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2019年11月17日日曜日

スペイン・ポルトガル2019 サフラ、セビリア、コルドバ、グラナダ

10月14日(サフラ)。

エルヴァスからバスでスペインのバダホス(Badajoz)に入る。30分もかからなかった。シェンゲン協定のおかげで、入出国審査もなければパスポートのチェックもない。どこが国境だったのかも定かでなかった。スペインからポルトガルへ空路で入国するときもノーチェックだった。

バダホスで2時間ほど待って、サフラ(Zafra)という町に向かう。セビリアまで直行する選択肢もあるが、あまり有名でないスペインの町も見ておきたいので途中のサフラで1泊することにした。

「あまり有名でない」といっても、サフラも「地球の歩き方」に1ページが割かれている、それなりに由緒のある町だ。アンダルシアに近いが、アンダルシアには属していない。

バスターミナルから町の中心までは15分ほど。「地球の歩き方」に載っているHotel Victoriaを目指す。予約はしていないが、部屋は空いていた。バス・トイレ付きで25ユーロ。バスタブもあるホテルとしては破格の値段だ。受付は英語をしゃべれなかったが、1泊するだけの交渉だから問題はない。

宿で体を休めてから5時ごろに外に出ると、雨が降り出した。今回の旅ではじめての雨。それほど強い雨ではないが、傘は必要だった。雨のせいもあるが、サフラの印象はくすんでいる。ガイドブックには「アンダルシア地方に近づいてきたことがはっきりわかる」とあるが、バルセロナしか知らない身としては何とも言えない。覚えているのは、パラドールが立派だったっこと。夕食のパンと飲み物を求めて立ち寄ってミニマーケットがいずれも中国人の経営だったこと。バーに立ち寄って「コミーダ(食事)」を求めたが、「コミーダはもっと遅くなってからだ」と言われたことくらいか。観光客らしき姿はほとんど見かけなかった。雨は夜になってやんだ。

サフラ

10月15~16日(セビリア)

いよいよアンダルシアに入る。サフラからバスで2時間ほどのセビリアは、アンダルシアの州都であり、アンダルシア最大の都市でもある。フラメンコや闘牛、イスラム文化の影響などでも有名だが、私の知識はかろうじて「セビリア」という名前に馴染みがある程度。

昼ごろにかなり大きいバス・ステーションに着き、街の中心であるカテドラルの方向に歩く。「地球の歩き方」に掲載されているHotel Nuevo Suizoに行くためだ。ここも予約はしていなかったが、部屋は空いていた。2泊で136ユーロ。朝食付きだが、これまででいちばん高い部屋だ。紅茶とコーヒーは無料。キッチンにある冷蔵庫も利用できる。

宿からカテドラルは歩いて10分ほど。カテドラルの近くのバーで遅めの昼食をとる。生ヒールとタパス(つまみ)3品で20ユーロほどと、観光地値段だった。

カテドラルから少し離れたところにある闘牛場に通りかかる。闘牛をやっている時間帯ではない。場内に入るにも入場料がかかる。そのまま素通りした。

フラメンコのライブを見られるレストランも数多くあるようだが、ファドと同様、開演時間が遅すぎた。フラメンコ舞踏博物館のフラメンコショーは夜の7時開演だが、今日の公演はすべて売り切れになっていた。ファドと事情は似ている。「遅くなるから見ない」というのは、要するにフラメンコに対する私の関心がそれほど強くなかったということだろう。ストリートパフォーマンスでフラメンコを踊っているのを見て満足してしまった。

路上のフラメンコ

フラメンコや闘牛にもふれず、アンダルシア料理を味わうこともない。セビリアというアンダルシア随一の観光スポットを訪れたにもかかわらず、観光にも徹することができない。なんとも中途半端だ。今回の私のスペイン・ポルトガル旅行を象徴するような流れだった。

セビリアのカテドラル

16日にはホテルで毛布を1枚追加してもらった。前日の明け方かなり寒い思いをしたからだ。7日にバルセロナに着いたときには、宿に戻るとすぐにエアコンをオンにするほどの暑さだった。いつの間にかスペインでも秋が深まっていた。

10月17~18日(コルドバ)

セルビアからバスでおよそ2時間かけコルドバへ向かう。セルビアほど大きくはないが、コルドバもよく知られた観光地だ。「コルドバはレコンキスタと縁が深く、メスキータ(スペイン語でモスクを意味する)とその北に広がる旧ユダヤ人街が観光の中心となっている」とはあとから得た知識で、セルビア同様、耳に馴染みのある名前だから訪れたというのが正直なところだ。

コルドバではドミトリーに宿泊するつもりだった。本来私は、通常のホテルよりもドミトリー形式のホステルのほうが好みだ。宿泊費の節約はもとより、ホステルなら他の旅行者とふれあい、情報を交換することができる。通常のホテルではこうした機会はまず与えられない。

ホステルの難点はプライバシーが大きく制限されること。若いころならともかく、年齢を重ねた今となっては体力的にも厳しい。上段のベッドの場合は特にそうだ。

ともあれコルドバで1度ドミトリーを試してみよう。そのメリットとデメリットを秤に掛け、メリットが上回りそうなら次の目的地のグラナダでもドミトリーを選びたい。

ということでHostel Osioというドミトリーに2泊した。旧ユダヤ人街の近く(というよりその一角)にある宿だ。2泊で36ユーロだっただろうか、確かでない。

6つのベッドがある部屋。17日は私のほかにはペルー人の若いカップル。18日にはこれにイタリアのジェノバから来た男性が加わる。ペルー人カップルはマドリードに留学中で、週末にスペイン各地を旅行しているとのことだった。

チェックインして体を休めているとき、ちょうどチェックアウトして出て行こうしている東洋人風の若い男性を見かけた。香港から来た学生だ。彼も私も時間に余裕があったので、中庭に座って小一時間話す。

話題はおのずから香港の民主化運動に。彼は運動には参加していないが、支持はしているという。彼の中国批判に応えて、心ならずも私が中国を擁護するはめになる。「多くの問題を抱えていることは確かだが、この50年の間に中国が進歩し、豊かになったことは否定できない。50年前には50歳だった平均寿命が今では80歳にまで延びた」と言う私に対し、「しかし今の中国は昔の中国より不幸だ。幸福な50年の人生を送るのと、不幸な状態で80歳まで生きるのとどちらがよいか」と切り返してくる。

あえて反論はしなかった。豊かさには客観的な指標があるが、幸不幸を測る物差しはない。それに大躍進や文化大革命の時代の中国が今の中国より幸福かどうかについては疑問が残る。

このほか、香港の英語教育、彼の大阪・京都旅行、四川省の観光スポットなどに話が及び、楽しい時間を過ごすことができた。

17日と18日の両日でコルドバをあますことなく探訪した...とはいかず、ただぶらぶらと歩いただけだった。見る人が見れば、ユダヤ人街の痕跡をたどり、イスラム文化の影響に気付くこともあるのだろうが、私には無縁だった。昨年イスラエルを訪れ、スペインを追われ東欧に逃れたユダヤ人の末裔であるエリアス・カネッティの作品を読んでいる私にとってレコンキスタは無縁であるはずがないのだが、もったいないことだ。

コルドバ

どちらの日も昼食だけをレストランでとり、朝食と夕食はスーパーで購入したパンや総菜、飲み物でまかなった。節約のためだ。ホステルにはキッチンがあり、食器や冷蔵庫を利用できるのはありがたかった。

17日の昼食はレストランのセットメニューで12.5ユーロ、18日は8ユーロのハンバーガーと1.5ユーロのコーラ。このハンバーガーが感動的においしかった。「こんなうまいものがあったのか」という思い。ハンバーガーの味に感動するとは、みずからの食生活の貧しさの証ではないか。少し恥ずかしい。

感動のハンバーガー

さてドミトリーの泊まり心地はどうだっただろうか。正直なところ、リラックスからはほど遠かった。同部屋だったペルー人のカップルもイタリア人もいたって行儀がよく、フレンドリーだったが、それでも気を遣う。女性がいる場合は特にそうだ。次のグラナダでは無理をせずにホテルを選ぶことにする。

10月19日~20日(グラナダ)

グラナダまではスペインの高速鉄道AVEで行った。バスのほうがはるかに安いのだが、スペインの新幹線を体験したかったからだ。

8時ごろにホステルを出て駅へ向かうが、外はまだ暗い。この時期のスペインは日が明けるが8時半ごろ、日が暮れるのも遅く夜の8時過ぎだった。不思議だったが、何のことはない。まだ夏時間だったのだ。10月の最終土曜日に冬時間に切り替わるらしい。

9時17分発のグラナダ行きのAVEは少し遅れて出発した。1時間40分ほどかけてグラナダに到着。

スペインの高速列車(AVE)

グラナダ駅で日本人の男性と遭遇する。マドリードからの日帰り旅行でグラナダにやって来たところ。一緒に街の中心まで歩く。彼はそのままアルハンブラ宮殿に向かい、私はカテドラルの近くで宿を探す。

最初にあたったペンションはフルだった。そのあとも、またそのあとも同様。今日は土曜日だ。予約していないとこういうことも起こりうる。

フルだった3軒目の宿で「近くにPension Sevillaというのがあるから行ってみたらどうか」と教えられた。

このPension Sevillaでやっと空き部屋が見つかった。シャワー・トイレ共同の個室が2泊で70ユーロ。まだ部屋のクリーニングが終わっていないということで、バックパックを部屋に置いていったん街に出る。

カテドラルからメインストリートを散策し、昼食をすます。2、3時間たったところで宿に戻ろうとしたのはよいが、ここだと思った場所にPension Sevillaがない。両隣の通りや近辺をあたってみるが見つからない。宿を出るときに位置をちゃんと確かめておかなかった失敗。幸いペンションの名前は覚えていたのでグーグル・マップで検索するが出てこない。あれこれ1時間以上探し回った。さすがに焦った。お金は支払っていないが、荷物は宿に置いてあるから、別の宿にすることもできない。

やむなく近辺のちょっと大きめのホテルに入り、恥を忍んで「道に迷っている。Pension Sevillaはどこだろうか」と尋ねて事なきを得た。Pension Sevillaにたどり着いたときには心底ホッとしたものだ。

アルハンブラ宮殿に行ったのは次の日だ。チケットを購入していないから、外から見たのにとどまる。チケットはかなり前からオンラインで予約していない限り入手できないようだ。

アルハンブラ宮殿

19日の昼食はアルハンブラ宮殿のふもとのレストランでとった。パエリアとサングリア(フルーツ入りの赤ワイン)で19ユーロ。パエリアはポルトガルや西サハラで食べたことはあるが、本場スペインでははじめてだ。味のほうは「まあ一度食べればいいか」という程度。サングリアも同様だった。

メインストリートでデモを目撃した。結構数が多い。千人くらいはいただろうか。MalagaやSevilliaと書いたプラカードも見られたので、おそらくアンダルシア一帯から集結しているのだろう。先頭の隊列は打楽器を奏でている。派手で陽気なデモだ。道行く人に聞いて見ると、医療問題への抗議(?)のデモらしい。

デモに遭遇

明日はマドリードに向かう。列車は1日に4本しかなく、朝の7時すぎを逃すと、午後3時になってしまう。

バスなら本数も多く、値段も安い。バスの時刻表とバスターミナルの位置を知るためにツーリスト・オフィスに入った。予期したとおりマドリード行きのバスは何本もある。10時発のバスで行くことにした。5時間かかる。バスで5時間なら高速列車なら1~2時間で行けそうなはずだが、4時間もかかる。ツーリスト・オフィスの男性職員の説明によると、マドリード行きの高速列車はセビリアのほうに迂回するためだという。時間がそう変わらず、値段が何倍もするなら、列車という選択肢はない。

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