著者:Édouard Louis
刊行:2018年
評価:★★★★★
1992年生まれの若手フランス人作家Édouard LouisによるQui a tué mon père(誰が私の父を殺したか)は、En finir avec Eddy Bellegueule(エディに別れを告げて)とHistoire de la violence(暴力譚)に続く彼の3つ目の作品だ。第1作も第2作もそれほど長くはないが、この3作目は80ページ余と、ことのほか短く、Romanと呼ぶのに躊躇するほどである。なにぶんにもフランス語だから、私が読了するには数日かかったが、ネイティブのフランス人なら2、3時間で読み終わるだろう。
内容は処女作のEn finir avec Eddy Bellegueuleにつながる。続編というわけではない。処女作を補完する補遺といったところか。叙述のほとんどはTu(「あなた」の親称)を使って父親に語りかける形式になっている。
作者が生まれ育ったのは北フランス工業地帯の小さな町(作品ではvillage、つまり村となっている)である。住民の多くは地元の工場で働いている。作者の父親はリセ(高校)を終えてからの5年間を南フランスで過ごす。「現実を忘れる権利」を享受する期間を「青春(jeunesse)」と呼ぶなら、南フランスでの5年間はまさにその青春を引き延ばすためのあがきでもあった。
父親は結局生まれ故郷の村に戻り、地元の工場に勤める。しかし工場で事故に遭い、背中を傷める。その後遺症も癒えない中、不景気の煽りを喰い、工場を辞める。ままならない身体のまま、やっとありついたのは道路掃除の仕事だ。毎日腰をかがめて、長時間、道路を掃いている。
久しぶりに帰郷した作者が見た父親に昔の面影はない。歩くのもやっとの疲れ切った姿。50歳になったばかりだというのに。
父親やその周辺を支配しているのはmasculinité(男らしさ)という価値観だ。男にはなによりもマッチョであることが求められる。ゲイである作者がこうした環境に別れを告げ、高等教育を受けるまでのプロセスが処女作En finir avec Eddy Bellegueuleの主題だった。
本書は父親にまつわるランダムな思い出やエピソードからなる。たとえば2004年の次のようなエピソードを紹介しておこう。
中学校で冷戦とベルリンの壁について学んだ作者。ベルリンが壁で分断されていたという事実に衝撃を受け、好奇心をおおいにかきたてられる。ヨーロッパが2つに分かれてたなんて。道の真ん中に壁が建てられ、行き来が不可能になるとは。
作者は急いで家に帰る。父親なら壁が崩壊したときには成人になっており、もっと詳しい情報が得られるはずだ。「壁を実際に見た人を知っているか、実際に壁に触った人に会ったことはあるか」などの数多くの質問を抱えて家に急ぐ。
父親の回答は漠然としていた。「そんなことがあったね。テレビで報道されているのを見た」。しつこく質問すると、父親は怒り出して怒鳴る。怒鳴るのはいつものことだが、このときの怒鳴り方はいつもとは違っていた。怒鳴り声の中に「恥辱(honte)」が混じっていたのだ。無知であることの屈辱。学校で教える歴史と父親の歴史は重ならない。
「マッチョであること」の中には学校や教師に対する反抗も含まれ、勉強は軽蔑される。教師に平手打ちを喰らわせた作者の従兄弟は、そのことでみんなから賞賛される始末だ。かくて社会的な階段を上がることをみずから拒否し、貧困が再生産される。
物語も終わりに近づいたころ、「政治」が登場してくる。シラク、サルコジ、オランド、マクロンといった歴代の大統領の名前が挙げられ、彼らの行った社会保障の減額や労働時間の延長とった政策が糾弾される。「私の父を殺した」(実際に死んでいるわけではないが)のはこうした政治家とその政策であり、社会のシステムだ。「持てる者、支配する者」にとっては政治とは「美学の問題」であり、「世界観の問題」でしかない。しかし「持たざる者、支配される者」にとっては政治は生活に直接影響する「生きるか、死ぬか」の問題なのだ。
短い小説だが、無駄な行は一行もなく、濃密な内容がぎっしりと詰まっている。ここ数年に読んだ本の中では出色、まぎれもなくナンバーワンだ。英訳や独訳は出ているが、残念ながら日本語には訳されていない。
作者のÉdouard Louisが本書について語っている動画がいくつかYoutubeにアップされている。たとえば次の動画ではLouisが英語でインタビューに答えている。
Édouard Louis and Kerry Hudson: Who Killed My Father?
フランス語でのインタビューは次の動画。
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