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2016年8月29日月曜日

アフガニスタン2013 イシュカシム(アフガニスタン)

9月21日。

パミールロッジで朝食をとったあと、昨日確かめておいた乗り合いタクシー(ロシアや中央アジアではマルシェルートカと呼ばれている)のたまり場に向かい、イシュカシム(タジキスタン)行きのタクシーを見つける。客がある程度集まるまでタクシーは出発しない。小一時間は待っただろうか。7、8人の客が集まったところで出発。客の中にはフランス人のカップルもいる。毎土曜日に国境で開かれるアフガン・バザールを見に行くとのこと。

国境を隔てたタジキスタン側の村もアフガニスタン側の村もどちらもイシュカシムという名前だ。ホーログからアフガンに入るにはタジク側のイシュカシムの少し手前の橋のたもとで下車する必要がある。アフガン・バザールもここで行われている。

国境に通じる橋のたもとで乗り合いタクシーを降り、バザールの見物もそこそこにタジキスタンの入出国事務所に向かう(バザールでは昼食用の軽食を購入した)。タジク側の出国検査は問題なく通過。続いて数十メートル歩き、アフガニスタンの入出国事務所に赴く。

アフガン・バザール

今日はアフガン・バザールが開かれる土曜日なので、多くのアフガニスタン人が国境を往復している。しかし彼らは窓口で身分証明書を提示するだけで国境を通過しており、わざわざ事務所まで入って手続きをするのは私以外にいない。手続きはごく簡単だったが、インターポール(国際刑事機構)を名乗る男2人が私のバックパックを念入りに調べる。「これは仕事だからな」と言い訳しながら荷物をひとつひとつ取り出す。2GBのSDカードを見つけると、「なぜもっと容量の大きいSDカードにしないのか」と聞く。大きなお世話だ。彼らが荷物を点検している間、私はバザールで買ったサモサ(?)を食べて昼食とした。

「(日本という)豊かな国から来て、我々へのおみやげ(gift)はないのか」と聞かれたが、「ない」と答えて終わりだった。日本から持ち込んだ飴玉を所望されたので、1つずつ渡す。最後にひとりが自分の名前を紙片に書いて渡し、写真を撮るようにと要求する。望みどおり彼の写真をカメラに収めたところで事務所から出ていいことになった。

なんともふざけた(自称)インターポールの男たちだった。おそらく暇つぶしだったのだろう。バザールのために事務所の前を通過するアフガン人は多いが、事務所の中は数人の係官と私だけ。この国境を通過する外国人は平均して1日に1人以下ではないだろうか。時間をもてあましているのもむべなるかな。

入出国事務所を出て、アフガンの土をはじめて踏みしめる。砂利道がザクザクと音を立てる。遠くには山頂に雪を戴いた山脈。それを背景に旧ソ連軍の戦車の残骸が見える。陸路での国境越えはこれまでに何回かあるが、どれもバスやタクシーを使っての越境であり、徒歩で国境を渡るのははじめてだ。

戦車の残骸

しばらく歩くと、後ろから来た車が停まる。イシュカシム(アフガン側)の村まで乗っていかないかとのことだった。料金は確か2ドルくらいだった。村までは3、4Kmだから歩けないことはないが、ここは楽をすることにした。

村の中心と思われるバラック建ての店が並んでいる通りで車を降りる。泊まるところはMarcopolo Guest Houseに決めていた。事前にネットで調べて見つかったイシュカシムでの唯一の宿泊場所だ。タクシーを降りたところにいた若者にこのゲストハウスの所在地を尋ねる。ちゃんと英語が理解され、英語で返事が返ってくる。

村の中心からマルコポーロ・ゲストハウスまでは歩いて10分たらずだった。宿への入口がわからずうろうろしていると、近所の女性が無言で案内してくれた。宿に入り、部屋に入っても誰もいない。しかししばらく待つと、中年の男性と7、8歳の男の子がお茶とお菓子を持ってやってきた。これで一安心。朝食と夕食を含めて1泊30ドルとのこと。2泊することにした。ベッドは私の入った部屋に2つ、その隣の部屋にも2つ。部屋はそのほかにもありそうだが、客は私ひとりらしい。

しばらく休んでから村の中心に出る。自分の家の周辺では素顔を出している女性たちも外出するときはほとんどブルカを着用している。アフガニスタン来たことを実感できる風景だ。

ブルカの女性

村の様子を見ながらぶらぶらと歩く。外国人がめずらしいのか、ときどき声がかかる。写真は思っていたより自由に撮れた。店でのやりとりや子供たちの反応を動画に収める。

メインストリート1

メインストリート2

子供たち

そうこうするうち日も暮れてきたので宿に戻る。7時頃に夕食が運ばれてくる。結構なボリュームだ。パン(ナン)と大盛りのライス。スープ、チキン、リンゴ、ジュースなど。とても食べきれる量ではない。後ろめたいが、かなり残すしかなかった。リンゴは翌日用にとっておいた。

夕食

部屋にはラッチ式の鍵があったが、うまくかからない。表の門にはもともと鍵がない。物音ひとつしないアフガニスタンの山の中、たったひとりで鍵のない場所に眠るのに不安がなかったと言ったら嘘になる。

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