3月1日(その2)。
平壌から清津まではガイドとして金(キム)と安(アン)の2人が私たちに付き添っていた。列車の中では彼らとも話す機会があった。
金(キム)は私たちが平壌空港に到着した初日からのガイド。彼からは「サムライとは何か」という質問を受けた。「ancient warriorだ」と答えたうえ、サムライが人口に占める割合は10%にも満たなかったこと、平和が長く続いた江戸時代にはworrierというよりbureaucratだったことなどを付け加えた。
安(アン)は昨年ガイドになったばかりの青年。音楽家(ドラマー)になりたかったがかなわず、英語ガイドに転進したとのこと。北朝鮮歌謡の話題は私から仕掛けた。今年に入ってから亡くなった歌手、金光淑のことなどを話しているうち、安が「日本の歌をひとつ知っている」と言って歌い出した。「上野発の夜行列車降りたときから~」。津軽海峡冬景色だ。この歌が北朝鮮で歌われていることは知っていたが、まさか20代の英語ガイドが日本語で歌うとは。ちょっとびっくり。安は森村誠一の小説も読んだことがあるとのことだった。森村誠一が朝鮮語に翻訳されていることも知らなかった。
小説といえば、ブラジル人のEdgarはポルトガル語に翻訳された村上春樹の本を列車の中で読んでいた(タイトルまでは確かめなかった)。
列車は進み、美しい雪景色は続く。
隣のコンパートメントの北朝鮮グループから冷凍の柿をもらう。暖かい列車の中で食べる冷たい柿はおいしかった。
陽が暮れかかる6時ごろ、夕食をとることにした。私はそれほど腹が減っていなかったので、昼の残りのイカ天と肉団子、それにチジミだけにとどめた。Corrie夫妻から赤ワインのお裾分けに与る。
夕食も終わり、あれやこれやするうち、私たちグループの何人かが隣室の北朝鮮グループに酒を持ち込み、一緒に乾杯する展開となった。タミール人のAyeshaがワイン、オーストラリア人のCorrieがウォッカを持ち込む。おそらく平壌の光復地区商業センターで調達したものだろう。私はソジュ(焼酎)を「贈り物だ」と言って北朝鮮グループに手渡す。
こうした成り行きになったのは、Ayeshaがicebreakerとして活躍してくれたからだ。南インドの裕福な家庭に育った彼女、およそ人見知りすることがなく、すべてにポジティブ。訪朝は5回目で、平壌マラソンにも参加している。彼女曰く。「平壌マラソンは私の人生の中でも最高の一日に数えられる。沿道からの拍手の中、スターになったような気分だった。」我がグループ内の誰かが「Ayeshaのように感謝してくれれば(appreciative)、北朝鮮の側もやりがいがあるだろう」との感想を漏らしていた。
車窓の外はもうすっかり暗くなっている。
今日はちょうど英国人のTomの誕生日だった。大きなケーキが私たちのコンパートメントに持ち込まれ(たぶん羊角島ホテルで用意してくれたものだろう)、Happy birthdayの歌の中、Tomがカットする。カットされたケーキは北朝鮮グループにも配られた。
ベッドに横たわって休んでいると、バイオリンの音が聞こえる。アリランの旋律だが、あまりうまくない。北朝鮮労働者の誰かが演奏しているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。ベッドから起きて確かめると、廊下で小さな男の子がバイオリンを奏でている。6歳とのこと。途中の咸興(ハムン)で母親と2人連れで乗務員用のコンパートメントNo.1に乗り込んだらしい。羅先在住の母子だという。本来なら前方の一般車両に乗るべきところだが、なぜか「国際車両」に乗り合わせていた。
特に話し合ったわけでもないが、私とNancyeは下段のベッドに寝ることになった。上段のベッドによじ登るのはちょっとした作業だったから、これはありがたかった。私は我がコンパートメントの中では最初に、10時ごろには寝入ってしまったようだ。
平壌から清津まではガイドとして金(キム)と安(アン)の2人が私たちに付き添っていた。列車の中では彼らとも話す機会があった。
金(キム)は私たちが平壌空港に到着した初日からのガイド。彼からは「サムライとは何か」という質問を受けた。「ancient warriorだ」と答えたうえ、サムライが人口に占める割合は10%にも満たなかったこと、平和が長く続いた江戸時代にはworrierというよりbureaucratだったことなどを付け加えた。
安(アン)は昨年ガイドになったばかりの青年。音楽家(ドラマー)になりたかったがかなわず、英語ガイドに転進したとのこと。北朝鮮歌謡の話題は私から仕掛けた。今年に入ってから亡くなった歌手、金光淑のことなどを話しているうち、安が「日本の歌をひとつ知っている」と言って歌い出した。「上野発の夜行列車降りたときから~」。津軽海峡冬景色だ。この歌が北朝鮮で歌われていることは知っていたが、まさか20代の英語ガイドが日本語で歌うとは。ちょっとびっくり。安は森村誠一の小説も読んだことがあるとのことだった。森村誠一が朝鮮語に翻訳されていることも知らなかった。
小説といえば、ブラジル人のEdgarはポルトガル語に翻訳された村上春樹の本を列車の中で読んでいた(タイトルまでは確かめなかった)。
列車は進み、美しい雪景色は続く。
車窓から1
車窓から2
車窓から3
列車は進む
隣のコンパートメントの北朝鮮グループから冷凍の柿をもらう。暖かい列車の中で食べる冷たい柿はおいしかった。
陽が暮れかかる6時ごろ、夕食をとることにした。私はそれほど腹が減っていなかったので、昼の残りのイカ天と肉団子、それにチジミだけにとどめた。Corrie夫妻から赤ワインのお裾分けに与る。
夕食も終わり、あれやこれやするうち、私たちグループの何人かが隣室の北朝鮮グループに酒を持ち込み、一緒に乾杯する展開となった。タミール人のAyeshaがワイン、オーストラリア人のCorrieがウォッカを持ち込む。おそらく平壌の光復地区商業センターで調達したものだろう。私はソジュ(焼酎)を「贈り物だ」と言って北朝鮮グループに手渡す。
一緒に乾杯1
一緒に乾杯2
こうした成り行きになったのは、Ayeshaがicebreakerとして活躍してくれたからだ。南インドの裕福な家庭に育った彼女、およそ人見知りすることがなく、すべてにポジティブ。訪朝は5回目で、平壌マラソンにも参加している。彼女曰く。「平壌マラソンは私の人生の中でも最高の一日に数えられる。沿道からの拍手の中、スターになったような気分だった。」我がグループ内の誰かが「Ayeshaのように感謝してくれれば(appreciative)、北朝鮮の側もやりがいがあるだろう」との感想を漏らしていた。
車窓の外はもうすっかり暗くなっている。
今日はちょうど英国人のTomの誕生日だった。大きなケーキが私たちのコンパートメントに持ち込まれ(たぶん羊角島ホテルで用意してくれたものだろう)、Happy birthdayの歌の中、Tomがカットする。カットされたケーキは北朝鮮グループにも配られた。
誕生ケーキ
ベッドに横たわって休んでいると、バイオリンの音が聞こえる。アリランの旋律だが、あまりうまくない。北朝鮮労働者の誰かが演奏しているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。ベッドから起きて確かめると、廊下で小さな男の子がバイオリンを奏でている。6歳とのこと。途中の咸興(ハムン)で母親と2人連れで乗務員用のコンパートメントNo.1に乗り込んだらしい。羅先在住の母子だという。本来なら前方の一般車両に乗るべきところだが、なぜか「国際車両」に乗り合わせていた。
少年とバイオリン
特に話し合ったわけでもないが、私とNancyeは下段のベッドに寝ることになった。上段のベッドによじ登るのはちょっとした作業だったから、これはありがたかった。私は我がコンパートメントの中では最初に、10時ごろには寝入ってしまったようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿