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2025年12月31日水曜日

ベトナム2015 九、十日目(ディエンビエンフー)

 12月10日

11時にUrban Alley Hotelをチェックアウト。ホテルに手配してもらったタクシーで空港に向かう。タクシー代は12ドルで、Grabとあまり変わらない。

空港内の食堂で牛肉フォーを食べ、朝食とする。値段は忘れたが、空港にしてはそう高くはなかった。

少し遅れて飛び立ったベトナム航空機は午後3時にディエンビエンフーに着いた。

機内から見たディエンビエンフー


宿は予約していなかったが、いつもの手でBooking.comで目星をつけていた。Nha nghi Tam Guongという名称のホテル(ゲストハウス)。Booking.comの口コミ評価も非情によいうえ(9.1)、1泊200Kドン(1200円)という安さだ。このゲストハウスまでタクシーで行く(50Kドン=300円)。Booking.comで調べておいたとおり、部屋は空いていた。ここに2泊することになる。部屋は簡素ながら、シャワー、トイレはもちろん、テレビも冷蔵庫もある。

Nha nghi Tam Guong


ホテルの主人は英語をまったく話さない。壁に貼ってあった世界地図の中の日本を指さし、私が日本から来たことを確認すると、あとはすべて彼のスマホのGoogle翻訳を通じて意思疎通することになった。

4時半にホテルを出て、町の中心である勝利博物館(Museum of Dien Bien Phu Victory)まで歩く。ディエンビエンフーが世界にその名を知られているのは、1954年5月にベトナム軍(ゲリラ)がフランス軍を破った戦場としてだ。この敗戦によってフランスはインドシナから撤退することになる。今日は時間も遅いため、博物館見学は明日に回すことにした。

勝利博物館

ホテルの主人から「博物館の裏においしいフォーの店があり、外国人のお客さんにも人気だ」という情報を得ていたので、博物館の周りを探索したが、それらしい食堂は見当たらなかった。

スーパーで多少の買い物をしたあと、ホテルに引き返す。今日も昼食を抜いており、時刻はすでに6時を過ぎている。ホテル近くの小さな食堂に入り、言葉がまったく通じないなか、スマホのグーグル翻訳で壁のメニューを解読し、魚スープのヌードルを注文。40Kドン(240円)で、まずまずの味。

12月11日

10時すぎにホテルを出る。今日は戦勝博物館を皮切りに、対仏戦の戦跡をたどるつもりだが、その前にやっておきたいことがある。

まずは両替だ。空港とフエですでに合計400ドルをベトナム・ドンに替えているが、クレジットカードをあてにできないことを考えると、もう少し現金を用意しておきたい。

グーグル・マップを頼りに両替屋を目指して20分ほど歩いたが、見つからない。当該の場所に保険会社らしきものがあったので、中に入って尋ねる。ここでも両替はやっておらず、近くのBIDVという銀行に行くように勧められる。

BIDVでやっと40ドルを両替できた。レートはよくなかったが、40ドルくらいでそう差が出るわけでもない。ここまでの過程で、保険会社でも銀行でも英語はいっさい使わず、すべてGoogle翻訳で済ませた。これがベトナムの地方の実態だろう。

博物館見学の前にもうひとつやっておきたかったのは、ムオンタイン市場を見ることだ。市場はやはり午前中のほうがいい。

北方へ10分以上歩いて市場に着く。規模はそれほど大きくないが、活気のある市場だ。民族衣装の女性もちらほら見かける。

ムオンタイン市場

市場の動画

勝利博物館の方向に引き返す。だが博物館の門は閉まっている。11時から1時半までは昼休みとのこと。今は11時半。2時間ほど時間をつぶす必要がある。博物館と道路をはさんだ野外のカフェに入ることにした。カフェの若い女性が英語で声をかけてくる。飲みたかったマンゴー・ジュースはなく、代わりにココナッツ・ジュースを勧めてくる。「(ココナッツ・ジュースは)healthy for your body」と。ディエンビエンフーではじめて聞く英語だ。

野外カフェ

ココナッツ・ジュース

野外カフェのすぐ隣は人民軍兵士の霊園だ。入場は無料なので入ってみる。

人民軍兵士の霊園

小雨が降り始めるなか、1時半を過ぎたので、勝利博物館に入る(入場料100Kドン=600円)。まず展示物のある2階に案内される。写真、模型、武器、彫像、新聞などの文書類。植民地支配からの解放と独立の転回点となった戦闘だけに、力の入った展示であり、規模も大きい。

作戦を練るホーチミン

地下道の人民軍

人民軍の武器と衣服

ひととおり見て1階へ降りると、戦いの経緯を360°のパノラマ状に描いた部屋に案内される。

戦火

降伏するフランス軍

3時から別の部屋で戦いを描いたドキュメンタリー映画が上映された。30分ほどの短い映像で、フランス語のナレーションに英語の字幕が付いていた。残念ながら、内容はよく覚えていない。

博物館にはそこそこの人数の来訪者がいた。全体で30人ほどか。欧米人が多かったが、ベトナム人らしき姿もちらほら。

博物館を出ると、外は雨だった。それほど強くはないが、傘は必要だ。傘をさしながら、次の目的地の「A1の丘」を探す。フランス軍が最後まで立てこもった激戦地の丘のひとつだ。丘は博物館の近くにあるが、入り口を探すのに手間取った。

なんとか入り口を見つけ、入場料の20Kドン(120円)を支払う。雨の中、丘へ登ろうとするが、これが曲者だった。つるつる滑りそうな小さな丸木橋を渡るのがこわい。なんとか迂回路を見つけて、頂上を目指す。だが、雨に濡れた敷石に足をとられ、前のめりに転んでしまう。ズボンを少し汚しただけで済んだのは不幸中の幸い。丘へ登るもっと広い道があったのだが、このときは気づかなかった。

丘への道

雨が降っており、時間も遅かった(4時半過ぎ)せいか、私以外の来訪者は見かけなかった。

A1の丘

フランス軍の戦車

人民軍が投下した960キロの砲撃の跡

フランス軍の地下壕

A1の丘を降り、宿へ向かって歩きだしたころには雨は止んでいた。時刻は7時を過ぎている。宿の近くのこぎれいな食堂に入る。グーグル翻訳でメニューを解読し、「片面がカリッとした土鍋ご飯」なるものを注文した。料理が出てくるのが遅く、グーグル翻訳で文句をつけにいくほどだった。出てきた料理もいまひとつ(いまふたつ?)で完食はできなかった。写真ではおいしそうだが、肉がパサパサで、カリッと仕上がったライスが固すぎた。69Kドン(410円)。

片面がカリッとした土鍋ご飯

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