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2019年2月28日木曜日

ミャンマー・シャン州 五日目(少数民族の村を巡る2)

2月9日。

トレッキング・ツアー2日目。ガイドのJosephは昨日と同様9時ちょうどにホテルにやって来た。

今日はJesephの出身地であるアク(Akhu)族の村、シャン族の村、Kabaeyeパゴダを訪れ、さらに昨日とは別のエン(Enn)族の村に立ち寄り、時間が余ったらチャイントォンのダウンタウンを見学するという予定だ。

Josephは自分の村をアキ(Akhi)族と説明していたが、ネットで調べてもAkhiは出てこない。ネットに出ているのはAkhu族で、ほぼ間違いなくJosephのAkhiはAkhuを指すものと思われる。また、シャン(Shan)族とは実際にはシャン州の多数民族であるクン(Khun)族を指す。

昨日と同様、中央市場ででランチ用の黒い餅米のおにぎり(今回は1個だけ)、ソーセージ、チキンを購入する。さらに子供たちに配るスナック菓子(昨日は飴だった)も入手する。

スクーターで走ること1時間近く、アク族の村に到着する。ガイドのJosephが生まれ、育った村だ。彼は現在はチャイントゥン市内にガールフレンドと一緒に住んでいる(ガールフレンドはアク族ではなくアカ族だという)。

村の入口に教会がある。プロテスタントのバプテスト(Baptist)教会だ。

女性たち(その多くが老婆)と子供たちが集まってくる。男性たちは農作業で外に出ているのだろう。老婆のひとりはアク族の特徴であるキセルを口にくわえている。Josephの母親と祖母も交じっている。

アク族の老女たち

アク族の家屋

Josephはスナック菓子を子供たちに配る。1人1個が原則だが、7、8歳のある男の子には3つ、4つと与えていた。家庭が非常に貧しく、腹一杯食べることのできない子だとのこと。父親は麻薬中毒で働いておらず、母親も頭(brain)がおかしいという。「頭がおかしい」が精神障害を意味するのか知的障害を意味するのかはわからない。

Josephの生家の庭に腰掛け、煎った落花生を食べながら話す。ガイドの仕事のことやミャンマーの政治情勢、彼の別のビジネスのことなど。

Josephはミャンマー西部のイスラム系(ベンガル系)住民であるロヒンギャの問題がミャンマーの観光業に影を落としていると言う。この問題が浮上し、アウンサンスーチーが国際社会から批判されるようになって以来ミャンマーを訪れる外国人観光客が減ってきているとのことだ。外国人観光客の減少がどれだけ統計的に裏付けられているかはわからない。軍事政権時代には政治的な理由からミャンマー訪問を控える観光客がかなりいたようだが(アウンサンスーチー自身が「ミャンマーに来ないように」と呼びかけていた)、ロヒンギャの影響が(ゼロではないにしろ)どれほど大きいものなのか、確かでない。

Josephはチャイントゥン市内でプリント・サービスのショップを開いている。コーヒーカップやTシャツ、グリーティング・カードなどにプリントする商売だ。こちらが本業で、ガイドはいわば副業らしい。チャイントゥンを訪れる旅行者の数は限られており、ガイドだけでは生計が立てられないということでもあろう。

Josephの家でだいぶ長居をしたあと、シャン族の村へ向かう。シャン族とはすなわちクン族のことだ。高床式の家には複数の開き戸式の窓がある。Josephはこれを「ロマンチック・ウィンドウ」と説明した。親に許されぬ若い2人がこの窓を通じて愛をささやいたという。

ロマンチック・ウィンドウ

階段を上がり、ある家にお邪魔する。女性と男性がそれぞれ3、4人ずつ丸くなって座り、談笑している。男性陣は酒を飲んでいる。酒を誘われたが、遠慮しておいた。

床は竹でできている。床が抜けて数メートル下の地面に落ちやしないかと心配しながら、家の中を探索させてもらった。

シャン族の家の中

シャン族の村をあとにし、川で行われている網を使った漁などを見物しながら、パゴダに到着した。アカ族やアク族などの山岳民族はキリスト教だが、シャン州の多数派であるシャン(クン)族は仏教徒だ。これもシャン族のパゴダなのだろう。

パゴダの中

時刻は12時半ごろ。このパゴダの一角で昼食をとる。中央市場で調達した黒い餅米のおにぎりにソーセージとチキン。黒い餅米のおいしさは昨日と同じ。2匹の猫が食料を狙ってしつこくまとわりつく。

パゴダをひととおり見学したあと、再びスクーターを走らせて、エン族の村へ行く。昨日を訪れたエン族の村とは別の村だ。

昨日と同様、ここでもシャーマンの家を訪れた。昨日のシャーマンは手作りのギターを弾き英語の単語もいくつか知っていたが、ここのシャーマンはかなりの高齢で体の動きも年相応だ。

エン族の村

シャーマン

シャーマンとその妻は2人ともお歯黒をしていた。お歯黒用の葉っぱと植物の実を私に見せ、噛んでみないかと勧めるが、お断りした。1度噛んだくらいで歯が黒くなるわけではないだろうが、あまり食指をそそりそうな代物ではなかった。

このあと少年たちが仏教を学んでいる僧院(monastery)を見学し、チャイントゥンへの帰路についた。

僧院

ツアー2日目の最後は「時間が余ったらダウンタウンの見物」ということだったが、代わりにJosephのプリント・ショップを訪れることにした。ダウンタウンの探訪には明日と明後日たっぷり時間がある。

間口3~4mくらいの小さなショップには若い女性が2人いた。ひとりはJosephのガールフレンドで、もうひとりは従業員だろう。2人とも私たちの訪問を予期していなかったらしく、びっくりしていた。

Josephとそのガールフレンド(左端)

となりのカフェからコーヒーをとり、しばらく話す。このショップは昨年の10月にオープンしたらしい。プリントのノウハウはインターネットで独学したという。立派なコピー機やプリント用のマシンが用意されている。ショップの賃貸料も払わなければならない。チャイントォンにはこの種のサービスを提供するショップはほかにはないとのことだが、Josephのこのビジネスが今後軌道に乗ることを祈るばかりだ。

ちょうど4時にGolden World Hotelに戻ってきた。Josephに2日分のガイド料80ドルを支払う。チップとして10000チャット(800円ほど)を上乗せした(少なかったかな)。

2日目のツアーは1日目に比べて内容が希薄だった。多くの時間がガイドとの会話に費やされた。これはこれで興味がなかったわけではないが、アカ族、アク族、エン族、シャン(クン)族にほかにももっと多くの少数民族の生活を見たかった。エン族はワ族に近いという。ワ族の村も訪れたかったが、チャイントォンからは遠すぎるのかもしれない。1日目が90点、2日目が70点、2日通じて80点と評価しておこう。まずは合格点だ。

Golden World Hotelの受付で、「明日チェックアウトし、別のホテルに移動する」と伝える。「Golden World Hotelに不満があるわけではない。あなたがたのサービスには十分に満足している。ただ5泊同じホテルでは飽きるので、変化がほしい」と付け加えた。これはリップサービスではない。受付の3人の女性(ビルマ人もいればクン族もいる)は私と顔を合わせるたびはじけるような笑顔で迎えてくれた。昼間に停電になることがあったが、これはこのホテルだけでなく、チャイントォンの他のホテルも同じだろう。

少し休んでから、再び外へ出かけようとしたとき、受付の女性の1人(クン族だが、中国の血も混じっている)が私に「question」があるという。日本のことでも尋ねられるのかと思ったが、questionというようよりsuggestionであり、ホテル代を20%引きにするからあとの2泊もここで泊まらないかという誘いであった。

私が明日移動する予定のLaw Yee Chaing Hotelは1泊25ドルだ。30ドルの20%引きなら24ドル。わざわざ移動する必要はない。誘いに乗ることにした。

夕食は昨日と同じ場所の屋台の1つでとった。注文したのは麺(1000チャット)。おいしいのだが、私にとっては辛すぎた。肉まんを1つ買ってホテルへ戻る(500チャット)。この肉まんが口内に残っている辛さをほどよく緩和してくれた。

夕食の麺

さてLaw Yee Chaing Hotelに明日からの宿泊のキャンセルを伝えるかどうか。予約したとはいえ、ただの口約束で、私の名前さえ伝えていない。このまま放っておいても問題ないだろうが、このままではモヤモヤしたものが残る。再びホテルを抜け出し、夜道を10分近く歩いてLaw Yee Chaing Hotelに行き、明日からの宿泊を取りやめることを知らせておいた。これですっきりと眠れる。

 

2019年2月25日月曜日

ミャンマー・シャン州2019 四日目(少数民族の村を巡る1)

2月8日。

7時半ごろに朝食をとる。ヤンゴンのBeauty Land Hotelより劣るが、まずは満足できる内容だ。お粥が用意されているのは中国の影響か。

ガイドは9時ちょうどにホテルにやって来た。Josephという名前のアク(ZAkhu)族の青年だ。出発に先立ち、今日と明日の行程を簡単に打ち合わせる。今日はアカ(Akha)族とEnn族の村を訪れるとのこと。

まず中央市場に立ち寄り、ランチ用の食料を買い出す。葉っぱに包まれた黒い米のおにぎり2つとソーセージ。村の子供たちに配る飴も2袋購入した。

スクーターのうしろにつかまりながら1時間近く、舗装も途切れた山道を行く。最初にアカ族でもエン族でもない小さな村(何族の村かは忘れた)を訪れた。7、8人の女性たちが外で並んで刺繍をしていた。その横を水牛が首に付けた鈴を鳴らしながら通り過ぎる。

次にアカ族の村に行く。アカ族はもともとは中国から来た人々で、ミャンマーのほか、タイやラオスにも居住している。私は2年前にラオス北部のアカ族の村を訪れたことがある。ミャンマーのアカ族とラオスのアカ族がどれほどに同じで、どれほどに異なるのか、興味深いところだ。同じ言葉をしゃべっているのかどうかは私には判断できない。服装や生活様式については多少の違いがありそうだ。ラオスのアカ族の村では伝統衣装を着用している女性をほとんど見かけなかったのに対し、ミャンマーのアカ族では多くの女性が今でも日常的に伝統衣装を身につけているようだった。ラオスでは中国から安価な洋服が大量に輸入され、伝統的な装飾や服装を放逐してしまったとのことだった。

高床式の家屋、放し飼いされている黒豚。教会も見える。村には男性の姿はあまり見あたらない。農作業に出かけているのだろう。女性たちは手作りの袋や装飾品を私に売りつけてくる。これは困る。しつこい売り込みではないが、いちいち断るのが後ろめたい。たとえ必要なくとも、謝礼の意味でいくばくかの買い物をする用意はある。しかし、訪れるのはこの村だけではない。勧められるままに買うわけにはいかない。

ある家に立ち寄り、しばしの休憩。ガイドにとってもはじめて訪れる家らしい。近所の女性も2、3人集まってくる。ヒマワリの種をつまみながら、よもやま話。ガイドの通訳でときどき私も会話に加わる。ガイドはアク族だが、アカ族とアク族は似ており、アク族はアカ族の言葉を解する(その逆は必ずしも真ではないらしい)。

この家ではトイレを借りた。そのお礼というわけではないが、小さな手作りの袋を購入した。5000チャット(400円ほど)。

この家の女性はお歯黒をしてした。日本のお歯黒とは異なり、既婚女性が歯を黒く染めるわけではない。動物、特に犬の歯は白い。アカ族やエン族のお歯黒は「犬ではなく人間だ」という意思表示であり、既婚と未婚あるいは男と女の別を問わない。ある植物の実と葉を何ヶ月もあるいは何年も噛むことによって歯が黒くなる。いったん黒くなった歯は白には戻らないという。アフリカ東部のチャットと同様、この植物には一種の常用癖、依存性を引き起こす効果があるのかもしれない。

お歯黒をしたアカ族の女性

アカ族の子供たち

アカ族の村をあとにして、エン族の村へ向かう。ガイドはEnn peopleと説明したが、帰国後にネットで調べてもEnnはほとんど出てこない。代わりに見つかったのがAnn peopleだ。EnnとAnnは同じ人々を指す可能性が高い。

丘から見下ろしたところに小さな建物がある。学校ということだ。中に入ると、30人ほどの児童と2人の女性教師がふざけあっている。休み時間なのだろうか。用意していた飴を子供たちに配る。教師2人はビルマ人とのこと。ビルマ語を教えるためだろう。

山の斜面に散在する高床式の住居が興味深い。黒豚が放し飼いされているのはアカ族と同じだ。

エン族の子供たち

ビルマ人の教師

エン族の住居

エン族の村

ガイドに案内されてシャーマンの家を訪れる。少数民族の村ではキリスト教の進出が著しいが、アニミズムの伝統は簡単に消えないのだろう。シャーマンは世襲制の村長のような役割を担っているのかもしれない。

50がらみのシャーマンは床に敷く竹のカーペットを製作中だった。根気のいる仕事だ。

ここで用意していた昼食をとった。ガイドもランチボックスを持参していたが、中味は白いご飯だけだった。中央市場で買った黒い餅米のおにぎりはおいしかった。これだけあればおかずはいらない。ただ2個は多すぎたので、1個は持ち帰ることにした。

昼食後、シャーマンが手作りの弦楽器を持ち出し、3曲ほど披露してくれた。エン族やシャン族(クン族)の調べ。すばらしかった。たった2弦の手作りの楽器でこれだけのメロディーを創り出せるこの男、だてにシャーマンをやっているのではなさそうだ。

シャーマンの演奏

シャーマンの家の土間を見学する。神事に使う太鼓もある。よそ者がこの太鼓に触るのは厳禁とのこと。広い土間にはテレビが1台。テレビの前には10人ほどの村の子供が集まり、放映中のインド映画を見ていた。おそらくこの村ではシャーマンの家だけがテレビを所有しているのだろう。

テレビの前の子供たち

シャーマンにチップとして5000チャット(400円ほど)を渡し、エン族の村を去る。

次に訪れたのはもうひとつのアカ族の村。ガイドの顔見知りという女性の家に上がる(高床式だから文字通り「上がる」わけだ)。煎った落花生でもてなされる。ここでも近所の女性や子供たちが数人集まってきた。

この家で休む

これで今日の予定はおおよそ終了した。ホテルへの帰路、米から酒を醸造している現場に立ち寄る。近づくにつれ、麹の匂いが強くなる。試飲したところ、かなり強い酒だった。

ホテルに帰るとちょうど4時ごろだった。舗装していないでこぼこの山道をスクーターのうしろにしがみついて廻ったわけだから、結構疲れた。しかし、古くからの生活様式がまだ生きているさまざまな光景を垣間見ることができ、十二分に満足できるツアーだった。エン族の学校訪問とシャーマンの手作りギター演奏が今日のハイライトと言えようか。

夕暮れになるといくつかの屋台がオープンする一角がホテルの近くにある。夕食はここでとった。豚肉のカレーで1000チャット(80円ほど)。安くておいしかったが、なにぶんにも量が少ない。幸い、黒い餅米のおにぎりを持ち帰っていたので、空腹のまま眠るはめにはならなかった。

屋台で夕食
 

2019年2月22日金曜日

ミャンマー・シャン州2019 三日目(チャイントォン到着)

2月7日。

6時半にホテルをチェックアウトし、頼んでいたタクシーでヤンゴン国内空港に向かう。チャイントォン行きのフライトは10時15分だから、7時からのホテルの朝食をとってからでも十分間に合うが、慎重を期して早めに出ることにした。

空港には7時半ごろに到着した。空港内のカフェでコーヒーとドーナッツを注文して朝食代わりとする。合計で170チャット(130円ほど)だったように記憶しているが、確かでない。

フライトは1時間近く遅延した。3年前のミッチーナー行きが数時間遅れたことを考えれば、1時間以内の遅れは上々だ。

ヤンゴンからチャイントォンまでのフライト時間はおよそ1時間半。機内では菓子パンと飲み物が出された。

チャイントォンに到着

カチン州のミッチーナーと同様、シャン州のチャイントォンの空港にもイミグレーションがあり、入国検査がある。ミャンマー人はIDカードを提示するだけだが、外国人の私はパスポートを提示し、それを係官がノートに記録する。係官は最後に「アリガトウ」と日本語でひと言。

ホテルは最初の1泊だけGolden World Hotelを予約していた(1泊30ドル)。ホテルまでタクシーで500チャット(400円ほど)。700チャットという言い値を500チャットまで負けさせたが、空港から市内までは20分もかからないから、相場はもっと安いかもしれない。

ホテルの予約を初日だけにしたのは、シャン州での5日間をどう過ごすか決めていなかったからだ。チャイントォンだけに滞在するのは避けたい。中国との国境に近いモンラー(Mong La)に行くのがいいだろう。

モンラーはミャンマー国内にありながら、中国人がギャンブルや売春などのために訪れるsin city(歓楽の街)だった。「だった」と過去形にしたのは、中国当局の規制により、カジノも売春女性も姿を消してしまったとの報道を目にしたからだ。だが、少し離れた場所にカジノが再度出現しているといううわさもある。

賭博にも売春にも興味はないが、ミャンマーでありながら、通用する貨幣はもっぱら中国元、言葉も中国語がメインという特異な町の雰囲気を感じてみたい。問題は、外国人がモンラーへ行けるかどうか確かでないこと。ネットを調べると、行ったという体験記もあれば、行けなかったという報告もある。

Golden World Hotelに着くと、受付の3人の女性が満面の笑みで迎えてくれる。なぜか「シャン州では英語は通じない」という先入観があったため、「明天我想去~」と初心者以下の中国語で「明日はモンラーへ行きたい」と伝える。どれだけ伝わったかはわからないが、英語で「外国人はモンラーへ行けない」という答えが返ってきた。

うーん、困った。チャイントォンでの5日間をどう過ごすか。周辺の村々へのトレッキングはガイド付きなら可能ということなので、明日と明後日の2日間のガイドの手配を依頼しておく。

Golden World Hotel

部屋でしばらく休んでから、外へ出る。チャイントォンは眠ったような小さな町だ。人も車も多くない。すでに2時を過ぎているので、小さな食堂に入って遅めの昼食をとることにした。店の息子らしき青年が英語でメニューを説明してくれる。ライスと豚肉で2000チャット(150円ほど)。

チャイントォン

チャイントォンの特徴ある瓦屋根

「外国人はモンラーに行けない」と聞いたが、ひょっとしたら誤解の可能性もあるので、食堂の近くにあるPrincess Hotelに立ち寄り、念のために確かめてみた。やはりだめだとのこと。Princess Hotelは1泊45ドルだった。

Maps.meを頼りに中央市場へ行くが、予期したとおり午後は閉まっていた。中央市場の近くにLaw Yee Chaing Hotelというホテルがある。中に入って値段を尋ねてみる。1泊25ドル。Golden World Hotelより5ドル安い。ガイド付きのトレッキングを依頼した関係から最初の3泊はGolden World Hotelにするとして、残りの2日はLaw Yee Chaing Hotelにしよう。口約束ながら10日と11日の宿泊を予約しておく。ここでも英語で問題なく意思疎通できた。

宿に戻り、3泊する旨を告げて代金を先払いしておく。ガイドとはまだコンタクトがとれないとのことなので部屋で待つ。

6時近くになってガイドがホテルにやって来た。スクーターに同乗してのツアーで1日(9時から4時ごろまで)40ドルとのこと。スクーターで山道を行くのはつらいが、車なら70ドルから80ドルかかるという(Princess Hotelでも同様の情報を得ていた)。やむをえない。スクーターで「トレッキング」することにした。

夕食はホテルの近くの店で購入した中国製のインスタントラーメンと乳飲料で済ませた。この店でも英語で値段を告げられた。「シャン州で英語が通じない」などという失礼な思い込みは完全に瓦解した。

インスタントラーメン用のお湯はホテルに常備してあった。

モンラーに行けないのは残念だが、何はともあれシャン州にたどり着けた。最悪のシナリオは回避できたわけだ。

2019年2月19日火曜日

ミャンマー・シャン州2019 二日目(ヤンゴン)

2月6日。

7時半ごろに屋上レストランで朝食をとる。ビュフェ式の朝食はなかなか充実していた。春雨(vermicelli)、目玉焼き、野菜煮物、スープ、トーストなど。

今日はまずチャイントォン(Kyiangtong=Kengtung)行きの航空券を手に入れる必要がある。9時にホテルの受付に行き、航空券の手配を依頼する。部屋に戻って待つようにとのことなので、部屋で待っているがなかなか連絡が来ない。10時半になり、しびれをきらして再度受付まで降りていく。これでやっと受付の女性が旅行会社に電話をしてくれた。

明日7日のKyiangtong行きはMNA(Myanmar National Airlines)の10時15分発の便しかないとのこと。木曜日にはMNAの便しかないことはあらかじめ調べてわかっていた。復路のチャイントォン→ヤンゴンの便は希望していた11日はすでにフルだった。やむなく12日の8時15分の便を予約することにした。ミャンマーの国内航空はキャンセルや遅延が多い。できれば帰国日(13日)の前日ではなく前々日にヤンゴンの戻ってきたかったが、フルとなればやむをえない。プリントアウトされたEチケットを受付の女性から受け取り、ほっと一安心。最悪チャイントゥンまで飛べないケースも想定していたからだ。料金は往復で292ドル。ミャンマーの国内便が高いのは覚悟していた。

今年の中国の春節は2月5日から始まっている。今日6日は春節の2日目。チャイナタウンまで出かければ、何か催し物に遭遇するかもしれない。ホテルからチャイナタウンまではタクシーなら10分余りだが、歩けば1時間以上かかる。今日1日時間はたっぷりある。ヤンゴンの街を知るためにも歩いて行こう。疲れたらタクシーを拾えばよい。

ホテルを出たのは11時過ぎ。カンドーヂ湖を横切り、動物園を通過して、ヤンゴン中央駅に至る。ここまで来れば土地勘がある。サクラ・タワーを過ぎれば、正面にヤンゴンのシンボルともいうべきスーレー・パヤー(パゴダ)が見えてくる。

カンドーヂ湖

サクラ・タワーからインディアンタウンを経由してチャイナタウンまでは3年前の記憶ではすぐのような気がしたが、結構な道のりで、30分近くかかった。派手な飾りや音楽を期待して訪れたチャイナタウンだが、街はなりをひそめていた。通りには数多くのランタンが飾れているが、春節のための装飾なのか、それとも普段からこうなのかはわからない。ちょっとがっかりだ。

チャイナタウン

飲み屋が集まっているバーベキューストリートを通り過ぎるが、ほとんどの店はまだオープンしていなかった。

ぶらぶらと帰路につく。サクラ・タワーに至るメインストリート沿いの小さな食堂で遅めの昼食とする。生ビールと焼きそば。生ビールは1000チャットで焼きそばは2000チャットだった。2月のヤンゴンは過酷な暑さではないが、長時間歩いているとうっすらと汗が出てくる。疲れた体にビールがうまい。

焼きそばと生ビールで昼食

3年前にも立ち寄ったRuby Martというスーパーに行き、切り売りの「ういろう」のようなお菓子とビーナッツ、コーヒー牛乳を購入。スーパーを出たところで、近づいてきたタクシーに乗り、ホテルまで戻ることにした。料金は3000チャット(240円ほど)。

ホテルに戻り、体を休める。さすがに疲れた。シュエダゴン・パヤー(パゴダ)は歩いてせいぜい15分。3年前に訪れたのは昼間だが、このパゴダは夜景がすばらしいといわれている。少し心が動かされたが、入場料も結構するのでやめておいた。

夕食はホテルの屋上のレストランでミャンマー・ビールの大瓶と肉野菜炒め。合計で7000チャット近くだった。

明日のチャイントォン行きのフライトは10時15分発。ホテルの受付で6時半のタクシーを依頼しておく。

2019年2月17日日曜日

ミャンマー・シャン州2019 一日目(ヤンゴン到着)

2月5日。

2019年初の旅行はミャンマーのシャン州と決めた。昨年10月からビザが必要なくなったことが大きい。ミャンマーのビザは入手が難しいわけではないが、事前の準備なしにいつでも飛び立てるのはうれしい。

はじめてミャンマーを訪れたのは3年前のちょうど同じ時期だった。カチン州の州都ミッチーナまで北上し、そこからマンダレーを経由してヤンゴンに戻ってきた。

今回はターゲットをシャン州のチャイントォンに設定した。シャン族はじめさまざまな少数民族を見るのがねらいだ。問題はチャイントォンまでのトランスポート。外国人がヤンゴンからチャイントォンまで行くには空路しか選択肢がない(陸路でのアクセスは外国人には許されていない)。ミャンマーの国内航空は外国人にとっては高くつくうえ、中国の春節と重なるこの時期に都合のよい便を予約できるかどうか不安だった。オンラインで国内便を予約するサイトもいくつかあるが、ミャンマーのオンライン予約システムはいろいろと問題が多いらしい。案の定、1つのサイトでは支払いの段になって「最寄りのチケット売り場で購入してくれ」というメッセージが出され、もう1つのサイトでは決済の画面までたどり着けなかった。

航空券は現地についてから調達するしかないだろう。シャン州がだめなら、行き先をミャンマー南部に変更しよう。行き先未確定のまま、2月5日に関空を飛び立ち2月13日に帰国するベトナム航空のチケットを購入した。

午前10時30分発のベトナム航空便はハノイを経由して18時にヤンゴンに到着した。まず400米ドルをミャンマー・チャットに両替する。最近ミャンマーでは米ドルではなく現地通貨のチャットでの支払いが奨励されているとの記事をどこかで読んだため、高価な航空運賃の支払いなどを考慮してかなり多めのチャットを入手した。レートは1ドル=1517チャット。3年前は1200チャット程度だったから、この3年間で多少のインフレが進行したのだろう。

ヤンゴンの宿は2泊分予約してあった。Beauty Land Hotel(Bo Cho)。Booking.comを通じての予約だが、これは私のミス。3年前にヤンゴンで泊まったBeauty Land Hotel IIと勘違いしたのだ。Beauty Land Hotel IIはダウンタウンに近く、土地勘があることから、今回も同じホテルを選ぶつもりで名前の紛らわしいBeauty Land Hotel(Bo Cho)をクリックしてしまった。この間違いに気付いたのはすでに関空を飛び立ってからだった。Beauty Land Hotel(Bo Cho)はダウンタウンからかなり離れている。当日ではキャンセルもできない。

Beauty Land Hotel(Bo Cho)まではタクシーで行った。タクシー代は10米ドル。「現地通貨での支払い」の原則はさっそく覆された。ここでも2つのミスを犯した。1つは空港からヤンゴン市内までのシャトルバスが運行されているのを知らなかったこと。もう1つは空港から市内までの相場は10000チャットで、10米ドルでは高すぎたこと。もっとも、Beauty Land Hotel(Bo Cho)はちょっとわかりにくい場所にあり、何人かの通行人に問い合わせてやっと到着した運転手の苦労を思うと、少し高くついたのも仕方ないかもしれない。ホテルに着いたときには9時近かった。

Beauty Land Hotel(Bo Cho)(翌朝撮影)

Beauty Land Hotel(Bo Cho)では1泊目と2泊を別々に予約したため、1泊目が30ドル、2泊目が37ドルと料金が異なっていた。これは部屋のレベルが異なるためだが、2泊67ドルでグレードの高いほうの部屋に連泊できることになった。支払いはチャットにした。両替しすぎたチャットをできるだけ使い切りたい。

チャイントゥン行きの航空券の購入について問い合わせる。購入は可能だが、明朝担当者が来るまで待ってくれとのこと。受付の近くに日本人の女性がいたので少し話す。

夜も遅くなっており、夕食をとりたいが、ホテルの周りに食堂らしきものはない。ホテルの屋上のレストランを利用するしかない。

屋上からはヤンゴンの観光の目玉であるシュエダゴン・パヤーがライトアップされて金色に輝いている。3年前に訪れた場所だ。

屋上のレストランでは先ほどの日本人女性がパートナーと一緒に食事をしていた。パートナーはオーストラリア人だ。同席させてもらい、焼き飯とコーラを注文した。焼き飯は4000チャット(約300円)でコーラは1000チャット(80円弱)。コーラはともかく、焼きそばは市内の安食堂の2倍の値段だ。

日本人女性とオーストラリア人男性は3~40歳台くらいか。オーストラリア・クイーンズランド州のブリズベンと日本の鎌倉に家を持ち、2つの国を行ったり来たりしているらしい。「日本では付き合いの範囲が限られており、表面的な話しかできない。フラストレーションがたまる」とはオーストラリア人男性の弁。

10時前に部屋に戻って休む。スタッフの対応もよく、部屋もきれいで、なかなかいいホテルではある。難点はロケーションだ。シュエダゴン・パヤーを訪れるのには便利だが、ダウンタウンに出るには1時間近く歩かなければならない。オーストラリア人男性は「(ダウンタウンまでは)タクシーで3ドルくらいだから問題ない」と言っていたが、私にとってはその3ドルが重い。

チャイントォンまで飛行機を確保できるかどうか、明日判明する。ホテルで航空券を取得できなければ、ダウンタウンにある旅行代理店を訪れなければならない。