。それもそのはず、2、3日前にアウンサンスーチーがチャイントォンを訪問し、Amazing Resortに宿泊したとのこと。随行者や報道関係者でいっぱいになってしまったのだ。普段は満室になることはめったにないらしい。

立ち話は疲れるので、湖畔のカフェに入ってさらに話を続ける。青年はスマートフォンに保存されているチン州やチン族の写真を見せてくれる。今度はぜひチン州に来いとのお誘いだ。私にも十分その気はある。今回もシャン州に来られなかった場合の代替候補の1つとしてチン州を検討したくらいだ。チン州には飛行場がないので、マンダレー経由のかなり長い行程になるだろうが。

チン州から来た青年

話題はロヒンギャの問題に移る。青年はアウンサンスーチーを支持している(スマホには彼女の写真もたくさん保存されていた)。アウンサンスーチーはロヒンギャへの対処を巡って西側から批判されている。しかし、と青年は続ける。アウンサンスーチーには憲法上軍隊をコントロールする力が与えられていない。しかも、議会の一定数の議席はあらかじめ軍隊に割り当てられている。彼女を批判する人たちはそこのところを理解してほしいと。

青年は湖の近くの丘の上にある大木まで案内してくれた。1115年に植えられたとされる樹齢2000年超のこの高い木の周りは一種の観光スポットらしく、何組かの若者のグループやカップルに遭遇した。

Golden World Hotel近くまで送ってきてくれた青年と別れたときには1時半になっていた。10時半ごろから今まで3時間近く、辛抱強く付き合ってくれてありがとう。おかげで、ミャンマーをほんの少しは深く知ることができ、チン州への旅がさらに一歩現実味を帯びてきた。

遅めの昼食は初日と同じ食堂(息子が英語で対応してくれた食堂)でとった。2000チャット(160円ほど)の酢豚ライス。可もなく不可もなし。息子がお茶をサービスしてくれた。

午後はチャイントォンの町をひたすら歩いた。シャン族、つまりクン族は仏教徒であり、町にはパゴダ(お寺)が至るところにある。パゴダの中には自由に入れる。少年僧が勉強をしている場面も目撃した。仏教の勉強より科学や語学を勉強をしたほうが役に立つのにと思うのは部外者の勝手な感想か。

学習中の少年僧

町のかなり外れのほうまで歩いてみたが、とりわけ興味を惹かれる光景には出会わなかった。

Golden World Hotelの数軒先にCafe 21というしゃれたカフェがある。夕食はここでとった。野菜と豚肉が入ったSteamed riceとミャンマービールの大瓶。料理が2800チャッでビールが3500チャット、それに税金が付加されて6600チャット。チップ込みで7000チャットを支払った。高いだけあってSteamed riceはおいしかった。若い女性だけのスタッフも感じがよい。ビールですっかりいい気分になってホテルへ戻る。

2月11日。

これは余分の1日だ。本来は今日ヤンゴンに戻りたかったのだが、航空券がとれず、やむなく滞在を1日延ばしただけの日(モンラーに行けていたら、また話は別だっただろうが)。

結局、昨日同様、中央市場に出かけ、湖畔を歩き、チャイントォンをぶらぶら探索するだけに終わった。新しい出会いもなかった。バイクタクシーでもチャーターしてどこか遠出すればよかったと反省したのは帰国してからのこと。

夕食は失敗した。銀紙で包んだ川魚(たぶん鮒)を買ったのだが、おいしくなかった。大きいのはいいが、骨が多いうえ、味付けが辛すぎた。3000チャット(240円ほど)と結構な値段だった。

明日のヤンゴン行きのフライトは8時15分。朝6時半ごろにホテルを出れば十分間に合うはずだが、ホテルの受付がMNA(Myanmar National Airlines)に電話してくれ、6時に出発することを勧める。早すぎる気もするが、6時のタクシーを頼んでおいた。