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2026年1月5日月曜日

ベトナム2025 十四日目(帰国)

 12月15日

関空行きのVietJet機がハノイ空港を発つのは16日の午前1時40分。つまり、今日(15日)の夜までハノイを楽しむことができる。

9時過ぎにホテルを出て、旧市街に向かう。目的はドンスワン市場の動画を撮ること。ハノイに限らず、ベトナムの市場では遠慮なく動画を撮影できる。売り場のひとたちは写真や動画に寛容で、笑顔で応えてくれる。

旧市街


ドンスワン市場

いったんホテルに戻る。Rising Dragon Hotelのチェックアウトは12時まで。これを夜まで延ばしてもらえれば、部屋の中で体を休めることができる。しかし、4時まで延ばすには半日分(1600円弱)、4時以降は1日分の宿泊料がかかるとのことだった。それなら、もっと安いドーミトリーで休もう。Booking.comで調べ、Rising Dragon Hotelから歩いて7、8分のところにあるPanda Backpackers Hostelに移動することにした。12時ちょうどにRising Dragon Hotelをチェックアウトし、バックパックを背負ってPanda Backpackers Hostelまで歩く。1泊90Kドン。日本円で540円。これで夜までのベッドを確保できた。

Panda Backpacker Hostelのベッド

12時半にPanda Backpackers Hostelを出て、統一公園へ向かう。徒歩で30分以上かかるが、時間はたっぷりある。

途中の小さな食堂でMixed Fried Riceとグラス・ビールで昼食をとる。80kドン(480円)。ホステルの1泊分の料金とあまり変わらない。

Mixed Fried Riceとビール

統一公園は特に見るべきものもなく、人もそれほど多くなかった。アイスクリームを食べただけで帰路についた。

統一公園

一昨日飲んだエッグ・コーヒーをもう一度味わいたく、Rising Dragon Hotelのすぐ近くにある小ぎれいなカフェに入る。出てきたエッグ・コーヒーは一昨日のものとは異なり、ホイップクリームが大量にのっている。これはこれでおいしいのだが、ちょっとがっかり。70Kドン(420円)。

これもエッグ・コーヒー


5時ごろにホステルへ戻り、9時までベッドに横たわる。眠ることはかなわなかったが、夜間飛行に備えた休息にはなった。

空港までのタクシーはホステルに手配してもらった。350Kドン(2100円)とかなり高めだ。この選択は失敗。時間はたっぷりあるのだから、バスにすればよかった。

空港までは車で40分強。午後10時ごろに到着した。3年前にお世話になった女性に再会できるかもとMSBの両替カウンターへ行くが、目指す女性はいなかった。まあ当然だろう。カウンターでスマホの写真を見せて、「この人を知らないか」と尋ねるが、無駄だった(そもそも話がよく通じなかった)。使い残したいくばくかのベトナム・ドンを米国ドルに再両替する。20ドル返ってきた。

両替カウンターの前にある食堂で夕食とする。注文したのは和牛フォーとコーラ。和牛(Wagyu)フォーは150Kドン(900円)と高かった。和牛だから高ったのか、空港だから高かったのか。おそらくその両方だろう。和牛ということだったが、通常の牛肉との違いは私にはわからなかった。

和牛フォーとコーラ

向かいの席の若い女性が日本語で話しかけてきた。弟が日本で働いてるというこの女性、日本語はかなり前に勉強したとのことのことで、即席の日本語講座が始まる。大学では英語を専攻していることから、会話はおのずから英語に移行した。彼女はホーチミンシティに住んでおり、ラオスのルアンパバーンを旅行して、ハノイ経由で自宅に帰るところだった。ベトナム旅行の最後の最後で、またひとついい思い出ができた。

ホーチミンシティの女性

VietJet機はほぼ定刻通り、朝の7時半に関空に到着し、約2週間のベトナム縦断旅行を無事に終えることができた。

15年前のホーチミンシティへの旅行も悪くはなかったが、2回ほどぼられた思い出が心に刺さっていた。タクシーとコーラ1本での体験で、金額は取るに足らないものだ。せいぜい数百円だろう。だが、問題は金額ではない。タイ、カンボジア、ラオスなどで一切なかったことがベトナムで発生したのだ。

そのとき以来、ベトナムにほんのわずかのネガティブな感情がつきまとうようになった。3年前のハノイ空港でのプラスの体験もこれを払拭させるまでには至らなかった。

しかし、今回のベトナム旅行はこうしたネガティブなイメージを一掃し、完全にポジティブなイメージへと転換させてくれた。何のひっかりもなく「好きな国」と呼べるようになった。

ホーチミンシティに到着した初日、私の足をとり、手をとりとりしてバイクタクシーにまたがせてくれ、ヘルメットの装着を助けてくれたおばさんたち。ベトナム語だけをしゃべりながら。ホテルのスタッフたちもおしなべて親切だった。

もっとも、裏返して言えば、こうした助けを必然にするほどに、手を差し伸べざるをえないほどに私の老化と体力の劣化が進行しているのかもしれない。


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