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2024年10月23日水曜日

トルコ2024 十日目(カッパドキア到着)

 10月3日

7時に朝食をとり、早めにバスターミナル(ASTi)へ向かう。カッパドキア(ギョレメ)行きのバスはを予定どおり9時に出発した。私の席の前列に座っていたカップルと話す。「ドイツから来た」とのことだったが、顔つきがドイツ人らしくない。2人ともアフガニスタン人だった。男性のほうはハザーラ。バーミヤンに行ったときのこと、ダリ語とパシュトー語の違いなどについて話した。男性によるとダリ語とパシュトー語はまったく違う言語だとのこと。ほんとうだろうか。どちらもペルシャ語系の言語のはずだが。

バスは特徴のある岩が見えるカッパドキアに入り、アンカラを出発してから4時間ほどで目的地のギョレメに到着した。カッパドキアといっても広い。ギョレメはカッパドキア観光の中心であり、世界各地からの観光客で賑わっている。

カッパドキアに入る

宿は予約はもちろん、目星も付けていなかった。ざっと調べたところ、ギョレメの宿はどれも高そうだ。目に付く宿を適当にあたってみよう。バス停からほど近いところに、Terra Vista Hostelというホステルがあった。ホステルという名前だが個室もあるとのこと。個室は朝食なしで1泊1500リラ(6300円)。カッパドキアにしては安い。ここに2泊することにした。

Terra Vista Hostel


このホステルでは各種のツアーも取り扱っていた。カッパドキアの一日ツアーにはレッド・ツアーとグリーン・ツアーの2種類がある。レッド・ツアーはギョレメを含むカッパドキア北部を一周するツアー、グリーン・ツアーは南部を一周する。料金はどちらも45ユーロ。標準的なレッド・ツアーを申し込もうとしたが、宿のスタッフの勧めるのはグリーン・ツアーだった。「レッド・ツアーで訪れる場所ならここから個人で行くことが可能」との理由からだ。勧めに従って、明日のグリーン・ツアーを申し込んだ。

ホステルの外へ出ると、尖った岩がにょきにょきと頭をもたげているカッパドキアの風景が目に入る。数多い観光客のなかでも特に目立つのが東洋人だ。大半は中国人で、韓国人がそれに続く。日本語も何回か耳にした。

ギョレメのメインストリート


ギョレメをぶらぶらと散策したあと、5時半に早めの夕食をとることにした。インスタンブールの旧市街同様、どのレストランも強気の値段設定だ。レンズ豆のスープとフムス(ひよこ豆のペースト)という軽い食事で340リラ(1400円強)を支払った。

スープとフムスで早めの夕食

カッパドキアのほぼすべてのホテルやホステルは屋上にテラスを設けており、外の風景を一望できる。Terra Vista Hostelも例外ではない。こうした安ホステルでも眺めはすばらしい。

テラスから見た夜景


このテラスでソウル出身の韓国人青年と知り合った。兵役を終え、大学に復学するまでの間、世界一周の旅に出ているとのこと。父親は大阪大学に留学した経験があり、本人も東京、大阪はもちろん、北海道、仙台など日本を広く旅行している。日本の料理では「ひつまぶし」が最高と言う。ひつまぶしが名古屋の名物であることも知っていた。ちなみに日本人の私はひつまぶしを食べたことがない。値段が高すぎる。

2024年10月22日火曜日

トルコ2024 八、九日目(アンカラ)

 10月1日

アンカラ行きのAjetの便は13時45分にマルディンの空港を発つ。空港行きのシャトルバスは11時半の予定。空港までは1時間もかからないから、これで間に合うはずだが、ことのほか慎重な私は10時半にタクシーで空港に向かった(500リラ)。

宿泊費の6000リラはチェックアウトの直前にオーナーの父親にキャッシュで支払った。

約1時間半のフライトでアンカラ空港に到着した。リラのキャッシュを補強しておくために40ユーロと10ドルを両替する。アンカラは少し寒く、用意していた軽い上着を着込む。

アゴダやTrip.comでマークしていたEnerji Otelを目指し、バスでバスターミナル(アンカラではASTiと呼ばれている)まで行き、そこから地下鉄に乗り換えて最寄りの駅で下車した。バスと地下鉄の支払いはどちらもクレジットカードのタッチで済ませた。地下鉄に乗ろうとしていたとき、トルコ人の男性がスマホの翻訳アプリを使って助けてくれた。一緒に車内に乗り込むので(ASTiは最終駅で行き先は一方向しかないからこれは当然)、「ひょっとするとチップをせがんでくるのではないか」とあらぬ疑いをかけてしまう。まったく余計な心配で、私の下車駅で気持ちよく別れた。詐欺とはほど遠い穏やかな表情の男性にまでそんな嫌疑をかける私の猜疑心こそ病的といえよう。

Enerji Otelは朝食付きで1泊約1500リラ(6500円弱)。とりあえず2泊することにした。

Trip.comなどの情報によればEnerji Otelは街の中心から1キロ以上離れているとのことだったが、周りにはレストラン、バー、カフェなどが数多くあり、賑わっていた。官庁などが存在するという意味では「中心」ではないが、商業的にはこのあたりが「中心」のように思えた。

Enerji Otel


トルコの物価高にびっくりし、「できるだけ安く」というのがこれまでのレストラン選びの指針だった。だが今日は久しぶりに贅沢とまではいかなくてもそれなりのもの食べようという気になっていた。

で、午後8時ごろ、ホテル近くの大勢の客で賑わっているレストランに入った。

このレストランで夕食


注文したのはレンズ豆のスープと鶏肉料理、それにスプライト。スープが登場した時点で、数多くの皿がテーブルに並べられる。とうてい食べ切れそうにない。

スープ登場

ラップ(パン)に包まれたメインディッシュがやってくる。

メインディッシュ

ラップをはがすと

最後にサービスでデザートと紅茶も提供される。正確な値段は忘れたが、600リラ強(2500円ほど)だった。店員も態度も悪くなく、まずは満足できるレストラン体験だった。

10月2日

8時過ぎに朝食会場へ行く。1泊6500円にしては充実した朝食だった。

朝食後、アンカラの「中心部」(ウルスというエリア)にあるアタテュルク像を目指す。バスか地下鉄で行く手もあったが、アンカラの街を知るために30分以上かけて歩くことにした。

アタテュルク像や大きなモスクを見たあと、街をぶらぶらと散策しながらホテルの方向に引き返す。

アタテュルク像

モスク

モスクの中には入らなかった。私にとっては、モスクの内部よりも、モスクの前に横たわっていた汚れて疲れ切った犬のほうが気になった。

モスクの前の犬

途中、破壊された車が展示されているのが目に入った。英語の説明文を読むと、2016年に発生たクーデター騒ぎの中で、クーデター側のタンクに抵抗して破壊された車らしい。このクーデターの試みとその結果は「Victory of Democracy」としてエルドアン政権のプロパガンダの格好の材料となっている。

破壊された車

メインストリート上にパトカーや消防車が何台か停まっており、何人もの警官がいる。見上げると、ビルの屋上にひとりの男が立っており、野次馬も集まっている。どうも男が飛び降りを図っているらしい。労働者風の野次馬のひとりが私に向かってドイツ語で「彼は一文無しだ(Er hat keine Geld)」と説明し、「俺も一文無しだ」と続ける。「私もお金がない」とドイツ語で切り返しておいた。ドイツ語をしゃべったこの男はミュンヘンに住んでいたらしい。すぐにその場を離れたので、この騒ぎの顛末がどうなったかは知らない。

アンカラを歩く

明日はバスでカッパドキアに行くつもりだ。観光地に興味がない私としては、カッパドキアを省き、アンカラと最後のイスタンブールでゆっくりと過ごすという選択肢もあった。しかし「トルコまで来てカッパドキアに行かないのはちょっと」という思いのほうが勝った。

行くとなれば、バスのチケットを今日のうちに入手しておいたほうがいいだろう。ホテル近くの地下鉄の駅からバスターミナル(オトガル)のASTiまで行き(昨日来た経路の逆)、いくつかあるバス・カウンターのうちKamitKocという会社を選んで、カッパドキア(正確にはギョレメ)までのチケットを購入した。明朝9時出発で、ギョレメ到着が12時40分。代金は400リラ(1700円ほど)だった。

トルコではホテルの朝食をたっぷり食べるため、昼食を抜く習慣になっていた。この日も、午後遅くにカフェでバナナシェイク(85リラ)を注文するにとどまった。

夕食はホテル近くの大きなショッピング・モールでとった。8時を過ぎており、客が数人にいるだけのフードコードで食べたCecil Peynirliという1品は思いのほかおいしかった。

ガランとしたフードコートで

Cecil Peynirliを食べる


2024年10月20日日曜日

トルコ2024 六、七日目(マルディン)

 9月29日

8時40分にテラスに出て朝食をとる。オーナー兄弟の母親が次から次へと皿を運んでくる。その数に圧倒された。

豪勢な朝食


10時半にホテルを出て、マルディンを探索する。山のふもとに広がる景観はなかなかのものだ。

マルディンの景観(1)


マルディンの景観(2)

歩き疲れ、野外カフェで紅茶とアイスクリームを注文し、一休みする。

カフェで一休み

ANA TALiA Houseが面している石畳の細いストリートも趣がある。

マルディンの裏通り


マルディンには2泊する予定だったが、一日延泊することにした。次の目的地は首都のアンカラに決めた。マルディンからカッパドキアに向かうという選択肢もあるが、マルディンからカッパドキアへの空路直行便はなく、インタンブールかアンカラを経由する必要がある。長時間のバスの旅は最初から選択肢にない。Trip.comでアンカラ行きのフライトを調べたところ、明後日(10月1日)ならAjetの約6800円の格安便がある。明日の便はすべて軽く一万円を超えている。ここはもう一日マルディンに留まるのが賢明だろう。

ケバブのサンドイッチとファンタを持ち帰り、夕食とした。合計120リラ(500円ほど)。ホテルのPOSマシンはまだ修復しておらず、宿代は未払いのまま。

9月30日

POSマシンは今朝になっても直っていない。明日修復されるという補償もないので、いざとうときのためにATMから現金を引き出す必要がある。これはできれば避けたかった。カードがATMマシンに吸い込まれることを恐れていたからだ。そのうえ、マルディンのATMには英語を表示する選択肢がない。

そこで目を付けたのが銀行に隣接するATMだ。銀行に入り、「ATMを使いたいが、英語の表示がないので手助けしてほしい」とお願いする。この願いは聞き入れられ、問題なく3泊の代金6000リラを引き出すことができた。これでPOSマシンの好不調にかかわらず支払いが可能になり一安心。

ここ数年「旅行先で散髪する」が恒例になっているが、物価が予想以上に高いトルコでは躊躇していた。しかし、たっぷり時間もあるところから、小さな理髪店に入り、値段を尋ねる。300リラ(1300円弱)とのこと。日本の千円カットとほぼ同じだ。髪を切って貰うことにした。英語をしゃべる先客の男性(トルコとクルドの混血とのことだった)が値段やカットのやり方を通訳してくれた。散髪の途中で紅茶で小休憩したのがトルコらしい。

理髪店で店主と一緒に


3時にホテルに戻り、一休み。ホテルをチェックアウトしようとしていた若いトルコ人女性3人組のひとりから話しかけられる。

メキシコで出会った生まれも育ちもトルコの日本人青年が「ヒジャブ(ヘッドスカーフ)の被り方や髭ののばし方を見れば、その人の宗教観や政治的傾向をほぼ推測できる」と言っていたのを思い出した。短パンなどの開放的な服装の彼女たち。もちろんヒジャブは着用していない。英語も流暢だ。おそらくキューバで出会ったトルコ人男性(「私は宗教的ではない」と言っていた)と同じような世界観なのだろう。

「sensitiveなtopicだが」と前置きしたうえ、トルコ人とクルド人の関係について尋ねてみた。sensitiveなtopicであることに同意したうえ、彼女は「私たちはトルコ人とクルド人を区別(differentiate)していない。まとまって(unifid)いけばいい」と言う。

夜に外出し、メインストリートの動画を撮る。レストランでPideと呼ばれるトルコ風のパイを注文し、夕食とした。210リラ(900円ほど)。明日は首都のアンカラに向けて飛ぶ。

メインストリートの夜


Pide

2024年10月19日土曜日

トルコ2024 五日目(マルディン到着)

 9月28日

今日はバスでマルディンへ向かう日。8時過ぎに朝食を済ませ、早めにホテルをチェックアウト。バス・ターミナル(トルコでは「オトガル」と呼ばれている)行きのミニバスをなんとか見つけ(料金は20リラ)、12時発のマルディン行きのバスに乗ることができた。ディアルバクルからマルディンまでは1時間半の道のりで、料金は200リラだった。

マルディンへ


マルディンのオトガルに到着し、市内までのバスを探す。それらしき停留所で待つが、バスはいっこうに来ない。やむを得ず、目星を付けておいたANA TALiA Houseまでタクシーで向かう(250リラ)。

ホテルを予約していなかったのには理由がある。トルコではBooking.comが制限を受けているからだ。Booking.comを通じてトルコ国内のホテルを検索することはできず、予約もできない(トルコ以外のホテルなら検索も予約も可能だ)。イスタンブールとディアルバクルの宿はBooking.comを通じて予約したが、これはどちらも日本にいたときに行ったものだ。

Trip.comやアゴダを使えばトルコの宿の予約は可能だが、使い勝手が悪く、予約する気になれなかった。以降、Trip.comとアゴダで評判のよいホテルをマークしておき、直接訪れる方法に切り替えた。

ANA TALiA Houseは細い石畳の裏通りにあり、その雰囲気は評判どおりだった。朝食付きで1泊2000リラ(約8500円)と、値段もなかなかのもの。この日はクレジットカードを処理するPOSマシンが不調で、支払いは後日となった。

ANA TALiA House

ディアルバクルと同様マルディンもクルド人の街だが、人口は10万人に満たず、人口56万のディアルバクルよりずっと小さい。そのぶん観光に特化している。

シリアにも近いこの地域の歴史や民族構成、言語は複雑だ。クルド語が主流だが、トルコ語も話され、アラビア語をしゃべる人もいる。宿のオーナーは「アッシリア」の影響にも触れていたが、私にはよくわからなかった。

ホテルから5分も歩けばメインストリートに出る。メインストリートの端の広場まで行くと、山頂の城や斜面にへばりついた家屋が見えた。

マルディンの広場

メインストリートに沿ってすこぶる賑わっているレストラン(Tarihi Sultan Sofrasi)があったので、入って遅めの昼食(あるいは早めの夕食)をとることにした。「ローカルフード」だといって勧められた料理を試してみた(ほとんどの人がこの料理を注文していた)。料金は410リラ(約1700円)と、このエリアにしては高め。

賑わうレストランで昼食兼夕食(午後5時ごろ)

あとでグーグル・マップで調べると、このレストランの評判は上々で、日本人による称賛の書き込みもあった。だが、私には料金に見合うほどの内容とは思えなかった。ケバブとの相性が悪いのかもしれない。

日が暮れてからホテルに戻り、残り物のお菓子とコーラで夜食とした。

2024年10月18日金曜日

トルコ2024 三、四日目(ディアルバクル)

 9月26日

ディアルバクルまでのフライトは17時15分にイスタンブール空港を発つ。あわてる必要はないが、8時過ぎに朝食をとり、12時にチェックアウト。イスタンブール空港は市街から離れており、1時間45分かかる。そのうえ、路面電車、バス、地下鉄を乗り換えて行くともなれば、2時間以上は見込んでおく必要がある。あわてる必要はないが、チェックアウト後、ただちに空港に向かった。

定刻通りに飛び立ったターキッシュ・エアラインズの便は夕刻7時すぎにディアルバクルに到着した。Booking.comを通じて予約してあるKoprucuホテルまでタクシーで行き(350リラ)、8時過ぎにチェックインした。このホテルはメインストリート近くに位置しており、朝食付き1泊約6000円だった。

ホテル近くのケバブのチェーン店で夕食をとる。ラップしたケバブとコーラで130リラ(550円ほど)。イスタンブールの旧市街に比べればリーズナブルな値段だ。

Koprucuホテル(翌日撮影)


9月27日

8時過ぎに朝食をとる。朝食の場で3人の東洋人の女性を見かけた。中年の女性2人と比較的若い女性1人。韓国語をしゃべっているようなので、韓国語で挨拶をしておく。3人とも韓国の日常からそのまま出てきたような感じで、旅行者らしくなかった。トルコのクルド地方まで足をのばす東洋人バックパッカーのイメージとはほど遠く、それがかえって新鮮だった。

ディアルバクルは城壁に囲まれた街だ。城壁の中央をメインストリートが貫いている。10時半にホテルを出て、メインストリートを歩く。Ulu Camil(ウル・ジャーミィ)という大きなモスクがあるので、立ち寄った。かつてはキリスト教会だったらしいこのお寺はトルコの一般的なモスクと様相を異にしている。祈りの時間ではなかったので、中に入ることができた(無料)。

ウル・ジャーミィ


城壁に沿って歩く。城壁の下では家族連れで食事をとっている様子も見られた。

城壁


小さな公園に入る。ベンチの代わりに座して休むためのカーペットが敷かれている。靴を脱ぎ、横になって休む。インスタブール同様、ディアルバクルも猫が多い。一匹の猫が足元に寄ってきたので、しばし戯れる。

公園で一休み


2時ごろにレストランで昼食。ケバブ、ライス、サラダ、ミネラルウォーターで260リラ(1000円強)。量はたっぷりあったが、味のほうは...私向きではなかった。

ケバブで昼食

ホテルに戻り、6時ごろに再び街に出る。4本足のミナーレを見てから、夜のメインストリートを散歩。昼食で腹がいっぱいだったので、夕食はお菓子をちょっと食べただけで済ませた。

4本足のミナーレ

夜のディアルバクル

明日はディアルバクルのさらに南にあるMardin(マルディン)にバスで向かう。

2024年10月17日木曜日

トルコ2024 一、二日目(イスタンブール)

 イスタンブールをはじめて訪れたのは15年前、2009年のこと。ターキッシュ・エアラインを利用したジョージア(グルジア)への旅の途中に立ち寄り、確か2泊した。その後もトランジットでイスタンブールを訪れる機会は2回ほどあった。いずれも数時間の滞在だった。

トランジットでイスタンブールに立ち寄っただけでトルコを旅したと称するのはおこがましい。さらに今年、キューバ・メキシコおよびアゼルバイジャンを旅したとき、トルコにかかわる人たちと知り合う機会が幾度となくあった。

トルコ旅行を思い立ったのはこうした事情からだ。関空・イスタンブール間に直行便があることも大きかった。9月23日関空を発ち、10月9日に帰ってくるターキッシュ・エアラインズの航空券を16万4千円で購入した。2週間近くの旅になる。イスタンブールだけではなく、広くトルコを巡ってみたい。

かくて9月23日21時55分に関空を飛び立ち、イスタンブールに向かった。

9月24日

イスタンブール空港に到着したのは9月24日の早朝5時。まずは両替とSIMカードの購入。40ユーロをトルコ・リラに交換し、いくつかあるSIMカードの販売店のうち、Vodafoneを選び、1か月間有効の20GBのSIMカードを購入した。代金はクレジットカードで支払ったが、あとで確かめると8千円を超えていた。法外な値段だ。トルコはSIMの値段が高いうえ、空港では特に割高になるらしい。市内に出てから購入したほうがよかったかもしれないが、ネットに接続していないと市内に出るのに苦労するから、やむをえない選択といえよう。

宿はBooking.comを通じて旧市街に予約していた。旧市街に出るにはエアポートバス(Hvaist)が便利だが、200リラ(800円超)以上する。地下鉄とバス、路面電車を利用すれば、100リラ以下で行ける。時間はたっぷりあるから、後者で行こう。

地下鉄、バス、路面電車を利用するにはイスタンブール・カードという、SUICAに似たカードが便利だが、ここで失敗した。地下鉄の改札口でPttカードなるカードを買ってしまったのだ。このカードでは地下鉄は乗車できるが、バスや路面電車には乗車できない。ただし、バスや路面電車もクレジットカードに対応しているから、イスタンブール・カードがなくても乗車できないわけではない(現金は不可)。

3つの交通手段を苦労して乗り継ぎ、予約していた旧市街中心部のSunlife Oldcityホテルに到着したのは午前8時ごろだった。このホテルは朝食付きで1泊約7500円。旧市街中心部のホテルは総じて高く、個室ではこのへんが最低ラインだった。

チェックインは午後2時からということなので、荷物を預け、イスタンブール最大の観光スポットであるブルー・モスクやアヤソフィのあたりをぶらつく。活発に歩き回ったわけではない。機内ではほとんど寝ていなかったから、疲労が激しく、ただただベッドの上で休みたかった。

とあるレストランで昼食をとる。ケバブをラップした料理とコーラで465リラ。日本円で1900円(その日のレートである1リラ=4.2円で換算)。この内容で2000円近くとはおどろきだ。ぼられたわけではない。この界隈のレストランは軒並み400~600リラの値段だった。

初日の昼食


1時ごろにホテルに戻りチェックイン。5時ごろまで休み、再度街へ出る。目指すはグランド・バザール。ホテルからブルー・モスクまでは徒歩で10分以内だが、グランド・バザールまでは20分以上かかる。グランド・バザールは2009年にも訪れた場所で、そのときの印象とあまり変わりない。

グランド・バザール

昼間のレストランが高すぎたこともあり、夕食はマクドナルドの持ち帰りにした。ビッグマック、フレンチフライ、チョコレートシェイクで270リラ(1100円ほど)。のはずだったが、ホテルに戻って袋からとりだすと、なんとチョコレートシェイクが入っていない。マクドナルドで詐欺ということもないだろうから、店員のミスと思いたい。持ち帰るときにチェックしなかった私にも非があるかもしれない。

そんなこんなで初日はかなりネガティブな気になった。疲れ切っていたので、この日は夜の8時に寝入っていた。

9月25日

8時半に朝食をとる。豪華でも貧弱でもなく、値段相応の朝食。

ビュッフェ式の朝食

11時ごろに街へ出で、徒歩でエジプシャン・バザールとガラタ橋を目指す。エジプシャン・バザールはこれまで足を踏み入れたことがなかった。そもそもその存在すら知らなかった。グランド・バザールよりやや小さいが、雰囲気は似ていた。

ガラタ橋を渡り、新市街を垣間見てから旧市街に戻る。シミットと呼ばれる輪状のパンと水を屋台で購入し、日陰に腰掛けて昼食とする。パンと水で25リラ(100円ちょっと)だった。シミットはまずくはないが、歯の悪い私には固すぎた。

シミットとミネラルウォーターで昼食

初日に買いそびれたインスタンブール・カードを購入したうえ、3時ごろにホテルに戻る。疲れていたせいで、5時ごろに寝入ってしまった。夜8時ごろに目が覚め、再度寝入る。夜はポテトチップスをかじったぐらいで、夕食は抜き。

明日はクルド人が多く住むトルコ南東部のDiyarbakir(ディアルバクル)に飛ぶ。インスタンブールからディアルバクルまでの航空券はTrip.comを通じて日本で購入済みだ。ターキッシュ・エアラインズの便で、代金は12,720円だった。

2024年9月16日月曜日

Guy de Maupassant: Une Vie(女の一生)


 著者:Guy de Maupassant

刊行:1883年

評価:★★★★★

Kindle版(無料)

2024年7月24日読了

モーパッサンは高校時代にいくつかの短編を読んだことがある。もちろん翻訳でだ。内容はほとんど覚えていないが、わかりやすくおもしろかった。その後、フランス文学に相当入れ込んだにもかかわらず、モーパッサンには手を出していなかった。なぜだかはよくわからない。だが、「わかりやすくおもしろい」から「軽い」という印象が生まれ、ことさら重厚で難解なものをありがたがる若者にありがちな虚栄心が働いていたのかもしれない。

しかし、電子本の普及のおかげで、モーパッサンの原書をほとんどすべてを無料で読める時代になった。約60年ぶりに彼の作品に手を出したのはこうした事情からだ。Boule de suif(脂肪の塊)、La folle(狂女)、La parure(首飾り)などに続き、モーパッサンの作品のなかでももっとも世に知られているUne Vie(女の一生)へと読み進めた。

邦題は「女の一生」だが、原題はUne Vie、すなわち「ある生涯」で、「女」は入っていない。

物語は17歳の主人公Jeanneが修道院から両親のもとへ戻ったときから始まり、晩年を迎えるまで続く。主人公は没落したとはいえ貴族の身分であり、労働の経験もなければ社会も知らない。ほぼ同時代のエミール・ゾラの小説の主人公たちが貧困のなかであえいでいるのとは対照的だ。

ストーリー・テラーのモーパッサンだけあり、世間知らずのJeanneの人生も山あり谷あり(谷あり、さらにもっと深い谷ありと言ったほうが正確か)で、夫の度重なる不倫をはじめとし、それなりに波乱に富んでいる。が、彼女は最初から最後まで他人依存だ。父親に頼り、父亡き後は一人息子のPaulを生きがいとする。

Paulはフランスを離れ、母親からも離れ、お金が必要なときだけ手紙を送ってくる。土地も財産も売ってしまった晩年の彼女にはそれでも因縁あさからぬ乳姉妹であり下女でもあるRosalieが付き添っている。

それほど苦労せずおもしろく読めた。ゾラの「居酒屋」やバルザックの「ゴリオ爺さん」を読むのに四苦八苦したのとは大違いだ。この違いはどこにあるのだろうか。ひとつは描写の濃密度の違いだ。ゾラやバルザックの緻密さに比べ、モーパッサンは比較的あっさりしている。このためか、ゾラやバルザックのほうが、ずっしりとした重みを感じる。

だからとってモーパッサンのほうが劣っているわけではない。文学作品のおもしろさは、ストーリーに加え、どれだけ人間が描かれ、社会が反映されているかにある。他者に依存するしかない没落貴族の娘もその時代の反映であり、その悲しさは十分に伝わる。偏狭な新任司祭に敢然と立ち向かう父親、没落した女主人を支えるRosalieなど、登場人物も十分に魅力的で印象に残る。