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2016年10月19日水曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 三日目(ルセ)

9月27日。

宿での朝食後、10時半のルセ(Ruse, Puce)行きバスに乗るため、中央バス・ステーションに向かう。ルセ行きの大型バスはほぼ満席だったが、私の隣は空席。ほっとする反面、貴重な出会いのチャンスを逃したという思いもする。途中、昼食のための20分の休憩があった。他の乗客の多くが食べていたのにならい、私もチキンスープとパンを注文した。ブルガリアやルーマニアではスープとパンの組み合わせがもっとも安上がりの食事らしい。

休憩時の昼食

ソフィアを出てからおよそ5時間後、バスは午後3時半ごろにルセのバスターミナルに到着した。明日はルーマニアのブカレストに行くことにしていたので、ここで切符を買っておきたい。ルセからブカレストに行くには列車という選択肢もあり、鉄道駅はバスターミナルのすぐ近くにある。念のために駅にまで行って調べると、ルセからブカレストまでは1日に1本、16時30分の列車があるとのこと。これでもよいが、列車には遅延の可能性がある。大幅に遅れれば、ブカレスト到着が夜になってしまう。またバスターミナルに引き返し、翌日午後1時過ぎ(正確な時刻は失念した)のバスのチケットを購入した。値段も忘れてしまったが、そう高くはなかったはずだ。

バスターミナルから徒歩でルセの市街地まで行く。2~30分はかかっただろうか。まず宿を決める必要がある。ぶらぶらと歩きながら探したが、ホテルらしきものがなかなか見あたらない。市の中心にあるツーリスト・インフォメーション・センターにあたってみることにした。「安めのいいホテルがないか」と尋ねると、「いくらぐらいが希望か」と聞き返される。50レフ(2700円くらい)と答えたところ、センターから歩いて10分ほどのChazlinoというホテルを紹介された。

Chazlinoホテルは50レフではなく70レフ(3700円ほど)だった。これ以上ホテルを探すのも面倒なので、ここに泊まることにする。大きなホテルではないが、部屋は広くてしゃれている。朝食も付いている。

ホテルの部屋で一休みしてからルセの散策に出た。こぢんまりした感じのいい街だ。外国人観光客の間では日本の印象はなによりも「クリーン」であることらしいが、ルセもこの点では日本にひけをとらない。ゴミや落書きの類いはほとんど見かけなかった。

動画を撮りながら歩いていると、道行く人が私に向かって手を振ったり、話しかけたりしてくる。ストリートミュージシャンの歌声や楽器の音も聞こえる。市の中心の広場では子供たちが遊び、カフェも賑わっている。カフェに入り、ビールで喉をうるおしてから、さらに散策を続ける。さわやかな気候。あてもなく未知の街を歩くのが気持ちいい。

ルセを歩く

こぎれいなルセのストリート

1981年にノーベル文学賞を受賞したエリアス・カネッティ(Elias Canetti)という作家がいる。ルセはこのカネッティが生まれた地だ。作品はドイツ語で書かれているが、彼の家系はスペインから逃れてきたユダヤ人であり、コスモポリタンあるいはヨーロピアンという形容がぴったりする作家と言えよう。私は何年も前に彼のBlenndungとDie gerettete Zungeという作品を読んだ。Die gerettete Zungeは自伝3部作の最初の巻で、文字通り訳せば「救われた舌」という意味だが、「Zunge」には「舌」のほかに「言語」という意味も含まれており、彼の幼年期、少年期の複雑な言語事情を表している。

カネッティがルセの生まれというのはブルガリア到着の日に遭遇したVesselinから聞いて知った。Die gerettete Zungeはかなり興味をもって読んだ作品だったはずだが、内容はすっかり忘れていた。帰国後本棚から出して調べると、この自伝の第1部のタイトルは「Rustshuk 1905-1911」となっている。Rustshukとはルセのドイツ語地名で、ルセにほかならない。ルセ(Rustshuk)については冒頭部分で次のように描かれている。

Rustshuk, an der unteren Donau, wo ich zur Welt kam, war eine wunderbare Stadt für ein Kind
(私が生まれた地であるドナウ川下流のルセは子供にとってすばらしい都市だった)

さらに「ルセにはさまざまの由来の人々が暮らしており、ブルガリア語のほか、トルコ語、ギリシャ語、アルバニア語、アルメニア語、ロマ語など7つか8つの言語が聞かれた」ともある。

こうした20世紀初頭のコスモポリタンな雰囲気が今日のルセにどのくらい残っているかは、たった1日滞在した私には知るよしもない。しかし少なくとも表面的には今なお、子供にとっても大人にとっても「wunderbare Stadt」(すばらしい都市)であるように見えた。

正直なところ、もっと貧しくもっと荒廃したブルガリアを予測していたので、これはちょっと意外だった。

夕食はちょっと贅沢にした。といっても、私なりの贅沢だから、飲み物も含めて1000円もしない。ホテルに戻ったときには夜はとっぷりと暮れていた。

ちょっぴり豪華な夕食

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