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2017年1月19日木曜日

ネパール2016 四日目その1(ポカラ)

12月26日。

The Cherry Gardenの朝食は8時から。ミルクティー、トースト、オムレツといったベーシックな内容。
今日はポカラで一日のんびりできる日だ。朝食後ホテルの部屋で休みながら、どこを探訪するか検討する。レイクサイドから5、6km離れたところにチベット人の居住地があるらしい。よし、これだと決め、10時ごろに宿を出る。

メインストリートに行くと、さっそくタクシーの運転手が声を掛けてくる。チベット人居住地(タシンリン・チベット村)まで片道500ルピーということで話がまとまりかけた。が、運転手は「タシンリンよりもっと大きなチベット人居住地がある」と言う。結局タシバルケルというそちら居住地に行くことにした。行き帰りと見物中の待機をひっくるめて1500ルピー(約1500円)。

30分余りでチベット居住地に着いた。1950年代に難民として中国から逃れてきたチベット人たちがつくりあげた小さな村だ。中国を出てから半世紀以上経つ今、おそらく住民の大半はネパール生まれのチベット人だろう。

タクシーを降りるとすぐ70歳くらいの女性が英語で話しかけてくる。土産物屋への誘いだ。村の入口からチベット寺院に向かう20メートルほどの道筋にはチベットのスーベニアを売る店がいくつか並んでいる。「店」というのはおおげさで、古びた机の上にくすんだような品物が無造作に置かれているだけ。5、6人の「店主」はほとんどが老人で、「見るだけね」と日本語で声を掛けてくる老婆もいる。

チベット寺院の隣には学校がある。ちょうど下校中らしく、制服姿の学童が次から次へと出てくる。小学生から中学生くらいの年齢だ。

チベット寺院

寺院を見物してから、集落に入り、細い路地をたどっていく。定住して長いせいか、「難民キャンプ」という趣きはなく、それなりにちゃんとした家が続いている。ところどころに5色の旗がひらめいているのがチベットらしい。寺院の裏側に回ると、くずれかかった石垣の上にに粗末な家が10軒ほど並んでいた。

チベット居住地を歩く

チベット居住地の風景1

チベット居住地の風景2

チベット居住地の風景3

さらに散策を続けていると、50歳くらいの男が英語で話しかけてきた。自分の部屋を見せるというので付いていく。男が案内したのは6畳くらいの小さな部屋。妻と2人で住んでいるというこの部屋には、家財道具に交じってチベット教の祭壇もあった。男はいろいろなチベット教関連の小物を取り出してくる。買わないかというのだ。「ポカラの街で売っているのはレプリカだが、これらはすべて本物だ」とのことだが、私にはそのありがたみがわからない。向こうも強く勧めてくることはなかった。

チベット人の部屋

約束の1時間が過ぎたので、待機しているタクシーに戻った。レイクサイドに戻る車の中、運転手はJapanese Templeに行かないかと誘う。ポカラの郊外に日本山妙法寺があることは知っていた。もう昼近くになるが、この後なんの予定もないから、誘いに乗ってみることにする。妙法寺までの往復は見物中の待機時間を含めて1400ルピー。帰国後にネットを調べてわかったことだが、チベット村への1500ルピーもこの1400ルピーも高すぎる。事前チェックをしなかった私のミスだ。

道すがら、運転手は自分の生活の苦しさを訴える。両親はネパールの山間地に暮らしているが、自分と妻、それに2人の幼い子供はレイクサイドの1部屋に住んでいる。家賃が高くてやっていけないとこぼす。ポカラの街を走るタクシーの数の多さだけからでも、運転手の生活が苦しいのは容易に推察できる。

日本山妙法寺は山頂にあるので、坂道と石段を登っていかなければならない。といってもそれほど長い道のりではなく、ゴルカの旧王宮に登ったときのような苦しさは経験せずにすんだ。山頂からはポカラの街を一望でき、観光客の数も多い。ネパール人もいれば外国人もいる。インドのバラナシの近くのサルナートにある日本山妙法寺も訪れたことがあるが、これほどのにぎわいはなかった。

日本山妙法寺

レイクサイドに戻ったときには午後2時を過ぎていた。どこで昼食をとるか、いろいろ迷ったすえ、昨日の昼食と同じホテルの食堂に入った。注文したのはチキン・トゥクパ(Thukpa)。これはチベット式のヌードルで、125ルピーだった。

チキン・トゥクパ

昼食後、レイクサイドの人通りの少ないエリアを散策する。
(続く)

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