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2016年11月16日水曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 十日目(ブカレスト、帰国)

10月4日。

Hotel Sir Gara de Nordのチェックアウトは12時で、フライトは夜の9時45分。時間はたっぷりある。宿をいったん出て、駅のカフェで朝食をとり、宿に戻って休んでから、11時ごろにチェックアウト。バックパックをホテルに預けて、ブカレストの街に出る。

地下鉄に乗ってまず目指したのは「国民の館」(Casa Popurului)。これはチャウシェスクが巨額を投じて造らせたグロテスクなまでに大きな建物だ。5年前にブカレストを訪れたときにはこの建物を外から眺めただけだった。今回はできれば内部も見てみたい。

国民の館

国民の館の内部は個々に入るのではなく、ツアーで巡回することになっている。たぶん英語のガイド付きだろう。受付で尋ねてみると、スタンダードツアーで30レウ(750円ほど)とのこと。写真撮影にはさらに30レウかかる。次回のツアーは1時出発という。まだ12時になっていないから、1時間以上待つ必要がある。コストと時間を考えて中に入るのはあきらめた。見たいという気持ちがそれほど強くなかったこともある。

国民の館から街の中心の統一広場まで歩く。5年前に歩いたメインストリートに行きたかったのだが、方向がさっぱりわからず、うろうろするばかり。無駄に時間が過ぎていく。そろそろ昼食の時間だ。この日の「メインイベント」は「昼食」と決めていた。5年前にルーマニアを訪れたときの「食」の感動を再現したかったからだ。

ブカレストの街

地下鉄に乗ってStefan cel Mareという駅まで行き、La Mamaなるレストランを目指す。5年前に「地球の歩き方」を頼りにこのレストランで食べた料理をもう一度試したかった。

通常なら満席のLa Mamaだが、すでに午後2時を過ぎていたので、6卓ほどあるテーブルの2卓が埋まっているだけだった。ビールとスープとメインディッシュを注文する。メインディッシュはウエイターが勧めたもので、キャベツの煮込みとジャガイモ。サワークリーム(スメタナ)と混じり合うスープと、よく煮込み味がしみ通ったキャベツ。おいしい。一瞬5年前の感動が蘇りそうだった。しかし量が多い。いくらおいしい料理も、食べ過ぎると最初の感動は薄れ、満腹感だけが残る。

La Mama

メインディッシュ

遅めの昼食後、ブカレストの街をあてもなく歩き、5時半頃に北駅から出ているバスで空港に向かう。北駅から空港までは1時間ほどで、ターキッシュ・エアライズのフライトは9時45分。少し早すぎるが、いつものようにbetter too early than too lateだ。

ブカレストからイスタンブールまでのフライト中、隣席は新婚旅行でタイに向かうルーマニア人の若いカップルだった。彼らもまた「ジプシーが西ヨーロッパでルーマニア人を名乗っているので困る」とこぼしていた。「実際彼らはルーマニア人ではないか」と反論すると、「それはそうだけど」と認めていたが。

イスタンブールで2時間半待って関空へ飛ぶはずだったが、大阪に台風が近づいていることから、7時間以上待つはめになった。関空から難波までの最終電車にぎりぎり間に合ったところで、今回の旅は終了した。

はじめてのブルガリと2度目のルーマニア。どちらも英語がよく通じ、人々はフレンドリーで、あまり苦労なく気持ちよく旅行できた。またいつか訪れたい。たった3泊の駆け足旅行で終わったブルガリアは特にそうだ。

先の記事に書いたように今回の旅のサブテーマは「ロマ集落訪問」だったが、こちらのほうは不燃焼に終わった。これは当初から予想していたことだ。言葉(ルーマニア語、ハンガリー語、ないしロマ語)がしゃべれず、準備もほとんどしていないとなれば、当然の結果だろう。ロマのコミュニティに入ることはもちろん、その一端にふれることすらできなかった。「チラッと見た」という程度だろう。その「チラ見」でもある種の自己満足は得られた。将来、ちゃんと準備して、もう少し深く探訪したいが、壁は高い。

2016年11月12日土曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 九日目(ブカレストへ)

10月3日。

ブカレスト行きの列車は午後2時にシギショアラを出る。Pensiunea Jokerのチェックアウトは11時だが、昼過ぎまでいてもいいということだった。朝食後、観光スポット以外の、つまり旧市街(城塞)の外のシギショアラを散策する。人通りのほとんどない静かな朝。「猛犬に注意!」という貼り紙がしてる家が何軒かあった。静かで落ち着いた街並みからは想像もできないが、盗みなども珍しくはないのだろうか。

猛犬に注意

シギショアラの普通の家並み

12時過ぎに宿を出た。宿を出るときPensiunea Jokerの女主人(たぶん)と少し話す。女主人の話は昨日のドライバーが語ったことと重なる。ジプシーが嫌いであること、チャウシェスク時代のほうがよかったことなど。

こうした話を額面どおりに受け取ってよいかどうかはまた別問題。「チャウシェスク時代のほうがよかった」と言っても、あの時代に戻りたいと本気で考えているわけではないだろう。「昔はよかった」は現在に対する不満や不平の表れであり、そうした不満や不平を口にすることすらできなかった時代に戻りたいということではないだろう。どの時代、どの社会でも、不満や不平があるのはごく自然であり、不満がまったくないとされる社会(たとえば北朝鮮)にはどこか不自然なところがある。

宿を出るときに小雨が降り始めた。この旅ではじめての雨だが、駅まで歩くには支障がない。朝食をたっぷりととり、昨日購入したビスケットもあったので、昼食はとらなかった。

駅に行く途中で出会った女の子

列車は2時発の予定だったが、1時間遅延しているとのこと。駅に早めに来ていたこともあり、かなり長い間待つはめになった。その間、ひとり旅しているアイルランド人女性や中国の3人家族と話す。アイルランドには2種類のジプシーがいるという。1つはルーマニアなどから来たロマであり、もう1つはアイルランドに昔からいるtravellersと呼ばれる人たち。ロマとtravellersの関係はどうなっているのだろうか。travellersとはフランスのgens de voyageと同じなのかどうなのか。調べてみる必要がある。中国人家族は広東省から来ていたが、広東語ではなく普通話(ブートンホア)で話していた。

列車は3時にシギショアラを出発した。私のコンパートメントには先客が2人いた。60~70歳くらいの欧米のカップルだ。英語で話している。第一印象からして非常に好感の持てるカップルだったので、私のほうから"Are you from England?"と切り出した。"We are from Scotland"との返事。ちょっと身構えてしまった。スコットランドの英語は聞き取りにくいという先入観があったからだ。

ところが彼らと話していくうちに、まったくスコットランドの訛りがないことに気がついた。それもそのはず。カップルはもう20年以上スコットランドのエジンバラ近郊に住んでいるが、男性のほうは米国人で、女性はオランダ人だった。彼らも「最初はスコットランドの英語に苦労した」と言っていた。

話題は私の北朝鮮旅行から始まり、欧州の最近の排外主義的な動き、さらには米国の大統領選挙へと移っていった。オランダ人女性は「オランダはもともとオープンでリベラルな国として知られていたのに、そのオランダでさえ移民排斥の自由党が伸びている」と嘆いていた。米国の大統領選挙について私が「トランプが選ばれたらdisasterだ」と言うと、米国人男性は「米国にとってだけでなく世界にとってdisasterだ」と返す。「4年前にオバマを選んだ米国民がなぜこんなことになったのか」とも言っていた。

彼らの行き先はブカレストでなはく、シギショアラとブラショフの中間にある小さな町。2週間以上の日程でルーマニアを旅しているだけあって、いろいろなところに立ち寄ることができる。

彼らが下車するまで1時間余り話がはずんだ。オランダ人女性にAyaan Hirsi Aliのことをどう思うか聞かなかったことが悔やまれる。Ayaan Hirsi Aliはソマリアの難民としてオランダに移住し、国会議員にまでなった女性だ。その後、帰化の際に生年月日を偽っていたということでオランダ国籍を剥奪され、現在は米国に住んでいる。彼女は徹底的なイスラム教批判で知られる。現在の状況下、これは勇気のある主張であり、実際殺害を予告され、米国でもボディガード付きの生活を余儀なくされている。

私は彼女の著作を読んだことはないが、その講演や対談はYoutubeで数多く視聴してきた。無神論者としての彼女の考え方には同意できる点が多いのだが、現在の政治的コンテキストの中でこうした原理的なイスラム教否定がトランプ流のIslamophobiaにつながるのではとの一抹の不安も感じている。オランダのリベラルな女性が彼女をどうとらえているか、是非聞いてみたいところだった。

カップルが下車したあと、コンパートメントは私ひとりになった。

シギショアラからブカレストまで

1時間遅れてシギショアラを出発した列車は定刻より30分遅れの夜8時過ぎにブカレスト北駅に着いた。昼食をビスケットだけで済ませているので、腹が減っている。さっそく駅の食堂に入り、煮込みキャベツとハンバーグ(みたいなもの)を注文した。私の向かいの席に真新しいロマの服を着た女性と5、6歳のその息子が座っている。この母子はシギショアラの駅でも見かけた。子供のほうは東洋人がめずらしいのか、私のほうをじっと見ている。母親のほうも私に関心がありそうだった。声をかけたかったが、ルーマニア語をまったく解さない身ではあきらめるしかない。母子はスープとパンだけの質素な食事をとっていた。

宿は5日前に宿泊したHotel Sir Gara de Nordを再び予約していた。北駅から徒歩で3分。駅に夜遅く着くときには便利な宿だ。前回は前日に予約したためツインの部屋しか空いていなかったが、今回は数日前に予約したおかげでシングルルームを確保できた。値段もその分安く18ユーロ(トイレ・シャワーは共用)。

明日はいよいよ帰国だが、夜9時45分のフライトだからブカレストを十分に観光できる。

2016年11月8日火曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 八日目(シギショアラ)

10月2日。

朝食は別料金で5ユーロする。ルーマニアにしては少し高いが、スーパーでパンを買うだけの朝食にはあきていたので、頼んでおいた。パン、ハム、チーズ、オムレツに果物、ジュース、コーヒーと、5ユーロという価格が十分に納得できる内容だった。

ゲストハウスでの朝食

今日は2時から「ルーマニアの田舎」に連れて行ってもらうことになっている。自由な午前中をどう過ごすか。明日はブカレストへ戻る予定なので、まず列車の切符を買っておこう。20分あまりかけて徒歩で駅まで行き、午後2時ブラショフ発7時30分ブカレスト着の切符を67レウで購入した。

帰り道、ルーマニア正教の教会の前のベンチでしばらく休む。今日は日曜日であり、ミサの声が聞こえる。小さな子供を連れた家族などがぽつぽつ教会の中へ入っていく。

ルーマニア正教の教会

旧市街に戻り、近くの小公園で休む。このとき財布をベンチの上に置いたまま別のベンチに移動してしまった。10分近く経っただろうか、財布がないことに気付いた。カバンの中や衣服のポケットを必死に探してもない。急いで10メートルほど離れた元のベンチに戻ろうとすると、「あなたの探しているのはこれ?」と財布を差し出す2人連れの女性。サングラスをかけており、観光客だろう。ほっとしてお礼を言う。前日の切符の紛失といい、この失態といい、うっかりしているにもほどがある。財布の中にはルーマニア紙幣とユーロ紙幣が合計で1万円ちょっと入っていた。旅行を続けるには支障がないものの、食事代や宿代をちまちまと節約していたこともあり、見つからなかったらかなり落ち込んでいたことだろう。

昼食用の総菜パンを買って宿に戻り、農村に連れて行ってくれるドライバーを待つ。

ドライバーの中年男性は2時少し前に来た。幸い英語をしゃべれるようだ。これから訪ねるのはBiertan(ビエルタン)という村。あとでわかったことだが、これはただの農村ではなく、世界遺産の城塞(citadel)がある観光スポットだ。私が望んでいた「ルーマニアの普通の農村」ではない。しかし結果的にはこのほうがよかったかもしれない。今日は日曜であり、「ただの農村」を訪れても、農作業を見ることはかなわず、人にも出会わず、ただ行って帰ってくるだけに終わっていただろう。

シギショアラからビエルタンまでは車で3~40分の道のり。本職は映像関係(シネマトグラフィ)でフランスなどの西ヨーロッパやエチオピアにも行ったことがあるというドライバーと話す。

まずロマ(ジプシー)について尋ねてみる。
「ジプシーは嫌いだ。ジプシーの男たちはおよそ働くということを知らない。ジプシーにはお金をやるな。財布のありかを知られたら、全部とられてしまう。」

ルーマニアの現状についてはどうだろうか。
「チャウシェスクの時代のほうがよかった。あの時代はみんなが仕事を持っており、自分の家に住んでいた。今は仕事を見つけるのは難しく、家は高すぎて買えない。EUに加入してもいいことはなかった。外国の商品が入ってくるだけで、ルーマニアから輸出するものはない。」

しかし、今はチャウシェスクの時代にはない言論の自由や表現の自由があるではないか。
「へっ、言論の自由? それがどれほどの価値を持つのだ。」
「今の政治は腐敗している。選挙になれば政治家たちが村にやってきて、古い携帯電話を年寄りたちに配り、票を買っている。」
「それでも俺にとってはルーマニアがベストだ。いろいろな国に行ったことがあるが、やはりこの国に残りたい。この国には美しい山があり、海がある。」

私が「そして女性たちも美しい」と付け加えると、「そのとおり。世界で一番美しい女性はルーマニア人とウクライナ人だ」と返す。

ビエルタンに到着した。ドライバーは車の中で待ち、私はひとりで散策する。村を一望する丘の上にある小さな城塞に登る。外国人も含めちらほらと観光客がいるが、そのほかには物音ひとつしない。晴れた日の穏やかな光景が広がっている。

ビエルタン

城塞を下り、あてもなく村の道を歩く。人影はほとんどない。動画を撮りながら歩いていると、戸口に座っている年輩の女性2人が手を振ってくれる。クルミ割りの作業をしていた4人の少女たちが「ハロー」と挨拶してくる。少女たちに飴をひとつずつ与えると、お返しにクルミをくれた。

ビエルタンの村道を歩く

村で1時間余り過ごしたあと、車に戻り、シギショアラに引き返した。代金は前日に確かめたとおり150レウ(3700円ほど)だった。高いか安いかはわからないが、ビエルタンまではバスも通っておらず、いずれにしてもタクシーをチャーターするしかない。

まだ陽も暮れていないので、シギショアラの旧市街をもう一度探索する。山の上の教会にも行った。

夕食はあまり客の入っていないレストランでとった。ルーマニアの伝統料理をリクエストしたところ、何か白いもの(サワークリームだろうか)の中にソーセージやキャベツを詰め込んだディッシュが出てきた。これはおいしかった。昨晩のShaormaもおいしかったが、あれはルーマニア料理とはいえない。今回の旅ではじめて遭遇した、期待通りのルーマニア料理だった。

レストランで夕食

旅もいよいよ終盤。明日はブカレストへ戻り、明後日は帰国となる。

2016年11月4日金曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 七日目(シギショアラへ)

10月1日。

昨日スーパー買ったパンとハムで朝食を済まし、シギショアラに向かう準備をする。だが、昨日購入した列車の切符が見あたらない。上着のポケットに入れておいたはずだが、そこにはない。カバンやバックパックの中にもない。部屋の隅から隅まで、ベッドの下まで探したが見つからない。日本の小さな切符とは違い、10x5cmくらいの大きさだから、部屋のどこかにあるならすぐに目に付くはずだ。外で紛失したのだろうか。列車の切符だけをねらうスリもいないだろうし、どこかで落とした可能性が高い。

時間がせまっているので、いつまでも探しているわけにはいかない。切符はあらためて買うことにして宿を出た。家主のいないアパートだから、チェックアウトの手続きもない。鍵を郵便ポストに入れておくだけだ。

バスでブラショフ駅まで行き、再度シギショアラ行きの切符を買った。列車はほぼ定刻どおり、8時50分過ぎに出発した。コンパートメントに乗り合わせたのは、ルーマニア人の中年女性と東洋人風の若い女性。東洋人風の女性は駅までのバスで私の横に座っていた女性だ。バスでも列車でも隣り合わせになるという偶然。日本人のようには見えない。中国人とも少し雰囲気が違う。

女性は香港人だった。「もし誰かに"Are you from China?"と聞かれたら、Yesと答えるかNoと答えるか」と尋ねたら、Noと答えるとの返事だった。「中国人」よりも「香港人」のアイデンティティのほうが先にくるのだろう。

ルーマニア人女性がクロスワードパズルをやっている横で、列車がシギショアラに到着するまでのおよそ2時間半、香港女性とほとんどノンストップで話した。中国本土と香港の関係、香港の議会選挙、フィリピン人メイドの問題など。そしてお互いの旅行経験。グラフィック・デザイナーの彼女はおそらく20歳代だろうが、かなり幅広く旅行している。日本にも2回来ており、京都が一番のお気に入りとか。私の北朝鮮旅行の話に興味を示し、ぜひ行ってみたいと言うので、Koryo ToursとYoung Pioneer Toursを紹介しておいた。

ルーマニア人がいかに親切で、ルーマニアがいかに旅行しやすい国であるかについても私たちの意見は一致した。昨日購入した切符を紛失していなければ、彼女と一緒のコンパートメントにはならなかっただろう。若い香港女性との2時間半の会話のためと考えれば、新規の切符の代金(1200円)もそれほど惜しくない。話に夢中だったため、車窓からの写真は1枚も撮らなかった。

列車で一緒だった香港女性

列車はほぼ定刻の11時半にシギショアラに到着した。香港女性はブラショフからの日帰り旅行でシギショアラに来ていたので、宿は予約していない。私は前日にbooking.comで宿を予約していた。彼女は街の中心まで徒歩で、私は宿までタクシーで行くことにし、「小さな街だからたぶんまたとこかで会うだろう」と言って別れた。

タクシーがなかなか見つからない。市の中心に向かってだいぶ歩いたところでやっと拾うことができた。今日から2泊する予定のPensiunea Jokerは中心から1km弱しか離れていないが、タクシー代は5レウ(125円ほど)だった。ぼられたかどうかは微妙なところだ。

Pensiunea Jokerはすばらしい宿だった。booking.comでの評価が9を上回っていただけのことはある。広いツインの部屋で1泊22ユーロ。テレビ、暖房、トイレはもちろんバスタブまで付いている。海外のゲストハウスやホテルでバスタブが付いているのはめずらしい(少なくとも私が泊まるような安い宿では)。朝食は別料金で5ユーロ。朝食も用意してもらうことにした。

チェックインしたときにはすでに昼の12時を過ぎていた。宿のスタッフ(オーナーかもしれない)が勧めてくれたレストランで昼食をとる。スープとパンとサラダ、それにビール。まずくはないが、特別においしいというわけでもない。レストランの名前は忘れたが、確かドイツ語だった。シギショアラはもともとザクセン人の城塞都市だったこともあり、ドイツ語の痕跡がところどろこに見られた。

石の城門をくぐり、要塞だった旧市街に入る。ひときは目立つのが時計台であり、観光の目玉でもある。石畳のこぢんまりした街並みは大勢の観光客で賑わっている。中世の面影を残した趣のある街だが、ブラショフほどの広がりはない。観光ポイントをざっと巡るなら、日帰りで十分だろう。

城門

時計台

城門の手前でロマ(ジプシー)の母子の物乞いを見かけた。今回の旅行ではじめて見かけるロマの物乞いだ。ロマらしき何人かの子供にも遭遇した。

物乞い

予期したとおり時計台の近くでかの香港女性に出会った。「ドラキュラのレストランに行ったか」と尋ねると、「行った」との返事。「ドラキュラのレストラン」とはドラキュラのモデルとなった貴族の生家を改造したレストランで、列車の中で彼女から話を聞いていた。料理はまずまずだが、52レウ(1300円ほど)と値が張ったらしい。

再度彼女と別れて、散策を続ける。結婚式の集合写真を撮っている場面にも遭遇した。夕食は小さなケバブ屋でとった。およそグルメの旅からはほど遠い選択だ。ケバブやサンドイッチと並んでShaormaというメニューがあった。ケバブやサンドイッチではあまりにありきたりなので、この未知のShaormaを頼んでみた。20レウにもならなかったが、これがおいしい。今回の旅で料理で感動したのはこれがはじめて。帰国してからShaormaを調べてみたが、どうも判然としない。シャウルマという発音らしく、ケバブの別名との説明もある。もともとはトルコ料理で、中東やロシアで人気があるらしい。ルーマニアに来てはじめてほんとうにおいしいと思ったのがルーマニア料理ならぬトルコ(あるいは中東、ロシア)料理だったとは。

Shaorma

宿に帰り、「明日はルーマニアの田舎を見たいから手配してくれないか」と頼んでみた。150レウでOKとのこと。午後2時に宿まで迎えに来てもらうことにした。

久しぶりに湯船につかり、ゆっくりと休む。

シギショアラの旧市街