9月22日。
宿でボリュームのある朝食をとったあと、イシュカシムの村の探訪に出る。イシュカシムは標高3000メートルと高地にあるため、空気は澄んでいるが、坂道を歩くと息が切れる。
遙か遠くの山々を背景に小麦を刈り入れている男たちや牛や羊の世話をする女性たち。働いている女性たちはブルカではなく、スカーフで頭を覆うだけ。平和な光景が広がるすがすがしい朝だ。
メインストリートで見かける女性のほとんどがブルカを着用している中、スカーフだけの女性がいたので写真を撮らせてもらう。
前日にアフガン・バザールで購入したサモサと夕食に出たリンゴで昼食の代わりとする。朝食をたっぷりとったので腹が減っていない。
午後、村のはずれまで行くと、若い男に声をかけられ、家に招待される。男はカブール在住で、最近この家の女性と結婚したばかりだという。つまりはカブールから妻の実家を訪れたわけだ。家に入り、この家の父親(あるいは祖父)とおぼしき男性、もうひとりの男性と2、3歳の子供を交え、お菓子とお茶をいただく。女性も見かけたが座には加わらなかった。
英語を話せるのは私に声をかけてきた男性だけらしく、会話はもっぱら彼との間で進行した。
イシュカシムはタジキスタンに隣接していることもあり、住民の大半がタジク人だ。カブール在住の男性もタジク人で、もともとはこの村の出らしい。彼が英語を話せるのは、カラチ(パキスタン)のアガ・カーンの大学で学んだからだという。アガ・カーンはイスラム教イスマイリ派のリーダーだ。アガ・カーンの信奉者はインドやパキスタン、中央アジアに多い。タリバンの攻撃を数回受けたカブールのSerena Hotelはアガ・カーン財団が建てた高級ホテルだ
男性にアフガニスタンの治安を尋ねる。北部でもクンドゥーズは「パシュトゥーンが入り込んでいるので危ない」とのことだった。パシュトゥーンとはタリバンを指す。タリバンにパシュトゥーン人が多いことは確かだが、タリバンがすべてパシュトゥーンというわけではなく、パシュトーンがすべてタリバンというわけでもない。現にカルザイ前大統領もパシュトゥーンだ。
男性からカブールの住所やメールアドレスを教えてもらったが、帰国後にどこかで紛失してしまった。このため2年後にカブールを訪れたときに連絡をとることはかなわなかった。
村の子供たちの写真をとりながら、メインストリートに戻る。子供たちの多くは学校に通っているようだ。10年生用の英語の教科書を見せてもらった。「I am a journalist. I graduated from the Kabul University.」といった文から始まる内容だった。
おもしろいのは女の子たち。「(写真に)撮られるのはこわいけど、撮ってほしい」というジレンマがみえみえだ。カメラを向けると一目散に逃げていくが、やがてまたじりじりとこちらのほうに歩み寄り、結局写真を撮るはめに。あとで撮った写真を見ると、遠くにブルカ姿の女性が2人歩いている。この子たちが大きくなったときには、ブルカなど着用しなくてよい世の中になっていることを願う。
メインストリートのある店で、この地にはめずらしく髭をたくわえていない中年の男性から声をかけられ、お茶を飲みながら話す。マザーリシャリーフから来た石油エンジニアとのこと。中国と共同で石油の探索を行っているという。「ここらあたりはアフガニスタンでももっとも貧しい地域だ。見ればわかるだろう」と言うが、ここ以外のアフガニスタンを知らない私にとっては判断のしようがない。子供や大人の物乞いであふれているバングラデシュやエチオピアに比べれば、そうひどい状態だとは思えない。
当時のカルザイ政権を「Very good government」と評価する男性は、「来年4月の大統領選挙が心配だ」と言う。その後の経緯を見れば、この男性の心配は的中したとも言えるが、ともかく武力衝突という最悪の結果が避けられたことでよしとするしかないだろう。
クンドゥーズの情勢については「まったく問題ない」と断言していた。カブール在住の男性と正反対の見解だが、その後の展開は残念ながらカブール在住の男性のほうに軍配をあげている。
ゲストハウスの夕食はこの日もたっぷりあり、すべて平らげることは不可能だった。鍵かかっていない無防備の部屋でたったひとり、アフガン二日目、そして最後の夜を過ごす。
宿でボリュームのある朝食をとったあと、イシュカシムの村の探訪に出る。イシュカシムは標高3000メートルと高地にあるため、空気は澄んでいるが、坂道を歩くと息が切れる。
遙か遠くの山々を背景に小麦を刈り入れている男たちや牛や羊の世話をする女性たち。働いている女性たちはブルカではなく、スカーフで頭を覆うだけ。平和な光景が広がるすがすがしい朝だ。
小麦の刈り入れ
羊の放牧
メインストリートで見かける女性のほとんどがブルカを着用している中、スカーフだけの女性がいたので写真を撮らせてもらう。
スカーフの女性
前日にアフガン・バザールで購入したサモサと夕食に出たリンゴで昼食の代わりとする。朝食をたっぷりとったので腹が減っていない。
午後、村のはずれまで行くと、若い男に声をかけられ、家に招待される。男はカブール在住で、最近この家の女性と結婚したばかりだという。つまりはカブールから妻の実家を訪れたわけだ。家に入り、この家の父親(あるいは祖父)とおぼしき男性、もうひとりの男性と2、3歳の子供を交え、お菓子とお茶をいただく。女性も見かけたが座には加わらなかった。
お茶に招かれる
子供(男の子だとのこと)
英語を話せるのは私に声をかけてきた男性だけらしく、会話はもっぱら彼との間で進行した。
イシュカシムはタジキスタンに隣接していることもあり、住民の大半がタジク人だ。カブール在住の男性もタジク人で、もともとはこの村の出らしい。彼が英語を話せるのは、カラチ(パキスタン)のアガ・カーンの大学で学んだからだという。アガ・カーンはイスラム教イスマイリ派のリーダーだ。アガ・カーンの信奉者はインドやパキスタン、中央アジアに多い。タリバンの攻撃を数回受けたカブールのSerena Hotelはアガ・カーン財団が建てた高級ホテルだ
男性にアフガニスタンの治安を尋ねる。北部でもクンドゥーズは「パシュトゥーンが入り込んでいるので危ない」とのことだった。パシュトゥーンとはタリバンを指す。タリバンにパシュトゥーン人が多いことは確かだが、タリバンがすべてパシュトゥーンというわけではなく、パシュトーンがすべてタリバンというわけでもない。現にカルザイ前大統領もパシュトゥーンだ。
男性からカブールの住所やメールアドレスを教えてもらったが、帰国後にどこかで紛失してしまった。このため2年後にカブールを訪れたときに連絡をとることはかなわなかった。
村の子供たちの写真をとりながら、メインストリートに戻る。子供たちの多くは学校に通っているようだ。10年生用の英語の教科書を見せてもらった。「I am a journalist. I graduated from the Kabul University.」といった文から始まる内容だった。
学童
10年生用の英語の教科書
おもしろいのは女の子たち。「(写真に)撮られるのはこわいけど、撮ってほしい」というジレンマがみえみえだ。カメラを向けると一目散に逃げていくが、やがてまたじりじりとこちらのほうに歩み寄り、結局写真を撮るはめに。あとで撮った写真を見ると、遠くにブルカ姿の女性が2人歩いている。この子たちが大きくなったときには、ブルカなど着用しなくてよい世の中になっていることを願う。
女の子たち
メインストリートのある店で、この地にはめずらしく髭をたくわえていない中年の男性から声をかけられ、お茶を飲みながら話す。マザーリシャリーフから来た石油エンジニアとのこと。中国と共同で石油の探索を行っているという。「ここらあたりはアフガニスタンでももっとも貧しい地域だ。見ればわかるだろう」と言うが、ここ以外のアフガニスタンを知らない私にとっては判断のしようがない。子供や大人の物乞いであふれているバングラデシュやエチオピアに比べれば、そうひどい状態だとは思えない。
当時のカルザイ政権を「Very good government」と評価する男性は、「来年4月の大統領選挙が心配だ」と言う。その後の経緯を見れば、この男性の心配は的中したとも言えるが、ともかく武力衝突という最悪の結果が避けられたことでよしとするしかないだろう。
クンドゥーズの情勢については「まったく問題ない」と断言していた。カブール在住の男性と正反対の見解だが、その後の展開は残念ながらカブール在住の男性のほうに軍配をあげている。
ゲストハウスの夕食はこの日もたっぷりあり、すべて平らげることは不可能だった。鍵かかっていない無防備の部屋でたったひとり、アフガン二日目、そして最後の夜を過ごす。
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