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2019年8月10日土曜日

沖縄戦跡巡り2019 六日目(海軍司令壕、対馬丸記念館、首里城)

7月21日。

沖縄最後の1日。午前中に海軍司令部壕を訪問し、午後には首里城の中を見学することにした。時間があったら、対馬丸記念館にも行ってみたい。

海軍司令部壕はゆいレールの奥武山(おうのやま)駅と小録(ころく)駅のどちらからでも徒歩で30分程度で行くことができる。沖縄戦でよく名前の出てるのは小録のほうだが、今回は奥武山公園からのルートを選んだ。このほうが若干近いからだ。

9時過ぎにホテルを出て、県庁前駅でゆいレールに乗り、奥武山公園駅で降りる。昨日までとは異なり、今日は青空が見える。奥武山公園は運動公園であり、陸上競技場、サッカーやテニスの施設、球技場などがある。今日は何かの大会があるのだろうか。駅には「混雑が予想されますので、帰りの切符は今のうちに買っておいてください」という掲示があった。

駅前の小広場には「島田叡氏顕彰碑」なるモニュメントがある。島田氏は戦争当時の沖縄県知事だ。戦火の中、住民保護に力をつくし、「生きろ」という言葉を残して亡くなった(遺体は発見されていない)島田知事は沖縄県民から今も慕われている。昨日のタクシー運転手も島田知事に対しては好意的だった。

島田叡氏顕彰碑

駅から海軍壕公園に向かって歩く。奥武山は那覇市だが、海軍壕公園は豊見城市になる。汗が少しにじむほどよい暑さの中、30分ほどで到着。内部をまったく見ることができない第32軍司令部壕とは対照的に、海軍司令部壕は1970年に復元され、一般に公開されている。

入場料は440円。沖縄戦の写真が展示されている部屋を出発点に壕の中に入っていく。日曜ということもあるのか、見学者もそこそこ多い。大田少将以下6名が6月13日に自決した部屋が生々しい。自決に使った手榴弾の跡がいくつも壁に残っている。大田少将は自決にあたり海軍次官充てに「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電報を送っている。

海軍司令部壕

大田少将自決の部屋

さらに司令官室や作戦室などを見て回り、壕の中で30分あまりを過ごす。

司令官室

壕の外へ出る。まだ11時にもなっていない。このまま対馬丸記念館に行こう。対馬丸記念館は県庁前駅から10数分歩く。海軍壕公園から奥武山駅まで30分、さらに県庁前駅から対馬丸記念館まで10数分。これは歩くよりタクシーだ。奥武山駅の方向に歩きながらタクシーを拾おうとするが、なかなかやって来ない。結局駅まで歩いた。

県庁前駅でゆいレールを降り、対馬丸記念館に向かう。途中、「福州園」なる中国風の建物が目に入る。あとで調べると、那覇市と福州市の友好都市10周年を記念して1992年に開園した中国庭園らしい。入口付近には何人かの中国人観光客が写真を撮っていた。

福州園

福州園からさらに少し歩いて対馬丸記念館に着く。対馬丸は沖縄から九州に向けて疎開する学童を乗せて航行中に米海軍の攻撃を受けて沈没した。米軍が沖縄に上陸する前年の1944年8月22日のこと。1484名が犠牲になり、そのうち780名が児童だった。

対馬丸記念館

500円の入館料を払って中へ入る。建物自体が大きくなく、展示も小規模だ。戦中の小学校の教科書、制服、子供用の防空頭巾、対馬丸船内の2段ベッドのレプリカなど。壁面には犠牲者の写真と氏名が貼り出されている。幼子を抱えた若い母親も何組か。館内の写真は自由だが、犠牲者の写真は遠慮してくれとのことだった。

復元された2段ベッド

小学生の国民服

小さな記念館だが、定期的に会報を出すなど、各種の活動を精力的に続けているようだ。スケジュールが合えば、生存者・関係者(語り部)の話を聴く機会もある。

対馬丸記念館からホテルまで徒歩で帰った。途中、ファミリーマートでで弁当(ゴーヤチャンプルー)を購入。ここの男性店員もネパール人のようだったが、話しかけることはしなかった。

1時から3時過ぎまでホテルの部屋で休んでから、ゆいレールで首里に向かう。初日に外から見た首里城の中を見学するためだ。820円でチケットを購入し、脱いだ靴をプラスチック袋に入れて城内に入る。外も内も朱色を基調とした城だ。

首里城

琉球国は1429年から1879年の琉球処分まで存続した王国だ。正直なところ琉球国に対する私の興味は薄く、知識もほとんどない。中国と日本に挟まれたこの小国の歴史にまで興味が出てくれば、今後の沖縄訪問にも一段の深みが加わるはずだ。城内の絵巻物やその他の展示物を見ると、琉球の外交に歌舞が大きくかかわっているように思えた。軍事では隣の両大国に対抗できないことの結果なのか、それとも琉球の文化の核に歌舞があったのか。

第32軍司令部壕を再度目に収めてから首里城を後にした。

首里駅からゆいレールに乗り、牧志駅で降りる。牧志から国際通りに入ったところにある居酒屋に立ち寄るためだ。昨日確かめておいた居酒屋だ。ねらいはラフテー。ラフテーとは豚の角煮の沖縄バージョンをいう。2日目にバスターミナル付近で食べた沖縄そばにのっていた豚の角煮のとろけるような味が忘れられない。たぶんラフテーだったのだろう。もう一度食べたいと思いながら、最終日の今日になってしまった。

まだ6時ということあり、私が店に入ったときには他に客はいなかった。生ビールの中にラフテー、フーチャンプルー、ミニタコライスを注文する。沖縄の味の勢揃いだ。総額2000円ちょっと。

沖縄最後の夕食

ラフテーはもちろん、フーチャンプルーも予想外においしかった。フーとは麩のことである。タコライスは期待外れ。私には辛すぎた。タコライスのタコとは蛸のことだと誤解していたのだ。蛸ではなくタコスのことだった。

昨日同様、国際通りから美栄橋駅に出て、ホテルに戻る。明日は那覇空港11時50分発のJetstar便で沖縄を離れる。


 

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