9月10日
6時半に朝食。7時半ごろにホテルをチェックアウト。
朝のマリ
今日はウズベキスタンのブハラに行く日。バスで国境を目指す8時間余りの道のり。なかなかの悪路で、スピードは出せない。
これまで我々に付き添っていた現地の日本語ガイドは、父親の具合が悪いということで急遽実家に帰り、代わって長身の若い英語ガイド(男性)がバスに同乗した。
昨日のアシュガバードからマリまで、そして今日のマリから国境までのバスの中、ガイドが我々の質問に答える時間がとられた。質問はそれぞれ紙に書いて添乗員に渡した。私も質問を書いたが、あまりの悪筆に躊躇して、提出はしなかった。
この質疑応答は興味深かった。ところどころにガイドたちの本音がかいまみられる。トルクメ人の平均月収は3~4万円であるとのこと。公務員は優遇されており、7万円くらいの収入があるらしい(アシュガバード中心部の白いアパートの住民も公務員が多い)。
トルクメニスタンに議会はあるが、政党は1つしかない。つまりは一党独裁。
トルクメニスタンの現体制に対して特に不満はないとのことだったが、アシュガバードの大理石の白い建物や白い車については「クレージー」との感想を漏らしていた。
そういえば、2日前のアシュガバードのナイトツアー中、ガイドは初代大統領ニアゾフの著書「RUHNAMA」についてかなり批判的だった。内容はともかく、学校やその他の場で「聖なる書」と化している、その扱われ方についての批判だ。
デモも皆無ではないらしい。北朝鮮とは異なり、トルクメンスタンでは少なくても「デモがあった」という事実を認めるだけの自由は存在する。
ガイドたちとの興味深い「対話」のあとも、トルクメニスタンがどこまで豊なのか(あるいはどこまで貧しいのか)、表現の自由がどこまで許されるかといった根本的な疑問は未解決のまま残った。言いうることはただ1つ、トルクメニスタンは「中央アジアの北朝鮮」などではないということ。
2時半ごろにレストランで昼食をとり、国境に着いたのは4時か5時ごろ。出入国の手続きは若干混乱気味で時間もかかったが、特に問題もなく進行した。
国境
国境を出ると、ウズベキスタン人の日本語男性ガイドに迎えられ、バスでブハラに向かう。ブハラも17年ぶりだ。ホテル(Malika Bukhara)に到着したのはすでに日も暮れた午後8時前。制限のないネット接続が再び可能になる。
レストランでの夕食のあとは、ガイドが案内する1時間余りのウォーキング・ツアーだ。自由参加だったが、ほとんどのメンバーが参加したように思う。
9時を過ぎているにもかからわず、ブハラの街には人があふれていた。17年前にブハラを訪れたときの記憶はもっぱら昼間の光景だから、夜のブハラは新鮮だった。17年前に見たチャイハナ(野外のティー・ハウス)などは影も形もない。
ブハラの観光の目玉であるカラーン・ミナレットは、17年前にも見たはずだが、記憶から飛んでいた。
夜のブハラ
カラーン・ミナレット
絨毯やナイフの店なども見学してホテルに戻ったのは、11時近く。明日は早朝5時15分の列車でタシケントへ向かうため、3時にモーニング・コールがある。早く寝なければ。
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