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2020年9月30日水曜日

Victor Hugo: Les Misérables

2020年9月28日読了

著者:Victor Hugo

刊行:1862年

評価:★★★★☆

Kindle版(110円)

1年以上かけてようやく読み終えた。「読み終えた」というのは必ずしも正確ではない。ざっと目を通したという部分も少なからずあるからだ。ユーゴーの小説のご多分に漏れず、この作品にも本筋には直接関係しない脱線が多い。たとえば、ワーテルローの戦いの推移、フランスの隠語や俗語についての考察、パリの下水道の歴史など。しかもそれぞれ長い。ワーテルローの戦いの章の最後の数ページだけは話の展開に大きく関係してくるが、その他の脱線は字義通り脱線であり、読んでも読まなくて本書の理解には影響しない。

こうした脱線にも一応は目を通した。ただし、大部分は活字を目で追っていただけで、頭にはほとんど入らなかった。なにぶんにも古い言葉や専門用語が頻出し、いちいち調べて理解しようとすると、たいへんな手間だ。

これに反し、本筋のストーリーは非常にわかりやすい文章で書かれている。波乱に富んだ物語なので、おもしろくすいすいと読める。

波乱に富んではいるが、偶然と偶然が重なる展開で、劇画風と言えなくもない。

しかし、ユーゴーの小説の魅力は破天荒なストーリーだけでなく、登場人物の造形の見事さにもある。「93年」や「ノートルダム寺院」と同様、感情の振幅が激しい人物たちが極端から極端へと駆け抜ける。

たとえば、異常な情熱でジャン・バルジャンを追うジャベール(Javert)警部。ジャベールは「悪漢」ではない。彼独自の「法律」という論理に操られているだけだ。この論理が破綻しそうになるとき、彼自身も破綻する。

最初から最後まで小悪党として暗躍するテナルディエ(Thénardier)も重要な役を担っている。この貧弱な小男は、もともとは宿屋兼食堂の主だった。ケチで小狡くはあるが、客に愛想よく、曲がりなりの学もある。大柄で乱暴なテナルディエの妻も心に残る人物で、その図体にもかかわらず夫に盲目的に従う。この二人の悪党の間に生まれた子供たちも、それぞれの個性で際立つ。なかでも、歌を歌いながら暴動に加わる陽気なガヴローシュ (Gavroche)少年は、パリのストリートチルドレンの代名詞となっているくらいだ。

もちろん美男と美女のマリウスとコゼットも欠かせないが、正直なところ、彼らに対しては悪漢や性格破綻者などのどぎつい人物に対するような興味を覚えなかった。

レ・ミゼラブルにはじめてふれたのは小学生のころ。岩波少年文庫に収められている豊島与志雄訳を読んだ(「レ・ミゼラブル」ではなく、「ジャン・バルジャン物語」というタイトルだったかもしれない)。そのあとで映画も見た。したがって、おぼろげながらストーリーは知っているつもりだった。しかし、今回曲がりなりにもフランス語で全編を読み、少年のころの記憶や印象の訂正を余儀なくされた。私の記憶では、マリウスとコゼットが結ばれたところで話しは終わっていた。また、ジャン・バルジャンとジャベールの追跡劇が話の軸となっており、テナルディエ一家についてはほとんど覚えていなかった。

岩波少年文庫のほうは豊島与志雄の訳だから、大幅な省略はあったとしても、肝心なポイントは外していないはずだ。要するに私が覚えていなかっただけだろう。記憶といい印象といい、かくまでに頼りない。

1832年の暴動についてフランス革命の一幕と受け取っていたが、小学生という年齢を考えれば、これはやむを得ないだろう。

ともかくこの有名な長編を最後のページまで読んだことで、ホッとし、満足している。期待通りのおもしろさではあったが、ユーゴーの作品としては、3つの個性がドラマティックに衝突し絡み合う、コンパクトにまとまった「93年」のほうに軍配を上げる。

乗りかかった船だ。もうしばらくユーゴーに付き合おう。次はKindleから無料で入手できるLe Dernier jour d'un condamné(死刑囚最後の日)だ。

 

2020年9月19日土曜日

Vasily Grossman: Life and Fate


2020年9月16日読了
著者:Vasily Grossman
刊行(完成):1960年
評価:★★★★☆
Kindle版(1158円)
ロシアの作家Vasily Grossman(1905 ー 1964)の代表作Жизнь и судьбаの英訳版。邦訳もされており、「人生と運命」というタイトルで出版されている。しかし、この日本語版は全3冊からなり、合計で2万円近くする。ここは1000円ちょっとの英語版を選びたい。Kindleの電子ブックというのも英語版の利点だ。ロシア語の小説にありがちだが、登場人物の名前が長く複雑で、途中で誰のことなのかわからなくなることもまれではない。電子ブックの検索機能がありがたい所以だ。

Life and Fateは1942年から1943年にかけてのスターリングラード攻防を背景にした長編小説(Kindle版で870ページ)で、トルストイの「戦争と平和」にも比せられる。

1960年に完成したこの作品がロシアで出版されたのは1988年のこと。スターリン批判以降のソ連もこの作品を許容するほど寛容で自由な社会ではなかった。このことは逆にこの作品が秘めている力の証かもしれない。

物語はモスクワからカザンに疎開しているユダヤ系の物理学者一家を中心に展開される。主人公の母親はドイツ軍占領下のウクライナでユダヤ人狩りの犠牲となり、知人の女医も収容所に送られ、ガス室で絶命する。

理不尽な力はナチス・ドイツだけから迫ってくるのではない。ナチス・ドイツと戦うソ連の社会や軍の中でも国家の理不尽な力が個人を押し潰そうとする。スターリンとベリアの体制のもと、人々はたえず密告におびえ、粛清の危険にさらされる。ばりばりの旧ボリシェビキがある日突然逮捕される。ユダヤ人に対する隠微な攻撃も姿を現してくる。反ユダヤ主義はナチスだけの専売特許ではない。

物理学者の一家とその親族、同僚を語り手として場面は転変し、物語は多面的な広がりを見せる。ソ連の物理研究機関、スターリングラードの戦闘、ドイツ軍の捕虜収容所、ユダヤ人収容所、ソ連の政治犯収容所などのほか、包囲されたドイツ第6軍の司令官のPaulusの視点からの描写もある。ヒトラーやスターリンも姿を見せる。

このようにスターリングラードの攻防と当時のソ連社会を重層的に描こうとする作品ではあるが、私には若干の不満が残る。登場人物が概して立派すぎるのだ。知的レベルも高く、良心の葛藤に苦しみこそすれ、根っからの悪人は少ない。「彼女はバルザックとフロベールの違いすら知らない」と誰かが誰かを揶揄する場面があるが、当時のソ連社会でこうした会話が交わされるのはかなり例外的な家族だろう。

ポーランド、ドイツ、満州への侵攻時に略奪や陵辱の当事者となったソ連軍兵士もいるはずだ。こうした普通の兵士たちの苦しみと狂気をもくみ上げてこそ、戦争を総合的にとらえることができるのではなかろうか。

本書を読む前提知識を得るために、「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(岩波新書・大木毅)に目を通した。これはこれでおもしろかったが、Life and Fateを読み進めるうえで、スターリングラード攻防に関する詳細な知識は必ずしも必要ではない(もちろんあるにこしたことはない)。他方、1937年のモスクワ裁判(スターリンによる粛清)や農業集団化とクラーク(富農)への攻撃、ユダヤ人医師団陰謀事件など、ソ連の歴史に関するおおよその知識は本書の理解に不可欠と言えよう。