2019年4月15日読了
著者:Victor Hugo
刊行:1874年
評価:★★★★★
Kindle版(無料)
Quatrevingt-Treizeは「93」という意味だが、この場合にはフランス革命が頂点に達した1793年を指す。邦題は「93年」。昨年ツヴァイクのジョセフ・フーシェとマリー・アントワネットの伝記を読んだこともあり、この小説の背景となっているフランス革命やヴァンデの反乱に関するおおよその知識はあった。
だが、この小説はフランス革命の叙述ではなく、ヴァンデの反乱の帰趨を描くものでもないから、特別な歴史的知識がなくても十分に楽しめる。実際、ヴァンデの反乱など聞いたこともない子供のころ(たぶん小学六年生ごろ)、少年少女向きに簡略化された「93年」を読んで非常におもしろかったことを覚えている。おもしろかったという感想は頭に残っているが、どのようなストーリーだったかはすっぽり記憶から脱け、登場人物も誰一人として覚えていなかった。
数十年の歳月を経て、あらためてオリジナルのフランス語で読み、子供のころの感動を追体験できるかどうか。期待と不安を交えながら読み始めた。
19世紀の作品だから、すらすらと読めるわけではない。辞書に出てこない単語も少なくない。だが、予期していたよりずっと読みやすい。細部ではわからないところが多々あるが、ストーリーの流れを追い、主要な登場人物の性格や思想を把握するうえで支障はない。
ユーゴーの作品を原文で読むのはNotre-Dame de Parisに続いて2冊目だ。Quatrevingt-TreizeはNotre-Dame de Parisよりも近づきやすかった。Notre-Dame de Parisではパリとノードルダム寺院の説明にそれぞれ1章が割かれている。いずれもストーリーには関係のない内容で、実はこれらの章はスキップしてしまった。
Quatrevingt-treizeでもストーリーとは無関係にConvention(国民公会)を説明する章が挿入されている。こちらのほうはちゃんと読んだ。途中でいやになることもなく、次の章につなげることができた。
Quatrevingt-Treizeは3人の人物を中心に展開する。ヴァンデの反乱を指揮する王党派(白)のLantenac、反乱鎮圧の任を負う革命軍(青)を率いる青年将校のGauvain、そしてGauvainを監視するために公安委員会から派遣されたCimourdain。この三者の間には浅からぬ因縁がある。LantenacとGauvainはブルゴーニュの貴族の出で、LautenacはGauvainの大叔父にあたる。CimourdainがGauvainを監視するのはこうした事情からだ。ところが元僧侶のCimourdainは革命前にGauvainの家庭教師であり、Gauvainに深い影響を与えるともに、彼に対して自分の息子のような愛着を抱いている(CimourdainをGauvainの監視役とした公安委員会はこの事実を知らない)。
LantenacとCimourdainはどちらも原理主義者だ。前者は王党派、後者は革命派という違いはあるが、常に非妥協を貫き、敵に対して徹頭徹尾無慈悲であるという点では共通する。彼らとは対照的に、若きGauvainはclémence(寛大さ、慈悲)をもって知られている。公安委員会が彼を監視しようとしたのは、Lantenacとの血のつながりに加え、このclémenceを危惧したためでもある。Gauvainは革命派ではあるが、revolutionよりもhumanité(人間性)を上位に置く。おそらくこれはユーゴーの立場でもあるのだろう。
商船を装ったイギリス製の軍艦に乗船したLantenacがブルゴーニュへの上陸を目指すところから物語は始まる。あるはずみで砲台のたががはずれ、くびきからはずれた大砲が船の揺れに乗じて甲板の上を暴れまくる。破壊への意志を持つ盲目の猛獣のように。この大砲の動きの描写がすばらしい。大砲が制御されたあとのLantenacの措置も意表を突く。冒頭から一気に物語りに引き込まれた。
子供のころあらすじを読んだとはいえ、すべて忘れ去っているから、新しい本を読むの同じだ。最初の数ページから最後の1ページまで、いや最後の数行に至るまで予測のつかない展開に心を躍らせた。
もちろんストーリーのおもしろさだけではない。ユーゴーの小説の魅力は、登場人物の情熱が「半端ない」ことである。LantenacとCimourdainの過激さは、Notre-Dame de ParisにおけるClaude Frolloの暗い情熱に通じるところがある。彼らの情熱(passion)は往々にして強迫観念(obsession)へと転化する。
英語版のWikipediaによれば、グルジアの神学生であったDzhugashviliは牢獄の中で「93年」を読み、Cimourdainに深く感銘したとのことだ。Dzhugashviliとはのちのスターリンにほかならない。考えてみれば、LantenacとCimourdainはその非情さにおいてスターリン主義者と言えなくもない。
同じく英語版Wikipediaによると、スターリン主義と対極にある米国の作家Ayn Randも「93年」の熱心なファンらしい。彼女の小説The Fountainheadの主人公Howard Roarkの一徹ぶりもLantenacやCimourdainを連想させる。
久しぶりに小説らしい小説を読んだ感激にしばらくは浸っていたい。そして次はいよいよLes Misérablesだ。こちらもKindleストアから無料でダウンロードできる。
著者:Victor Hugo
刊行:1874年
評価:★★★★★
Kindle版(無料)
Quatrevingt-Treizeは「93」という意味だが、この場合にはフランス革命が頂点に達した1793年を指す。邦題は「93年」。昨年ツヴァイクのジョセフ・フーシェとマリー・アントワネットの伝記を読んだこともあり、この小説の背景となっているフランス革命やヴァンデの反乱に関するおおよその知識はあった。
だが、この小説はフランス革命の叙述ではなく、ヴァンデの反乱の帰趨を描くものでもないから、特別な歴史的知識がなくても十分に楽しめる。実際、ヴァンデの反乱など聞いたこともない子供のころ(たぶん小学六年生ごろ)、少年少女向きに簡略化された「93年」を読んで非常におもしろかったことを覚えている。おもしろかったという感想は頭に残っているが、どのようなストーリーだったかはすっぽり記憶から脱け、登場人物も誰一人として覚えていなかった。
数十年の歳月を経て、あらためてオリジナルのフランス語で読み、子供のころの感動を追体験できるかどうか。期待と不安を交えながら読み始めた。
19世紀の作品だから、すらすらと読めるわけではない。辞書に出てこない単語も少なくない。だが、予期していたよりずっと読みやすい。細部ではわからないところが多々あるが、ストーリーの流れを追い、主要な登場人物の性格や思想を把握するうえで支障はない。
ユーゴーの作品を原文で読むのはNotre-Dame de Parisに続いて2冊目だ。Quatrevingt-TreizeはNotre-Dame de Parisよりも近づきやすかった。Notre-Dame de Parisではパリとノードルダム寺院の説明にそれぞれ1章が割かれている。いずれもストーリーには関係のない内容で、実はこれらの章はスキップしてしまった。
Quatrevingt-treizeでもストーリーとは無関係にConvention(国民公会)を説明する章が挿入されている。こちらのほうはちゃんと読んだ。途中でいやになることもなく、次の章につなげることができた。
Quatrevingt-Treizeは3人の人物を中心に展開する。ヴァンデの反乱を指揮する王党派(白)のLantenac、反乱鎮圧の任を負う革命軍(青)を率いる青年将校のGauvain、そしてGauvainを監視するために公安委員会から派遣されたCimourdain。この三者の間には浅からぬ因縁がある。LantenacとGauvainはブルゴーニュの貴族の出で、LautenacはGauvainの大叔父にあたる。CimourdainがGauvainを監視するのはこうした事情からだ。ところが元僧侶のCimourdainは革命前にGauvainの家庭教師であり、Gauvainに深い影響を与えるともに、彼に対して自分の息子のような愛着を抱いている(CimourdainをGauvainの監視役とした公安委員会はこの事実を知らない)。
LantenacとCimourdainはどちらも原理主義者だ。前者は王党派、後者は革命派という違いはあるが、常に非妥協を貫き、敵に対して徹頭徹尾無慈悲であるという点では共通する。彼らとは対照的に、若きGauvainはclémence(寛大さ、慈悲)をもって知られている。公安委員会が彼を監視しようとしたのは、Lantenacとの血のつながりに加え、このclémenceを危惧したためでもある。Gauvainは革命派ではあるが、revolutionよりもhumanité(人間性)を上位に置く。おそらくこれはユーゴーの立場でもあるのだろう。
商船を装ったイギリス製の軍艦に乗船したLantenacがブルゴーニュへの上陸を目指すところから物語は始まる。あるはずみで砲台のたががはずれ、くびきからはずれた大砲が船の揺れに乗じて甲板の上を暴れまくる。破壊への意志を持つ盲目の猛獣のように。この大砲の動きの描写がすばらしい。大砲が制御されたあとのLantenacの措置も意表を突く。冒頭から一気に物語りに引き込まれた。
子供のころあらすじを読んだとはいえ、すべて忘れ去っているから、新しい本を読むの同じだ。最初の数ページから最後の1ページまで、いや最後の数行に至るまで予測のつかない展開に心を躍らせた。
もちろんストーリーのおもしろさだけではない。ユーゴーの小説の魅力は、登場人物の情熱が「半端ない」ことである。LantenacとCimourdainの過激さは、Notre-Dame de ParisにおけるClaude Frolloの暗い情熱に通じるところがある。彼らの情熱(passion)は往々にして強迫観念(obsession)へと転化する。
英語版のWikipediaによれば、グルジアの神学生であったDzhugashviliは牢獄の中で「93年」を読み、Cimourdainに深く感銘したとのことだ。Dzhugashviliとはのちのスターリンにほかならない。考えてみれば、LantenacとCimourdainはその非情さにおいてスターリン主義者と言えなくもない。
同じく英語版Wikipediaによると、スターリン主義と対極にある米国の作家Ayn Randも「93年」の熱心なファンらしい。彼女の小説The Fountainheadの主人公Howard Roarkの一徹ぶりもLantenacやCimourdainを連想させる。
久しぶりに小説らしい小説を読んだ感激にしばらくは浸っていたい。そして次はいよいよLes Misérablesだ。こちらもKindleストアから無料でダウンロードできる。
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