2月8日。
7時半ごろに朝食をとる。ヤンゴンのBeauty Land Hotelより劣るが、まずは満足できる内容だ。お粥が用意されているのは中国の影響か。
ガイドは9時ちょうどにホテルにやって来た。Josephという名前のアク(ZAkhu)族の青年だ。出発に先立ち、今日と明日の行程を簡単に打ち合わせる。今日はアカ(Akha)族とEnn族の村を訪れるとのこと。
まず中央市場に立ち寄り、ランチ用の食料を買い出す。葉っぱに包まれた黒い米のおにぎり2つとソーセージ。村の子供たちに配る飴も2袋購入した。
スクーターのうしろにつかまりながら1時間近く、舗装も途切れた山道を行く。最初にアカ族でもエン族でもない小さな村(何族の村かは忘れた)を訪れた。7、8人の女性たちが外で並んで刺繍をしていた。その横を水牛が首に付けた鈴を鳴らしながら通り過ぎる。
次にアカ族の村に行く。アカ族はもともとは中国から来た人々で、ミャンマーのほか、タイやラオスにも居住している。私は2年前にラオス北部のアカ族の村を訪れたことがある。ミャンマーのアカ族とラオスのアカ族がどれほどに同じで、どれほどに異なるのか、興味深いところだ。同じ言葉をしゃべっているのかどうかは私には判断できない。服装や生活様式については多少の違いがありそうだ。ラオスのアカ族の村では伝統衣装を着用している女性をほとんど見かけなかったのに対し、ミャンマーのアカ族では多くの女性が今でも日常的に伝統衣装を身につけているようだった。ラオスでは中国から安価な洋服が大量に輸入され、伝統的な装飾や服装を放逐してしまったとのことだった。
高床式の家屋、放し飼いされている黒豚。教会も見える。村には男性の姿はあまり見あたらない。農作業に出かけているのだろう。女性たちは手作りの袋や装飾品を私に売りつけてくる。これは困る。しつこい売り込みではないが、いちいち断るのが後ろめたい。たとえ必要なくとも、謝礼の意味でいくばくかの買い物をする用意はある。しかし、訪れるのはこの村だけではない。勧められるままに買うわけにはいかない。
ある家に立ち寄り、しばしの休憩。ガイドにとってもはじめて訪れる家らしい。近所の女性も2、3人集まってくる。ヒマワリの種をつまみながら、よもやま話。ガイドの通訳でときどき私も会話に加わる。ガイドはアク族だが、アカ族とアク族は似ており、アク族はアカ族の言葉を解する(その逆は必ずしも真ではないらしい)。
この家ではトイレを借りた。そのお礼というわけではないが、小さな手作りの袋を購入した。5000チャット(400円ほど)。
この家の女性はお歯黒をしてした。日本のお歯黒とは異なり、既婚女性が歯を黒く染めるわけではない。動物、特に犬の歯は白い。アカ族やエン族のお歯黒は「犬ではなく人間だ」という意思表示であり、既婚と未婚あるいは男と女の別を問わない。ある植物の実と葉を何ヶ月もあるいは何年も噛むことによって歯が黒くなる。いったん黒くなった歯は白には戻らないという。アフリカ東部のチャットと同様、この植物には一種の常用癖、依存性を引き起こす効果があるのかもしれない。
アカ族の村をあとにして、エン族の村へ向かう。ガイドはEnn peopleと説明したが、帰国後にネットで調べてもEnnはほとんど出てこない。代わりに見つかったのがAnn peopleだ。EnnとAnnは同じ人々を指す可能性が高い。
丘から見下ろしたところに小さな建物がある。学校ということだ。中に入ると、30人ほどの児童と2人の女性教師がふざけあっている。休み時間なのだろうか。用意していた飴を子供たちに配る。教師2人はビルマ人とのこと。ビルマ語を教えるためだろう。
山の斜面に散在する高床式の住居が興味深い。黒豚が放し飼いされているのはアカ族と同じだ。
ガイドに案内されてシャーマンの家を訪れる。少数民族の村ではキリスト教の進出が著しいが、アニミズムの伝統は簡単に消えないのだろう。シャーマンは世襲制の村長のような役割を担っているのかもしれない。
50がらみのシャーマンは床に敷く竹のカーペットを製作中だった。根気のいる仕事だ。
ここで用意していた昼食をとった。ガイドもランチボックスを持参していたが、中味は白いご飯だけだった。中央市場で買った黒い餅米のおにぎりはおいしかった。これだけあればおかずはいらない。ただ2個は多すぎたので、1個は持ち帰ることにした。
昼食後、シャーマンが手作りの弦楽器を持ち出し、3曲ほど披露してくれた。エン族やシャン族(クン族)の調べ。すばらしかった。たった2弦の手作りの楽器でこれだけのメロディーを創り出せるこの男、だてにシャーマンをやっているのではなさそうだ。
シャーマンの家の土間を見学する。神事に使う太鼓もある。よそ者がこの太鼓に触るのは厳禁とのこと。広い土間にはテレビが1台。テレビの前には10人ほどの村の子供が集まり、放映中のインド映画を見ていた。おそらくこの村ではシャーマンの家だけがテレビを所有しているのだろう。
シャーマンにチップとして5000チャット(400円ほど)を渡し、エン族の村を去る。
次に訪れたのはもうひとつのアカ族の村。ガイドの顔見知りという女性の家に上がる(高床式だから文字通り「上がる」わけだ)。煎った落花生でもてなされる。ここでも近所の女性や子供たちが数人集まってきた。
これで今日の予定はおおよそ終了した。ホテルへの帰路、米から酒を醸造している現場に立ち寄る。近づくにつれ、麹の匂いが強くなる。試飲したところ、かなり強い酒だった。
ホテルに帰るとちょうど4時ごろだった。舗装していないでこぼこの山道をスクーターのうしろにしがみついて廻ったわけだから、結構疲れた。しかし、古くからの生活様式がまだ生きているさまざまな光景を垣間見ることができ、十二分に満足できるツアーだった。エン族の学校訪問とシャーマンの手作りギター演奏が今日のハイライトと言えようか。
夕暮れになるといくつかの屋台がオープンする一角がホテルの近くにある。夕食はここでとった。豚肉のカレーで1000チャット(80円ほど)。安くておいしかったが、なにぶんにも量が少ない。幸い、黒い餅米のおにぎりを持ち帰っていたので、空腹のまま眠るはめにはならなかった。
7時半ごろに朝食をとる。ヤンゴンのBeauty Land Hotelより劣るが、まずは満足できる内容だ。お粥が用意されているのは中国の影響か。
ガイドは9時ちょうどにホテルにやって来た。Josephという名前のアク(ZAkhu)族の青年だ。出発に先立ち、今日と明日の行程を簡単に打ち合わせる。今日はアカ(Akha)族とEnn族の村を訪れるとのこと。
まず中央市場に立ち寄り、ランチ用の食料を買い出す。葉っぱに包まれた黒い米のおにぎり2つとソーセージ。村の子供たちに配る飴も2袋購入した。
スクーターのうしろにつかまりながら1時間近く、舗装も途切れた山道を行く。最初にアカ族でもエン族でもない小さな村(何族の村かは忘れた)を訪れた。7、8人の女性たちが外で並んで刺繍をしていた。その横を水牛が首に付けた鈴を鳴らしながら通り過ぎる。
次にアカ族の村に行く。アカ族はもともとは中国から来た人々で、ミャンマーのほか、タイやラオスにも居住している。私は2年前にラオス北部のアカ族の村を訪れたことがある。ミャンマーのアカ族とラオスのアカ族がどれほどに同じで、どれほどに異なるのか、興味深いところだ。同じ言葉をしゃべっているのかどうかは私には判断できない。服装や生活様式については多少の違いがありそうだ。ラオスのアカ族の村では伝統衣装を着用している女性をほとんど見かけなかったのに対し、ミャンマーのアカ族では多くの女性が今でも日常的に伝統衣装を身につけているようだった。ラオスでは中国から安価な洋服が大量に輸入され、伝統的な装飾や服装を放逐してしまったとのことだった。
高床式の家屋、放し飼いされている黒豚。教会も見える。村には男性の姿はあまり見あたらない。農作業に出かけているのだろう。女性たちは手作りの袋や装飾品を私に売りつけてくる。これは困る。しつこい売り込みではないが、いちいち断るのが後ろめたい。たとえ必要なくとも、謝礼の意味でいくばくかの買い物をする用意はある。しかし、訪れるのはこの村だけではない。勧められるままに買うわけにはいかない。
ある家に立ち寄り、しばしの休憩。ガイドにとってもはじめて訪れる家らしい。近所の女性も2、3人集まってくる。ヒマワリの種をつまみながら、よもやま話。ガイドの通訳でときどき私も会話に加わる。ガイドはアク族だが、アカ族とアク族は似ており、アク族はアカ族の言葉を解する(その逆は必ずしも真ではないらしい)。
この家ではトイレを借りた。そのお礼というわけではないが、小さな手作りの袋を購入した。5000チャット(400円ほど)。
この家の女性はお歯黒をしてした。日本のお歯黒とは異なり、既婚女性が歯を黒く染めるわけではない。動物、特に犬の歯は白い。アカ族やエン族のお歯黒は「犬ではなく人間だ」という意思表示であり、既婚と未婚あるいは男と女の別を問わない。ある植物の実と葉を何ヶ月もあるいは何年も噛むことによって歯が黒くなる。いったん黒くなった歯は白には戻らないという。アフリカ東部のチャットと同様、この植物には一種の常用癖、依存性を引き起こす効果があるのかもしれない。
お歯黒をしたアカ族の女性
アカ族の子供たち
アカ族の村をあとにして、エン族の村へ向かう。ガイドはEnn peopleと説明したが、帰国後にネットで調べてもEnnはほとんど出てこない。代わりに見つかったのがAnn peopleだ。EnnとAnnは同じ人々を指す可能性が高い。
丘から見下ろしたところに小さな建物がある。学校ということだ。中に入ると、30人ほどの児童と2人の女性教師がふざけあっている。休み時間なのだろうか。用意していた飴を子供たちに配る。教師2人はビルマ人とのこと。ビルマ語を教えるためだろう。
山の斜面に散在する高床式の住居が興味深い。黒豚が放し飼いされているのはアカ族と同じだ。
エン族の子供たち
ビルマ人の教師
エン族の住居
エン族の村
ガイドに案内されてシャーマンの家を訪れる。少数民族の村ではキリスト教の進出が著しいが、アニミズムの伝統は簡単に消えないのだろう。シャーマンは世襲制の村長のような役割を担っているのかもしれない。
50がらみのシャーマンは床に敷く竹のカーペットを製作中だった。根気のいる仕事だ。
ここで用意していた昼食をとった。ガイドもランチボックスを持参していたが、中味は白いご飯だけだった。中央市場で買った黒い餅米のおにぎりはおいしかった。これだけあればおかずはいらない。ただ2個は多すぎたので、1個は持ち帰ることにした。
昼食後、シャーマンが手作りの弦楽器を持ち出し、3曲ほど披露してくれた。エン族やシャン族(クン族)の調べ。すばらしかった。たった2弦の手作りの楽器でこれだけのメロディーを創り出せるこの男、だてにシャーマンをやっているのではなさそうだ。
シャーマンの演奏
シャーマンの家の土間を見学する。神事に使う太鼓もある。よそ者がこの太鼓に触るのは厳禁とのこと。広い土間にはテレビが1台。テレビの前には10人ほどの村の子供が集まり、放映中のインド映画を見ていた。おそらくこの村ではシャーマンの家だけがテレビを所有しているのだろう。
テレビの前の子供たち
シャーマンにチップとして5000チャット(400円ほど)を渡し、エン族の村を去る。
次に訪れたのはもうひとつのアカ族の村。ガイドの顔見知りという女性の家に上がる(高床式だから文字通り「上がる」わけだ)。煎った落花生でもてなされる。ここでも近所の女性や子供たちが数人集まってきた。
この家で休む
これで今日の予定はおおよそ終了した。ホテルへの帰路、米から酒を醸造している現場に立ち寄る。近づくにつれ、麹の匂いが強くなる。試飲したところ、かなり強い酒だった。
ホテルに帰るとちょうど4時ごろだった。舗装していないでこぼこの山道をスクーターのうしろにしがみついて廻ったわけだから、結構疲れた。しかし、古くからの生活様式がまだ生きているさまざまな光景を垣間見ることができ、十二分に満足できるツアーだった。エン族の学校訪問とシャーマンの手作りギター演奏が今日のハイライトと言えようか。
夕暮れになるといくつかの屋台がオープンする一角がホテルの近くにある。夕食はここでとった。豚肉のカレーで1000チャット(80円ほど)。安くておいしかったが、なにぶんにも量が少ない。幸い、黒い餅米のおにぎりを持ち帰っていたので、空腹のまま眠るはめにはならなかった。
屋台で夕食
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