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2020年1月25日土曜日

サウジアラビア2019 帰国、まとめ

12月28日。

ジェッダ空港でクアラルンプール行きのフライトを待つうちに日は替わり28日になる。残ったリアルでケーキとアイスクリームを口にする。ちょっと食べ過ぎた。

往路はメッカ巡礼一色だったマレーシア航空便だが、帰路の乗客はもっとバラエティに富んでいた。たとえばチェックインの列に並んでいた若者2人組はタイ人で、サウジアラビアに留学中とのことだった。

ジェッダ空港(その1)

ジェッダ空港(その2)

搭乗時間になった。機内は空席が目立つ。おそらく半分も埋まっていなかっただろう。

私の列には空席を1つおいてヘッドスカーフを着用した若い女性が座っていた。マレーシア人のモスレムだ。「日本人か」と訊かれ、Yesと答えたことから会話が始まった。

彼女はサウジアラビアで看護師として働く姉(ひょっとすれば妹)を訪ね、1か月滞在した帰りだと言う。私が行かなかった(行けなかった)メッカとメディナの写真や動画を見せて、いろいろと説明してくれた。ジェッダでは和食レストランSakuraにも行き、2人で500リヤル(15000円)支払ったとか。 

クアラルンプールで6時間の乗り継ぎ時間を経て29日の早朝に関空着。はじめてのサウジアラビア旅行を終えた。

まとめ。

サウジアラビアはニュースではよく耳にする国だが、こと観光に関する限りまったく未知の国だった。私にとってだけでなく、ほとんどの人にとって事情は同じだろう。

そんなサウジだが、今回の旅行で受けた印象は総じてポジティブだった。この好印象には現地の人たちが示してくれたhospitality(好きな言葉ではないが「おもてなし」とでも訳しておこうか)が大きく与っている。特に5日目にアブハを案内してくれたF15戦闘機パイロットに感謝したい。

今回の旅行で気付いたことをランダムに挙げておこう。

まずところどころで貧しさが目に付いたこと。ジェッダやアブハの裏通り、あるいは女性や子供の物乞いは、「リッチな産油国」からは想像していなかった風景だ。もちろん、ドバイやドーハと同様に、高層ビルもあるし、巨大なショッピングモールもある。だがそれだけがサウジではない。サウジはもっとさまざまな顔を持っている。

次にサウジが「車社会」であること。これはある程度予想していたことではあるが、現地であらためて確認させられた。信号や横断歩道、陸橋(タイフで1つだけ見かけた)が少なく、歩行者が道路を横断するのは容易でない。

そのうえ、公共交通が未発達だから、どこに行くにも車が必要になる。レンタカーを利用するという手もあるが、高スピードの車がビュンビュン飛び交うサウジの道路事情を考えれば、あまりお勧めはできない。日本国内ですらなるべく運転は控えようとしている私のような人間にとってはなおさらだ。

その結果、移動はもっぱらタクシーやUberに頼ることになる。10分くらい走って500円ほど、30分くらい走っても1500円程度だから、日本に比べればはるかに安上がりだが、それでも回数がかさむと結構な金額になる。

サウジの政治や宗教に関し、人々がどう感じ、何を考えているについては残念ながらヒントすら得られなかった。これはもっぱら、私のほうが、突っ込んだ質問をするのを遠慮したことによる。

過去2年ほどの間に実施された一連の開放政策(女性の自動車運転解禁、外国観光客の受け入れ、シネマの解禁等)が広く支持されていることは容易に見てとれたが、こうした「改革」の原動力となった皇太子のMohammad bin Salman(MBS)がどのように愛され、あるいはどのように恐れられているのかはうかがい知れなかった。

サウジの女性と話す機会がなかったことも残念だ。話すきっかけらしきものが皆無だったわけではないが、やはりここでも遠慮してしまった。

サウジ女性のほぼ全員がアバヤ(足元まで覆う黒いドレス)を着用していた。ニカブ(目だけを出す覆面風のベール)の着用率は場所によって異なる。ジェッダの旧市街などでは80%くらいがニカブで顔を覆っていたが、ショッピングモールになると50%くらいだった。ニカブを着用していない女性のなかには、UAEやエジプトから来た外国人も混じっていたかもしれない。

Red Sea Mallのフードコート

未知の国サウジアラビア。今回の旅行でその一端を垣間見ることができた。しかし謎はいっそう深まり、今までよりもっとわかりにくくなったと言えなくもない。幸いビザは2020年10月30日まで有効だ。できればもう一度、今度はリヤドやダンマンあたりを訪れたい。

最後に今回の旅行に要したコストを報告しておこう。

関空からジェッダまでの往復航空運賃が10万8千円。サウジ現地で400ユーロと350ドルを両替し、最終日にリアルを再両替して110ドル返ってきたから、支出額は400ユーロと240ドル。日本円にすれば約75000円になる。さらにクレジットカードでの支払いが、Ramad Hotelの2泊分550リヤル(16000円ほど)、アブハからジェッタへの片道航空券217リヤル(6500円ほど)、Uberの運賃が400リアル(12000円)ほどで、合計34500円程度。

つまり総合計はおよそ218000円だ。10泊の旅としては妥当なところだろう。1泊6~8000円程度の中級ホテルを選んだため、宿泊費がかさんだ。予約サイトに登録されていない安宿に泊まれば1泊100リアル(3000円)くらいだが、今回はあえて中級ホテルを選んだ。快適さもさることながら、英語が通じないことをおそれたためだ。泊まるだけなら英語が通じなくてもなんとかなるが、観光情報を得るうえで最低限の英語は欠かせない。

2020年1月23日木曜日

サウジアラビア2019 十日目(ジェッダ- Red Sea Mall)

12月27日。

サウジアラビア最後の日だが、フライトは翌日午前2時40だから、今日1日たっぷりと観光に充てることができる。

ホテルでの朝食のあと、まず目指したのはLittle India。Lonely Planetに載っていたインド人街だ。ホテルから歩けば40分以上かかるので、Uberを呼ぶ。Down Town Hotelのチェックアウトタイムは午後3時だから、荷物は部屋に残したまま。

Little Indiaらしき場所に到着する。ジェッダの他の区域と同様に閑散としており、インド風のものは見当たらない。レストランも数店舗あるものの、アラブ料理店なのかインド料理店なのか、私には区別できない。食料店に入っても同じ。タミール文字の看板をチラッと見かけたのが唯一のインドらしさだった。街角にたむろしている2、3人の男たちに「ここはインディアン・タウンか」と尋ねると「そうだ」との答えだったので、釈然としないがここがLittle Indiaなのだろう。

Little India?

がっかりしたままホテルに戻り、3時ぎりぎりまで体を休める。今日は(正確には明日は)深夜のフライトだ。しっかりと休んでおこう。

3時にチェックアウトし、荷物をホテルに預けてから、またUberを呼ぶ。今度の行き先はRed Sea Mall。昨日訪れたAl Salam Mallとならぶ巨大ショッピングセンターだ。今日は金曜日。金曜日でもRed Sea Mallがオープンしていることは、ホテルのスタッフに聞いて確かめてある。

Red Sea Mallの入口のひとつは映画館への入口ともなっている。Voxという名前の映画館だ。そういえば、2年ほど前にリヤドで映画館がオープンしたというニュースを耳にしたことがある。帰国後に調べると、35年ぶりの映画館開館らしい。といっても、これまで映画が完全に禁止されていたわけではない。インターネットを通じて個人ベースで映画を見ることはずっと可能だった。

Voxで上映中の映画

チケット販売機

Red Sea MallはAl Salam Mallとよく似た配置になっている。衣料や装飾品の専門店が並び、奥まったところにスーパーマーケットのDanubeがある。2階にはフードコート。相違は映画館の有無だが、Al Salam MallでもVoxが建設中だった。

Red Sea Mall

フードコートを見て回っていたとき、オープン式のステーキハウスで食事していた3人組の若い男たちが声をかけてきた。日本から来たこと、タイフとアブハを巡り、今日(正確には明日だが)がサウジ最後の日であることなどを話す。3人は兄弟で、アブハ近くの出身とのことだった。

うち2人が私をスターバックスまで連れて行き、キャラメルマキアートをおごってくれた。英語を話せるのは彼らのうちの1人(たぶん長兄)だけだった。米国のサンディエゴに語学留学していた彼は中国、マレーシア、フィリピンなどかなりの国を旅行したとのことだった(日本には来ていない)。どこが一番気に入ったかと訊いたところ、即座に「フィリピン」と答えた。「(フィリピンは)米国よりよかった」とも。

コーヒーをおごってくれた兄弟

キャラメルマキアートを飲んでいると、私の隣に東洋人風の男性2人組が座ってくる。予想したとおり韓国人だったので、韓国語で話し始めたが、あとが続かず英語に切り替える。30代と60代の彼らは石油関係のエンジニアで1週間前にサウジに来たばかりだった。

フードコートには寿司のコーナーやWagamamaという店舗もあった。Wagamamaは確かロンドンを拠点とする和食(もどきの)チェーンだ。

早めの夕食をどこにするか迷ったが、結局シャワルマに決めた。これまでサウジ料理らしきものをほとんど食べていない。シャワルマはサウジ料理かどうかはわからないが、少なくとも中東のものであることは確かだ。ペプシコーラやポテトチップとセットで20リアル(600円)。おいしかった。

シャワルマ

スーパーを一巡りして外へ出るとすでに暗くなっている。タクシーでホテルまで引き返す。途中、Corniche(海岸通り)を通過したが、噴水は今日も見られなかった。

夜のRed Sea Mall

預けていたバックパックを引き取り、ホテルを出て、Uberで空港へ向かう。

空港に着いたのは9時過ぎだった。フライトまで5時間余りある。残っていたリアルを米国ドルに再両替する。110ドルほど返ってきた。再両替できたのは100リヤルと50リアルの紙幣だけで、10リアル紙幣が5、6枚手元に残った。残ったお金でケーキ、コーヒー、アイスクリームを買う。最後に1リアル紙幣1枚だけが残った。

早めにチェックインと入国審査を終え、真夜中2時40分のフライトを待つ。(続く)

2020年1月20日月曜日

サウジアラビア2019 九日目(ジェッダ - Al Salam Mall)

12月26日。

Down Town Hotelは朝食が付いている。サウジに来てから、まともな朝食を食べていない。ほとんど前日の残りで済ませていた。Booking.comのレビューではここの朝食が「mediocre(凡庸)」との評価もあったので大きな期待はできないものの、ちょっと楽しみだ。

朝食はビュッフェ式。簡単なサウジ風の料理3品に加え、フルーツやチーズ、フルーツ、卵、ナンとトーストなどが用意されている。mediocreといえばmediocreだが、1泊6000円のホテルにこれ以上の朝食を求めるのは酷だろう。

ホテルで朝食

11時ごろにホテルを出て、UberでAl Salam Mallというショッピングモールに向かう。

サウジアラビアでは公共交通があまり発達していない。主たる移動手段は車だ。公共バスは存在するが、カバーする範囲はそう多くなく、本数も少ないようだ。ジェッダにいくつかある巨大ショッピングモールに行くにも、車がないと不便だ。つい2年ほと前には女性の運転が禁止されていたが、これがいかに女性の自由を束縛するものか、容易に想像できる。東京や大阪で運転できないのとはわけが違う。

モールに近づいてまず目に入るのはIKEAの大きな看板。IKEAはこのモールの2階に入っている。いくつかあるEntranceの1つからモールの中へ入る。

モールの入口

Al Salam Mallは大きくモダンだ。もっぱら旧市街や「リッチな産油国」にふさわしくないうらびれた裏通りばかりを見てきた目には新鮮な光景。さびれた裏通りや物乞いもサウジなら、この現代的な消費社会もサウジだ。

家具、電気製品、婦人服と何でも揃っている。奥に進むとDanubeという大きなスーパーマーケットもある。土産物を買うのにちょうどよい。デーツ(ナツメヤシ)チョコレートをいくつか購入。

スーパーマーケット(Danube)

フードコートもあり、ちょうど昼時なので、かなり混み合っていた。マクドナルドやKFC、地元のフォースフードチェーンのAl Baikなど20~30店舗をざっと見て回り、ビーフサンドイッチに決めた。米国のチェーン店のものらしい。ここでもサウジ固有の料理を逃してしまったが、サンドイッチとポテトチップスはおいしかった。

フードコート

昼食のビーフサンド(値段は忘れた)

タクシーで宿まで戻り、少し休憩してから、徒歩で旧市街に向かう。昨日閉まっていたナシーフ・ハウスに行くためだ。だが、ナシーフ・ハウスは今日も閉まっている。おそらく半永久的に閉館してしまったのだろう。

ナシーフ・ハウスの近くにMattouli House Museumがある。Lonely Planetに載っているMuseumだが、その由来や内容の説明は載っていなかった。

Mattouli House MuseumはMuseumと呼ぶには小さすぎるプライベートな伝統家屋だった。一応入場料があり、20リアル(600円)。複雑な3階構造の屋内にはソファ、カーペット、寝台、写真、各種装飾品などが配置してあった。おそらく20世紀初頭から中頃にかけてのものだろう。

Mattouli House Museum(その1)

Mattouli House Museum(その2)

Mattouli House Museumのオーナー(あるいは管理人)

時刻は5時半。そろそろ薄暗くなりはじめた。夕暮れにCorniche(海岸通り)まで行けば、沖合いに吹き上がる「ファハド王の噴水」を見ることができるかもしれない。世界でもっとも高いといわれている噴水だ。

ホテルの受付で聞いたところ、噴水は上がる日もあれば上がらない日もあるとのことだった。

UberでCornicheに着いたころにはすでに日は沈んでいた。残念ながら噴水は上がっていない。Cornicheの人波は昼間より多い。ひとりの若者とグーグル翻訳を介しての会話になった。噴水が上がるのかどうか、もっと待てばいいのか、という趣旨のことを尋ねると、彼がスマホに表示した答えは「I don't know」だった。おそらく今日はだめだろう。

海岸に集まっている人たちの写真を撮ろうとしたとき、ちょっとしたトラブルが発生した。自分の家族が写真に撮られていることに気付いた男が私に詰め寄り、写真を削除するように求めてきたのだ。かなり強い調子だった。従うしかない。といっても当の写真はピンボケ状態だったから、惜しいようなものではない。

夜のCorniche

Cornicheをしばらくぶらぶらし、ジェッダの夜景を楽しんでから、タクシーでホテルに帰った。夕食は買い置きの菓子パンで済ます。

明日はいよいよサウジアラビア最後の日だ。

2020年1月18日土曜日

サウジアラビア2019 八日目(ジェッダ - 宿を替える)

12月25日。

今日は宿を替わる日だ。Trident Hotelのチェックアウトタイムは午後4時だから、あわてる必要はない。荷物を部屋に残したまま、外へ出る。サウジにあと3日滞在するとなれば、もう少し現金が必要になる。ネットで調べると、旧市街に両替所がいくつかある。

旧市街まで歩き、150ドルを両替した。ちょっと多すぎたが、余ったら再両替できるだろう。

両替所から少し歩くとナシーフ・ハウス(Naseef House)にたどり着く。ナシーフ・ハウスとは「19世紀から今世紀初頭にかけて栄えた商家」だ(「地球の歩き方」)。Uberの運転手が言っていたプライベート・ミュージアムもこのことだろう。残念、ナシーフ・ハウスは閉まっていた。今日だけ閉まっているのか、もう廃館になってしまったのかはわからない。明日また来てみよう。

旧市街で目に付いた建物

Lonely Planetに載っているインドネシア料理店のWong Soloも旧市街にある。時間はちょうど12時過ぎ。Wong Soloは巡礼帰りのインドネシア人でごった返していた。

Wong Solo

私も彼らに交じって店内に入り、ビュッフェ式の料理を皿に盛る。インドネシアの飲み物だろうか、甘いお茶もある。おいしかった。

Wong Soloの店内

ビュッフェ式の料理

食べる前にお金を払ったわけではない。食べ終わったあともどこでお金を払っていいのかわからない。レジらしきものはあるが、誰もいない。店員に尋ねても要領を得ない。誰もお金を払っている様子はない。私もそのまま出てしまった。

 事前に団体料金で支払い済みだったのか、それともインドネシア人巡礼者に無料で食事を提供していたのか。その中にたまたま紛れ込んでしまったのだ。

歩いてTrident Hotelに戻る。室内のテレビではBBC、CNN、France24などの英語放送を見ることができる。たまたまBBCを見ていると、サウジ関連のニュースを報道していた。トルコでのジャマル・カショギの殺害にからんで、5人に死刑判決が下されたというニュースだ。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子やその側近は無罪だった。びっくりした。外国語放送とはいえ、サウジでこの種のニュースがそのまま放映されるとう事実への驚きだ。「大きな疑問が残る」というBBCの批判的な解説もそのまま流れていた。中国だったら、即座に画面が真っ暗になるところだ。

チェックアウトに先立ち、バスタブに浸かって体を伸ばす。スマホでYoutubeの動画を見ながら。極楽極楽。

3時過ぎにチェックアウトし、次の宿のDown Town Hotelに向かう。朝食付きで2泊400リアル(12000円)と、Trident Hotelより1ランク下のホテルだ。受付にはニカブで目だけを出した女性がいたが、英語を解さないので、男性スタッフを相手にチェックインの手続きをする。

ホテルの周りを散策する。裏通りに入ると、「リッチな産油国」にふさわしくない、老朽化しメインテナンスの行き届いていない建物や道路が目に入る。しかしこれはこれで趣がある。ピカピカの高層ビルや高級品を売るストア、塵一つない滑らかな道路といった無機質な光景より、こちらのうら寂しい光景のほうが私に合っているし、興味深い。

ホテル周辺の裏通り

夕食はホテル近くの食堂でテイクアウトした。またもや懲りずにチキンとライス。飲み物と併せて確か20リアル(600円)だった。昼にたっぷり食べたせいか、半分も食べられなかった。今日はクリスマス、昨日はクリスマスイブだったが、ジェッダではクリスマスを想起させるものは皆無だった。

夕食はテイクアウトで

 

2020年1月16日木曜日

サウジアラビア2019 七日目(ジェッダ - 海岸通り)

12月24日。

昨夜の残りのパンやツナ缶、フルーツで朝食を済ませ、10時過ぎにホテルを出る。

昨晩Uberの運転手が「ここには足を踏み入れないほうがよい」と言っていたエリアに行くためだ。

10分ほど歩き、昨晩運転手が指し示したと思われる場所まで行く。ジェッダの他の地域同様人通りは少ない。何の変哲もない風景だ。豊かではないが、特別貧しいという感じもしない。古びた建物、崩壊しかかった壁なども見られるが、このエリアに特有のことではない。これがジェッダの貧しさの実態なのかもしれないし、私の勘違いで目当ての場所に到達できなかったのかもしれない。

これが貧しいエリア?

気を取り直して、旧市街(Balad地区)に向きを変える。Trident Hotelを選んだのは、旧市街まで比較的近いからだ。20分も歩けばお馴染みの町並みが見えてくる。あてもなくぶらぶらし、写真や動画を撮る。

旧市街

時刻はすでに1時を過ぎている。昼食をとるために、Uberで和食レストランのSakuraに向かう。サウジの和食を1度は試したいと思っていた。SakuraはTripadviserによるとジェッダの和食レストラン22店中トップにランクされている。ジェッタの全レストラン500余店の中でも4位だ。おそらく値がはるだろうが、たまには贅沢もいいだろう。

店内に案内してくれたのは肌の黒い美人。「どこの出身か」と聞くと、「サウジ」との答えだった。カウンター席には日本人の中年女性客がいて、日本人の板前と話している。テーブル席には2組の客。

フィリピン人のウエイターが注文を聞きにやってくる。メニューにはAからDまで4種類の弁当が載っている。「Bento B」とセブンアップを注文する。

ミントの入った緑色の飲み物、エビの前菜、みそ汁に続いて弁当が運ばれてきた。刺身、天ぷら、鶏の照り焼き、ツナサラダ、そば。まずまずのおいしさだった。腹もいっぱいになる。

Bento B

とっくに2時を過ぎたころ、5、6人のグループ客が入ってくる。そこそこはやっている店とみた。

質量ともに満足できる内容だったが、勘定は139リアル。チップと併せて150リヤル(4500円)を払った。そう何回も来るところではない。

SakuraはCorniche(海岸通り)の南端に位置している。ちょうどよい。紅海を見ながら食後の散歩と決め込む。

Corniche(その1)

Corniche(その2)

さっそく男性2人組につかまる。言葉が通じないまでも何とか「交流」していると。年配の男性とその息子2人が参入してくる。スーダン人で、いずれも流暢な英語をしゃべる。父親は米国に住んでいたことがあり、息子のひとりは英国のブライトン在住で妻は英国人とのこと。

「おまえはモスレムか」と尋ねられる。サウジに限らずイスラムの国ではよくあることだ。「仏教徒だ」と答えておく。「atheist(無神論者)」と答えると角が立つし、「agnostic(不可知論者)」と答えるとめんどうな説明が必要になる。論議に深入りしたくないときには「仏教徒」と答えるのが無難だ。私の家はお寺の檀家だし、葬儀や法事は仏教形式でやっているので、100%嘘というわけでもない。

Cornicheはジェッダ市民のかっこうの憩いの場となっている。家族連れも多い。人間だけでなく、猫の憩いの場でもある。サウジではどこでも見かける猫だが、ここにはとりわけ多い。

猫たち

ホテルまではタクシーで帰った。タクシーもUberも値段はそう変わらない。ただし、タクシーの場合、乗車時にメーターを使うようにと指示する必要がある。

昼食が豪勢だったので、夕食はフルーツなどのあり合わせのもので済ませた。

ここでやっと帰国日を勘違いしていることに気が付いた。帰国便のフライト時間をチェックするためにEチケットの控えを見ると、なんと帰国便は26日の午前2時40分ではなく、28日の午前2時40分ではないか。明日が実質的にサウジ最後の日だと思っていたが、まだ2日間の余裕があった。この2日間をどう過ごすか。

残りをすべてジェッダで過ごすのは能がない。といって手軽に行けそうな場所もない。こんなことだったら、アブハにもっと長く滞在してイエメンとの国境あたりまで足をのばしておけばよかった。

2日間で行けそうなところといえば首都のリヤドか。明日リヤドに飛び、2泊して27日にジェッダに戻ってくるというのはどうだろう。FlynasのWebサイトで調べると、リヤドとジェッタの間には1日に何便もの飛行機が飛んでいる。値段もそう高くはない。往復で16000円くらいだ。

というわけでジェッダ・リヤド間の往復航空券を購入する手続きに入った。あとひとつクリックすれば購入完了というところまできて、ふと考える。こんなにばたばた動いて、疲れるだけではないだろうか。新しい街を訪れても、慣れるまでに2日はかかる。このままジェッタにとどまるのが得策ではないか。持ち前の怠惰な精神が勝ったのだ。

あと2日ジェッタにとどまるとすれば、宿をどうするか。Trident Hotelで延泊するのが一番楽だ。しかしチェックイン時の不愉快な体験がまだ棘として心に刺さっている。そのうえ1泊250リアルは高すぎる。

数日前に見つけた旧市街内の2軒のホテルのいずれかなら100リヤル程度で泊まれる。しかし、快適さもさることながら、英語が通じるかどうかで一抹の不安があった。泊まるだけでなら、英語が通じる通じないは大きな問題ではないが、なにぶんにもここはサウジアラビア。観光情報が少ないから、ホテルの受付に何かを尋ねる機会が多い。英語が通じないと不便だ。

結局Bookingo.comで探し、残り2日をDown Town Jeddahで泊まることにした。今回は予約を入れた。決め手となったのは2つ。朝食付きで2泊400リアル(12000円)という値段がひとつ。もうひとつは旧市街まで徒歩で20分以内という立地。Trident Hotelからも歩いて10分ほどだ。

Traident Hotelのチェックアウトは午後4時だから、明日はあわてる必要もない。日程を2日間勘違いをするというへまをやってしまったが、気が付いたら帰国日を過ぎていたという失敗よりはましだろう。

2020年1月14日火曜日

サウジアラビア2019 六日目(ジェッダへ戻る)

12月23日。

昨日の昼食がまだ残っている。ナン2枚を部屋に用意されているインスタントコーヒーで流し込んだ。

チェックアウトは3時でも4時でもいいということだったからゆっくりできる。11時ごろにホテルを出る。「地球の歩き方」に載っているShada Placeに行くためだ。昔の宮殿で、今は博物館になっているこのパレスはグーグルマップにも出ている。

20分近く歩き、パレスがあるはずの場所に着くが、それらしきものが見当たらない。おそらく「地球の歩き方」の情報が古すぎるのだろう。

時間もたっぷりあるので散髪をすることにした。3、4軒ある散髪屋のうちの1つに入る。バリカンをふんだん使い、短すぎるほどに刈り上げられた。だがこの仕上がりは帰国後なかなか評判がよかった。料金は10リアル(300円)。

散髪屋

さて昼食だが、今度こそサウジ料理を食べたい。ちょっと大きめレストランに入る。床に座って食べるサウジ式のレストランだが、客はあまりおらず、英語のメニューも写真のメニューもない。従業員が私を厨房まで連れて行き、焼いたチキンを見せる。結局またチキンを注文するはめに。サウジに来てから、レストランで食べる料理はチキンライス一択だ。

レストランの外観

レストランの内部

またまたチキンとライス

ホテルで3時ごろまで休み、チェックアウトしてから、Uberでアブハ空港に向かう。

17時20分にアブハを飛び立ったFlynas機は18時40分ごろにジェッダに着いた。現金に余裕を持たせるために、到着ロビーで100ドルをリアルに両替する。外はすでに真っ暗だ。宿は旧市街まで歩いて20分あまりに立地する(グーグルマップによる)Trident Hotelを予定していた。予約はしていない。

空港からホテルまではUberで行くつもりだったが、混雑する空港周辺のどこで待ち合わせるか迷った。しばらくうろうろするうち、タクシー乗り場の横にUber Pick-upという標識を見つけた。その隣にはサウジのもうひとつの配車アプリであるCareemの乗り場もあった。

10分ほど待ってやってきたUberの運転手は若いサウジアラビア人で、英語を話す。ニュージーランドに語学留学していたということだ。

空港からホテルまでは30分ほどの道のり。運転手はジェッダの見どころを説明してくれる。Cornicheと呼ばれる紅海沿いの海岸通り(「女性のビキニ姿が見られるわけではないけれど」との弁)や旧市街のプライベート・ミュージアム(Naseef Houseのことだろう)など。

ホテルに近づいたころ、「ここには足を踏み入れないほうがよい」というエリアを通過した。貧しいからだという。「貧しくても、危険というわけではないだろう?」と尋ねると、「危険ではない」との返事。明日はぜひここに来てみよう。

Trident Hotelは大きなホテルだ。予約はしていないが、値段はBooking.comで確かめてある。2泊で505リヤル(15000円ほど)。ところが、受付で値段を聞くと、1泊400リヤル、2泊で800リヤル(2400円)と言う。予約なしのぶっつけで当たって、予約サイトの値段より高いというケースははじめてだ。しかもほんの少し高いというレベルではない。

即座に踵を返すと、マネージャーらしき男が追いかけてきて、「1泊350リアルにする」と言う。Booking.comでは250リヤルだから、これでも高すぎる。Booking.comの値段に言及すると、ではそこから予約すればとのたまう。あまりいい感じはしなかったが、夜の8時過ぎからまた別のホテルを探すのもおっくうなので、急遽Booking.comの予約ボタンをクリックした。

1泊400リアルはTrident Hotelの正規の料金なのかもしれない。バスタブもあるし、部屋にはミネラルウォーターやインスタントの飲み物に加え、バナナ2本、リンゴ2つ、オレンジ1つも用意されていた。

近くの食料品店で購入したツナ缶やパンで夕食を済ませ、スマホでYoutubeの動画を見ながら、サウジに来てはじめてのバスタブにつかって体を休めた。いい気分だ。

2020年1月11日土曜日

サウジアラビア2019 五日目(アブハ)

12月22日。

10時ごろにSkypeを使ってSに電話する。「今日の午後からアブハを案内してくれないか」と頼むためだ。「今はちょっと忙しいから、午後3時からなら大丈夫だ」との返事。3時にAbha Hotelまで迎えに来てくれることになった。

外に出る。アブハは海抜2300m。タイフと同様に夏には避暑客で賑わうこの街の冬は地元の人たちにとっては肌寒く感じるらしいが、私には爽やかで過ごしやすい。

アブハ

Lonely Planetに載っていたAl Muftaha Villageなるところへ行く。Abha Hotelから歩いて20分もかからない。地元の芸術家たちのさまざまな作品が展示されているらしい。
ところが、それらしきところへ到着しても、何もない。あとでSに聞くと、夏の観光シーズンにだけオープンしているらしい。

目的もなくぶらぶらする。12時過ぎ、モスクから祈りの声が聞こえ、人々が三々五々にモスクに入っていく。裏通りを歩きながら、この様子を動画に撮った。

アブハの裏通り

サウジアラビアに来てからすでに5日目、まだちゃんとしたサウジアラビア料理を食べていない。今度こそは思い、賑わっていそうな食堂に入る。残念、今度はアフガニスタン料理を出す店だった。アフガニスタンもまんざら縁のない国ではない。これでもいいか。

昨日のパキスタン料理は量が多すぎた。「ここで食べるが、食べきれなかったら残りは持ち帰りたい」と伝えようとするが、英語がまったく通じない。結局、チキン・ケバブとライスをすべて持ち帰ることになった。ナンも4枚付いている。

ホテルに戻ってこれを食べたときには2時を過ぎていた。すべては食べきれず、半分は夕食用に残しておいた。

アフガンのケバブを持ち帰り 

3時になったので1階の受付ロビーに降りる。正直に言うと、Sがほんとうに来てくれるかどうか一抹の疑念があった。アラブ人と何らかの約束をするのははじめての経験だ。来てくれるにしても、大幅に遅刻という事態もありうる。

つまらぬ疑念を抱いたことが恥ずかしい。Sはすでにロビーで待っていた。

Sの車に乗り、まず向かったのはアブハから30分ほどのAl Soudah(アルスーダ)。Al Soudahは海抜2800mで、サウジでもっとも高い場所に位置する。霞か雲か判別できない白いもやが一帯を覆っている。人工芝が張り巡らしてある一角もある。立て看板にはAl Soudah Season Mapと記した地図が表示されている。ここも夏には避暑客で賑わうのだろう。しかし今はSと私だけがこの広い場所を占有している。

Al Soudah(その1)

Al Soudah(その2)

車に戻ろうとしたところ、話し声が聞こえてきた。やって来たのは3人の若者。バングラデシュ人だった。「We are new here」と言う。サウジアラビアに来たばかりということだろう。

アブハに戻る途中、小さなスークに立ち寄る。サウジの伝統品を売るスークとのこと。蜂蜜を試食する。100%天然の蜂蜜を土産に購入したいところだが、機内持ち込み可能なバックパック1つで旅行している私には買うすべもない。機内に持ち込めるかどうかわからないし、カバンの中で蜂蜜が漏れ出したりしたらたいへんだ。

小さなスーク

インド人の店もあった。このインド人、私が日本から来たことを知ると、突然政治の話を切り出し、モディ首相の批判をはじめた。インドで発生している市民権法を巡る抗議活動の写真や動画を見せながら、モスレムがどれほど差別され弾圧されているかを説明する。この突然の政治談義にはSも驚いていた。

スークを出て、アブハへ戻るころには日は暮れていた。Sが「お腹は空いていないか」と聞くので「空いていない」と答える。実際、2時過ぎに昼食をとったこともあり、まったく空腹を感じていなかった。そのうえ、宿には昼食の半分を夜食用として残していた。道端の屋台で買ったサウジ茶をおごってもらうにとどめた。

「アーチスト・ストリート」なるところに立ち寄ってからホテルに戻ったときには7時近くになっていた。3時から7時までおよそ4時間、Sに付き合ってもらったわけだ。

ホテルに入る前に夜のアブハを少し散策する。ホテルに戻ってから、オーナー(あるいはマネージャーまたはただの従業員)の65歳の男性としばらく話す。「Saudi Arabia is changing」と言うと、男性はその通りと答える。

夜のアブハ

明日はジェッダへ戻る。フライトは17時20分。チェックアウトは3時でも4時でもいつでもいいとのこと。ありがたい。

さて、27歳のSが4時間付き合ってくれたのは私にとっては実に貴重な体験だった。アブハを知ることはもちろん、サウジアラビアの諸事情、サウジ社会のさまざまな側面にふれるうえで非常に役立った。「サウジ空軍のパイロット」という彼の職業が話の内容をいっそう興味深いものにした。彼が考えていること、彼から学んだこと、私が感じたことなどを箇条書きにして整理しておこう。

  1. F15戦闘機のパイロットとしての訓練はサウジアラビアでのみ受けた。戦闘機のパイロットから引退したあとには民間航空機のパイロットになるこも可能だが、最低10年間勤めたあとでないと空軍を辞めることはできない。両親は心配しているが、空を飛ぶのは楽しい。Sはコックピットから撮った動画を見せてくれた。ドローンを撃墜しているところ、ミサイルを発射しているところなど。
  2. 政治は嫌いだとSは言う。政治は子供の争いのようだと。なにかのひょうしに皇太子のMohammad bin Salman(MBS)の話題が出たが、カショギ殺害事件については尋ねなかった。彼の職業上の立場を考慮したためだ。私の意見は彼とはちょっと違う。残念ながら「政治は子供の争い」ではない。子供の争いで人が死ぬことはめったにないが、政治は最悪の場合大量の死と破壊を引き起こす。これは私の独り言。
  3. Sは新婚だ。パートナーは彼の姉が彼の希望を聞いたうえで探してくれた。探してきた相手を断るのはもちろん可能だ。「ラッキーなことに(姉が探してくれた相手は)美人だった」と言い、彼女の素顔の写真を見せてくれた。確かにかなりの美人だ。新婚旅行でフランス、スイス、ギリシャ、エジプトなどを訪問したときの写真も見た。ギリシャのある島で撮った写真には彼と彼女が普通の洋装で写っていた。彼女はスカーフも身につけていない。
  4. Sはイエメンについて「貧しい国であり、何も失うべきものがない(nothing to lose)。だから極端に走る」と言う。サウジアラビアでアルカイダやISに惹かれている若者についても「彼らには失うべきものがない」との判断。しかしオサマ・ビン・ラディンは富豪の息子ではなかったか。富裕層出身でジハディスト(ジハード戦士)になったのはオサマ・ビン・ラディンだけではないだろう。サウジアラビアの国教ともいうべきイスラム原理主義のWahhabism(ワッハーブ派)がジハディストの出現に手を貸していたのではないだろうか。まあこれも私の独り言だ。
  5. グーグルなどを全面的ブロックしている中国とは異なり、サウジアラビアではFacebookもYoutubeもTwitterも利用可能だ。ただし、ある種のアカウントは削除されているらしい。ISなどの過激な思想はもっぱらTwitterを通じて広がっている。サウジアラビアがブロックしているのはポルノのサイトだ。そのせいか中国やイランと同様、サウジでもVPNが利用されている。
  6. サウジアラビアには所得税や財産税、贈与税といった税金がない。原油価格の低落を受けて3年ほど前に導入された5%の付加価値税(消費税)が唯一の税金だ。ただし米などの生活必需品は付加価値税から除外されている。以前は水1リットルよりもガソリン1リットルのほうが安かったらしいが、財政難の現在、ガソリンの値段も上がったとのこと。
  7. サウジの伝統音楽について尋ねてみる。Sはカーステレオで何曲か聞かせてくれた。いずれもピュアな(?)古典音楽というより、楽器編成などに現代的な要素を取り入れたサウジ歌謡だった。サウジの若者の間ではヒップポップなどのアメリカン・ポップが人気だとか。S自身はジャズをよく聞くという。クラシック音楽についても聞いてみたが、クラシック音楽というジャンルをよく理解できないようだった。モーツアルトやベートーベンといった名前にも馴染みがないようだった。
  8. ジェッダでもアブハでも多くの猫を見かけた。猫たちは総じて痩せていた。これに対し、犬を見かけたことがない。これはイスラム教で犬が不浄とされているからなのだろうか。「そういうこともあるが、犬が飼われていないわけではない。牧羊犬もいる」とSは答える。ちょうどそのとき、どこからか犬の遠吠えが聞こえてきた。「ほら、いるではないか」とS。
以上Sとの対話の内容をランダムに挙げてみた。話題はこのほかにもいろいろと広がった。まことに勉強になった1日だ。




2020年1月9日木曜日

サウジアラビア2019 四日目(アブハへ)

12月21日。

アブハ(Abha)行きのバスは11時ちょうどに出発した。席は3分の2くらい埋まっている。ここでも外国人は私ひとりのようだ。

車窓からはあまり変わりばえのしない景色が続く。サービスエリアで30分ほどの休憩。食堂もあったが、どれくらい長い休憩なのかわからなかったこともあり、菓子パンと飲み物を売店で購入して昼食とした。

このバスでアブハへ

途中の風景

アブハのSapticoバスステーションに到着したのは夜の8時過ぎ。もちろん外は真っ暗だ。宿はアブハの街中にあるAbha Hotelを考えていた。いつ気が変わるかわからないので、予約はしていない。バスステーションの入口では数人のタクシー運転手が客引きをしている(うちひとりは片言の日本語をしゃべった)。客引きをしているタクシーにはあまりいい経験がないので、Uberを呼ぶことにした。

Uberの車は5分もたたずにやってきた。しかし、車に乗り込むと、どうも運転手のUberアプリが不調なようだ。運転手は英語をまったく解さない。こちらが日本人であることは理解したようだ。スマホのグーグル翻訳でやり取りする。「別の車を手配してくれ」と言いたいらしいことがなんとかわかった。

車を降りて、再度Uberアプリで別の運転手を呼び出す。5分足らずでやってきた車のドアを開けると、「How are you?」と英語の挨拶で迎えられる。「おっ、英語が通じるのか」と思わず笑ってしまった。

運転手の名前はS。27歳。彼の本職はなんとF15戦闘機のパイロットであり、英語ができるのもそのためだ。パイロットは自由時間が多いため、Uberの運転手をやっているらしい。使っている車は現代(ヒュンデ)のジェネシスであり、お金に不自由しているようには見えない。

日本のアニメのファンらしい。スマホにいろいろなアニメを保存している。私が覚えているかぎりでは、「名探偵コナン」や「アルプスの少女ハイジ」などがあった。一時は日本を勉強しようと思ったこともあったとか。

「明日は暇だから車でアブハを案内しよう。もちろんお金はいらない」と提案してくれる。ジェット戦闘機パイロットによるアブハ案内。検討に値する提案だ。

バスステーションはアブハの街からかなり離れており、Abha Hotelまで30分近くかかった。Sはホテルの中まで付いてきて、通訳してくれる。おそらく通訳なしでも大丈夫だっただろうが、その好意がありがたい。

1泊200リヤル(6000円)の部屋に2泊することにした。Booking.comでは1泊250リヤルだった。予約なしで飛びこむことの利点のひとつは値段だ。Sからメールアドレスと電話番号を教えてもらい、明日私から連絡することにした。

Abha Hotelの室内

チェックインをすませて部屋に入ったときには9時半になっていた。今日1日まともに食事をしていないから、腹がすいている。ホテルの6階にあるレストランに行ったものの、すでに食事の時間は終わっており、コーヒーを飲んでいる数人の客がいるだけだった。インド人の従業員が私を窓際まで連れて行き、眼下のストリートを指さして「あそこにイエメン・レストランがある」と教えてくれる。

10時近い時間にもかかわらず、街はまだフルに活動していた。夜でも明るい通りを歩いていると、サウジの伝統的な服を着た50歳くらいの男性が英語で話しかけてくる。

「中国から来たのか?」
「いや、日本だ。」
「サウジへようこそ。私はこういう者だ。」と名刺を差し出す。名刺には「XXX Investment Group」(XXX投資グループ)とある。
「明日アブハを案内しよう。朝は忙しいが、午後なら時間がある。ここに電話してくれ。」

Uberの運転手に次ぎ、2番目のアブハ案内のお誘いだ。「明日はすでに先約があるので」と言いながらも、名刺を受け取っておく。

インド人が示したイエメン・レストランかどうかはわからないが、ちょっと大きめのレストランがあったので入る。パキスタン料理の店だった。写真のメニューを見てチキンライスを注文した。確か15リアル(450円)。なにぶんにも量が多い。日本基準からすると2人分、ひょっとすると3人分くらいの量がある。空腹だったにもかかわらず、少し残した。

チキンライス

食事をしていると、ニカブとアバヤを着用した(おそらく初老の)女性が私のテーブルに近づいてきた。物乞いだ。ジェッダでも見かけたし、明日以降アブハで何回か遭遇することになる。すれ違いざまに12、3歳の女の子が手をさしのべてきたこともあった。サウジ人かイエメン人かはわからない。エチオピア、エジプト、ソマリア、スーダンなどアフリカから来ている可能性もある。

宿に戻る。明日はSの世話になるかどうか、決めかねるまま眠りについた。

2020年1月7日火曜日

サウジアラビア2019 三日目(タイフへ)

12月20日。

昨日の夕食の残りで朝食を済ませてから、9時ごろにチェックアウトする。チェックアウト時にマネージャー風の黒人の男性が話しかけてくる。エリトリア出身だというので、アスマラやマサワを訪れたことを話題にする。

タイフ(Taif)へのバスは旧市街のはずれにあるSaptico(Saudi Public Transport Company)バスステーションから出ている。
ホテルからバスステーションまではUberを利用した。Uberの運転手はパキスタン人だった。ラホール出身で、サウジアラビアには21年住んでいるとのこと。昨年パキスタンを訪れたことを告げ、「(パキスタンは)実際に行ってみると非常にフレンドリーな国だが、西側ではテロが横行する怖い国というイメージが強い」との感想を述べると、「インドがそういう宣伝をするからだ」と言う。パキスタンのネガティブなイメージは必ずしもインドだけの責任ではないと思うが、あえて反論はしない。

タイフ行きのバスは1時間に1本ほど。料金は47リアル(約1400円)。10時30分発のバスでタイフに向かう。3分の2くらいが埋まった大型バスの中、観光客は私ひとりのようだ。

ジェッダからタイフへ

3時間後の1時半ごろにタイフのSapticoのバスステーションに到着した。明日は南部のアブハ(Abha)に行くつもりだ。窓口で明日のアブハ行きのチケットを購入しておこう。アブハ行きは1日に2本しかなかった。11時と13時半。しかもアブハまでは9時間もかかるという。タイフとアブハをつなぐフライトはない。11時発のバスに乗る選択しかないだろう。正確な料金は失念してしまったが、120リアルくらいだった。

明日の足が確保できたところで、宿を探す。グーグルマップによると、バスステーションの近くにFour Seasons Suitsというホテルがある。1泊200リアル。このホテルに向かって歩き出す。なさけないことに、グーグルマップを見ながらも迷ってしまったので、自宅前で洗車中の男性に尋ねる。男性は不自由ながらも英語使ってホテルの所在を教えてくれた。Four Seasons Suitsにたどり着くと、その向かい側にもGolden Clownというホテルがある。まずGolden Clownをあたってみた。1泊160リアル(4800円)とのこと。オーナーはなめらかな英語をしゃべる。このホテルに1泊することにした。

家族用の滞在型スイートのような大きな部屋で、バス・シャワーはもちろん、キッチンもある。

タイフは標高1900mの高地にあり、夏はジェッダなどからの避暑客で賑わうが、冬期の今は宿泊客も少ないのだろう。昼間は快適な気温だが、明け方は少し寒かった。

Golden Clownホテル

広い室内

ホテルから街の中心まではせいぜい2Kmくらいだろう。街の中心には高いビルが建っているので道に迷うこともない。

まずバスステーションに立ち寄り、コッペパンに卵やツナを挟んだサンドイッチ2つとペプシコーラを購入して昼食とした。今日は金曜日。ひょっとすると店やレストランは全部閉まっているかもしれない。食べられるところで食べておいたほうがよい。

案の定、店はほとんど閉まっていた。もっともサウジアラビアでは、祈りの時間に15分ほど閉まる店が多く、昼休みに閉まるケースもある。だから終日閉まっているのか、一時的に閉まっているかの判断は簡単ではないが、これだけ多くの店が閉まっているのは金曜日に関係があるのだろう。ファーストフードの店は何軒か営業していた。昼食をサンドイッチで済ませたの失敗だった(まずくはなかったが)。

高いビル(ホテルが入っている)と飛行機のモニュメント

ファーストフード店は開いていた

タイフのメインストリート

フィリピン人らしい若い男女数人を見かけた。女性はアバヤ(もしくはアバヤもどき)を着用しているが、ヒジャブはなしで髪は丸出しだ。しかもその髪を金髪などに染めている女性もいる。

メインストリートとおぼしき商店街(といっても大半の店は閉まっているのだが)をぶらぶらするうち暗くなってきたので宿に戻る。夕食はたまたま開いていた小さな食料品で仕入れたパンやチーズで済ませた。

ホテルの近くのモスク

こうして何もすることなく、何も観ることなく、タイフでの1日が終わってしまった。もう1日かけてスークなどにも行くべきところだろう。しかし明日のアブハ行きのバスチケットはもう購入済みだ。

アブハでは2泊する予定。アブハからジェッダへのバスも9時間かかる。道中の景色が目を見張るようなものならともかく、バスの長旅はタイフからアブハだけで十分だ。

ということで、この夜、23日のアブハ発ジェッダ行きのフライトをオンラインで予約した。flaynasというLCCの便で217リアル(6500円ほど)。23日17時20分アブハ空港発。

ここでとんでもない勘違いをしていた。ジェッダからの帰国便は28日2時40分だが、これを26日2時40分と思い込んでいたのだ。つまり2日早い帰国日を想定していた。適当にスケジュールを組み、そのあとちゃんとEチケットをチェックしていなかったことからくる勘違い。この勘違いに気付いたのはジェッダに戻ってからだった。


2020年1月4日土曜日

サウジアラビア2019 二日目(ジェッダ)

12月19日。

10時過ぎにホテルを出て旧市街に向かう。Ramada Hotelを選んだのはCity centreに近かったからだが、どこがCity centreなのかは確かめていなかった。Ramada Hotelから旧市街までは遠い。グーグルマップで調べると、Ramada Hotelから旧市街のバラード(Balad地区)までは5.2Km、徒歩で1時間10分かかる。Uberまたはタクシーを利用するのが順当なところだが、ジェッダの街をじっくりと歩いて確かめたい。幸い時間はたっぷりある。

中東の強い日差しのもと、街はひっそりしていた。「リッチな産油国」というイメージにはふさわしくない老朽化した建物も多い。ともかく人通りが少ない。ときたますれ違う人からは「アッサラーム・アレイコム」という挨拶の言葉がかかる。

旧市街まで歩く

ホテルには朝食が付いていなかったので、途中で適当な食堂があれば入りたいと思っていたが、まったく見当たらない。

そのうち旧市街に着いた。半ば崩壊した壁。出窓が特徴的な古い建物。独特の趣がある。ガイドブックに記載されているスーク・アル・アラウィまで行く。スーク(市場)という雑然としたイメージではなく、衣服や装飾品を売る店舗が整然と並んでいる。

旧市街(その1)

旧市街(その2)

旧市街(その3)

スーク

スーク・アル・アラウィから少し離れたところにある店の主人が英語で話しかけてくる。こちらが何とかスークで、あっちが野菜を扱う何とかスークだと説明してくれる。いろいろなスークがあることはわかったが、どれがどのスークだかは頭に入らない。

中国人らしい10人ほどのツアーグループとすれ違う。日本の旅行会社もサウジツアーを計画しているようだが、実際にはじまるのは来月からだ。さすが中国、動きがはやい。

安そうなホテルが2軒あったので、試しに値段を聞いてみた。旧市街という絶好の立地だから、再度ジェッダに戻ってきたときには泊まってもいい。大通りに面したSafari Hotelは1泊120リアル(3600円)、裏通りに入ったところにあるCairo Hotelは1泊100リアル(3000円)とのことだった。どちらからもホテルのカードを貰っておいた。

アーケードの中の商店街に入り動画を撮る。サウジアラビアではじめての動画なので、どのような反応があるか、びくびくしながらの撮影だった。心配することはなかった。手を振ってくれたり、声をかけてくれたり、人々はきわめて友好的だった。

旧市街の商店街

とっくに昼食の時間を過ぎている。やっと見つけた小さな食堂に入る。英語はまったく通じない。壁にある写真から1品を選び注文。これにパンを付けてもらおうと、何回もBreadという単語を口にするが、まったく通じない。しかし心配無用。出された料理にはナンが2枚付いていた。全部で5リアル(150円)という安さだ。スプーンを使わずに手で食べるのにちょっと苦労。

はじめてのサウジ料理

食堂でトイレを借りようとするが、これも意思が伝えられない。食堂を出てから、モスクにトイレが付設されていることを発見して事なきをえた。

写真や動画を撮りながら旧市街の探索を続ける。Jeddah academy of fine artなる場所があり、屋外に奇想天外な馬車の構造物が展示してある。こうした遊び心と伝統的な町並みの組み合わせがある種の風情をつくり出している。

馬車

壁に描かれたイモリ

自動車の残骸

帰路も徒歩にした。往きとは異なる道を選び、ホテルに向かって歩き出す。1時間近く歩くと、汗がにじみ、喉も渇いてくる。マクドナルドに立ち寄って、生クリームをのせた冷たい飲み物(商品名を知らず、こうしか言いようがない)をオーダーして、しばらく休む。マクドナルドでは問題なく英語が通じた。

ホテルに戻って体を休め、暗くなってきたころ夕食のために外に出る。グーグルマップで調べたところ、ホテルの近くにいくつかのレストランがある。歩いて5分もかからない場所だ。しかし、これらのレストランにたどり着くには広い通りを渡らなければならない。数多くの車がビュンビュン飛ばしている通りを渡るのは至難の業だ。通りに沿ってずっとさかのぼっていっても信号もなければ横断歩道もない。

現地の人は車と車の間を縫ってすいすいと渡っていく。しかし私がこれを真似するのは危険だ。「たぶん渡れるだろう」で踏み出すのは避けたほうがいい。「確実に渡れるだろう」という瞬間を待つしかない。いつまで待ってもその瞬間は訪れなかった。サウジアラビアが「車社会」であることを実感した最初の場面だった。

結局近くのスーパーでナン、ミルク(と思ったがヨーグルトだった)、ツナ缶、たらこ(?)のパック詰めを購入して夕食とした。

明日はジェッダの南東にあるタイフ(Taif)にバスで行くつもりだ。