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2017年3月14日火曜日

ラオス2017 十日目(帰国)

2月15日。

朝早く6時ごろに目が覚めた。ルアンパラバーンは2度目だが、まだ早朝の托鉢を見ていない。今急いで外に出れば、見ることができるかもしれない。しばしの葛藤。結局楽をしたいという怠け心のほうが勝ち、そのままベッドに横たわる。

今日は帰国日だが、フライトは夕方の19時10分。十分に時間はある。が、体が疲れており、あまり動き回る気になれない。午前10時のチェックアウトタイムぎりぎりまで部屋にとどまった。

チェックアウトし、荷物を宿に預けて、まず伝統芸術民族センターに向かう。自称少数民族研究家としてはどうしても訪れておかなければならない場所だ。入場料は25000キープ(約350円)。フラッシュをたかないことを条件に写真撮影も許されていた。ネットやガイドブックでは評判のよいミュージアムだが、いかんせん小さすぎ、したがって展示物も少ない。結構丹念に読んだ説明も、いまとなっては完全に忘れている(これはまあこちらの責任)。あとから気づいたが、このミュージアムは2年前にも訪れていた。

展示物(モン族の衣装)

次にタラート・ダーラーという市場へ行く。市場というより一種のショッピングモールで、食料品はあまり扱っておらず、日用雑貨や携帯電話を売る店が多く並んでいる。ここも2年前に訪れた。2年前と同様に活気がなかった。

タラート・ダーラーの近くに小さなCDショップがある。2年前にここで何枚かのDVDを購入した覚えがある。今回特に興味があったのはラオス南部サラワン県の音楽だ。あるとき偶然にYoutubeで見かけて以来、この地方の歌と踊りに惹かれていた。サラワン音楽のCDかDVDを買うつもりでショップに入る。

2年前には英語を少ししゃべる男性が店番をしていたが、今回店にいた中年の女性に英語は通じなかった。それでも何とかラム・サラバンのDVDを1枚購入した。10000キープ(約140円という安さ。正規の製品ではないのだろう。

メインストリートに沿って並んでいるフルーツシェイクと軽食の屋台のひとつに入り、昼食をとる。焼きそば(15000キープ)とシェイク(10000キープ)。ここに入るのは3回目。安易な選択だが、あまり考えることなく安く注文できるので、ついつい入ってしまう。

しばらく街を歩いてから、疲れていたこともあり、宿に戻り、外に出ているソファで休む。オーナーの日本人女性としばらく話した。春節のときはルアンプラバーンの宿がどれもいっぱいになり、あぶれた観光客が朝から宿を求めてうろうろしていること、香港や台湾から来た観光客と中国本土から来た観光客にははっきりとした違いが見られることなど。香港や台湾の客は総じて英語も流暢で、部屋をきれいに使ってくれるのに対し、中国本土の客は一方的に中国語で話しかけ、部屋のいたるところにゴミを残したまま出て行くとのことだ。中国本土のみんながそんなわけではないだろうが。

空港に行くためにちょっと早めの5時にタクシーに迎えにきてもらえるよう頼んであった。まだ3時ちょっと過ぎ。体も休まったところで、最後にポーシー市場に行くことにした。ポーシー市場は市の中心から2~3km離れている。歩けない距離ではないし、時間的にもなんとか間に合う。しかし体の疲れを口実にトゥクトゥクで行くことにした(片道10000キープ)。

ポーシーは食料品、雑貨、衣服を扱っている市場だが、それほどの活気はなかった。3時過ぎという時間帯のせいかもしれない。

ポーシー市場

5時前に宿に戻る。タクシーはすぐにやって来た。

飛行機はルアンパラバーンを定刻どおり飛び発った。ハノイの空港で5時間近くの待ち時間を過ごし、早朝に関空に到着して、2度目のライス旅行は終了した。

「ラオス北部の少数民族探訪」をテーマとした今回の旅はまずは満足できるものだった。もちろんこれは自己満足でしかなく、ほんとうに少数民族を探訪し、知ることができたわけではない。いろいろな村を巡ったが、これも運転手やガイドの力を借りて、つまりは他力本願で実現できたにすぎない。

現地の言葉ができないことに加え、知識と勉強の不足が大きい。こうしたいかんともしがたい限界の範囲内で、まあまあ望んでいたとおりラオス北部のモン族やアカ族の村を垣間見ることができた。4日目に米国人のクリスに出会えたのはいい刺激だった。ラオスは何回でも訪れたい国のひとつだ。まだ訪れていない南部にも行ってみたい。サラワン県の音楽もあることだし。

今回の旅で知った小知識を2つ紹介しておう。モン族は中国のミャオ族とつながっている。しかしラオスで「ミャオ」という言葉を使うには注意が必要になる。「ミャオ」はモン族指す蔑称だからだ。私はこのことを知らず、うかつに「ミャオ族とモン族の関係」を質問したりした。

もうひとつ。ベトナム戦争時アメリカ軍に協力した(CIAに操られたというほうが正確かもしれないが)モン族はその後ラオスの政府と軍に迫害され、多くがアメリカに移住した。ここまでは知っていたが、モン族を積極的に受け入れたのがミネソタ州だとういうのは初耳だった。山岳民族のモン族がアメリカの生活に慣れることの困難さは想像に難くない。こうした人々をgood heartのミネソタ州が受け入れたとはクリスの弁。

今回の旅で撮った少数民族の村の写真をスライドショーにまとめた。背景の音楽には、少数民族にはあまり関係ないが同じラオスということで、サラワンの歌(Lum Salavan)を使った。

少数民族の村のスライドショー
 

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