よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2019年8月5日月曜日

沖縄戦跡巡り2019 四日目(バスツアー)

7月19日。

7時前にホテルの朝食をとる。Booking.comのレビューを見ると、ホテルブライオンの朝食の評判はかんばしくなかった。「(朝食が)付いていないほうがいい」という厳しい評価もあった。そんなことから期待していなかった朝食だが、私にとっては十分に満足できる内容だった。おにぎりと各種のパン、サラダ、ゆで卵、みそ汁、ポタージュ、ジュース、コーヒーに紅茶。もちろん2万円、3万円クラスのホテルの朝食バイキングとは比ぶべくもないが、5千円強のホテルにこれ以上を望むのは酷だろう。

「おきなわワールドと南部戦跡巡り」ツアーは8時15分に沖縄バスの本社に集合となっている。本社はゆいレールの県庁前駅と旭橋駅のちょうど中間にある。7時半ごろにホテルを出て、歩いていくことにした。

8時過ぎに集合場所に着き、ツアー代金の4900円を支払う。8時半から15時半ごろまで、約7時間の昼食込みのツアーだから、高い値段ではない。今日のツアーの参加者は私を含めて4名。残り3名は東京から来た若夫婦とその夫のほうの父親。若夫婦の2歳の息子も一緒だが、これは員数に入っていない。ツアーは毎日催行している。参加者が1名でも催行するとのこと。

女性ガイド付きのミニバスに乗り込み、定刻通りにツアーは出発した。空はどんよりと曇っているが、雨は降っていない。

バスは最初の観光スポットであるニライカナイ橋を通り抜ける。地上高く、ぐねぐねと蛇行する橋が壮大な眺望を提供する。

ニライカナイ橋を渡る

9時半過ぎに「おきなわワールド」に到着。これは地下の鍾乳洞と地上の沖縄ミニテーマパークを組み合わせた観光アトラクションだ。入園料はツアー代金に含まれている。

地下に入り鍾乳洞の通路を歩く。かなりの湿気だ。地上に出るとホッとする。熱帯フルーツ園、琉球ガラスの工房、ハブや白蛇、ハブ酒や泡盛の製造所を巡り、沖縄の伝統芸能であるエイサーのショーが催されるエイサー広場に至る。10時半からはじまったエイサーのショーは11時ごろに終わった。盆の時期に地区を練り歩くのが本来のエイサーであり、ここでのエイサーはショー化された創作エイサーだ。エイサー上演中の写真撮影は禁止だった。

鍾乳洞

エイサー終了後に客を交えて踊る

エイサーの終了とともにバスに戻る。おきなわワールドの類いは私の趣味には合わないが、この種のアトラクションも沖縄の伝統や自然を垣間見る助けにはなるかもしれない。

おきなわワールドを後にして、バスは摩文仁(まぶに)の平和祈念公園に向かう。米軍の進撃により首里の放棄を余儀なくされた第32軍司令部は1945年5月27日から30日にかけてここ摩文仁に撤退した。6月22日(あるいは23日)には牛島満軍司令官と長勇参謀長が摩文仁の壕で自決、23日に沖縄戦は一応終結した。しかし、牛島司令官が自決にあたって「最後まで敢戦」するよう部下に命じたこともあり、戦闘は8月15日の終戦まで、さらに終戦以降も続いた。

公園に入るとすぐ左手に韓国人慰霊塔がある。韓国政府が設立し、管理している塔だ。日本語、英語、ハングルの説明板がある。

韓国人慰霊塔

右手には数多くの赤い屋根が目に付く。平和祈念資料館。公園での滞在時間は1時間ほどなので、残念ながらこの有料の資料館に入る余裕はない。

資料館のすぐ裏に平和の礎(沖縄の言葉では「いしじ」と読む)が広がる。平和祈念公園のメインのモニュメントといえよう。24万人を超える沖縄戦の全戦没者の氏名が放射線状に配置された数多くの石板に刻まれている。氏名は沖縄の各市町村、沖縄以外の都道府県、外国(米国、韓国、北朝鮮、台湾)ごとにまとめて刻まれている。1995年に建設された礎だが、毎年何名からの氏名が追加されている。

平和の礎その1

平和の礎その2

平和の礎その3(台湾と北朝鮮)

平和の礎を少し離れ、摩文仁の丘から海を眺める。曇っていた空がつかの間晴れ、海はあくまで穏やかだ。

時刻は12時過ぎ。次の目的地のひめゆりの塔に向かう。平和祈念公園からひめゆりの塔までは車で10分ちょっとの距離だ。1945年5月末に南風原陸軍病院を撤退したひめゆり学徒隊は南部各地に分散する。ゆめりの塔は沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に建てられている。壕入口の横に立つ塔は想像していたよりはるかに小さく、せいぜい1メートルくらいしかない。1946年に建てられ、いまではかなり風化している。

ひめゆりの塔

1975年に当時の皇太子夫妻がひめゆりの塔を訪れたとき、火炎瓶を投げられる事件があった。昭和天皇は戦前・戦後一度も沖縄を訪れていない。

ツアーガイドの女性に「(戦後は)とても天皇が沖縄を訪問できるような状況ではなかったでしょうね」と言うと、そのとおりとのこと。ガイドは復帰後の生まれだが、日本の国旗や国歌に対するアレルギーが非常に強かった時代を知っているという。

塔を見たあと、近くの土産物屋兼食堂でランチとなる。4900円のツアー代金に含まれているランチだから、多くは期待できない。

 ツアーの昼食

昼食後の休憩時間はたっぷりあったので、ひめゆり資料館を見学した(入館料310円)。沖縄戦で亡くなった200余名のひめゆり学徒の氏名と写真が壁にかかっている。「ノブコ・マーチン」という名前が目に付いた。マーチン。西欧の姓ではないか。写真は日本人のように見えるが、2世なのだろうか。あとで調べてみたが、手がかりは得られなかった。

これで戦跡巡り(戦跡碑巡りといったほうが正確かもしれない)は終了。最後にアウトレットモール(あしびなー)に立ち寄る。ブランド品のショップやレストランが集まったかなりの規模のモールだ。アウトレットに立ち寄るくらいなら、平和祈念資料館を見る時間を割いてほしいところだ。だが、ここらへんには格安ツアーの事情があるのだろう。今日の参加者は4名。収入は2万円にも満たない。おそらく赤字だ。

ショッピングする気はないので、カフェに入ってコーヒーとケーキで時間を過ごす。ここも中国人観光客が多い。

バスが沖縄バスの本社に戻ったのは3時半過だった。帰り道、ガイドが沖縄の歌を披露してくれたが、恰好の子守歌となり、うとうととした。

平和の礎もひめゆりの塔も自力で行くことができだろう。そのほうが安上がりのうえ、平和資料館もじっくり見学できたはずだ。とはいえ、ツアー参加を悔やんでいるわけではない。こうしたツアーも沖縄の現実の一面だ。

沖縄バスの本社から徒歩で県庁前に出て、そこからさらに国際通りまで足をのばし、大きく回り道してホテルに戻った。

途中、ローソンで夕食のカツ丼と缶チューハイを購入。ローソンの女店員はネパール人だった。

昨日のファミリーマートの女店員もネパール人だった。名札を見て「インドネシア?」と尋ねると「ネパール」との答え。2年前にネパールに行ったことを話す。話していると、もうひとりの女店員が近づいてきて「ベトナムに行ったことはあるか」と聞いてくる。私が訪れたのはホーチミンシティだけだが、彼女はハノイ出身だった。

沖縄にはまだ2日滞在できる。台風の影響は小さく、明日も明後日も曇りの予報だ。行き損なった伊江島に日帰りで行くことも可能だが、早朝に那覇を出発しなければならない。無理をせずに、残り2日も那覇またはその周辺で過ごすことにした。明日はまず浦添市にある前田高地に行こう。

0 件のコメント:

コメントを投稿