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2016年10月10日月曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 経緯と準備

2011年10月にルーマニアを訪れ、ブカレストに2泊、ヤシに1泊、合計3泊した。モルドバと沿ドニエストル共和国に行く途中で立ち寄っただけのつかの間の滞在だった。だが、このときに受けたルーマニアの印象は予想外によかった。

ブカレストからモルドバとの国境に近いヤシに列車で抜けただけだから、風景にはそれほど目を惹くものがなかったが、食べ物がよかった。ちょっとお金をはずみ(といっても500円~1000円くらい)ちゃんとしたレストランでちゃんとした料理を注文すれば、ルーマニア特有のリッチな食を楽しむことができる。

ブカレストのレストランで(2011年)

料理よりもすばらしいのが「人」だった。道を聞けば、ていねいに教えてくれる。自分が知らないようなら、周りの別の人に尋ねてくれる。ヤシで若い女性にモルドバ行きのバスを尋ねたら、発車場まで案内してくれた。「日本や韓国などのアジアの文化にはまっている。道を聞かれたとき、英語を試す機会にもなるのでうれしかった」と言いながら。親切なだけではなく、英語が通じる確率が非常に高いことにも驚いた。

このとき以来、ルーマニアはいつか再訪したい国のひとつとなった。

それから1年後の2012年10月にマケドニアを訪れた。首都のスコピエの北5KmほどのところにSutka(正式にはSuto Orizari)という町がある。これは欧州最大の、つまりは世界最大のロマ(ジプシー)の自治体といわれている。もともとロマに漠然とした関心があったこともあり、ここまで足をのばしてみた。はじめてのロマの集落に一抹の不安もあったが、現地についてみるとそうした不安が吹き飛んだ。子供から大人まで、道ですれ違う多くの人々が声をかけてくる。ドイツ語で話しかけてくる歯の抜けた老婆(シュトゥットガルトに4年住んでいたということだった)、イタリア語が話せるかと尋ねてくる若者。欧州の他の場所ではお目にかかることのない歓迎ぶりだ。危険はまったく感じなかった。

マケドニアのSutka(2012年)

スコピエのロマの子供(2012年)

フランス、スペイン、イギリス、イタリアなどでルーマニアやブルガリアからやってきたジプシーが問題になっていることはもちろん承知していた。子供や女性を使ってスリや置き引き、物乞いをやっている犯罪集団というイメージが定着していることも。実際、パリではそうした子供たちを何度も見かけた。グルジアの首都のトビリシでロマの子供たちの集団を見かけたこともある。Youtubeにはロマの子供たちの「犯罪現場」をとらえた動画がいくつもアップされている。

西ヨーロッパ諸国に定着しているロマのネガティブなイメージ。Sutkaで見かけたフレンドリーな人々。この2つをどう両立させたらよいのか。ロマに関する謎と興味は一段と深まった。

そして今回の旅行。もういちど訪れたかったルーマニア。ルーマニアといえばロマの人口がいちばん多い国だ。ロマの集落の探訪をテーマとしてルーマニアへ行こうと決めた。ついでにまだ訪れていないブルガリアにも立ち寄りたい。ブルガリアにもロマは多い。

ソフィア(ブルガリア)Inでブカレスト(ルーマニア)Outの航空券を調べると、ターキッシュ・エアラインズが安い。燃料サーチャージ、空港税等すべてひっくるめて6万8千円ちょっと。9月末から10月始めは暑くもなく寒くもなく、雨も少ないらしい。時期的にもちょうどよい。

だが、「ロマ集落の探訪」といっても、どこにどのように行けばよいのかさっぱりわからない。ざっとネットを検索するも、ロマやジプシーに関する一般的な情報は数多く出てきても、ルーマニアやブルガリアのどこにロマの集落があり、そこまでどうやっていくのかという具体的な情報はほとんどない。

これはもっと本格的に調べないとと思いつつも、手がつかないまま9月24日の出発の日が来てしまった。

かくて24日21時30分関空発のターキッシュ・エアラインズの便ではじめての地、ブルガリアのソフィアに向けて飛び立った。「ロマ集落」に一歩も近づくことができずに、ただの観光旅行に終わるのではないかという危惧を抱えながら。

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