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2018年7月7日土曜日

インドネシア・パプア州2018 六日目(ワメナ) 

5月30日

今日はワメナの町の中で一日ゆっくり過ごすつもりだ。

朝食後、9時前にホテルを出て、あてもなく町外れまで歩く。途中に市場があったので立ち寄る。大きい市場だが、閑散としてる。

閑散とした市場

街中に引き返し、空港まで歩く。トゥリガナ航空のオフィスがあったので、明日のジャヤプラ(センタニ)行きのフライトが予定通りであることを確認しておく。キャンセルや遅延が多い航路だけに気がかりだった。

路上での賭博を今日も見かけた。

路上賭博

昼食はホテルの前の食堂でとった。無難なところで焼きそば(ミーゴレン)。可もなく不可もなし。値段は忘れたが、20Kから30Kルピアの間だろう。

昼食後、しばらくぶらぶらしたあと、Papua.comへ行く。ネット・カフェを利用するためだ。ネットにつなぐだけならホテルのWifiを利用すればいいのだが、これまで藤原さんにお世話になりながら、金銭はまったく支払っていない。藤原さんが受け取ろうとしないからだ。せめてネット・カフェの客としていくばくかをお返しするしかない。

Papua.com

ネットを30分ほど使う。速度は極端に遅い。ワメナのように通信インフラが貧弱なところでネット・カフェを運営する苦労がしのばれる。communal violenceとWamenaをキーワードにして、昨日ガイドが話していた死者数30人を超える紛争(というより小規模な戦争だ)を検索したが、それらしきものはまったくひっかからなかった。おそらくガイドが誇張したのだろう。

ネット代はたったの7K(50円ちょっと)だった(これさえも藤原さんは「払わなくていい」と言っていた)。

この藤原さん、なかなかの冒険家だ。高校時代から登山を始め、新宿の住友三角ビルに命綱なしに素手で登ったこともあるとか。日本からニューギニアまでヨットで渡航し、さらにボートで高地までやってきたという。この冒険譚については同行した歌手の峠惠子さんの著作がある。

http://honz.jp/articles/-/42074

夕食は3日連続でラマダン・テントで購入した。ワメナで最後の夜なのでお菓子も2つ追加した。正直なところ、インドネシアではそれほどおいしいと思う食べ物に遭遇していなかったが、このお菓子は絶品だった。見かけは大福や草餅に似ているが、中に入っているのはあんこではなく、ヤシ砂糖だろうか。バリ島に戻ったときに、お土産にと探したが、見つからなかった。

ここで4泊5日したワメナの印象をまとめておこう。

ワメナ

先にも書いたが、ワメナではダニ族などの先住民とインドネシアの他の地域からの移住組が混在している。ざっと見たところでは先住民7割、移住組3割といったところだが、この数字は印象でしかなく、根拠はない。

商店、レストラン、ホテルなどに携わっているのはほとんど移住組だ。私が宿泊したBaliem Pilamo Hotelでも受付やホテルのスタッフはすべて移住組で、先住民はもっぱら掃除や雑用の担当だった。

ワメナで気づいたのは、町の中か山道かを問わず、裸足の人が多いことだ。子供だけではなく、大人にも裸足が多い。3分の1あるいは4分の1くらいの人が靴もサンダルも草履も履いていなかった。

人々はフレンドリーだ。歩いているとよく声がかかる。おそらく「ハロー」とか「ウェルカム」に相当する言葉をかけてくるのだろうが、よくわかない。握手を求めてくる人も少なくない。手を握りながら、「ワッ、ワッ、ワッ」と言う。「ワッ」とはおそらく「うれしい」という意味なのだろう。こちらも「ワッ、ワッ、ワッ」と返す。

ワメナの町の中でコテカ(ペニスケース)姿を見ることはまれだが、皆無ではない。すべて老人。ホテルの周辺で見かけるコテカ姿はツーリスト目当ての物乞いである場合が多い。こうした1人に捕まったとき、そばを通りかかったインドネシア人の女性が私のほうに目配せをして、「相手にするな」といったしぐさをしたこともあった。

たまに見かける裸の老人

先住民間での争いについてはガイドや藤原さんから聞いたが、Papua.comで検索していて気づいたのはパプア人のインドネシアからの独立運動だ。こうした動きが今でも存在するののかどうか、移住組に対するパプア人の感情がどのようなものかについては聞きそびれてしまった。

明日はジャヤプラ(センタニ)へ移動する日。飛行機がちゃんと飛んでくれるとよいのだが。

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