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2017年1月11日水曜日

ネパール2016 二日目(ゴルカ)

12月24日。

Travelers Homeの朝食は7時からとのことだった。7時ちょっと過ぎに朝食の場である屋上に向かうが、まだ準備はできていなかった。しばらく待ち、7時半頃にミルクティー、ジュース、果物、オムレツ、トースト、ジャガイモ料理からなる朝食が運ばれてきた。私のほかに日本人の旅行者が5人ほどいた。

今日はゴルカ(Gorkha)に行く日だ。ゴルカを選んだのは、カトマンズとポカラのちょうど中間に位置していることと、英国の傭兵として勇名を馳せている「グルカ兵」からなじみのある名前だったからにすぎない。まったく安易な選択だ。ゴルカがネパール地震の震源地であったことも昨日宿のスタッフから聞いてはじめて知る始末。ゴルカに1泊してからポカラを訪れる予定だ。

ホテルの前にたむろしていたタクシーに乗車してゴルカ行きバスの乗り場まで向かう。運転手は「ビッグバスで行くのか、それともマイクロバスにするのか」と尋ねてくる。ビッグバスとはいわいるツーリストバスのことだろう。「どちらがベターか」と問い返すと、「マイクロバスのほうがいい」との答え。どちらも似たようなものだろうが、ここはひとつ運転手を信用してマイクロバスで行くことにした。
ゴルカまでのマイクロバスは285ルピーだった。ガイドブックによるとゴルカ行きのツーリストバスは290~375ルピーとのことだから、マイクロバスのほうが若干安い。その分多少の窮屈さを我慢しなければならない。

9時半ごろにカトマンズを出発したマイクロバスは午後3時前にゴルカに着いた。バスターミナルの近くのHotel Pradiseに投宿する。シャワー・トイレ付きの個室で800ルピー(約800円)。かなり安いがシャワーはお湯が出なかった。ゴルカに来る途中で昼食のための休憩もあったのだが、あまり腹が空いていなかったことに加え、昼過ぎには到着するだろうとふんでいたので、何も食べなかった。今はまず腹ごしらえする必要がある。Hotel Pradiseはレストランも兼ねているようなので、手早くここで食べることにした。注文したのはチキン・モモ。これはチベット・ネパールの食べ物で、蒸し餃子に似ている。昨晩はカツ丼だったから、はじめて口にするネパールの料理。だが、モモはグルジアでヒンカリ、中央アジアでマントゥ、中国でチャオズ、韓国でマンドゥと呼ばれている「肉や野菜を小麦粉の皮で包んで蒸した」食べ物であり、特に目新しさはなかった。値段は120ルピー。あとで判明したことだが、カトマンズやポカラに比べてかなり安い。

チキン・モモ

腹もくちくなったところで街に出る。まず山の上にあるゴルカ王宮(Gorkha Durbor)を目指す。ガイドブックによると、この王宮は「現在はカーリー女神を祀る寺院として人々の参詣を集めている」とある。途中で道を尋ねながら、坂道と階段を登っていく。ふもとから歩いて40分ほどとのことだったが、頂上の王宮(寺院)にたどり着くまでゆうに1時間はかかった。

坂道を登る

沿道には土産物や飲料を売る店が点在しており、私以外にも結構な数の人が頂上を目指している。5、6人のネパール人(と思われる)家族と抜きつ抜かれつ歩みを進める。私がいかにも苦しげななのを見かねたのか、家族の中の若い娘さんがペットボトルの水をそっと差しのべてくれる。

途中のベンチでこの家族と一緒に休み、20歳代の息子らしき若者と話す。家族はもともとはネパール人だが今はインドに住んでいる。父母の代にインドに移住したらしい。若者は言う。「自分はインドで生まれ、育ち、インドに住んでいる。これからもインドに住むだろう。だが、心(heart)はいつもネパールにある。」「ネパールは貧しい国なので海外に出て働くしかない。インドの経済もあまりよくなく、サウジアラビアなどに出稼ぎに行く人が増えている。」

私が「ネパールの人たちはcalmでquietだが、インド人はloudでnoisyだ」と言うと、若者は「(インド人は)そのうえagrressivだ」と続ける。

頂上の寺院からはゴルカを一望できる。風景もさながら、私にはカーリー女神を詣でるネパール人たちの立ち振る舞いがが興味深かった。インドのコルカタの寺院でも見かけた光景だ。

カーリー女神参詣

しばらく体を休めてから帰路につく。「上りに比べてやはり下りは楽だな」と思ったのもつかの間、10分くらい経つと下りも手強いことを思い知らされる。よたよたとふらつきながら一段一段と石段を下っていく。「膝が笑う」という言葉がある。膝ががくがくし、コントロールが難しくなる状態を指す。私の場合は「膝が笑う」というより「腿が笑う」という感じで、太腿をしっかりとコントロールするのが難しくなった。

この石段を下っていくのが辛い

途中道を間違えたりして、くたくたの状態でふもとに着いたときには6時を過ぎており、すでに真っ暗だった。このあとゴルカの商店街を見物する予定だったが、その気力も体力もない。そのうえいくつかの店は早々に店仕舞いを始めている。宿に帰るしかない。

夕食もHotel Pradiseでとることにした。3時に昼食をとったので、腹は減っていない。夜の8時に夕食をつくってくれるように宿のスタッフに頼んで、部屋で体を休めた。

8時少し前に宿の主人が食事を部屋まで持ってきてくれた。頼んでおいたのはダルバート。インドのターリーに似たネパール定食だ。ついでにビール(フィリピンのサンミゲル)も頼む。ダルバートが170ルピーで、ビールが300ルピー。ビールが高いなと感じたが、これもカトマンズやポカラに比べれば安いほうだった。主人と一緒に食事を運んできたティーンエイジャーらしき娘さん2人がニコニコと満面の笑みだったのが印象に残った。肝心のダルバードのほうはというと、正直なところあまり印象に残るものではなかった。もっとちゃんとしたところで、もっと高いお金を払えばまた別かもしれない。

ダルバート

ゴルカは2015年4月のネパール地震の震源地ということだったが、その影響は表面からはうかがい知れなかった。崩れかけた道や粗末な家屋もときおり見かけたが、地震の結果なのか、もともとそういう状態なのか、判断できない。王宮(寺院)も一部工事中だったが、これも地震よる損壊を補修しているのかどうかはわからない。王宮の建物自体は無傷のように見えた。

明日は早々にポカラに向かう。せめてもう1日ゴルカで過ごしたいところだが、ただでさえ短いネパールの旅が上海で無駄に1泊したためさらに短縮されたことから、のんびりはできない。

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